「裏」:サカキとオーキド
ヤマブキシティの地下に存在するオーキドの新たなる研究所。そこはロケット団が提供しており、シルフカンパニー社が築き上げた財力を持ってしてあらゆる器具や設備が整っている。この場所にて、オーキドはミュウツーの調整や新たなる薬品の開発に成功している。
「マサラの研究所が暴かれたか」
少し寂しげに語る、老いた白衣姿の男は、モニターに移るマサラタウンの地図を一瞥した。しかしその声を聞き届ける者は一人もおらず、広い研究所の中で彼以外の人気はない。
それは依然としてオーキドが助手を取らないというポリシーを貫いている証でもあるのだろう。
「ミュウツーも活動限界を超え、恐らくリョウもやられたか……。所詮、ポケモンはポケモン止まりか」
衛星写真も常に流れ込んできてはモニターに映し出されていく。
その中でレックウザの姿も確認でき、それを見ただけでオーキドは様々な思いに至ったのだろう。
「もうじき、ここにも来訪者が来るんじゃろうな」
想像しうる来訪者に誰を思い浮かべているのだろうか。
オーキドは深く語ることはなく、作業へと戻っていく。
「さて、なにか御用かな?」
「なに、最期の語らいにと思ってな」
研究所につながるエレベーターから一人の男が現れ、その姿を直に見るのもオーキドにとっては久しぶりとなる。そう、サカキだ。
「最期、か……。そんなに私たちは年老いたのかね」
「そういうことだ。まもなくヤマブキは戦火に見舞われるだろう、誰もが望もうと望まないとな」
「覚悟を決める時ということかね?」
「すでに他地方では戦闘が始まっている。おかげでロケット団も戦力が分散、一番手薄なのが本部という嘆かわしい状況だからな」
ダイゴが企てた一連の計画、それは全てが作用しているのかはわからないが、実際にロケット団の戦力は散り散りとなっている。それはPower & Graceの作戦に伴い必要であったが、その割に成果を上げることができなかった。それの要因となるのがダイゴの暗躍による。
ロケット団は結果としてレジギガスを取られ、レックウザまでも捕獲に失敗し、ホウエンではグラードンとカイオーガが暴れまわっている。
「しかしそれらもお主が予想しておった通りなのじゃろ?」
「予想はしてないさ。ただ、そうであって欲しいと願っただけだ」
「どうだかの」
二人の邂逅から二十年以上が経ち、彼らは彼らがやりたいことを成し遂げる時間を与えられた。
「貴様も到達できたのだろう、最高傑作に?」
「だからここまで来たのか?」
「ああ。人間である内に話しておきたくてな」
「そこまでお見通しじゃと、話が早くて助かるの」
互いの会話の中に齟齬は見られない。すなわち、全てを理解し分かっている上で会話を行っているということになる。
いくら手の内を明かしていなくとも、両者にとっては全てが把握済みなのだ。
「リョウのことはどうするんじゃ?」
「どうもしないさ」
「息子であるのに、ひどい親じゃな」
「本当の息子ではない。それに今この状況では、生きていられる方が都合が悪い」
「そうじゃったのう。まあしかし、イニシャルインシデントが起こったとしても問題は無かろう?」
「ああ」
上下黒のスーツに身を纏い、両手をズボンのポケットに突っ込んだままサカキは研究所の中央に存在する巨大なガラスケースに視線を向ける。
「これが貴様の集大成か」
「そうじゃ」
オーキドも視線を上げて、サカキと同じものを眺める。
そこには一つの球体が浮かんでいた。藍色に染まったビー玉程度の球体が極細のアーム四本に空中で支えられており、その球にはエネルギーが送られているのだろうか、なにかが供給されているようにみえる。
「改めて見ると、想像を絶するな」
「そうじゃろうの」
極々小さい球体を納めている巨大なガラスケース。それは球体に流し込まれているエネルギーが膨大であり、その熱力が爆発しないために強固なガラスによって守られているのだ。
そしてそのエネルギーの正体が、今サカキが広い研究所を見渡しながら眺めているものであり、広大なスペースが必要とされる意味を物語っている。
「全ての水ポケモンの生命エネルギーを凝縮させて、結晶化させる。それを体内に取り込むことで、ポケモンの力を得る……か」
「これが究極の進化じゃよ」
そう、研究所の中には大小様々なケースが所狭しと並べられており、その一つ一つに一体ずつポケモンが収容されていた。
全てのポケモンは見る限り水タイプを有しており、目は閉じている。ポケモンたちの頭部にはいくつものチューブがつながっており、全てのケースから研究所中央のガラスケースへとケーブルが延びて繋がっている。
「究極のポケモンを作る研究がこうも発展するとはな」
「お主には感謝しとる。だがやはり研究者は常に理論を超越したくなるのじゃよ」
「まあいいさ、必要な行程は作り出してもらった。あとは私自身が未来を示すだけだ」
「不安材料はそれぞれにキッカケを見つけたのかの?」
オーキドの問いかけに、サカキは瞼をつむり、笑みをほころばせる。
「見つけたからこそ、私のところに来るのだろう」
「そういうことかもしれんの」
「貴様もしっかりと伝えることを伝えておけよ」
「人は過ちを目の当たりにしても時が経過すれば忘れていく。それならば定期的な過ちを社会に起こすことは必要不可欠じゃ」
「これが過ちだって?」
過ち、それはオーキドの研究のことを言っているのだろう。
マサラの悲劇以後、確かに厳正なるポケモン研究における規律というものが再確認された。それはポケモン愛護団体等が大きな力と声を持つようになったキッカケにもなったが、20年もの歳月が経った今ではあまり誰も触れることはない。すでに歴史の一ページとしての記述のみが残されていった。
「己のエゴのために他の命を犠牲にする。それは常に道徳の中では過ちじゃ」
「貴様が今、社会のルールを牛耳る中にいてもか?」
「そうじゃの、例えそうであっても、これは過ちじゃ。過ちなければ前に進めぬ時もあるが、その責を負うのは一人でよかろう」
「そういうことだな」
二人はすでに悟っているのだろう、自分たちが迎える結末というものを。だからこそ、こういう風に余裕を持ちながら談笑ができている。
生涯のほぼ全てをこの日のために賭けてきたサカキは、非常に期待に胸を膨らませていた。一体誰が自分の創り上げた世界を引き継いでいくのかを見届けたかったのだ。そしてオーキドは自身の研究成果の危険性と有用性を、己の体と引き換えに世間へと再度知らしめようとしている。
計画は全て順調に進んでいった。
例え多くの犠牲と人間を捨て駒にすることになろうとも、サカキたちはその中でも生き残った者にしか興味がない。そういった人材が次の世代を牽引する存在なのだと信じて止まず、自分たちがそうであったからこそ迷いがない。
「人間においても社会においても完璧はまずありえない」
「ほう」
「それは貴様が一番わかっているはずだろう?」
「ふっふっふ、そうじゃの。そうであることに気付けるのが、この年になってからでよかったわい」
体が老いるからこそに深まる知見。これらの知識や経験が導き出す真理というものは人様々であり、時と共に熟成していく。
この二人もまた、長い月日を経て、それぞれに人生における指標を確定させることができた。それを示す時がこの場であり、この場が彼らの墓標となる。
「老いぼれ共の戯言馴れ合いも、もうそろそろいいじゃろう」
「ふっ、そうだな。最後に礼だけは言わせてもらおう」
「殊勝な心掛けじゃの、お主も成長したということか?」
「私は常に紳士的だったはずだぞ」
「言いよるわ」
お互いに目を合わさずに口元に笑みのみを浮かばせ、彼らは背中を向ける。サカキはエレベーターへと戻っていき、オーキドはキーボードを鳴らし始める。
二人の世界に変革を来たした人間の末路はすぐ鼻の先に扉を構えている。
なぜ彼らは自分たちの終わりを覚悟できているのか。それは彼らが彼らたる所以なのかもしれない。自身が活躍し、光る瞬間を把握しているからこそ、散り際と役目を終わらせる時を見極めることができるのだろう。
「今度こそ本当にお別れじゃの、サカキ」
「さようならだ、オーキド」
彼らが発した言葉は、お互いに聞こえられることはなく、エレベーターの扉が閉まる音と同時にかき消される。
決戦の時は近く、この場に彼らが集う時もまた近い。
第二十二章:完