IV:オーキド地下研究所
町の人々によって鎮火作業が行われていく中、俺たちはなんとかマサラに唯一存在する診療所へとたどり着いていた。そして案の定、診療所は溢れんばかりの人で押し詰め合っていた。
若い人間があまりいないと言われるマサラでも、小さい子どもはたくさんいる。運悪く、レックウザかあるいは戦闘での攻撃が遊戯場辺りに直撃したのだろう、我が子を抱えて泣き声をあげる親の姿が目に痛い。その原因を作った人間が、ここに、俺の隣りにいるのだ……。
「サトシくん? お、おい、サトシくんだぞ!!」
腕に軽い傷を負った一人の男性が、サトシさんに気がついたように声を高める。それに呼応するかのように、様々な視線がサトシさんを直視する。
「ありがとう、やっぱりこの騒動を止めてくれたのはサトシくんだったんだね!」
「さっき誰かが教えてくれたのよ、サトシくんがやってくれたって」
恐らくアンズのおかげだろう。こういった町の中での情報の伝達率は凄まじい。こんな混乱時に、事態が収拾したという知らせが届いたとしたらその信憑性は高いだろう。
「ありがとう。こんな時にあれだけど、この人を見てもらいたいんだ」
そこで俺は初めて気がついた。ダイゴの顔もリョウ同様に大きく腫れ上がっていたことに。あれは拳で殴らなければできないようなやつだ。
きっとサトシさんがダイゴをこうもおぶってられるのは、自身への気持ちの整理がある程度ついたからなんだろう。そりゃそうだ、俺だって故郷をこんな目に合わされた張本人がいたら……なにをしているのかわからない。でも現にこうやってリョウのことを背負っているのは、気持ちの整理がついているからかもしれない。とても心が強い人だってことがわかる。
「こいつはひどい……。待ってくれ、今じいさんとかけあってくる」
人ごみの中へと潜り込んでいく男性を見送りながらも、俺たちは諦めの色を濃くしていた。サトシさんも俺のじいさんということを知っているかは知らないけど、あの人は患者に優劣をつけることはしない。それにこの忙しさだと会うことも難しいだろう。だとしたら、どうすれば……。
素人目にもこの二人が早急に医療施設の整った場所に連れていかなければならないのはわかる。このマサラはお世辞にも病院という大規模な医院はない。しかしじいさんは、その長年の医者としての功績が認められて診療所にはそぐわない程の機器も導入されている。
だから、とは思ったんだが……これでは無理そうだ。
「どう?」
ふと見れば、アンズが帰ってきていた。息も荒らげていないところを見ると、やっぱりくノ一というか、忍者なんだなと感じてしまう。
俺はただ無言で首を横に振る。
「そう、なんだ……」
一刻を争うことは目に見えていたが、俺とサトシさんがそんなに必死にならないのは、この重傷者二人の死を望んでいるからなのだろうか? 口では必ずそうは言わないだろう。だが、二人の胸中で葛藤するこの妙な気持ちはそれを象徴しているようにしか思えなかった。だから、立ちすくむしかなかった。
「お困りのようですね」
振り返れば、そこにいたのは柔和な笑みを浮かべた一人の中年男性であった。
「あなたは……」
久しい人物を目の当たりにして、でも次の瞬間サトシさんの表情は曇る。一体、誰なんだ?
「お久しぶりです、サトシくん」
「っ……」
視線を嫌そうに背けるサトシさん。でも、この人物からは俺たちに危害を加えそうな雰囲気は感じられない。
「ここではなんです。私に付いてきていただけますか?」
「ああ……」
一言で概するならダンディな風貌をしているその男性は、サトシさんが担いでいるダイゴを運ぶ手助けをしながら俺達を誘導する。
その足先が向かった場所とは……半壊したと思われる宿舎であった。玄関部分が根こそぎもっていかれているのだが、なぜか砕け散った木片の中央にはバーカウンターらしきものが存在していた。一体どうやってこんな状況が生み出されたのはわからない。だが、それほどに先の戦闘の惨状が手に取るようにわかってしまう。
「ここから、降りてきてくれ」
カウンターの中へと案内された俺たち。病人を抱えているのに、こんな場所を通らせようとするのは何か意味があるのか。だが今はこの人を信用するしかない。
俺とアンズは慎重にリョウをカウンター内へと繋がる洞窟へとゆっくりと下ろしていき、すでにもぐりこんだサトシさんたちと合流する。
洞穴のような長い洞窟なのだろうか? 吹き抜けていく風が密閉空間でないことを物語っているが、この香りは潮のにおいだ。海へと出るのか?
吹いていく風に逆らうようにして、俺たちは男の後を付いていく。すると、百メートルかそこらで一つの扉を目の当たりにする。申し訳程度に備え付けられた電灯に照らされたその扉は、簡易なものであり、鍵がしてあっても簡単にノブそのものを取り外せてしまいそうな粗末なものであった。
その中を通っていくと、今度は医薬品の臭いに鼻が麻痺しかける。この人は医療に携わっている人なのかもしれない。
「まだここが存在していたなんて……」
サトシさんの目が見開く。そしてそれは俺もアンズも同じだった。
棚に陳列された数々の脳。その大きさや種類の数から、人間のものではないことがわかる。そう、これはきっとポケモンの脳だ。
普通人間の脳はポケモンのものとくらべて構造が複雑化しており、皺が多いとされている。それは、人間の方が脳を使う表面積の割合が多いために皺が余計にあるということだと聞いたことがある。だが人間より知能の優れているポケモンもいる。そういったポケモンの脳なんて見たことないし、見たくもないが……でもそんなこと関係なく、ここは明らかに異常を逸している。
「君たちも知っているだろう、マサラの悲劇を。オーキド博士の研究成果がここに並んでいるものだ」
そう語りながら、男は部屋の隅にある扉を開けて中へと入っていく。そこはどうやら診療室らしく、綺麗な白いシーツのひかれたベッドが二つ存在していた。それにダイゴとリョウを横たわらせて、男は白衣へと着替えていく。
「悪いが君たちは部屋から出ていってくれ。彼らのことなら私に任せなさい」
言われるがままに俺とアンズは部屋から退出する。そしてサトシさんも無言のまま会釈をし、扉を閉める。彼の一連の動作から、サトシさんはあの男にはどこか後ろめたい気持ちがあるんじゃないだろうか? そんな風に思えて仕方がない。
「大丈夫なんでしょうか?」
アンズの心配をよそに、サトシさんはなにも言う事なく黙ったままだ。
アンズの言う事も正しい、なぜなら俺たちはあの男が誰なのかを知らない。サトシさんが黙って従っていることを、その意味をこちらが勝手に解釈しなければならないのだ。
「サトシさん、教えてください。ここがなんなのか、あの人は誰なのか」
「……そうだな、やっぱり話とかなきゃダメなことだ」
帽子の鍔を目深く被り直して、サトシさんは俺とアンズの方を向く。
「彼はオーキド博士の下で助手をしていた人だよ」
オーキドの助手? つまり、あの事件に関与していたということなのだろうか?
「あの人が協会に捕まることはなかったけど、それでも俺はあの人がオーキド博士の研究に携わっていることは知っていた」
なぜ、どのようにして協会の目を掻い潜ったのかは俺には検討がつかないが、サトシさんの言っていることは事実なのだろう。実質、あの事件で報道された逮捕者はオーキドのみだからだ。
「マサラの悲劇の時、あの人の奥さん……つまりシゲルのお姉さんが殺された。恐らくサカキの差し金だとは思うけど、確証はない」
「そんな……」
口元を手で覆うアンズ。確かに惨い話ではある。だが、ある疑問が脳裏に浮かび上がる。
そう、もしサカキのせいでカントーチャンピオンシゲルのお姉さんが殺されていたとしたら、なぜオーキドは未だにサカキに協力しているのか? はたまた、カントーチャンピオンのシゲル本人がなにも動き出そうとしていないのか? 知らないはずがない……なのに、なぜ?
そこである可能性が生まれ始める。
「サトシさんはもしかして、予知していたんですか」
「可能性としてはな。でも、例えそうなったとしても、俺はシゲルを止めるつもりはない」
もしカントーチャンピオンとその祖父にあたるオーキドが組んでおり、機を伺ってサカキを倒そうと目論んでいるとしたら。そう、そうすれば幾分かの疑問も解消されるが、サトシさんの言うとおり、確証はない。それに、例えそうだとしても、解決される疑問はごく一部のものでしかない。
それに後一つ、説明してもらわなければならないことがある。この施設そのものだ。なんでこんなところが……。
「前に、ケンに教えたと思うんだけど……覚えてるか? お前のお父さんのこと」
「はい」
シロガネヤマの時のことを俺は思い出す。そこでサトシさんは俺の親父に出会っていたことを教えてくれた。そう、なぜ親父がなにもないはずの研究所へと訪れ、サトシさんと対決したのか。
もしかして、これがその答えだっていうのか?
「この場所を、ハヤミさんは知らないと俺は思ってる。あの時、バトルには負けたけどここの存在は守り通すことができたからな」
それでサトシさんはあえて親父に負けたのだろうか? そうだ、いくらなんでも俺の親父がサトシさんに子どものころだったとしても勝てたとは思えない。
「それにハヤミさんには最近、キッサキ神殿で会ったよ」
「え?」
俺はその時の様子を詳しく聞いた。どうやら集団行動をしているということらしい。誰と一緒だったかまではさすがのサトシさんもわからなかったみたいだが。
そして俺たちはサトシさんからこの研究施設がなにを目的としてつくられていたのかを知らされる。そして浮かび上がってくる数々の今までの水ポケモンにまつわる事件の説明がついていった。非人道、ここに極まれりと言っても過言ではないだろう。
まさか、こんな研究を平然とオーキドはやっていたというのか?
「それと、もう一つ……」
サトシさんが指さした方へ俺とアンズは向く。そこには厳重注意と書かれたプレートが貼ってある扉があった。
「ここにはポケ人もいる」
その言葉を俺が理解し、解釈するまでに数秒の時を要した。