II:立ちはだかるは陰陽
シルフカンパニー社内部へと繋がっている下水路で、私たちは新たなる決断に迫られていた。そう、分かれ道だ。
「二手に分かれるか?」
「そうするしか、ないにょろね」
ガイさんとレイハちゃんがそう話を進めている間、私はカナの様子がおかしいことに気づいていた。
「どうしたの、カナ?」
「ルカちゃん……」
「ん?」
「お願い、ルカちゃんはレイハさんと一緒に」
「え?」
カナが何を言っているのか理解できなかった。でもその言葉の真意をすぐに知ることとなる。
「ならカナはレイハと一緒に来るにょ、そしてルカはガイと……」
「いや!」
レイハちゃんが指示を出そうとするや否や、カナはかがみ込むようにしてそう叫んだ。私を含めた他の三人はどうしたのかとたじろいでいると、カナは押し殺すような声で続けた。
「見たんです、夢の中で……。その組み合わせだと、私たちは全滅する」
「「「!?」」」
【未来予知】の力がそういった結末のある夢を見せたんだ。そしてカナが道中そのことを言わなかったのは、そうなって欲しくないという願望があったからなのだろう。それが今まで、決して回避できたことではないとしても、カナは信じてみたかった。
「そうにょろか、わかったにょ。ガイはカナと一緒にオーキドの研究棟へ、ルカはレイハと上を目指すにょろ」
「ああ、わかった」
目を瞑り、必死に身を強ばらせるカナの肩を抱きかかえながら、私も力強く頷く。
「大丈夫だよ、カナ。きっと私たちならうまくやれるよ、それに一番の危険はカナが未然に防いでくれたんだもん」
「ルカ、ちゃん」
私は笑顔でそう友人を勇気づける。そう、彼女が不安を常に抱えているのだとしたら、それをいくらかでも払拭するようにしなければならない。だから、今は笑うことくらいでしか彼女に報いるしかない。
「なら、これを渡しておく。上まで行くルートが載ってるはずだ」
「メモにょろか? 原始的にょろね」
「それが精一杯だったってことさ」
ガイさんが一枚の紙切れをレイハちゃんへと渡す。きっとそれがここから先、私たち二人を導いてくれるものなのだろう。
「それじゃあ、また後でねカナ」
「ルカちゃん!」
早いとここんなミッション終わりにしておさらばしたい。そんな気持ちを急いてしまいたくなる。でもそんな私の手を握ってカナはなにかを訴え掛けるように力を込める。
「もし、もし、ルカちゃんの大切な人が危険な目に合っていても、ルカちゃんは自分のことを一番に考えて行動して」
「え、それって、どういうこと……?」
大切な人が危険な目に合っていたら、それは全力で助けるよ。
「お願い、お願いだから」
でもそんな私の信条を揺らがす程に、カナの声は必死さを孕んでいた。彼女の目尻に浮かぶ涙が、私のためを思って言ってくれていて、それがお互いに辛い選択であることを示しているように感じた。
きっと、最上階にはなにかが待ち構えているんだ。それをカナは教えてくれている。彼女は運命に、自分の力が提示した未来に抗っている。その覚悟を汲まなければならない。
「うん、わかった。カナも気をつけてね。ここが終わったらさ、また前みたいにお買い物行こっ」
「……うんっ!」
無理矢理でもあったけど、最後にはお互い笑顔になって手を握り合う。約束を誓い、その決意を確かめ合うように。
「おい、行くぞ!」
「行くにょろよ」
先導してくれる人たちの声のもと、私たちは分かれた。
私とレイハちゃんは打倒サカキ。カナとガイさんは打倒オーキド。ロケット団の双璧たるメンツに二人で挑んでいく無謀さなんて最初からわかりきっている。それでも私たちがここで足を止めるわけにはいかない。そのチャンスが僅かにでもあるのだったら、行くしかない。今までそのチャンスの数々にかけて、失敗の連続と少しの成功を勝ち取ってきたのだから。
「覚悟はいいにょろね?」
「レイハちゃんこそ」
少しだけいきがってみせるけど、どうやら震えているみたい。口を閉じているつもりなのに、歯と歯が噛み合わない。上がる心拍数と冷えていく指先の感覚が恐怖という感情へと移り変わっていく。
「安心するにょろ。うまくいけば、お前はなにもせずにすむにょろ」
「え?」
「とりあえず、行くにょろよ」
「う、うんっ!」
長い梯子を登っていきながら、レイハちゃんがまずは外へと出て、安全の確認が取れた後に私も這い出る。
閑散としたシルフカンパニー社の地下駐車場には、まばらにしか車輌の確認ができない。大型なバンや要人用のリムジンとかがあるくらいで、異様にこの場所が広く感じられる。それは遮蔽物の無さも物語っていた。
「この方が逆に人が来ないかもしれんにょろね」
「た、たしかに、ここまで下りては来ないかも」
「さっさと行くにょろよ」
「うん」
職員用のカードキーを使い、私たちは駐車場から本社の中へと侵入する。ロケット団員となったときに支給されたカードキーだけど、機密度が高い場所になってくるとパスワードや社員別に渡される違うカードキーなんかが必要となってくる。
「一つ、不思議に思うことはないにょろか?」
社内の女子更衣室の天井にある排気口の蓋を取り外しながら、脚立を支えているレイハちゃんが問いかけてくる。
「え、なにが? っしょいと」
取り外して、それをロッカーの上に置きながら、私は人が入れるかどうかスペースの確認をする。
「この静けさにょろ」
「だって、それはレイハちゃんが言っていたPower & Grace作戦の影響なんじゃないの?」
「そうは言ったにょろが、明らかに少なすぎるにょ」
確かに、駐車場入口から一つ上のフロアにあるこの更衣室までに人の気配は感じなかった。人気がなく、カメラの死角となるような場所を縫ってきたのもあるけど、それにしても不気味な臭いは漂ってくる。
「罠、とか?」
「それはさすがに考えすぎにょろ。でも、なにかがあるのは確かにょ」
レイハちゃんを天井の隙間へと押し上げながら、私もそれに続く。天井裏といっても、その通路は狭い。たしかにこれだとガイさんは進入するのが困難だったろう。
不謹慎ではあるかもしれないけど、レイハちゃんの可愛らしいお尻が左右に揺れるのを楽しみながら、匍匐前進しながら奥へと向かっていった。
「ここらへんにょろね」
あれから何十分と経過しただろう。前を見つめ続けたために首筋が痺れ始め、狭いダストの中で汗が額から浮き出し、埃臭さが鼻をくすぐる。段差をよじのぼったり、違うダクトへと移ったりしながら進み続けた。ダストシュート専用のエレベーターなんかにも乗りながら、人目のつかないように行動した。でも、こんな方法でシルフカンパニー社上層を目指すとは思ってもいなかった。
「まさか、ここに通じてるとは思ってなかったにょ」
「え?」
そう呟いたレイハちゃんは私にとどまるよう命じて、一人少しだけ奥に進むと思いっきり足を振り下ろして排気口の蓋を蹴り飛ばした。あまりにも隠密行動から逸脱した行為に、私は呆然としたまま、我に返ったかのように声を荒げる。
「な、な、なにしてるのレイハちゃん?!」
「静かにするにょろ!」
「えええええ?!」
そのまま下のほうへと飛び降りたレイハちゃんを目で追い、私も後に続く。落下地点はベッドになっており、すぐさまその部屋がどういったものであるのかを理解した。そう、ここはレイハちゃんの幹部室だ。
「全く、なんてことだにょ」
「へえ、ここまでつながってたんだ」
広いキングサイズのベッドに散りばめられた大小様々なぬいぐるみの数々、そして部屋全体が渦巻きを基調とするデザインで統一されていて、目が回りそうになる。
「でもちょうどいいにょ、ここからならカードが無くとも社長室まで行けるにょろ」
「そっか、なるほど!」
幹部室はそれぞれの幹部に用意された部屋みたいで、最上階付近にある。他の幹部の人には会ったことがないけど、それぞれの特色が反映されているのだろうか。
「準備はいいにょろか、ルカ?」
「うん、大丈夫。白黒つけにいこう」
「当たり前にょろ」
自動的に開かれるドアを抜けて、私たちは通路へと出る。横長の通路は紫紺のカーペットで敷き詰められ、蛍光灯の光が優しくも陰気な輝きを放っている。もちろん人影はない。
ロケット団として入ってまだ日は浅い。それでも新入団員ともなれば、かなりチヤホヤされた。嫌悪感の方が優ったし、なによりこんなテロリスト集団に入っている人たちの笑顔や信念には恐怖すら感じた。それでもカナと一緒だったし、なによりつっけんどんな態度をしていたレイハちゃんにはどこか親近感を覚えたんだ。それが今こういう形として、あるのかもしれない。
私は知りたい。サカキという人物が何を考えているのかを、もう一度確かめたい。そして彼が何をしようとしているのかを。
「この上が目的地にょ」
天井を見上げながらレイハちゃんの視線に鋭さが増す。
「うん、行こう!」
決意を固め、私たちは廊下を歩き出した。エレベーターを使えば、すぐにでも到着する。壁にある上を向く矢印のボタンを押す指が震える。そうか、私はまだやっぱり怖いんだと実感する。
幹部室のある階と社長室のある階のみを経由するエレベーターへの乗り込み時間はたったの十数秒。軽快な音と共にエレベーターの扉は開き、そこにはワンフロアをまるまる使った社長室の全貌が視界へと飛び込んでくる。
そして、そこにいたのは……。
「やあ、元気にしてるかいカエルさん?」
「やあ、元気にしてたかい新人さん?」
チャイナ服を模した衣装に身を包んだ二人の少年少女だった。双子なんだろう、顔の判別がまるでつかない。揃えられた同じトーンとピッチの声に、耳が拒絶反応を起こしそうだ。
「フウとラン!」
レイハちゃんがそう口に出したことで、私は彼らがロケット団の幹部であることを思い出す。双子の幹部が存在することは知っていたけど、それがまさかホウエン地方のジムリーダーだったなんて予想だにもしていなかった。
「せっかくここまで来たのに無駄足だったね、フウ?」
「ああ全くもってその通りだよ、ラン」
双子は体を密接させ、お互いの手を絡めたまま離さない。最初こそは驚きのせいで気がつかなかったけど、異様な空気を感じ始める。
「まさかお前たちがこっちに戻っていたとはにょ……」
レイハちゃんが苦い表情で顔を歪める。恐らく、相当厄介な相手なんだ。
「サカキ様に会いたければ、僕たちを倒すことだよ」
「それは無理だと思うけどね、ここであなたたちは終わりだもの」
不敵に笑う、ロケット団幹部フウとラン。彼らがそう言い放つと宙へと舞ったのは、放物線を描いてまばゆい光に包まれていく二つのモンスターボールの姿であった。