IV:払った犠牲
周波数によって歪められる放水の軌跡。レイハちゃんの攻撃は直撃こそできなかったものの、相手の攻撃パターンを解き明かすのには十分な働きをした。
「レイハちゃん、行くね!」
「精一杯やるにょろ!」
私はそう掛け声をあげると共に、ガーディと一緒に敵陣へと飛び込んでいく。【ハイドロポンプ】の激流に体を預け、ものすごい勢いで加速する。私はガーディを抱きかかえて、この子に水のダメージが極力入らないようにする。人間砲弾となった私がソルロックとルナトーン付近へと近づくのに数秒もかからなかった。
「ガーディ、【吠える】!」
「ガアアアアウウウウウウウ!!!」
レイハちゃんのニョロトノは絶妙なコントロールで【ハイドロポンプ】の軌道上に【サイコウェーブ】による波状攻撃が相殺される場所をピンポイントに狙っていて、私自身に直接攻撃が当たることはない。そんな中で、私はガーディを空中へと放り、上空から【吠える】を成功させる。
強制的にボールへと戻されるソルロックとルナトーンを目視した瞬間に、【ハイドロポンプ】の攻撃は止み、それと同時に私は勢い良く床へと放り出される。必死に受身を取るも勢いを殺すことはできず、転がり続ける。
「くっ! うぅ!」
覚悟してはいても、捨て身の攻撃に代償はつきものだ。早く体勢を立て直して、次に移らなきゃ!
時は一刻を争う。
突然の攻防に面を喰らっていたのはフウとランであった。新たにボールからポケモンが出る前に、ガーディがランへと飛びついていて【噛み付く】を決めかけていた。それをランが得意とする拳法を用いて対抗するも、レイハちゃんがすでに動いていて複数のニョロモたちが【泡】を多用して相手をかく乱している。
「ラン!」
フウが助けに入ろうとランの援護に回ろうとするも、ニョロモたちが交互に【往復ビンタ】で応戦していた。
「ぐうっ!」
そしてランの右腕をガーディが捉えた。苦悶の表情を浮かべるランに、先ほどまでの余裕はない。それでもこの立場はいつでも逆転される。
体を起こして私も戦場に参加しようとするも、予想以上に打撲したらしく、体の感覚が未だ麻痺している。筋力を入れようと踏ん張ってみるも、大量分泌しているアドレナリンのせいか、思うように体が動かない。それでも腰周りのボールには手が届く。
「お、願い、ラルトス!」
ラルトスはボールから出ると同時に【テレポート】を駆使して、【吠える】の効果によって引きずり出されてきたソルロックとルナトーンの背後を取る。泡によるかく乱によってフウとランには気づかれていないはず。事前に指示を出していた【シャドーボール】、それを駆使して相手を倒す。でも今のラルトスじゃ相手に痛手を与える程の威力は持ち合わせていない。だからできるだけ時間をかけて技の威力をあげていく!
「ソルロック、ルナトーン、ランを助けろ!」
焦りが生む突発的で単調な指示、それは付け入る隙を与えることにほかならない。ラルトスが【テレポート】を駆使したことは相手には伝わっていても、トレーナーの指示にポケモンが逆らうことはまずない。そもそもこういった命令系統を取っているトレーナーであるならなおさらだ。
「張り付くにょろ!」
レイハちゃんの言葉に呼応するように、ニョロモたちは攻撃の手を緩めてソルロックとルナトーンへと張り付く。そしてランの攻撃が直撃する前に、ガーディは噛み付いていた腕を放して距離を取る。ガーディの牙跡がくっきりと痛々しくわかるほどにランの袖は破け、血で滲んでいる。
「大丈夫、ラン!?」
「大丈夫だよ、フウ。早く殺そう!」
「うん」
自身の片割れを心底心配している彼の姿は、こんな状況じゃなかったら幾分微笑ましい要素を醸し出していたかもしれない。でも今はバトル中で、ランの容貌からは殺意しか感じられない。そんな二人の姿に、私の恐怖心は更に煽られる。
「良い気味にょろね」
そしてそんな中で、レイハちゃんもまた異様な雰囲気を醸し出していた。
「これでおしまいにしてやるにょ」
右腕を前に突き出して、レイハちゃんはなにかを囁く。それがこの作戦における合図だと感付いた時、私ではなくラルトスが動いていた。
限界ギリギリまで威力をあげた【シャドーボール】。それは相手を瀕死に陥れる程の破壊力は無い。それでも物を壊す程度のことはできるし、それが狙い。
「やって、ラルトス!」
水浸しになった床の固い感触と冷たさ、そして戻ってきたガーディが頬を舌で舐めてくれる感覚を徐々に理解しはじめる中、ラルトスの攻撃は一直線にレイハちゃんへと放たれた。その光景にフウとランは視線を奪われる。
攻撃はレイハちゃんのすぐ横を通り過ぎ、そのままガラス壁を粉々に粉砕して突き破る。ぽっかりと大きく空いた穴、それを作ることが私の最後の役目だ。
「「なにを……」」
短い間に起こる現象に論理性がないと人は呆然としてしまう。つまり躍らされてしまうのだ。
「【ハイドロポンプ】」
レイハちゃんが突き出した右手からこぼれ落ちたのは青色に輝く綺麗な宝石だった。それが床へと落ちきってしまう前に、ニョロトノの【ハイドロポンプ】が宝石ごと飲み込んでフウとラン、そして彼らのポケモンとニョロモたちへと放たれる。
原理はわからないけど、その攻撃は今までで見たことのない程に強大で避け切れる可能性は皆無に思えるほどに凄まじい。
ラルトスは再度【テレポート】を用い、私の傍へと戻る。
ラルトスが穴を空けた場所は、最初にレイハちゃんが空けたものとは真反対の位置に存在している。つまりフロアを一直線に貫通したかのような空気の通過道ができた。そして風向きを知っていたかのように、レイハちゃんの攻撃は追い風にのって【ハイドロポンプ】は驚異的なスピードをも得ることとなった。
そしてそんな絶体絶命的状況下に置いて、ロケット団の幹部は冷静であった。でも彼らはあまりにもレイハちゃんの怒りを買いすぎたんだ。私の視界に映った彼らの行動は彼らの絆の深さとポケモンに対する敬愛の無さを象徴していた。
それが彼らにとっての敗因であり、私は新たにこういった類いの人間がいるのだということを知ることとなった。
フウがランをかばうように前に出て、ソルロックに向けて【守る】を指示する。そしてルナトーンに向けて【大爆発】を起こさせることで【ハイドロポンプ】の攻撃を相殺しようとしたんだ。でもそれが発動されることなく、二人とポケモンたちはビルの外へと投げ出される。そう、そこにはもちろんニョロモたちも含まれる……彼らの特性しめりけが【大爆発】を阻止したんだ。
「ルカ、大丈夫にょろか!?」
駆け寄ってくれるレイハちゃんの姿を確認しながら、私は戻りつつある感覚と共に体に起きた負担によるダメージを認識するようになってきた。
「うぐっ」
激痛と共に顔が歪み、【サイコウェーブ】による吐き気が食堂を逆流しながらこみ上げてくる。食事をとっていないことが幸いして吐瀉物が出ることはない、でも胃が中からひっくり返って出そうになる吐き気が呼吸を困難にさせる。
「かはっ……!」
「ルカ!」
レイハちゃんが私の口に何かを含ませる。適度な硬さのあるなにかの木の実であることは理解できる、それでも今の私にそれを咀嚼する力は残ってはいない。そして口に入れられることで吐き気が勢いを増すけど、それをレイハちゃんは許さない。彼女は私の口を塞いで、私はその木の実を飲み込むまで大量の唾液と共に咀嚼を試み、溜飲した。
「あり、がとう。レイハちゃん」
「よくやったにょろよルカ。少なくとも進むための時間は稼げたにょろ、歩けるにょ?」
「えへへ、ちょっと無理っぽいかも」
レイハちゃんが肩を貸してくれる。ガーディとラルトスも元気づけてくれる。
「レイハちゃん、ありがとう。でも、ニョロボンやニョロモたちは……」
そう、あまりにも犠牲が多すぎる。この勝利によってレイハちゃんは手持ちの半分以上の戦力を失ったのだ。
「覚悟の上にょろ。レイハのポケモンたちにょろよ、みんなが覚悟の上にょ。それに心配することないにょろよ、あの子たちはうまくやるにょ」
そう話すレイハちゃんの横顔は真剣で、そこからは伝わるのはこれ以上の気遣いは無用だということ。そしてそれは戦う前から決めていたことだ。
次第に体に力が入るようになり、さきほどの木の実から出た果汁が喉を潤して吐き気を改善する。打撲部分も鈍痛を発する程度に治まりつつあり、私はある既視感に苛まれる。
「この、木の実は……」
「イカれた研究者の産物にょ。使いたくはない、でも今は我慢するにょろ」
「ありがとう」
「それにこれは向こうも持っていると考えた方がいいにょ、だから厳しいけど急ぐにょろよ」
「うん」
社長室フロアにサカキの姿はない。そうとなれば入ってきたところへと戻らねばならない。一人で歩けるようになり、レイハちゃんの肩から離れて歩幅を彼女と合わせる。
「ここにいないってことは、どこになるの?」
「それはわからないにょろ、でも一つだけ確かなことはガイとカナに合流しないといけないということにょ」
「カナ……」
そうか、ここにサカキがいないということは事態の把握を二人と確認する必要がある。早く二人と合流しなきゃ。
「もう、終わったのか」
でも事はそううまくいきはしない。ううん、最初の予定通りなら望んでいたことだ。でも展開的には最悪と言うしかない。
「サカキ、さま」
「久しいなレイハよ。どうしたというんだ、一体?」
落ち着きの取れた声とトーン。きっちりとしたスーツを着こなしたサカキの姿がそこにはあった。両手をポケットに入れて立ちはだかる彼の姿は今までの敵の誰よりも威圧感を放っている。そう、カナと一緒に初めて会った時のと同じだ。
「確かめたいことがあり、戻ってきましたにょ」
「ほう、フウとランを倒してまでもか」
「そうですにょ」
そう、レイハちゃんには確かめなければならないことがある。その覚悟はできているけど、このやりとり次第ではどうなるかわからない。固唾を飲んで見守ろうとしていた私だったけど、サカキの後ろに控えていた人物が後から現れた瞬間に思考が完全に停止した。
「ルカちゃん」
すらりとした背筋に、長いさらさらの髪。毎日聞き覚えのある優しさと安らぎを含んだ声と白珠のように透き通った肌。そう、それは私が探し続けていた大事な人の姿だった。
「おかあ、さん」
私の視界はこみ上げてきた涙によって歪み、思考が混乱するよりも前に、お母さんがいるというその事実が私の心全部を救ってくれていた。