I:不動なる者
ホウエンに姿を現した古代ポケモンのグラードンとカイオーガ。ロケット団がその二体の対処に応じる為に、人数を投入するも、事態の沈静化は今のところでは確認できていない。
俺を含めた四人は、今、カイオーガの方で時間稼ぎを行なっていた班と合流を果たすことに成功していた。そう、ロケット団に協力する義理はないが、あのままでは無関係の市民が引き起こされた異常現象と見境の無い暴君によって危険に晒されていた。それを黙って見ているわけにはいかなかった。
そんな俺たちは現在サイユウシティまで来ていた。言ってしまえば敵本拠地のど真ん中なんだが、一度身を潜めるには最適であるとのカンナさんの考えらしい。というか、ここまで来るのに長時間に及ぶ【ダイビング】をしたせいか、未だに耳鳴りが続いているような感覚が残っている。
「とりあえず、どうするかを決めるわよ」
サイユウシティのポケモンリーグの、ここは南方にあたる。そもそも洞窟内ではないため、野生ポケモンと遭遇することもまずないのだが、身を休める家屋がないのがただある不満だろうか。
カンナさんが全員を見渡して、俺たちは黙ってこくりと首を縦に振る。
「事態は収拾してはいませんが、悪化もしていませんね」
エリカさんが首を傾げて、そう溜め息をつく。確かにそうだ。それはつまり、ロケット団も烏合の衆ではないということの証明だろう。だからこそ俺たちはロケット団が到達したあとに離脱できたし、今こうやって何をしなければならないか再認識することができる。
「だったら、後はホウエンの協会に任せてダイゴを追いましょうよ」
そう提言してくるのはカスミさん。彼女の場合は、少なからずとも私情が挟んでの申し出であることは皆が承知していた。だからこそ、その提案を制止しようとする気持ちがあった。しかし、今俺たちがいる状況というのは複雑だ。
「今からダイゴを追ってカントーへと行く。それとも、ホウエンでの事態を解決するか。どっちかやな」
薄いノート型パソコンをいじりながら、マサキさんは頭を掻きむしっている。
「そうなりますね。でもここを離れるわけにもいきません」
そう、カスミさんの言うとおりだ。今、誰にも引っ張られてはいない俺たちがこの後どう進んでいけばいいのかはわからない。だが、それでこそ間違いがないということも言える。
俺たちが選ぶ答えが全ての答えになるからだ。
「ではここで表決を取るのはどうでしょう?」
そう提案してきたミツルさん。しかし、ここでもし皆の中での意見が割れたらそれこそどうすればいいのか余計にわからなくなる。だが、このまま何もしないというわけにもいかない。
「それは、だめ」
と、ここで初めてナツメさんが口を開いた。彼女の一声に、ここにいる全員が彼女一点に集中する。
「今のホウエンはバランスが乱れている。なら、ここを離れるのが一番の最善策」
もっともな意見だ。だが、バランスが崩れているホウエンを見捨てていいのか、俺にはわからなかった。
「ですがここを離れるわけには……」
そしてそれがミツルさんの本音だったのだろう。ナツメさんに対する反論で、その本意が垣間見えた。
「ここにいても私たちができることはなにもない。なら、ダイゴを探すことのほうが一番有意義」
「それもそーだな。ここで指咥えて見てるなんて真似、性に合わないしな」
ナツメさんに賛同するようにカンナさんが腰を上げて尻を叩(はた)く。
「ふふ、ならもう道は示されましたね。結局は私たちも、ジムリーダーであった前に一人の女なのかもしれませんね」
エリカさんが口元を隠しながらそう笑って見せる。その彼女の表情に俺たち男勢三人は、頭の上で疑問符を浮かべるしかなかった。後でアンズに聞いてわかったことだが、女という生き物は見捨てられるということがこの世で一番嫌いらしい。
まあ男の俺としては復讐心を抱くわけでもあるが、女のそれとはくらべものにはならないんだろう。ならないんだろうな……。
「しかしそうなると、移動手段をどうにかせんとあかんな」
「お任せします、マサキさん」
「あー、こういう時の為にわいがおるんやな〜」
ちなみに逃走ルートの確保や連絡・通信の手段を整備してくれたのは全てマサキさんの采配によるものである。今まではダイゴさん……いや、ダイゴの戦略があったからマサキさんの功績は影に埋もれていたけど、ありがたいと実感できる。
話し合いがある程度固まって、皆が談笑を交えるようになった中、俺はアンズと一緒に崖のある方まで歩いて行った。
「なんか、大変なことになってきたね」
「今更だけどな」
「あはは、そうだね」
「それはそうと、いいんだな?」
俺の問いかけに、アンズは振り向いてはにかんでみせる。
風が強く吹く中、彼女の髪はなびいて、その横顔に俺はつい見とれてしまう。
「今更だよね、私もケンくんも」
「……そうなる、か」
「えへへ」
俺もアンズの方へと歩み寄り、二人で広がる海を眺める。すると鼓膜が刻み良いエンジン音を捉える。
「ん?」
「きゃ!」
低空飛行だろうか、俺たちのすぐ傍を一機の小型機が滑空していく。あまり目視できなかったが、俺と、いや俺よりもルカと同年代の少女二人が乗っていたような気がした。
しかし、このご時世あんなもんに乗るのは金持ちの一つの道楽程度にしか俺は捉えていない。いや、それよりも、バカンスで遊びにきた富豪がホウエンの事情を知って逃げていく最中なのか? それなら納得はいくが、それにしても……。
「危なかったね」
「ああ、それにしても……」
「にしても?」
「いや、なんでもない」
乗っていたのが少女二人だったのは気にはなるが、今はそのことについて考察している場合ではない。
「なあアンズ」
「なに?」
「もしこの世界を取り戻すことができたらさ、またアンズに会いに行ったりしてもいいか?」
「え……?」
この戦いが終わったら、きっとアンズはジムリーダーとしての職務を復活することはできない。それは彼女の父親があっち側の人間であるからだ。そしてその場合、例え俺たちがサカキの支配下からこの国を救い出しても多忙な日が続くだろう。
この、国を救い出す……?
「ふふ、そうだね。もしケンくんが私を見つけ出せることができたら、いいよ」
「は? それってどういう」
「おしえなーい」
「おい、待てよアンズ!」
俺の横を通り過ぎていきながらアンズはそう笑顔のまま去っていく。俺は手を伸ばしてアンズに縋ろうとするも、華麗に回避されてしまう。やり場のなくなった手で拳を作り、俺はそのまま額へと当てる。
滲み出てくる汗を拭いながら、アンズの後ろ姿を追う。彼女は他の女性メンバーと話し合いを始めたようだった。ミツルさんはマサキさんと共に難しい顔していろいろ話している。
「出てこい」
俺はニューラ、キュウコン、ケーシィを呼び出す。普段とは違う天候にやっぱりポケモン達は敏感なのか、どこかそわそわとした感じをとっていた。
ニューラはすぐさまに俺の肩へと駆け上がり、キュウコンは膝下の方でうずくまる。ケーシィに至っては未だにお昼寝中のようだ。膝を追って屈み込み、キュウコンの顎下に指を添えて撫でてやる。気持ちよさそうに目を細めるのを確認しながら、ニューラの頬えも指をなぞらせる。
ここまであっというまの駆け足だった。偶然のめぐり合わせなのだろうか。まあ何はともあれ、ここまで俺が来れたのはこいつらのおかげだ。俺個人はどうしようもない役立たずだけど、お前らは俺にとっては必要不可欠なパートナーだよ。
「ケンくん」
「はい、ミツルさん」
俺の方へと駆け寄ってくるミツルさんに、立ち上がりながら答える。
「ケンくんはこれからどうしたい?」
「え、どういうことですか?」
「君は別にダイゴさんとはそんなに因縁がない。だから、君が僕達に付き合う必要もないんだ」
「それがミツルさんの優しさなのはわかります。でもここまで来たら、もうやるしかないでしょ」
「それも、そうだね。ごめん、変なこと言って」
「いいえ」
ミツルさんも俺がそういう答えを出してくるのをわかっていながら質問してきたのだろう。それがミツルさんの優しさだ。こんな状況でも他人に気を配れるミツルさんを俺は素直に尊敬している。俺をハナダを洞窟で助け出してくれた時から、頭があがらない、そんな人だ。
だから俺だったなら、ダイゴに裏切られるよりもミツルさんに裏切られた方がよっぽど堪えることになっただろう。だけど、俺たちの中で一番ショックを受けているのはミツルさん本人であることには変わらない。
俺が一緒にダイゴに復讐しに行くのはアンズの為でもあるし、なによりもミツルさんへの恩返しが一番になるのかもしれない。
「行路が出たで。ポケッチに転送しとくから、確認してくれや」
転送されてきたデータを受け取り、マップを開く。そこにはここサイユウシティからカントーの……ここは、ヤマブキシティか? へと繋がるルートが描かれていた。
どうやら、移動の大部分はポケモン達に頼ることになりそうだな。
「ほな、準備しよか」
マサキさんが腰掛けていた岩から飛び上がる。それに呼応して、他のメンバーも彼を見上げて頷き返す。
「一泡吹かせてあげよーじゃないの」
「……眠い」
「なんだか久しぶりのカントーですわね」
「まっててねサトシ」
「頑張ろうね、ケンくん」
「ああ、もちろんだ」
「まっててください、ダイゴさん」
それぞれに思い思いの決意を口にし、マサキさんが「おっしゃ!」と気合を入れる。
ホウエンを離れるのは忍びない。しかしこうも変わっていく情勢の中、今一番不動なのはやはりサカキ本人であり、それが揺るがないという事実に俺はまだ気がつかないでいた。