V:留まる理由
俺ははじめて保管されて、完璧な保存状態にあるボケ人を目の当たりにしてたじろいでいた。
初めて見るポケ人は予想以上に人間に近かった。タブーとされ、迫害を受けてきたことは知っている。だが、それには外見の要素が強いからだとばかり思っていた。
しかし見る限り、ポケ人の容姿は人間の中でも見とれてしまうほどに端正が整っている。そこにポケモンとの混血である要素は一つも見ることはできない。
昔、ポケモンの技を駆使し、人間とポケモンとも対立していた存在であるポケ人の末路は悲惨なものであったと、どこかの文献で読んだことがある。
隣にいるアンズも、ポケ人の全容に見とれていた。
息を飲んでしまうほどに、時の流れを忘れてしまうほどに、完成された芸術品を目の当たりにしているかのような感覚だった。
「これが、マサラの悲劇の元凶だ」
「「え?」」
サトシさんの言葉に俺とアンズは呆気にとられてしまう。これが、元凶? 確かにサトシさんから前に、オーキドの研究内容だけがマサラの悲劇の全貌ではないと聞かされてはいたが、どういうことだ?
「オーキド博士の研究が行われたのは、このポケ人があったからこそなんだ」
「どうしてサトシさんはそこまで知っているんですか?」
そうだ、サトシさんはオーキド研究所で得られた情報はなかったと言っていた。それなのに、ここまでマサラの悲劇の真相を知っていたのならば俺たちは今こんな状況下にあることはなかったんじゃないのか?
「それは教えられない。これだと、ダイゴみたいに疑われるかもしれないけどな」
自虐的な嘲笑を浮かべるサトシさん。しかし、俺はサトシさんを責めるつもりはない。
こんな情勢で、誰を信じていればいいのかわからないのは無理もない。それもサトシさんに至っては、一体今までそのような体験をしてきたのか想像もつかない。
「いいえ、でも約束してください」
アンズは一歩前に進んで、自身の胸に手をあてて深呼吸する。
「ここからは私たちの指示に従ってください」
「……ああ、もちろんだ」
そう、サトシさんはダイゴを追いかけてここまで来た。だが、それが終わった今、俺たちにはサトシさんの戦力がどうしても必要なのだ。
そしてこれからどうするのかを慎重に考えなければならない。
俺たちの目的がヤマブキシティにいるであろうサカキであるのは揺るぎない。だが同時に、瀕死の状態に陥っているリョウとダイゴのことも気がかりだ。ここで警察を頼るのは、つまりダイゴの死を意味している。死までとはいかなくとも、二度とダイゴとお目にかかる機会はなくなるだろう。
それではだめだ。
そしてリョウについては、俺にはわからなかった。クラスメイトの大半はまだ入院中だと聞く。あんなことを引き起こした張本人をこのまま置いていくわけにもいかない。それにこのままあいつに死なれても後味が悪い。
「あのサトシさん」
「なんだ?」
「俺はこのままここに残っちゃダメですか?」
俺は十分にサカキを倒さなければいけないことはわかっていた。だが、このままリョウもダイゴも置いていくわけにはいかない。
「ケンくんっ……?」
「わかってはいる。でも、あいつをこのまま置いてくわけには……」
サトシさんは少しばかり逡巡した後、顔をあげて俺にこう言った。
「あの人は信頼の置ける人だ。だから俺たちが心配することは何もない」
「でも、俺はあいつを許せない」
「ケジメをつけたいって?」
「そう、なのかもしれません」
俺の言葉に、史上最強と言われた男は不敵に笑ってみせた。
「なら、一発殴ってから来い」
「……はい」
「それなら俺たちは行くぞ、アンズ」
リョウがいつ目を覚ますかはわからない。だがそれまではここに残ると俺は決めた。それにこの機を逃したら、いつまたあいつと会えるかどうかわからない気がしたんだ。
「はい、わかりました。ケンくん、なるべく早く追いついてね」
「ああ。悪いな、アンズ」
アンズが俺の右手に触れる。それだけで彼女の小さな手にこもる温もりが、とても心地よく感じた。
「できるだけ早く追いつく」
「うん」
力を込めて握ってくるアンズ。そこには離れたくはないという彼女の想いも伝わってくる。それは俺にとっても辛かったが、それでもリョウとのケジメをここではっきりさせておきたかった。
「それじゃケン、後でな」
「はいっ」
サトシさんとアンズが地下研究所から出ていくのを見届けた後、俺は気味の悪い棚を背にしてリョウとダイゴが治療を受けているだろう扉を眺める。
何時間そこで待っていただろうか? 消耗しきっている俺の体はバカ正直に疲労を訴え、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
本来なら、最悪の状況を考えて俺とアンズだけでもヤマブキシティへと赴く予定でもあった。だけど今サトシさんが合流したことによって、俺は不要な存在となった。それでもなにかはできるかもしれないが、いてもいなくても作戦に支障はきたさないだろう。
ホウエンでダイゴに裏切られてから、俺たちは碌にポケモン達にも休息を取らせることが叶わないでいた。本当ならポケモンセンターに行きたいところだが、それも叶わない。どこかで回復道具を調達しないことにはこいつらがもたないだろうな。
しかし、一体どれくらいかかるんだ?
と、思ったその瞬間だった。なにかが弾ける音が扉の奥から鳴り響き、ドアが一気に開放される。それと同時に俺の目の前まで飛ばされてきたのは、あの男性だった。白衣が青白い炎に包まれていたが、本人には動きがない。死んでいる?
俺は扉の奥から溢れ出してくる炎に俺は魅了されてしまい、思考が停止してしまっていた。
するとそのドアから一人の人物が現れる。
そう、リョウであった。
「おお、ケンケン。久しぶりだが」
懐かしいハイア地方の方言を携えながら、奴は現れた。だが明らかに様子がおかしい。
「ぐっ……」
「大丈夫ですか?!」
抱えていた助手の人が意識を取り戻す。だがかなりの重症なのか、その息遣いはとても弱々しかった。
「まさか、こんなことになるとは。頼む、あいつらを止めてくれ」
そう言ってその人は俺の手に一つの注射器を手渡してきた。それを受け取るも、俺は問いただすしかなかった。
「一体何があったんですか!?」
「あれはもう、人間ではない……! うぐっ」
「しっかりしてください! おいっ!!」
だがそれ以上、その人が言葉を発することはなかった。いくら肩を揺すろうが、頬を叩こうが、彼の意識はもう二度と目を覚ますことはないだろう。
目の前にいるリョウの姿をもう一度視界に捉える。別段、体そのものにそろほどの変化があったとは見受けられない。しかし際立って驚異的なのは、リョウの外傷はほとんど回復しきっているということだった。
服の汚れや啜切れはそのままだが、傷口は綺麗につながっている。それに砕かれ、話しもできないと思われていた口元も、元の形に整っていた。
「なあケンケン、バトルしてごしない」
そしてあいつの体全体から溢れている青白い炎はなんなのか?
「わはどうにかなってしまたかわからんけんど、力が溢れてくるのが止められないんだがん」
「力が、溢れる?」
なんのことを言っているのかわからなかった。しかし、なにかが起きているのは一目瞭然だ。それにダイゴがどうなったのかも気になる。
「どうやらわは、ポケモンの技が使えるみたいだけん」
「なん、だと……?」
「ケンケンは知らんか? 八柱力のこと?」
「はっちゅうりき……?」
それは俺が始めて耳にする単語だった。
「皮肉な話やが」
「なんだと?」
「わいの妹も八柱力だがん」
「ルカが?」
リョウは何を言っているんだ?
「八柱力はポケモンの技を使える人間のことだけぇ。知っとるやろ、ケンケンの妹がもっとる不思議な力のこと」
「もしかして……」
「そげやそげ」
確かにルカは類い稀なる目を持っている。それは俺もそうだが、あいつのは先天的なものであることに間違いはない。しかしそれが八柱力とどういう関係にあるのか?
「まさかお前もその八柱力だとか言うんじゃないだろうな?」
「ご明察」
「嫌なことを聞いたよ」
わからないことが多過ぎる。
だが、俺が今しなければならないことはわかっている。こいつに一発お見舞いすること。それが今、俺がここに残った理由だ。
「前回の続きやが、今度こそ決着つけてごしない!」
「ああ、そうだな。お前には一発ぶちこまなきゃ、俺の気がすまない。そのあとで、いろいろと聞かせてもらうぜ」
こんな状態のこいつと相対するとは夢にも思わなかった。
「キュウコン、ニューラ頼む」
「クゥン」「ニュラ」
俺の足元に現れるキュウコンとニューラ。結構無茶してきたけど、ここが正念場だ。頑張ってくれよ。
「懐かしいが、ケンケンのポケモンを見るんも」
「ああ、そうかよ」
とりあえずあいつの出方を伺うしかない。ポケモンの技を使えるようになったと言うあいつの狂言を、そのまま信じるわけにはいかない。
狭い研究施設の中でどれほど暴れるかはわからない。しかし、それを気にしていてはきっとあいつを倒せることはできないだろう。
「キュウコン、【火炎放射】だ!」
息を吸い込み、口の中で圧縮された空気が多いほどに火力はあがる。しかしそれほどにコントロールが難しくなるのと、威力が高すぎた場合はポケモン自体への負担も大きい。
だが俺のキュウコンは長年の経験から、少ない酸素の補給で効率良く炎を放射できる術を習得している。それにより連続で撃ち続けることも可能だ。
「ええが、ええが!」
リョウが自身の右腕を大きく振りかざすのが見える。しかしその姿はすぐさまキュウコンの火炎によって遮られてしまう。
鉄板によって包まれた研究室で火がなにかに燃え移る心配はないが、散り散りとなっていく炎の先に健在していたのは無傷なままのリョウだった。あいつを覆っている壁のようなものは、【守る】を使った時に出る現象と酷似していた。考えるよりも先に技の突破方で攻めるしかなさそうだ。
「キュウコン、続けろ!」
そう、連続で繰り出すことはできない【守る】。それをリョウが知らないはずもないが、今は相手の出方を見るしかない。現に、リョウは本当にポケモンの技を使っているのだから。
「そげな攻撃だとつまらんが」
今度は【テレポート】かよ!
「キュウコン、【火炎放射】だ!」
【火炎放射】をよけ、俺たちの右側に転移してくるリョウ。すかさずキュウコンが放射している炎の軌道を変えて、リョウの体を巻き込んで拘束しようとする。
「危なか危なか」
しかしキュウコンの攻撃はリョウが右手から繰り出しているであろう念によって停止してしまう。
「お前、本当にっ……」
「面白くなっていくのは、これからだけん」
にやり、と笑みを浮かべるリョウの両目がうっすらと開かれていくのを俺は冷や汗を垂らしながらただただ見つめることしかできなかった。