III:決着の行方
俺は耳にかけてある端末のチャンネルをサトシさんのと会わせる。すると、向こうの戦闘の音が直に耳に流れ込んでくる。
「サトシさん、聞こえますか」
無言。俺は若干語句を強めながら、サトシさんの名前を今一度叫ぶ。
「ケンか……今は邪魔しないでくれ」
その口調はとても冷静で、いままで一度も聞いたことのないものだった。それほどに、サトシさんは本気なのだろう。なのだろうが、今はそんなことを優先してはいられない。
「聞いてください、サトシさん。今からダウンバーストを起こさせてダイゴとレックウザを地上へと落とします。なので、それの手伝いをお願いしてもいいですか?」
「ダウンバーストか……。考えたな」
「ありがとうございます」
上空へと送っていた視線の向こうで、サトシさんのリザードンが軌道を変更するのを見届けた後、上空では雨雲が発生しかけていた。
しかしながら当然レックウザの特性によって雨雲は離散してしまう。だが、これによりある現象が起ころうとしている。カスミさんのギャラドスはめげずに、何回も【雨乞い】を行使する。曇天と快晴が繰り返し連鎖するという奇妙な現象が起こっている。
サトシさんもそのタイミングに呼応して【火炎放射】をレックウザに放射しながらも、雨雲が発生しようとしている辺り……つまりはレックウザの上空へとめがけて放っている。と、そこで俺はあることに気が付く。それは、リザードンにまたがっているのがサトシさんだけに見えなかった。誰かほかにいる?
脱力しきった姿勢で寄りかかっている者が誰なのかはわからないが、それのせいで若干ではあるが、リザードンの動きが重いのに合点がいった。
「うまくいくかな?」
「うまくいかなきゃ、困るさ」
そう。俺が出した案とはダウンバースト。強いて言うならば局地的なマイクロバーストを起こさせて、無理矢理レックウザを地上へとたたき落とすことだ。
ダウンバーストは局地的に発生する下降気流のことだ。マイクロの場合はマクロよりも威力が強く、たまに起こる飛行機事故の原因がダウンバーストの時もある。いくらレックウザといえど、突然の環境変化には耐えられないだろう。耐えたとしてもダイゴには間違いなくダメージを与えられるはずだ。
アンズの懸念を押しのけるようにして、効果はすぐに現れる。レックウザの長躯が風に煽られて歪み、みるみるうちにバランスを崩しながら地上へと急降下してくる。地面で散らばっている家屋の木材やコンクリートの破片もその風によって吹き飛ばされてお構いなしと俺たちにも襲いかかる。運良くこちらへと傷を負わせるようなものは飛んではこなかった。
「よし、行くぞアンズ!」
「うん! ギャラドスありがとね」
連続で【雨乞い】をしたことによって体力を消耗したであろうギャラドスは息を切らしながら、ゆっくりと海水の中へと浸かっていく。【雨乞い】や【日本晴れ】のような大技はポケモンには堪える。それは、自然の現象を小時間の間でも支配下に置くということに同等するからだ。
しかし今はそのギャラドスが作ってくれたチャンスだ。逃すわけにはいかない。
「ニューラ、頼む!」
「アリアドスお願い!」
地面へと衝突したレックウザは激痛に体をうねらせて、その影響でダイゴは振り落とされている。身動きをしないということは意識を失ったのだろうか? それとも死んでしまったか?
その確認よりも早く、アンズのアリアドスがダイゴを糸でぐるぐる巻きにして拘束してしまう。ほんとなら地面と衝突する前に捕獲したかったが、さすがに間に合わなかった。
「カメックス、【冷凍ビーム】!」
すぐさま駆けつけてきたサトシさんのポケモンもレックウザと地面の間を狙っては身動きを封じようとする。
俺とアンズも続いて、技をかけながらレックウザが起き上がれないようにしていく。口を糸で絡め、全身を氷にて固める。非常にシンプルだが、相手が巨大ゆえにかなりの集中力を有する。それは絶妙なコントロールをしなければならないポケモンもそうであるし、的確な指示を即座に出さなければならないトレーナーにも同じような負担がかかるからだ。
順調にコトは運んだ。それはきっとサトシさんがレックウザの体力を削いでくれていたからであろう。俺はサトシさんの方へと駆け寄ろうとして、足を止めた。
「なっ?!」
サトシさんが担いでいた人物。その姿を見て、俺は絶句した。なんで、あいつが? リョウがこんなところにいるんだよ!?
「ケン、ちょっとこの子を頼めるか?」
「え、あ……」
自分を裏切った、自分の親友の、無惨な姿に……俺は身動きが取れなかった。そう、心の整理がつかなかったのだ。あのハナダで会ったきりだ。そして未だにあいつが俺を裏切ったという現実を、受け入れられなかったのかもしれない。
「ケンくん?」
アンズが咄嗟にサトシさんからリョウの体を預かって、看病を始める。
専門分野ではないにしろ、見るからにリョウの肋骨が折れていることはわかった。服もところどころ千切れ、両拳にいたっては赤くはれ上がっている。かなり血を流したであろうに、それが乾いて衣服がこべりついているのが確認できる。
「俺はダイゴを見てくる。君たちはこの子を頼むよ」
「はい」「……はい」
俺はただじっとリョウを見下ろすだけだった。
「ケンくん、手を貸して!」
「あ、ああ!」
アンズの剣幕に、俺は我に返る。慌てながらリョウの上半身を抱き起こして、応急処置を行う。アリアドスの糸をアンズが絡み取りながら、肋骨の折れた場所へと巻きつけて固定する。
リョウの体は思いのほか細かった。筋肉質という部類には入らなく、いつも飄々としていたリョウだったが、それでも……こんな姿のリョウを見たことなかったからかもしれない。こいつがなにに巻き込まれたかは知らない。だが、もしあいつがあの時使っていたポケモンをもってバトルしていたのだとしたら……。
「ケンくん、どうしたの?」
応急処置を終えながら、表情からアンズが言葉をかけてくる。
「ああ、いや。知り合いだからな」
「え?!」
「サカキ リョウ……俺たちが倒さなきゃならない親玉の息子だよ」
俺の説明にアンズは息を飲む。しかし今更事情を知ったとして、放っておくような性格をアンズはしていない。それは俺も同じだ。
ただ今後こいつに対する処置は変わるかもしれない。このままこんな重要人物を手放しにすることなんてできない。それほどまでに今の俺たちは切羽詰まっているのだ。
アンズも顔は知っているだろう、けどこんなに顔が腫れ上がっていては顔見知りでなければすぐに判別はできないだろう。
「アンズにケン、彼は大丈夫だったか?」
カメックスにダイゴを担がせながら戻ってきたサトシさんはリョウのことをきにかける。俺はサトシさんにも先のような説明をし、それを聞いてサトシさんは考えを巡らせる。
「そうだったのか。でも彼のおかげでダイゴを捕えることができたのも、また事実だ」
「はい。ですが、私にはちょっと気になることがあります」
応急処置を済ませ、リョウを安静させたアンズは一つの懸念を打ち明ける。
「サトシさんが凄腕のトレーナーなのはわかりますし、ダイゴが消耗していたのも納得できます。ですが、あの、なんて言いますか……こんなにあっさりと終わってしまうのかな、と」
アンズの懸念ももっともだった。
だが実際にダイゴは捕縛することに成功したし、レックウザに至っては身動きが取れずおとなしくしている。ダイゴたる男であってもリョウとサトシさん相手には腕が及ばなかったのだと考える方が全うだ。全うなんだ。
それでも、俺たちは疑うことしかできなかった。なぜなら、あのダイゴだ。あのダイゴが考えも無しにカントーまで来て、レックウザで大暴れして、その結末がこういう形で終わってしまうとは誰もが想像にしなかったことだ。
「まだなにか裏がある。そう言いたいのか? でもその前に、リョウを病院……診療所へと連れて行こう。話はそこでしても遅くはない」
「「はい」」
サトシさんの提案に従い、俺はリョウを担いでマサラタウンにある老夫婦が経営している診療所へと向かうことになった。なにを隠そう、その老夫婦が俺の祖父母なのだが今はそのことについて言及している暇はない。
アンズが海辺へと戻り、ギャラドスに待機するように命じて帰ってくるのを確認して、俺たちは移動を行おうとした。しかし、その時急にレックウザの本体が赤く輝き始めたのだ。
「これはっ、くっ!?」
サトシさんが突然地面へと這うようにして姿勢を屈める。それは俺とアンズも咄嗟にそれに倣う。
「ギャアアアアアァァァァ」
怒号染みた雄叫びがマサラタウン全体に響き渡る。レックウザの咆哮は全身を殴りつけるような轟音で、その場でじっとしているのがやっとになる。しかも次の瞬間には、その体は宙へと舞い戻っていた。
そう、【逆鱗】だ。その体から織り成される圧倒的パワーに、アリアドスの糸もカメックスやニューラの氷も赤子の手をひねるようにして打ち砕かれてしまった。
天高くへと消えて行くレックウザ。それは自由を手にしたのか、新たなる復讐を誓うために一時撤退したのかはわからない。だがここにいる誰もが嫌な予感しかしなかったのは、後々明らかとなる。
「仕方ない、とにかく今は急ごう。アンズは町の皆にもう安全だって知らせてきてくれ」
「はい!」
くノ一としての俊敏性は随一であるアンズは瞬く間に俺たちの前から消えていた。恐らく数多くの住民が今後のマサラタウン復旧に勤しむこととなるだろう。それは彼らにマサラの悲劇を回顧させてしまうことになるかもしれない。それを見越してダイゴがマサラを選んでいたとしたら、俺は尚、こいつのことがぶん殴りたくてしょうがなかった。
カンナさん達とも未だに連絡は取れない状況にある。あれから何時間が経過したのか、でもまだ戦いは終わっていないのかもしれない。あるいは、もうすでに決着がついてしまったのかもしれない。
俺はただあの人たちを信じて待つしか他なかったのだ。
その説明を診療所へと向かう道中でサトシさんに話し、カスミさんからの伝言も伝える。
「そうか……。でもカスミたちなら心配ないさ」
「え?」
「俺はカスミのことを信じてるし、なにより実力を知っているからな」
そう言って笑って見せる無邪気にも近いサトシさんの顔は、彼がリーグを制覇してポケモンマスターの称号を勝ち取った時の顔に似ていた。
そうだ、そういえば……。
「サトシさん、しゃべり方変わりましたね」
「え? あ、本当だな。ダイゴにキレたせいで、昔の調子に戻ったのかもしれない」
「それでこそ、俺が憧れたサトシさんですよ」
「そうか、ありがとな」
ダイゴとリョウをお互いに担いだ俺たちは、少しだけ称え合いながら道を急ぐ。夕暮れ時になり、夜の帳が下りようかとしているマサラタウンは水平線へと沈んでいく夕日がきれいに見える。
しかしながら今日は、その光景がどこかとても寂しく、それでいて今までに見た中で一番壮大だった。はたして今夜はゆっくりと眠れるだろうか……? そんなことを俺は友人の軽い体を担ぎながら思うのであった。