VI:リョウとの一騎打ち
なにがここまでリョウを追い詰めたのかはわからない。そもそも、俺は何が起きているのかもわからないのに、何を知ろうとしているのかすら頭の整理が追いつかない。
ただわかるのは、今ここでリョウを止めないといけない。そう俺の直感が告げている。
やつが放った念は消失し、未だに自分の身に起こったことに興味津々なのだろう、リョウは己の体の隅々を確かめるように睨(ね)めつけている。
「おい、リョウ」
「なん? なにーや、ケンケン」
「ダイゴはどうした?」
一先ずはそれを尋ねなければならない。
「ダイゴ? そげか、もう一つのベッドにはダイゴがおったんやな」
その時リョウが浮かべた狂喜の笑みに俺はゾッとする。あいつのあんな表情なんて今まで見たことがない。それに、結構派手にやられていたのは応急措置をしたときに大体はわかっていた。それほどまでに怒りの矛先も大きいんだろう。
「もしもダイゴが、わと同じもん手にしとったら……面白か」
「それは全然面白くねーな」
「昔のわならケンケンには敵わんかったかもしれん。けんど、今はどげや?」
「証明してみせろよ、俺を倒してな!」
俺はそっとケーシィのボールをキュウコンの九尾の中へと滑り込ませる。安易な作戦かもしれないが、ある程度意表はつけると踏むしかない。それだけじゃリョウに勝てるかどうかはわからないけどな。
「キュウコン、【鬼火】だ!」
常套手段かもしれないが、複数の火の玉をつくりだして飛ばしていく。狭い空間だとコントロールは難しくなるが、その分相手にとっては避ける余地が少ないので当たりやすくなる。
十五もの火の玉がタイミングや軌道をずらしてリョウへと飛翔する。当たれば、火傷程度では済まされないほどの火力だ。
「こんなこともできーで?」
なにが起きたのか、それを理解するには三秒程かかった。なぜならリョウは大きく息を吸い込んだ後、大量の水を吹き出したのだ。それは人間業では不可能なほどに威力をつけた放水であった。
炎と水のぶつかり合いで大量の蒸気が生み出され、地下の研究室はあっというまに白煙によって満たされてしまう。これでは視界の確保ができない。
「甘いでケンケン」
「がはっ!!」
耳元でリョウの声が囁かれたと思ったら、まるで鈍器で殴られたかのような痛みが腹部を襲う。その感触を確かめることなく俺の体は後方へと派手に飛ばされ、背中が巨大な培養ケースへとぶつかり背骨が悲鳴をあげる。
強固なガラスで作られているケースはひびが入ることなく、俺がぶつかった際の振動によって鈍い音を放つ。それに手をつけてなんとか立ち上がろうとするも、視界の先ではこちらへと歩み寄ってくるリョウのシルエットが浮かび上がっている。
「くそっ、ニューラ【切り裂く】!」
そう指示はするものの、ニューラの姿は今や確認する術もない。この声が聞こえていることにただ賭けるだけだ。
「そげな単調な命令でわが倒されるとおもっとーだ?」
リョウの戦力は今や未知数だ。そもそもポケモンを使用しない、ポケモン技を駆使する人間とのバトルなんざ想定外だ。したこともない。なら本格的に脳を切り替えなければならない。
未だに晴れない視界の中、俺は身を低く保ちながら移動する。ニューラが空を裂いた音を頼りに、リョウとの距離を計算しつつ、キュウコンを呼び寄せる。
「ニューラ、そのまま頼む!」
濃霧の中、ニューラの技に対抗しているリョウの攻撃の音が聞こえてくる。いくらポケモンの技を習得したとは言え、人間本来の動体視力がポケモン並みに向上したことはないようだ。それでいても、あいつの運動能力はもともと高いんだが。
俺はキュウコンの耳元で細やかな指示を送り、すぐさま距離を取る。戦力を分散させることで、少しでもまとめて狙い撃ちにされないようにするためだ。そしてそれは、俺が未だにリョウがどのようにして俺の位置を把握しているのかわからないことにも起因する。
ほどなくして、ニューラによる斬撃の音が止み、苦悶の声が聞こえてくる。
「あれ、どないしただケンケン? 愛しのニューラが苦しんどるっちゅーに」
おそらくニューラは捕えられてしまったのだろう。身動きができずにいるはずだ。すまない、ニューラ、だが少しの辛抱だ、耐えてくれ。
ケースの裏に隠れながら、戦況を見据えることしかできないが、徐々に戦場にて変化が生じ始めた。
「ん?」
それに勘付いたのだろう、リョウがふと手の力を弱めた隙を狙って、ニューラが脱出に成功する。
「くっ!」
嗅覚を頼りに、ニューラはすぐさま俺の方へと駆け寄ってきた。息が乱れているところを察するに、首をおそらく絞めつけられていたのだろう。しかしその右手の爪には血液が付着しており、ある程度のダメージをリョウには負わせることができた。
俺はニューラの頭を撫でてやると同時に、今起こっている現象で相手の機を狙う。
リョウの周り一帯は揺らめく炎で覆われていた。橙色の炎が彼を囲い、それを先ほどと同様にリョウが水タイプの技で消そうとするも、炎は消えない。
「なにぃ?」
水蒸気の揺らめきと光の反射を使うことで、偽物の炎を作り出す。それによる錯覚で相手を惑わし、隙を作る。光にいくら水をかけたところで、炎は消えない。緻密な現象を引き起こすことができるのも、熟練なキュウコンのおかげだ。
「行くぞ、ニューラ!」
俺はケースの物陰から飛び出すと、腕に乗せたニューラをリョウめがけて振り切る。その加速を上乗せしたニューラは勢いよく目標に突進し、やつの顔に両爪をお見舞いする。
「ぐあっ!」
顔面に走る痛みと熱によって視界が奪われる中、俺はすぐさま次の行動へと移る。
ニューラを投擲すると同時に、俺自身もリョウへと駈け出していた。振りかざした拳をそのままやつの顔面に炸裂させ、相手は後方へと吹っ飛ぶ。
地下研究所の壁に衝突し、今度はリョウが苦悶の声を上げて、仰向けに倒れる。
俺はそのままマウントするように、リョウの腹に跨り、身動きを取れなくする。襟元を掴んでは引っ張り上げ、俺は勢い良くそいつの頭を揺らす。
「てめえリョウ!」
「へっへっへ、なにーやケンケン。そげに怒っとーだが」
「あたりめえだ!」
ポケモンの技を生身の人間がくらって、ただで済むとは思っていない。しかし、今のリョウの態度から感じられる余裕を含んだ笑い声に、俺は戦慄を覚える。
よくよく見れば、ニューラによって引っ掻かれた顔の傷も出血が止まり、徐々に傷口が治癒されていく。なんなんだこれ、おいおい。
「【自己再生】って便利な技と思ーが?」
【自己再生】まで使えるのかよ!
「とんだ化物に成り下がったな、お前」
「ケンケンに化物呼ばわりされーなんて光栄だが」
「なに?」
普段は開いているのかどうかすらわからない瞼を見開き、リョウは俺を直視する。この数秒間にすっかりと傷は癒え、俺が殴った痕も跡形ない。
「わは今全てを手に入れたけ。この力、そしてミュウツー。もう、わに敵うもんなんておらんけ」
「ぐっ!」
リョウの服を掴んでいた右手がやつに掴まれ、ものすごい力で握られる。それは人の握力とは思えないほどで、普段のリョウの力加減を知ってる俺からしてみればまるで別人に感じられた。
「弱いのーケンケン。弱弱やー。さっきのパンチも全然痛くなかったで」
壊れ、乾いた笑い声がそいつの口からこぼれてくる。
自分に心酔しているのか、はたまたこいつ自身が状況を把握できなくなっているのか。とにかく、なにかしらがさっきからおかしい。
「ニューラ!」
後方に控えていたニューラが飛び出し、俺を拘束しているリョウの腕目掛けて攻撃を当てようとする。
「ふんっ!」
しかし一瞬にして横なぎされたリョウの左拳がクリーンヒットし、ニューラは吹き飛ばされてしまう。その先にはキュウコンが構えており、二匹が衝突してしまう。
「ニューラ、キュウコン!」
「今まで勝つことすらできんかったケンケンのポケモンが、こうもあっさりと倒せるんだけん。しかも、わの手で直接」
「お前はもう俺の知るリョウじゃなくなったみたいだな」
二体に気を配るも、どうしても今はこいつとの決着をつけねばならない。
「そげや。わはもう、わとして生きていけるけん」
「他人から与えられた力で自分を着飾ってるだけだろが」
「言うてくれーの!」
「ぐっ!」
起き上がるリョウの腕に掴まれて逃げられない俺は、そのまま強く引っ張られてニューラたちの方へと投げ出される。
「与えられよーが、そげもわの力だけん。それを持つことーができーのがわだけだけん」
「へっ、そうかよ」
そういきがってみるも、今の俺にリョウを止める術も戦力もない。一発殴るっていう目標が達成され、それがなんら意味をリョウに持たせることができなかった時点で俺の敗北だ。これだと、アンズに追いつくことも、もしかしたら会うことも叶わないかもしれない。
「昔のよしみだけぇ、見逃してやってもえーと思っとったけど、やっぱりわの手で引導渡してやるけん」
「それはありがたいな」
「今のわから逃げだせーと思わんでな」
立ち上がるニューラとキュウコンに支えられながら、俺も足腰に力を入れる。こいつはきっとハナダで会った時に俺が取った行動を思い返しているんだろう。ケーシィを使っての移動は使えそうにない。使ったとしても、追いつかれるだろう。
ただここで無残に負けるわけにはいかない。例え刺し違えてでもこいつをここで倒す。こんなやつを外に出してはいけない。そう感じた。
「ケンケンを倒して、次はダイゴやけ」
「行かせるかよ」
「そげでこそ、ケンケンや」
スクールに通っていた頃とは全く変わってしまった親友の姿。いや、もしかしたら俺が知らなかっただけかもしれない。いつも飄々として、付き合う分には悪い気もしなかった。こいつのおかげで俺はクラスの中で幾分か好きにやれていたのかもしれない。そう思うと、自分自身が嫌になるが、今はそうも言ってられない。なぜなら、今のリョウがこんな風になってしまったのは俺にも原因があるかもしれないからだ。
自意識過剰になるわけじゃない、それでも俺は知らない間に、リョウに劣等感を抱かせていたのかもしれない。それが今解消され、自分の思うようなことができるとあらば、無理もない。力に翻弄されてしまうのは人間の性だ。
「ニューラ、キュウコン、すまねえな。ここで終わりかもしれない」
「コン」
覚悟はできてるってか。キュウコンの静かな受け答えに俺はそう感じた。しかし声が聞こえないニューラの方を見ると、今まで見たことのない顔つきをしていた。
「ニューラ?」
リョウのやつも、なにかを感じたのか、怪訝な表情で俺のニューラへと視線を送る。
「ニュラ」
なにか決心でもしたような口ぶりで、ニューラは自分の足首に巻かれていたものを爪で引き裂いた。それはホウエンのムロで特訓をしていたとき、カンナさんがニューラへと与えてくれたアイテムであった。
一度カンナさんから受け取りを拒否した鋭い爪の代わりだと言ったいたが、ニューラも気にしてはいないようだったのでそのままにしてきた。なんでニューラは今、それを外すんだ?
「おい、ニューラ?」
俺のそんな疑問に答えるためにだろうか、ニューラは不敵な笑みを浮かべてリョウへと突っ込んでいった。今までに見たことのないスピードで。
「くっ!?」
咄嗟に防御の姿勢を取るリョウではあったが、脅威のスピードで迫ったニューラの攻撃に間に合わず、両肩から大量の血が吹き出る。ニューラの両爪が見事に切り裂いたのだ。
「なんなんや、急に!」
リョウが回復を試みる中、俺自身も未だに頭の整理が追いついていなかった。ただ直感的に、この機を逃してはならないと理解できたんだ。
「キュウコン、【妖しい光】! ニューラはそのまま続けてくれ!」
少しでもニューラの援護をする。それが今取れる最善の手だ。
トレーナーの指示を待たずに己の意志で攻撃に転じるポケモンは、傍から見れば言うことを聞いていないように見えて、両者の間の絆と信頼の深さを表す度合いでもある。ただ今回のような出来事は初めてだし、いろいろと解明しなければならないことは多い。今は俺もニューラを信じるしかないのだ。
キュウコンによる幻惑をいなしながら、リョウはニューラの斬撃から逃れるようにして【テレポート】を行う。しかし転移した直後にニューラがタイムロスを感じさせない速さで追いつき、足元を狙って攻撃を繰り返す。
さすがのリョウも何度も移動を繰り返せるわけではなく、地上の方に逃げないのはまだその技を使いこなす技量を得ていないということだろう。つまり、平行移動しかできないということだ。
「くそ! くそ! くそがっ!」
ここまでに声を荒げる元親友の姿に、俺はすでに動揺することも、驚くこともなくなっていた。
ただ眼前の敵を倒す、それだけに集中できていた。
俺は再び駆け出していた。【冷凍ビーム】による威嚇射撃によって退路を防ぎながらリョウを追い詰めているニューラに続きながら、俺は拳を握りしめていた。今度こそ、目を覚まさせてやると。
焦りを感じ、普段通りな思考を巡らせることができないことで技の出し方も単調になりつつあるリョウ。そもそも普通の人間ならば、自身に起こった変化に対応できるまで時間を有したはずであろうに、こいつは最初から違っていた。そんなリョウであっても、完全に自身を把握することはできなかったみたいだ。
【ビルドアップ】等の自身の能力を向上させる技や状態異常を与える技、そういった類いのものは使ってはこなかった。そう分析してしまえば、こちらも冷静に対処が組み立てられる。それもこれも相手の意表をついてくれたニューラのおかげだ。
「させんが!」
ニューラと俺が一直線上に迫ってきていることを視認したリョウが、なにか大技を放とうと構える。しかしそれは読めていたことであり、そう誘導させたことでもあった。
俺は大きな声でケーシィのことを叫び、次の瞬間にはリョウの背後からキュウコンが現れて、彼の首筋へと思いっきり噛み付いていた。
「ぐあっがあああああああ!!」
リョウが必死にキュウコンの顎を外そうとしている間に、ニューラの爪が奴の腹を抉り、吐血をしながら膝から崩れ落ちる。
その懐に俺は潜り込み、顔を上げて倒れ込んでくるリョウの顔面を見上げながら、拳を思いっきり突き上げた。見事なアッパーがリョウの顎を捉え、拳に伝わる痛みに負けじと俺はそのままの勢いで立ち上がる。
「うおおおおお!」
腕を伸ばしきり、後方へと仰向けに倒れるリョウの焦点は合っておらず、一目で気絶したことが確認できた。
さすがに脳を揺さぶられては、当分立ち上がることはないだろう。俺はその場に尻餅をついて、戦闘の終了に安堵のため息を漏らす。
「おわった、のか……」
ケーシィの【テレポート】により背後の奇襲に成功したキュウコンも、その場で座り込んで、汚れてしまった自信の毛並みの毛づくろいを始めた。一方のケーシィはボールの中に戻って安眠しているのだろう。そして俺は今回の立役者であるニューラの方へと目を向け、そこである異変に気付く。
「おい、ニューラ?」
ニューラは息を荒くさせながら、胸を押さえて苦しそうに片膝をついていた。苦悶な表情を浮かべるその姿に、俺は全身の筋肉が悲鳴をあげている中、少しずつ傍へと寄って抱きかかえる。
「しっかりしろ、ニューラ! ぐっ、くそっ!」
そのまま立ち上がろうとするも、戦闘が終わったことにより収束したアドレナリンの影響で体全身が痛みを訴え始める。それに伴う脳によるブレーキで俺はまともに立って歩けなくなってしまっていた。
静けさを取り戻した地下研究所のなかで、苦しむニューラの嗚咽のみが反響した。