III:マサラの悲劇
「キワメ師匠から大体の話は聞いたね、ケンくん?」
目の前のやつに圧倒されながらも、俺はかろうじて首を上下させる。
「ああ。あんたは……?」
「僕はミツル。こちらは僕の師匠であられるキワメさんだよ」
何気に胸を張って自分をアピールしているキワメさんを俺は傍目で片付けながら、ミツルと名乗った人物に視線を戻す。
「男だったんですね、びっくりしましたよ」
髪が長く、綺麗な顔立ちに一瞬女だと思ってた俺が情けないな。だけどこの人が目を惹くのには単に彼の容姿からだけではなかった。
「助けてもらってありがとうございました。それで、俺に何か?」
さっきの目は明らかに俺を測っていたような目だった。
なにを考えてるんだ?
「ううん、警戒させちゃったみたいでごめんね。ただ君のキュウコンを見て……強いんだね、君」
「ありがとうございます。でも、ミツルさん程ではないですよ。きっと……」
俺もお返しするように見つめ返す。
ただのお世辞にしか過ぎないし、この人とリアルにバトルしたら簡単に負けることはないと思った。
「ほっほっほ、面白いのお。お主程の実力者ならミツルに敵わんとわかっておっても、きっと、と言うか。ほっほっほ」
ああ、そうさ。やってもいないのに絶対なんて言えるかよ。
俺の好戦的な血がふつふつと目の前の男に対して湧きがってくるのを感じる。
「君は面白いね。でも、今はそのことで張り合っている場合じゃないんだ」
急に真剣な表情へと切り替えるミツルさんを見て、俺は緊張していた背筋と手を緩める。
容姿と寸分ないほどに頭脳までも怜悧(れいり)らしい。
「大監獄8の島で初の脱獄者が出た」
大監獄8の島。その名前は結構有名だ。
7つの島で構成されているここの地域ナナシマではあるが、一般市民は行くことの許されていない島が1つある。それが、8の島。
重罪人や犯罪者を隔離、収容している島である。
島まるごとが巨大な監獄として利用されており、脱獄者など出たこともなかった大監獄8の島……そこから逃げ出した者が出た? そんなことがありえるのかよ。
「君も知ってるでしょ? オーキドって人を」
っ!?
「あの、オーキドが逃げたのかよ!?」
オーキド。以前オーキド博士として偉大なるポケモン研究分野の権威の科学者であったが、「マサラの悲劇」と呼ばれる事件の主犯とされ逮捕、投獄されたのは知っている。
「20年前の「マサラの悲劇」。その主犯が今になって逃げ出して姿をくらませてから今日で一週間。そしてロケット団の同時多発テロ……。裏があるとしか思えない」
オーキドの名前が出た時に、キワメ老人の表情が微弱ながらに変わったような気もした。でもこれは、聞き流すだけでは済まされないことだ。なぜって、オーキドという人物は歴史上で一番重い刑に科された罪人なのだ。初めてこの国で終身刑を言い渡されたとしても法学界でも有名な話だ。
オーキドが住んでいたマサラタウンの研究所、そこには研究の為に集められたポケモン達が暮らしていた。研究、といってもポケモンの生態を観察するというものであったと皆が思い知らされていた。
しかし裏でオーキドはポケモン達を用いて何らかの実験を行っていたのだ。
ポケモンの生命エネルギーを使っての新たなる生命エネルギー体の創生。ある日、数日間オーキドを見かけずにおかしいと思っていたマサラの住人が研究所を訪ねたことにより事件は発覚する。
そこで住人が見たものは想像を絶する光景。魑魅魍魎の塊が無造作に山となったポケモン達の死骸。無残に研究のために利用されたポケモン達の亡骸……。
唯一研究所で動いていたのはコンピューター器具の稼働音と狂ったように背を丸め嗤い、研究衣に身を包んだオーキド博士の姿だったという。
「オーキドはあの後すぐに逮捕、監獄されたはずだろ? なのに、どうやって」
「それはわからない。でもロケット団が深くかかわっている。そして、あのマサラの悲劇で隠ぺいされた人間が一人いるんだ」
「え……?」
ミツルさんの言うところの意味は理解できなかった。
「シルフカンパニー社、社長のサカキ。昔の文献を読み返していたんだけどね、彼が二十数年前にオーキドを尋ねにいったらしいんだ」
知らされる意外な事実。しかしどうしてこの人は俺にこんなことを―――?
「僕は君の腕を買いたい。そしてこのテロの裏にこびり付いた真相を僕は知りたい」
彼の目は直視できない程にまっすぐで、俺は一瞬その眼力に吸い込まれそうになってしまう。
「でも、なんで俺なんですか? 俺より腕の良い奴は五万といますよ?」
少し失礼な言い方かもしれない……けど、事実だ。
「都合の良い言い方で悪いけど、君はロケット団に襲われて逃げていたんだろう? だとしたら、また狙われる可能性がある。それもロケット団の中枢に繋がりのある連中とね」
リョウのことか? リョウ? リョウの名字は……たしかサカキ。
「そのサカキっていう奴に子供っているのか……?」
「調べたところによるといるみたいだね。君と同い年ぐらいだと思うよ」
「そう、ですか。そのサカキっていう奴がロケット団の首領なんですか?」
「ああ。先日自らがテレビで公表していたよ」
俺は内心舌打ちし、リョウにもう一度会いたいという念が一気に膨張する。
「そういうことですか、なら協力します。俺もあいつは自分の手でぶん殴ってやらないと気がすまないんで」
「なにか心当たりがあるみたいだね。それなら利害は一致しているわけだ、よろしくお願いするよ」
差し伸べられる手を俺は力強く握り返す。奥歯で苦い思いをかみ殺しながら、俺の心には新たなる闘志が湧き上がる。
「よろしくです、ミツルさん」
俺はしっかりとベッドから立ち上がり、ものの数分であのチイラの効果が完全に現れてきているのを実感して驚く。
「痛みが、消えた……」
俺の言葉にキワメは今までにないぐらいの一際甲高い声で笑う。
「ほっほっほ! じゃろうてじゃろうて!」
「キワメさん、またそんなに笑うと顎外れちゃいますよ」
「ほっほっほ……あがっ!?」
「あ、キ、キワメさん、大丈夫ですか!」
なんなんだこの茶番は……? と思いつつ、先ほどまで真剣そのものだったミツルさんとキワメ老人のギャップに俺は冷や汗を流す。
それにしても、例えオーキドをロケット団が逃がして協力させていたとしても全国支配なんてできるのか? かなり危うい立場にあることは知っている……でも、そんな一勢力の力をもってしてここまで劣勢に陥るなんて。
協会は一体なにをしてたんだ? あれほど腕の立つチャンピオンたちがやられたっていうのか?
俺の目の前で顎を両手で抱えようとして痛がるキワメとあたふたと対応しているミツルさんを放っておいて、俺はベッド横に置かれた俺のバッグを見下ろす。
バッグの片側に突き刺さった【毒針】によって空けられた穴は、ちゃんとあのコトが夢ではなかったことを物語る。
あのリョウがロケット団で一番偉い奴の息子かよ……。それにあいつが持っていたミュウツーってポケモンに、オーキドの脱獄。それとオーキドが研究していた新たなるエネルギー生命体の謎。
でも今気にかけなきゃなんねえのは、ロケット団の強大な力とその勢いだろうな。
それと、ルカ……。
拳をぎゅっと握る。
無事でいてくれよ。
「ミツルさん、それでこれからどうするんですか?」
彼には背を向けたまま、俺は問いかける。
そしてミツルさんは待っていましたと言わんばかりに、穏やかな口調で言い返す。
「君はどうしたい?」
…………。
「ロケット団の調査も大事ですけど、俺は自分の家族のことが心配です……」
「そうだね。ロケット団のことは謎だらけだけど、先ずは君の家族の方が心配だ」
「お願いします」
「うん。皮肉な情報だけど、今までにたくさんの死者が出てきたんだけど……不可解な点があるんだ」
「不可解な点?」
ミツルさんは顎をもとに戻したキワメの横を通り過ぎてテレビのダイヤルを回してスイッチを点ける。ってか、古っ。アンテナ付きかよ。
「うん、まあこれを見て。君が眠っていた二日間でこういったことが起きた」
二日? 俺は二日間も眠っていたのか?
【ニュースをお伝えいたします。先日協会へと声明を発表したロケット団なる組織はカントー地方においてハナダ、タマムシ、セキチク、ヤマブキ、4の島の主要施設を攻撃。その目的はテロリスト活動家の粛清とのことであり、その発表の真意を協会は確かめるとのこと―――】
流れている昼のニュースは各地の街で行われたテロ活動の惨劇を中継で流す。
そしてハナダシティのニュースでは謎の巨大氷花の出現が大々的に報道されていた。なんなんだ、あれ? そういやルカのやつがカナの正月にはハナダデパートに行くって……。
「何かに気付いたかい?」
ミツルさんがテレビを消して聞き返してくる。
その答えは頭の中にさっきのニュースで理解していたが、その理由を俺は見つけられなかった。
「なんなんすかこの報道。重要なことが何も―――」
「そう」
そう。さっきのニュースを読みあげていたキャスターにはまるで声に緊張感がこもっていなかった。ただ淡々と記事だけを読み上げるだけ、そして視聴者へのメッセージがこんな緊急事態だというのに一つもないのが気がかりであった。
「それと重軽症者の多さ」
「そうだね。あんなに派手なテロ行為を行っているにもかかわらず死者が少ない。少なすぎるんだ」
「つまり協会の対応を遅らせて撹乱するのが目的ってことですか?」
「……かもしれない。でも一番ひっかかるのがテロリストの粛清をロケット団が行っているということだ」
そうだ確かに不可解な点が多過ぎる。そしてミツルさんが言った最後の点、まさしくだ。
リョウは自分がロケット団だと言った。奴らが主犯なのは確かだ。だがもしあいつの言っていた任務っていうのが事実だとしたら、あそこから逃げ出した二人のことも心配だ。
「いったいなにが起こっているっていうんですか」
「それは僕にもわからない。でも、ことは急を要する」
テロなんだ。なのに、どこかよそで他国同士が戦争をしている程度並の緊張感しか伝わってこない。
一体なにが起こってるのかまったくもって検討がつかない。
もちろんニュースキャスターに求められるのは的確にニュースを視聴者へと知らせることだ。けど、あれはおかしい。おかしすぎる。
「急がないと、大変なことになってしまうのかもしれない。ううん、もうなっている可能性のほうが大きい」
「ふむ、そうじゃの」
「そうですね。だったら急ぎましょう」
俺はバッグを肩にぶら下げて、背筋をしっかりと伸ばす。
「うん。それでは行ってきますキワメ師匠」
「気をつけての」
「はい」
ミツルさんが先頭に立ってキワメの家の玄関から出ていき俺も後に続く。
「ケンよ、待て」
「はい?」
急に呼び止められ俺は不意を突かれる。
「これを持っていくがよい」
「これは……?」
手渡されるは頑丈そうな青色の容器。
「チイラの実で作った特性ドリンクじゃ。まだまだ本調子ではなかろう? 持っていくがよい」
「……ありがとうございます」
「なに、礼ならチイラの実を送ってくるハギにでも言うんじゃな。ほっほっほ」
「はい。それじゃ」
「うむ、頼んじゃぞ」
俺はキワメから受け取ったドリンクを鞄に入れて外へと出る。
「それじゃ、行こうか。ハナダシティへ」
「はい」
ミツルさんが俺に一つのモンスターボールを手渡す。
「これは?」
「中にラルトスが入ってる。もし何かあった時には役に立つから。あ、それと僕の番号ね」
「あ、はい。ありがとうございます」
俺はミツルさんから渡された番号をポケットにしまい、ラルトスの入ったボールを腰へと装着する。その間にミツルさんはエルレイドを取りだす。
「ケンくんはなんで度の入っていない眼鏡をかけてるの?」
「オシャレですよオシャレ」
「そっか。エルレイド、お願い【テレポート】」
エルレイドがうなずくと共に俺は体と意識もろとも持っていかれる感覚に陥って2の島から瞬間移動する。
二人が去った後、キワメが一人家の外へと出て空を見上げる。
「オーキドよ……お主はどこで人の道を踏み外したんじゃ?」
遠くの旧友を懐かしみ、憐れむその切ない声は儚くも岐波の風に運び去られてしまう。
これはロケット団が全国を支配する日の出来事。