「裏」:ポケモンから人間へ
オーキドのもとで何年働いてきただろうか?
幾度となくオーキドの研究につき合わされ、数々の新人トレーナーに御三家と呼ばれるポケモンを託して見送ってきた。彼の助手として仕えてきた男は、今なにを想いながらリョウとダイゴの治療にあたっているのだろうか。心ここにあらずという感じではないだろう。
ないだろうし、想うところはあるだろう。
タマムシ大学で一度だけだがオーキドが特別講義を設けた時、そこにふらりと立ち寄ったのがこの男であった。タマムシ大学に通っていた時、まだ無名のオーキドの講義を聞きにくる者などいなかった。教室の机には、まばらに気だるそうな四五人の生徒といった具合だろうか。
そしてこの男も、次の講義までの時間潰しにという感じで興味もなく立ち寄ったのだが、それが彼の運命を左右した。
オーキドの語った進化論、それに男は感銘を受けた。そしてオーキドの下で働いてみたいと思ったのだ。そして大学で進化論の専門へと進み、卒業後マサラタウンへとオーキドを頼りに訪れたのだ。その頃にはオーキドは学会などで数々の進化論に関する発表を重ね、知名度は比べるもなく上昇していた。
だがオーキドは己から助手を持つということはしなかった。その理由は未だに明かされていないが、この男だけは違った。オーキドがいくら断りを入れても諦めることはなく、男の根気にオーキドが折れたのだ。
そして、次第にオーキドも男に信頼を置くようになっていた。だが、それ以降もオーキドが新たに助手をとることはなかった。
そんな男が、サカキがオーキドへと持ちかけてきた話を知らない訳がなかった。それよりも、オーキドのほうから直に聞いたのだ。その研究内容に惹かれないわけはなかった。
世間はオーキドを偉大であると同時に驚異的な科学者と謳っていたが、それはこの助手の力なくしてはなりたってはいなかっただろう。それほどまでに、彼は優秀だったのだ。
それゆえに、オーキドの孫であるナナミとの交際も実現できた。
だが突然、オーキドは男の研究所への立ち入りを禁止した。それ以降、何人たりとも研究所へ入れる者はいなくなった。
それは男がオーキドと具体的な仮説を組み立て、ある程度の理論を纏め、あとは実際に実験を行うだけであった翌日のことであった。
「本来ならば私がやらなければならないのですが……」
そんな男が目の前にしてるのは負傷している二人の若者である。
まず、専門分野ではないが二人は助かりはしないだろう。しかしながら彼らを救う方法ならある。そう、それこそがこの施設にポケ人が収容されている理由とも繋がる。
なぜ劇的な擬似生命体の研究が進んだのか? それは、サカキがオーキドへと渡したのがポリゴンのデータだけではなかった。つまり、サカキが複数人の人間を連れてマサラを訪れたのにはポケ人の護衛があったのだ。
その事実を知ってしまった者たちが消されたのだ。被害者となったのはナナミ、そして丁度その日マサラタウンまで来ていたゲンの家族であった。ゲンの一家がルカとケンの母親の一家に挨拶にあがっていたのだ。
サカキにとってゲンは幼馴染であると同時に、ゲンの両親はハイアでも有名な研究者であった。そんな彼らを、これからの脅威となる前に同時に始末したのだ。
それが、マサラの悲劇の裏に潜んでいた全ての真相である。
それから20年。男はオーキドが出所したことは知っていた。そしてその時を彼は待ち望んでいた。なぜならばオーキドが逮捕されたあと、男は密かにこの場所で研究を続けてきたからである。今思えば、その為に自身を切り離したのだろうと男は確信していた。
それゆえにこの場所は未だ健在なのである。オーキドほどではないが、研究は進み、その成果が今まさに試されようとしている。例え妻のナナミが殺される理由を間接的にも作り出したオーキドであっても、男はとりつかれるようにして研究を一人で進めていったのだ。
「これこそが、私の集大成です」
リョウとダイゴの腕に刺さる注射針から液体が流れ込んでいく。その中に、男はケースに入れられた青白く発光する液体を静かに流し込む。これこそが、男が20年間の月日を費やしてきたもの。
以前ケンがルカに飲ませたり、ルカがカナを助けるために用いたチイラの実。その効力は絶大で、著しいものであった。チイラの実に含まれる細胞を活性化させる成分によるものがその主な要因なのだが、男が開発したものはそういった類のものではない。
オーキドが擬似生命体をポケモンの生命力から生み出す実験をした後のデータは、この研究所に厳重なセキュリティと共に残されていた。その情報をもとに、助手を務めてきたこの男が開発したのが、それを人間へと応用したものであった。そう、助手であるこの男がいち早く研究所のデータを抜き取り、この地下研究所を守り続けてきたのである。
ポケモンの生命から生み出した擬似生命体。それはすでにオーキドが完成させ、ミュウツーを生み出す為に使われた。だがこの男はそれを医療的発展へとつなげるため、その擬似生命体を細分化することに専念した。
そもそもサカキがシルフカンパニーの成果として開発したポリゴン。あれは無機物に擬似生命体を組み込むことで生み出すことができたポケモンである。そしてオーキドが目論んだのはその発展形である、有機物に擬似生命体を組み込むことで生み出される最強のポケモンだったのだ。そしてそのオーキドの助手が目をつけたのが、擬似生命体に溢れている生としてのプログラムを医療目的に用いることにより、どんな難病でも治療できる細胞の開発であった。それはつまり、人間にポケモン並みの生命力を植え付けるといったものである。
なぜその研究が20年の時を要したのか? それはポケモンと人間におけるDNA構造の違いが原因であり、どんな拒絶反応が起こるのか予測できなかったからである。ポケモンの命から生み出されるそれは、ポケモンに適用できても人間への適用は未知数だったのだ。
そしてそもそも擬似生命体という、言ってしまえば個として存在する生命体を細分化させる研究には途方も暮れるような研究が要求された。そして、実験を行う被検体の確保ができなかったというのももう一つの要因としてあげられる。
だが、今は違う。理論上完成された薬品を試せる人間が二人もいる。
「うまくいってくださいよ」
普段は宿舎のマスターとして旅人を出迎えながら、時間を見つけてはの研究。他人にそのことがバレることはなかったが、それでもルカ達が来たときにはある意味肝が冷えた。
レイハとガイの話していた内容からして、その二人はロケット団の関係者であったのだろう。そしてその日、彼らがオーキド研究所の方へと上がり、隠し扉の存在を知られてしまった。そして男はガイとルカのことをすでに知っていた。そう、オーキド研究所そのものが全焼した時のことを男は忘れるはずもない。
自分とオーキドが長年共にしてきた施設が跡形もなく焼け落ちた時の心境は、神妙なものであったことを男は忘れない。
だからルカから、自分のいれたホットミルクが美味しかったと言われたときには変な気分になったものだった。まるで同じことを言ってくれたナナミのことを思い出すようであったからだ。
男が自然と緩めた微笑みは、しかしすぐに消えることとなる。
場所変わり、グレンタウン。
マサラタウンの南方、グレンと呼ばれる休火山の上に建てられた町グレンタウンはポケモン化石の研究が進んでいることでも有名だが、最も有名なのはポケモン屋敷の存在だろう。
グレンが得意としている化石調査は群を抜いており、それゆえに考古学者にとっての宝庫とも呼ばれている。休火山などの地帯では珍しい化石が発掘されることが多々あるからだ。
ポケモン屋敷には以前ミュウに関する記録が存在していたらしいが、今ではその行方も不明。そもそも誰からもミュウの存在は忘れ去られているこの頃に、そのことを気にする人間もいない。
それもそのはず、なぜならグレンタウンは数年前に起きた突然の火山噴火により町が飲み込まれてしまったのだ。残っているものといえば仮設ポケモンセンターと簡単な宿舎や船のポートくらいである。溶岩のせいで化石の発掘も困難になったために、考古学者たちは町を去り、人も去っていった。
そんなグレンタウンにて、今二人の人間が対峙している。
「はじめまして、といった方がいいかもしれませんね? 私、アサギのミカンと申します」
「これはこれはアサギよりわざわざお出でいただいて」
海から吹いてくる風にミカンの髪がなびく。対する相手にはなびく髪などさっぱり無く、彼のかけるサングラスが奇妙に光る。
そう、ミカンがあいまみえている相手は、ここグレンタウンのジムリーダーを務めるカツラ本人である。
「カツラさんはご隠居中と伺っておりましたが?」
「この町が無くならない限り、わしがここを離れる理由などない」
「そう、ですか……」
「それにしてもお嬢ちゃん、こんなところまで何用かな?」
張り詰めた空気の中で、カツラの言葉は愚問の一言に尽きるだろう。しかしそれが礼儀というものなのか、ミカンは携えた微笑みを崩さない。
「ロケット団に与するお方をそのままにしておくわけにはいきませんから」
「ほう、サカキも可愛らしい敵をつくったものだ」
「行きます!」
鋼タイプの使い手、ミカン。彼女が炎使いのカツラに挑むこと自体無謀かもしれない。だが彼女はダイゴの為、否、世界の為に動いているのだ。
あのダイゴが腹の奥底で真に考えていることは、ミカンにもわからない。だが彼女はダイゴの提唱した志に賛同した者である。それならば彼の作戦に従わなければならない。
例え、今敵対しているカツラが自分よりも遥か高みのトレーナーであってもだ。
「お願い、ハガネール!」
「久しぶりに熱き戦場を駆け抜けるぞ、ウィンディ!!」
本人たちの数倍を優に越すハガネールが、眼下のウィンディを睨みつけながら唸り声をあげる。しかしそんなものに動じず、カツラのウィンディは胸を張ったまま優雅な姿勢を構えたままである。
「一つ聞こうか、アサギのお嬢ちゃん」
「なんでしょう?」
冷や汗が彼女の頬を伝う。
初めて対面するカツラとそのポケモンにミカンはたじろいでいた。数年間のジムリーダーのキャリアを持っている彼女は、改めてカツラという存在がいかにとんでもないかを目の当たりにする。それはウィンディによる熱気のせいなのか、はたまたカツラから漂う威圧感のせいなのか。
「ジョウト風情のジムリーダーが、カントーの者に勝てると思わんことだ」
そしてミカンの視界は、迫り来る灼熱の炎によって遮られてしまうのであった。