I:ヤマブキシティの闇
ほどなくして、私たちはシルフカンパニー社へと通ずる下水路へとたどり着いた。鼻の奥をくすぶる汚臭が嫌悪感を増し、整備のなされず放置されてしまっているこの場所は人が立ち入るような場所ではない。街中の路地裏を経由しながら、私はてっきりそのまま本社へと乗り込むのかと思っていた。でもやっぱりこういった経路を取るのが一番なのだろう。
「うえっ……」
鼻先をつまんでみるも、体にまとわりつく腐臭が気分を害してくる。
ヤマブキという大都市であってもこういった場所が存在していたことに、私はまた新たに繁栄の裏に蔓延る腐敗を目の当たりにする。
「都心が発達すればするほど、こういうところにその反動がくるものにょろ」
寂しげにそう語るレイハちゃん。きっと彼女は幾度となく同じ光景を目の当たりにしてきたのだろう。恐らく生まれ育ったハイアの地でも。
「心配すんな。死にはしねーし、すぐ慣れる」
「そういう問題じゃないですー」
ガイさんはさっさと進もうとするけど、なかなかに勇気が湧いてこない。そもそもこっちには女子が三人もいるのに、このルートを通ろうとする方がおかしいんだ。
「ね、カナ?」
「うん、でもあんまり選択肢もなさそうだし」
「ええー」
気分論重視の私にとって、このルートは問題外でおかしい。でもカナは決心がついているようだし、レイハちゃんに至っては気にもしてない様子だ。やっぱり、覚悟決めなきゃなのかな……。
「わかりましたー」
「ほら行くぞ」
渋々諦めの声を口にするやいなや、ガイさんを先導に私たちは下水路のトンネルへと侵入していく。
人が歩ける道をどんどんと進んでいくにつれ、段々と闇が深まっていく。電気が通っていることに驚きを隠せないが、それでもほんのりとトンネル内を電灯が照らしている。
「ほんとにここからシルフカンパニーへ入れるんですか?」
「ああ、知り合いから受け取った情報によるとな」
カナが発した疑問にガイさんはそう答えた。
知り合いという部分で幾分か怪しげではあるものの、事実なんだろう。これで嘘だったなんてわかった日には、私はガイさんをこの下水路に突き落としてやるんだから。
進んでいくにつれ、臭いへの耐性はついてきた。鼻は人間の感覚器官の中でも一番順応しやすいと言われている。それは一つのにおいに慣れることで別のにおいに敏感になるということ。それによって私たちは危険を察知することができるからだ。
「うっ……」
そして私たちは強烈な腐臭に顔をしかめる。それは下水路の奥からゆらゆらと揺れながら近づいてきている。
「あれは、ベトベトンか」
ガイさんが目を凝らして現状を伝えてくれる。
ベトベトン、人間社会が生み出してしまった負を象徴するポケモンだ。排出されたヘドロに突如命が芽生え、ベトベターやベトベトンといったポケモンが誕生しちゃったみたい。かわいそうなポケモンたち。そんな彼らは命を得ても尚、人間社会に受け入れられはしない。
「かなり大きいにょろね。ここいらを縄張りにしてる頭ってとこにょ」
「ああ、そうだろうな」
レイハちゃんとガイさんはすぐさま好戦的な色を醸しだし、それは表情にも嬉々として現れていた。恐らくバトルしたくてうずうずしていたんだ。
「うう、カナーくさいーー」
「ルカちゃん、よしよし」
涙目になりながら、私はカナに抱きつきながら後ろの方へと下がる。カナも優しく介抱してくれながら、意図を察してくれたのか前方の二人から距離を取る。
でも、それがいけなかった。突如として私のベルトに固定してあるモンスターボールの中からガーディが飛び出していきなり吠え始めた。
「え、ガーディ!?」
懸命に吠えるガーディの方向に、さっきとは違って蠢くなにかの影が大量にこちらへと迫ってきているのが見て取れた。
「ルカちゃん、気をつけて!」
ぼやけた電灯の発光を頼りに目を凝らすと、それらがベトベターの大群であることが判別できた。その数は優に20を超え、その奥にも潜んでいるかどうかはわからない。それでも更にきつくなってくる激臭が、尋常ではない数のベトベターが後ろに控えていることを物語っている。
「ルカ、カナ、そっちはお前らに任せるぞ!」
ガイさんも状況を把握したのか、そう激を飛ばしてくる。
「ええい、わかってますよ! この臭い耐えられない!」
「頑張ろうルカちゃん、いくよ!」
この下水路がシルフカンパニー社へとつながっているという事実があるのに、警備が手薄に感じていた。その理由が今、目の前にある現状が物語ってくれている。どこに隠れていたのかはわからない、それでもって彼らは明らかな敵意を私たちへと向けている。
「ガーディ、行くよ!」
「ガウッ!」
「シャワーズ、力を貸して」
「フィイイ」
私たちの後方ではすでに戦闘が始まっている。レイハちゃんとガイさんの号声が背後から伝わってくる。
ベトベターたちはこちらを警戒しているのか、すぐに襲ってきたりはしない。もしかしたら数が揃うまで待っているのかもしれない。だとしたらのんびりとしているわけにはいかない。
「ガーディ、【火炎放射】!」
「シャワーズ、【冷凍ビーム】をお願い」
直線上に伸びていく二つの射線は前方に群がっていたベトベターたちには命中するも、広範囲に攻撃を及ぼすことはできなかった。壁となって味方を守ったベトベターたちは下水路の底へと沈んでいき、後方から次々と押し寄せてくる。
「厄介だね……」
奥歯を噛み締めながら、苦し紛れにそう口走る。異臭が段々と強まりつつある中、悠長に相手の出方を待ってはいられない。
「ルカちゃん、だったら試してみよう」
「わ、わかった。やってみよう!」
カナのその言葉に、私はすぐに気付いた。
私たちの旅はそんなに長くは経ってはいないけれど、いろんな出来事に見舞われた。カナと共に過ごしてきた時間は楽しいことも辛いこともあり、なによりカナの能力によって危機感というものがなによりも身近にあるように思えた。
そんな旅路で、私たちの夢はそれぞれだけどバトルにおける鍛錬は欠かさないようにした。自分たちの身を守れるために、そして仲間も守れるために。
カントー出身の私たちが危惧しなければならないこと。そしてホウエンを経験してきた私だからこそ、カナに教えてあげられたこと。いろんな話をして、いろんなことに二人でチャレンジしてきた。その成果をここで、ガーディたちと共に試す時が来たんだ。
「練習してきたことをやるよ。ガーディ、【はじける炎】!」
「ガウッ!」
口の中に溜められた火球が膨れ上がり、放物線を描きながらベトベターの群れ中央部分へと落下し、空中で分裂拡散する。方々に散った火の粉がベトベターたちを頭上から襲う。突如の攻撃に、パニックに陥ったのか、連携が乱れ始めたのが見て取れた。いける。
「カナ!」
「うん、ありがとうルカちゃん。シャワーズ、【濁流】です」
下水路の水であっても操れるというのが水タイプのポケモンたちの力なんだと思う。シャワーズが発生させた下水の波がベトベターたちを襲い、一気に私たちが入ってきた入口の方まで流されていってしまう。さっきまでだったら、前方で壁の役割をしていた集団が踏ん張っていただろうけど、ガーディの攻撃により完全に足場を失ってしまっていた。だからこそ成功させることができた。
「やったね、カナ!」
「うん!」
お互いに手を取り合い、喜びを分かち合う。連携が上手くいったんだ。嬉しいという感情とホッとする安堵感が胸に溢れる。
そう、これこそが私たちが練習の一つとして特訓してきたものだった。ダブルバトルやローテーションバトル等の、他地方におけるバトルルールを把握し、実践できること。それが意味することは、新しい技の習得や連携の方法を思案するということだった。情報でしか得ていないものをどう形にしていいかは、まだ模索中。それでもこうやって確実に一歩ずつ身につけているということが実感できた。
「ガーディも、よく頑張ったね」
「がう〜」
屈んではガーディの喉元を撫でながら、私は笑みを向けてねぎらう。そして、私たちの後ろでもそろそろ決着がつきそうな雰囲気が漂っていた。
「そっちは終わったか、ルカ、カナ」
「はい」
ガイさんが横目で後方を一瞥し、カナがそれに答える。
巨大なベトベトンは、やはり熟練のトレーナー二人相手には部が悪かったらしく、完璧に翻弄されてしまっていた。それでも私たちより時間を要したのは、ベトベトンの圧倒的体力を削り切るのに手間取ったからだろう。私の目を通してみても、地の利があるからか、弱点攻撃で攻めても時間がかかるのは明らかであった。
「こっちもこれで、フィニッシュにょろ!」
レイハちゃんのニョロトノが放った【泥爆弾】が綺麗に決まり、ベトベトンは悶えながら体が下水路に溶解し、消えていった。もとの姿に戻ったのか、それともこういった形態に最期なってしまうのかはわからない。それでも、私たち人間社会が生み出してしまったポケモンということにおいて、考えなければいけないんだろう。
「あいつらがまた追いついてくる前に、とっとと進むにょろよ」
「ああ、わかってるさ。行くぞ二人共」
「「はいっ」」
靴が下水と戦闘によって汚れていきながらも、私たちはどんどんと奥へと進んでいく。すっかり旅の中でボロボロになってはしまってはいるけれど、本格的にここでの目的が達成できた暁には新しいのを買わなきゃね。
ガイさんが携帯端末をチェックしながら、位置の確認を行っている。もうそろそろ出口が近いのかな。
私はカナの手を引きながら走っていた。別にカナの体力面を心配しているというだけじゃなくて、やっぱりこうしていると落ち着くから。それはカナもわかってくれている。徐々に近づいてくるであろう目的地へ進むにつれて、私たちの握力は自然と強まっていった。
「ここだ」
ガイさんが足を止めた場所にあったのは地上へと通じているであろう梯子と、その先にあるマンホールだった。
「ここはどこの地下にあたるにょろ?」
「間違っていなけりゃ、備品倉庫室だろうな」
「なるほどにょ」
倉庫室と聞いて、私は合点がいった。一応、というか私もロケット団に所属している身となっているわけだから知らないわけがない。嫌々覚えさせられたロケット団本部、シルフカンパニー社の構造はある程度頭に入れてある。様々な備品がしまわれている倉庫室なら、団員が持たされているカードが無くともビルの中へと入ることができる。
「じゃあ一人一人とっととあがっていく―――っ!」
「おい、どうした?」
マンホールの蓋を見上げたまま、レイハちゃんは顔を険しく歪めて辺りを見回し始めた。なにかの異変があったのかはわからないし、ガイさんも状況を認識してはいないみたい。でも、カナは察知していたみたい。
「そういうことにょろね……」
「なにがあるんだよ」
怪訝に思ったガイさんがレイハちゃんに問う。
「つながってるにょろ、ここのどこかがオーキドの研究棟に」
「なんだと?」
そうだ、忘れていた。確かに下水路からシルフカンパニー社内へと侵入ができるのであれば、本社の地下に存在すると言われているオーキド博士の研究棟にもつながっているに違いない。そのことをレイハちゃんがなにをもって感知したかはわからないけど、可能性がないわけじゃない。
「二手に、わかれるにょろ」
そのレイハちゃんの言葉を知っていたのか、待っていたのかはわからない。それでもその言葉を聞いて、私はカナの肩が反射的に反応したのを見逃すことができなかった。そしてそれが、決して良くないことへの前触れだということも……。