「裏」:ようこそ、オーキド研究所へ
「なんであんなこと言ったんだ?」
下水路の奥へと再び進みながら、ガイはカナに質問していた。
「あんなこと、ですか?」
「ルカのやつに例え大切な人が危険な目に合ってもってやつだ」
「あれは……」
言いよどむカナを一瞥すると、ガイは舌打ちをしながらも続けた。
「まさか、お前のことを言ってたんじゃないだろうな」
そう、ガイは危惧していた。
カナがもし自身をルカにとっての大切な人間だと予想するならば話の結末は見えてくる。この先、カナは命の危険に晒される運命にあるということだ。
「それは、違います……私だったらどれほどいいか」
力無くそう告げるカナの答えはガイの予想していたものではなかった。だがそれは安堵以上に新たな不安を彼の中に焚きつけた。
「おいおい、冗談きついぜ。この先一体なにが待ってるっていうんだよ」
カナの能力についてはガイも承知であるし、あれほどのことを見せられた以上、信じないわけにはいかない。
二人はそれ以上話すこともなく、ただひたすらに道なりを進んでいった。レイハが感じていたという奇妙な駆動音が徐々に大きくなってきているのが聞き取られ、目的地が近づいていることを知らせている。
道中で出会ったベトベターやベトベトンといったポケモンが現れることもなくなり、二人はとうとう陰湿な下水路の中で一際目立つ、近代的なオートロック式の扉を見つけるのであった。
「これ、か?」
「だと、思います」
俄かに信じ難いが、誰もこのような場所には訪れはしないだろうという発想からこういった扉を設置したのかはわからない。しかし、それにしても場違いな雰囲気を醸し出しているその扉に二人は半信半疑であった。
「見つけたはいいが、どうしようもなくないか」
「試せるものは試してみましょう」
冷静に、カナはロケット団員として渡されたカードキーを取り出して、それを扉の横に設置されているカードリーダーへと通した。
彼女たちの期待に反するように、扉は微動だにせず、カードキーの認証が行われなかったことを悟らされる。
「だめ、ですかね」
「ならこっちを使ってみな」
ガイは懐から別のカードキーを取り出し、それをカナの方へと飛ばす。回転してくるカードを両手を鳴らすように捉えたカナはびっくりしながらも、そのまま同じようにリーダーへと通す。
すると、扉は静かに開いて奥への道を示したのであった。
「え、どうして?」
カナは自身の手にあるカードキーを渋々と見つめた。するとそこにはガイではない別の人物の名前が記されていた。
「おい、終わったならよこしな」
「あ、は、はい」
「行くぞ」
カードキーをすぐさま受け取ると、ガイはそのまま進んでいった。理由を聞こうにも、それを許さない雰囲気を感じながら、カナは彼のあとについていく。
しかし彼女はカードキーの裏に書かれていた名前を忘れはしなかった。
下水路には不釣り合いな純白の廊下を進みながら、カナたちは異様な光景を目の当たりにする。それは記憶にも新しい、マサラタウンのオーキド研究所地下に眠っていた施設に似通ったものだった。
それも、それが最新鋭機器によって新たに生まれ変わっているという点で違うというだけだ。
「これは……」
「うっ」
おそらく水タイプポケモンたちの脳みそと思われるサンプルが辺り一面に設置されており、中にはポケモンそのものが培養液に浸かっている状態のも確認できる。
「どうやらビンゴってところだな」
「はい」
吐き気をグッと押し込めながら、カナは研究室の奥へと視線を集中させる。なるべく見たくないものを避けるかのように。
機器の駆動音が反響する中、一人の足音が二人のほうへと近づいてくるのが感じられる。ゆったりとした歩幅からは余裕と威厳の両方が伝わってくる。
「ようこそ、オーキド研究所へ。いや、新オーキド研究所と言うべきかな?」
両手を大きく広げ、歓迎のポーズを示したのは年を重ねていても見紛うことなきオーキドの姿であった。年季を感じさせられる擦れた白衣が、彼がマッドサイエンティストと謂われる所以をさらに引き立てる。
「あんたがオーキド博士か」
ガイはオーキドを睨みつけながら、攻撃の構えをとる。そう、ここが敵の本拠地であることを忘れてはならない。なにが起こるかわからないのだ。
「聞き及んでおるぞ、ガイと言ったか。そしてロケット団新団員のカナ」
初対面であるのにもかかわらず、オーキドは来訪者のプロフィールを完全に把握していた。それだけでも二人の警戒心は跳ね上がる。身構えるだけに留まっていたカナも、腰のベルトへと手を伸ばす。
「お前たちも運命に翻弄される哀れな子羊なのだな」
意味深な言葉を発しながら、オーキドは躊躇うことなく二人の方へと近づいていく。
「マサラの研究所を燃やしてくれたことは感謝しとる。さすがに地下を見つけられるとは思っていなかったがの」
「それ以上近付くんじゃねえ!」
淡々と言葉を述べながら接近するオーキドに、ガイは声を荒げて制止させる。
「ふむ、歓迎の抱擁をしようと思っていたのだがな。年寄からのハグはお嫌いかのう?」
年不相応に首を傾げてみせるオーキドの姿に、異様なほどの恐怖をカナは感じていた。自身の夢でもはっきりととらえきれなかったオーキドの姿が、今こうやって目の前にしてその理由がわかったのだ。こんな研究をするのだ、ふつうであるはずがないというのに。
「お前が進めている研究とやらを全部ぶっ壊しに来たからな、馴れ合うつもりは毛頭ねえぜ」
「それは困るのう、まだまだやり残したことがあるというのに」
研究者の性なのだろうか。彼らの研究に終わりという言葉は存在しない。時代の変遷と共に、彼らは嬉々として新たなおもちゃを手にしたかのように更なる高みを目指していく。
「あ、あなたが犠牲にしたたくさんのポケモンたち。そしてあなたのせいで被害を受けた人たちのためにも、ここを放置しておくわけにはいきません」
勇気を振り絞って言葉を紡ぐカナの声は弱弱しく聞こえるも、オーキドはしっかりと聞き届けて笑みを浮かべる。
「それは一つの主観にしか過ぎないのう。わしの研究によって救われた人間もポケモンも数多い。それこそが、わしが研究を続ける理由じゃよ」
曇りひとつない眼差しからは、彼が自身の行う所業に関して何一つ迷いがないことが汲み取れた。カナたちからしてみれば厄介この上ない相手である。
「そう考えるのもお前の主観にも過ぎない、そうだろ?」
「そうじゃ、それを貫き通した者が世間によって認められる」
オーキドは確かに信念を貫き通した。その結果投獄されることになったが、彼の研究は世間を震撼させた。善悪の是非に関係なく、世間は彼の成したことを認めざるを得なかった。
「そしてわしは現にここで研究を続けられている、それを求める者の手によっての。ならばわしも応えるしかないじゃろ、その者が求める要望に」
「それがサカキのおっさんだっていうのかよ」
「うむ、その通りじゃ」
サカキが望むもの、それがなんなのかを二人は知らない。いや、カナは手がかりをつかんでいるのだろう。しかし確証を持つには至っていない。
「素晴らしい研究所じゃろ? ここにはすべてが揃っておる」
実際にその通りなのだろう。オーキド研究所より最新の設備が充実しており、その規模も研究精度も計り知れない。
「あなたは、ここにいるポケモンたちに何も感じないのですか?」
震える声でカナは怒りをオーキドへとぶつける。彼女は、水タイプのポケモンを使い手とする者として、幼き頃より水タイプのポケモンたちと育ってきた者として、この場所を許せなかった。なぜ、このようなことを彼がしたのかも知らなければならなかった。
「ハナダにある水タイプの女系ジムの娘よ」
ゆっくりとした口調でオーキドは答える。
「許しがたいか? そうじゃろうな」
悪いと思っているのだろうか。少なくとも彼の口振りからはそのような感情は汲み取れない。
「水タイプのポケモンたちの多くは特殊な超音波を発するものが多い。それは海に住むに際し、視力以上に必要な感覚器官が必要じゃったのじゃ」
数々のポケモンに関する研究が盛んな昨今において、オーキドの主張は別段目新しいものではないだろう。現に、同じポケモンの技であってもズバットとメノクラゲの【超音波】は違った周波数を発しているというのが確認されている。それは住む環境の違いにより生じた進化過程における差異ということで説明がなされた。
「なにも新しいことはない、しかしポケモンというものは不思議に満ちておる。それらの音波を解析することで、わしは水タイプポケモンに共通して作用する音波を見つけ出した」
明晰すぎる頭脳は時として誤った方向へ向けられることがある。その場合、彼らが生み出すものは世間にとっては脅威としかならないようなものばかりなのだ。
「それを電波として飛ばすことで、野生ポケモンであってもゲットせずに命令を送ることに成功した」
オーキドが紡ぐ言葉の全ては事実であり、それらはとある事件で立証もされた。カントー地方ニビジムリーダーが亡くなった、ホウエンでの野生水ポケモンによる客船襲撃。ほかにはサント・アンヌ号沈没事件におけるギャラドス襲来などである。
「実際に運用していたのはサカキじゃったがの。まさかジョウト地方のラジオ塔を占拠して運用試験を行うとは思っておらんかった」
ジョウト地方のラジオ塔ジャック事件は、当時大きく注目され、報道されていた。しかしながら主犯格は結局のところ闇に葬られており、実質的リーダーの存在は解明されることはなかった。ロケット団とも言われていたが、所属もはっきりとした裏付けが取れず、名前だけを名乗っていた可能性が高いとされたのだ。
サカキはその期間に姿を隠し、自身に疑いの目が向くのを避けるためにジョウトの団員を切ったのであった。ラジオ塔から電波を流すことさえできれば彼らはお役御免であったし、その影響力は彼らを使わずともデータは取ることができた。なにより、彼らを使わない方が安全にデータの収集が行えたのである。
「それからは実用的なデータをもとに更なる研究を進めることができた。水タイプに専念したのは、全てのポケモンの起源は海からだと思っておるからじゃ」
進化における大前提としてあるんが、全生命は海から生まれたというものである。
ポケモンたちの骨格や生体を調べることで導き出された生物学の基礎であるが、イニシャルインシデントという事象が存在する中、この事実も今では信憑性が問われるであろう。
「起源を解明することは、起源を生むことができる。そういうことじゃ」
そしてそれこそがオーキドの理念であり、忌むべきものであるのは間違いないだろう。
起源を生み出すと言ったオーキドの言葉に、ガイもカナも息を飲んでいた。冷や汗が額を伝わり、首筋を通る。
「人の道は当の昔に過ぎておる、しかし科学者としての道で間違ったと思ったことは一度たりともない」
陰り一つないオーキドの言葉は二人に交渉の余地なしという現実を突きつけた。やはりここで力づくででも止めるしかないという覚悟を促したのだ。
「悪いが、そんなやつを野放しにはしておけないんでね」
「おとなしくしてもらいます」
自分の三分の一も人生を歩んでいない二人の若者の言葉の前に、オーキドは不敵に笑うのであった。それは嬉しさからなのか、それとも可笑しさから来るのかはわからない。
「意気が良いのは嫌いではない。しかし少しは思慮というものを大事にすることじゃ」
白衣の中からリモコンのような機器を取り出したオーキドは、なにかを操作するかのようにしてスイッチを押す。すると研究所の床から円形状の筒がいくつもせりあがってくるのがわかった。その数は十にも及ぶだろうか、それらがオーキドの後ろにずらりと並ぶようにして登場した。
「言ったじゃろう、起源を生むと?」
円形の筒はゆっくりと周りの壁が開閉されていき、中身が露わとなっていく。空胞が浮かび上がる培養液の中に身を丸めていたのはポケモンであり、その姿を見るだけで来訪者たちは戦慄を覚えるのである。
「うそ、だろ……?」
「そんな、そんなことって」
笑みを崩さないままにオーキドは乾いた笑いをあげる。
オーキドが言った起源を生むという言葉。それを彼はすでに成し遂げていた。ポリゴンの開発を進めていたシルフカンパニーとの供託などにより、彼は一体のポケモンを生み出すことに成功していた。それはリョウが所持しているミュウツーのことである。そしてガイとカナの目の前には、新たなるミュウツーの姿が十体も並んでいるのであった。