X:モモとの契約
「おい、アユミ!?」
地上へと出たキリンではあったが、背負っていたアユミが突如として消えてしまった。恐らくユンゲラーの【テレポート】でどこかへと転移したのだろう。
しかしそんなことよりも重要なのは、なぜ彼女がキリンにあのようなことを言ったかである。
「アユミ!!」
辺りを見回しながら、キリンはアユミの名前を呼び続ける。そう、キリンにとって彼女は心の支えなのだ。何もなかった自分が、ここまでやってこられたのもアユミのおかげなのだから。
同じ孤児院で育った二人は、さほど仲の良かった関係とは言えない。しかし同じスクールに通い、同じ孤児院で過ごすとどうしてもお互いの認識度というものは高まっていく。なぜなら、彼らは家族同然なのだから。別に互いを褒め合ったり、称え合ったり、機嫌を伺ったり等、家族ならばしない。だが、互いを助け合い、喜び合い、支え合う。
いつからか、自然と二人の関係はそうなっていった。口数がさほど多くなくとも、一緒にいることが自然だったのだ。そのアユミと、こんな状況下にもかかわらず二人一緒になった。表には出さなかったが、キリンは内心嬉しかったのだ。
「キリン、落ち着いて」
だんだんと自制できなくなっていくキリンを、背後からモモが落ち着かせようと歩み寄る。
「アユミー!!」
「キリン、落ち着いて」
「アユミ!!」
「キリンっ」
「っせえ!!」
キリンへと伸ばされたモモの腕は、弾かれてしまう。そこには強く濃い拒絶の色が現れている。
「キリン……」
彼は、目の前にしているモモが自分の実の姉だとは知らない。だからこそ、よけいにお互いが抱いている相手への感情というものは真反対の方を向いてしまっている。
「大体なんなんだよ、お前は!」
キリンでもモモがロケット団であることは知っている。そしてゲンと対立したことも。それだけで、もうモモはキリンの敵なのだ。共闘したからと言っても、納得していたのはアユミだけだ。キリンは蚊帳の外で、なにも詳しいことは知らないし、わからない。
なのになれなれしくしてくるモモのことが、キリンは納得いかなかった。
「……やっぱり、何も覚えてないか」
「あ?」
「今はアユミちゃんを探しましょ。彼女のユンゲラーが何回【テレポート】したかは覚えてる?」
焦燥感を露わにするキリンをなだめるように、モモはそう尋ねる。怒りの矛先を、彼の頭を働かせることで逸らしたのだ。
「【テレポート】? それがなんだって……」
「いくら彼女のユンゲラーのレベルが高くても、ポケモンにも越えられない限界がある。見た感じだと、あなたたちは結構な距離を【テレポート】した。その直後なら、そんなに距離を稼ぐこともできない」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。つまりアユミは」
「そうね、まだ近くにいるのかもしれない」
キリンはモモのその声に暫くの間、記憶を掘り返す。
「確か、あれで三回だったはずだ」
「三回も? あなたたちを一緒に?」
「ああ」
それはモモにとっては予想外だった。少なくとも状況判断からして、アユミ達はギラティナの近くで戦闘を行っていたはずだ。それで生身の人間二人を長距離【テレポート】させた上で、それを三回も行使させたアユミ。それほどの危険を冒してまで、彼女はキリンの傍から離れなければならなかった。
そうであるなら、モモはここで更にキリンを追いつめてしまうようなことを言わないでおこうと決めた。ここで姉であると宣言することは、姉であるモモとしてそれはできなかった。そして彼女自身にも、姉としての資格があるのかどうかまだ決断できないでいた。
「やっぱりすごいのね、アユミちゃんは」
感心なのか、呆れてなのか、いやその両方の入り混じったため息をモモはつく。
「でも、うん。たぶん遠くには行ってないわね」
「本当か?」
「ええ、ユンゲラーも結構無理したはずだから。たぶん、アユミちゃんのことだから私たちのことを観察できる場所にいるのかもね」
「なっ……」
そして再びきょろきょろし始めるキリン。確かにあの時のユンゲラーにアユミを連れて【テレポート】で遠くへと転移する程の体力は残されていなかった。
更には、アユミならばキリンの傍から完全に離れるということはないだろうと思ったのだ。その最たる理由は、モモがいるからである。モモという危険、不明因子を残してアユミがキリンを放っていくとは到底思えなかった。
「だからさ、こういうことしたら出てくると思わない」
「は?」
言い寄ってくるモモに、キリンは怪訝そうな表情を向けると、次の瞬間にキリンの視界は上空を向いていた。
「がはっ!?」
地面へと仰向けになるキリンの襟首を組み抑えるモモ。それに反応してサイドンがモモを主人から振り払おうとするが、その間にカメールが割って入る。そしてダークライがサイドンを瞬く間に眠りへと誘ってしまう。
モモの読みが正しければ、アユミは必ず出てくる。そう踏んでいた。
そして彼女の予想が正しいことは、すぐに証明された。
「キリンを放したまえ」
やはり無茶が祟ったのだろう、かなり消耗しきった顔色のアユミが木々の陰から現れてモモに近づいていく。どうやらモモの推測は正しかったらしい。【テレポート】が及ぼす肉体的疲労は、した者にしかわからないであろうが、一番辛いのが移動酔いだ。それは決して慣れるものではなく、体が当然のことながらに拒否反応を起こす事象である。
「キリンを、放せと言っている!」
モモは必至に歩み寄ってくるアユミが愛くるしくてしょうがなかった。こんなにも健気で真摯に弟のことを気にかけてくれる存在がいることに、姉としてどうしようもない嬉しさを感じたのだ。
しかしそうもばかり言ってはいられない。アユミは実際に怒っているし、なにより肉体的にも精神的にもかなり追い詰められている。
「くっ……」
技が完璧に決まり、腕力では勝るキリンがまったくもって身動きができなかった。
「ねえ、アユミちゃん?」
「なんだい」
「取引しましょ?」
「……やっぱり、君は本当に不思議な人だな」
不思議というよりは計り知れないのであろう。冗談を言ってみたつもりのアユミだが、それは皮肉にも聞こえる。しかしそれすらモモにはなんの効力を発揮しなかったみたいだ。というよりも我関せずといった風でもあるが。
「はなせ、こんやろっ!」
体のどこに力を込めてもモモの拘束からは抜けられない。
「ふふ、ありがとっ」
「それで条件はなんだい」
「私を一緒に連れてって。あなたが、ううん、あなたたちがしようとしていることを手伝いたいの」
「それが君にとってなんのメリットも無いように感じるが?」
「そうね、だから条件として、あなたたちの野望が叶ったら一緒にイッシュまで来てもらう」
そのモモの提案に、アユミは眉をしかめる。
「イッシュにかい?」
「ええ」
「ということはやっぱり八柱力に関係があるということだね、イニシャルインシデントを起こすと?」
「ん〜どうだろうね。とりあえず私のクライアントさんは誰かの野望を止める気でいるみたいだけど」
「クライアント、だと?」
モモはすでにロケット団から見放された存在であることはアユミも知っている。だが、モモにクライアントがいることまでは当然知らない。そして彼女が自分をイッシュに連れて行こうとするのであれば、それはもう八柱力関連でしかないのだ。現にモモはアユミが八柱力であるかどうかを確認しにきた。そしてなにより、今でも彼女のクライアントはサカキであるという推測が一番有力だろう。
だが、モモの言葉からしてそうである可能性は極めて低いように思えた。誰かが別にイニシャルインシデントの再来を望んでいる? それともサカキ自身が世界の終わりを望むのにイニシャルインシデントは関係ないのか? そうであるならば、Power and Graceには他の真の目的があるのか?
得られた情報は非常に多い。だからこそいろいろな予測が立てられるが、逆に言えば予測をたくさん立てられてしまうということにつながる。
「まあいろいろと知りたかったら、私も連れて行ってくれるかな?」
「君がゲンとどういった話をしたかはわからないが、どうやら彼も私たちの前に戻ってくることはないらしい」
「大丈夫よ、別に殺したりなんかしてないもの」
「だと、いいけどね」
アユミは一歩ずつモモの方へと近づいていく。その態度は毅然としており、どちらが条件を飲んだ立場であるのかわからなくなるほどだ。そしてモモのような存在であるならば、アユミはもし自分の能力のせいで彼女が巻き込まれようとも心を痛ませることはないという覚悟を決めた。
「おいアユミ! こいつの言うことなんて聞かなくてもいいんだぞ!?」
「わかってるさ。でもね、そういうのは君が言えた口じゃないんだよキリン」
奥歯を強くかみしめる音がキリンから聞こえてくる。それが示唆するのは男としてのプライドが踏みにじられた音なのであろう。
アユミはそんなキリンの男としての部分をきちんと汲んではいる。だが、それ以前に現状が現状なのである。信頼しているキリンだからこそ、こういったやり場のないストレスの捌け口にしてしまう時もあるのだ。
「いいだろう、一緒に来てもらう」
「ありがとう」
「イッシュの件は、ロケット団からこの地方を取り返した後に果たさせてもらう」
「りょうかーい」
笑顔でアユミに答えかけると、モモは技をといてキリンを解放する。両手をパンパンと叩き合わせて、モモは悪戯をして満足げに笑う少年のような表情を見せる。
その無垢で純粋な笑顔に、アユミもキリンも単純に呆気にとられてしまう。そして今まで以上にモモという存在をどうとらえていいのかますますわからなくなるのであった。
「だがその前に、決着をつけないといけない敵がいる」
そう、バッジを集めるのも一つの仕事ではある。だがその前に片をつけないといけない仕事が残っている。そう、ギラティナだ。どうにかしてやぶれた世界へのルートを探し出さないといけない。
「でもそれより前にやらなきゃいけない、仕事があるみたいね」
モモのその一声に、アユミとキリンの間に緊張が走る。
いつの間にであろうか、三人は完全に包囲されていた。特殊なペンダントをつけている謎の集団は、気配も音もなく忽然と姿を現したのだ。そしてアユミはそのペンダントが模したシンボルに心当たりがあった。
「アルセウス、教?」
そう、彼らはアルセウス教の人間であった。しかしながら、なぜ彼らがここに? という疑問に思い至る前にアユミはすでに結論に至っていた。
アルセウス……神である分身のディアルガ、パルキア、そしてギラティナの存在が表世界へと出てきたのだ。彼らが黙っているはずもない。
「いかにも、我々はアルセウス教。そして神に関わりし、禁忌を犯した人間共を粛清する者である!」
グループのリーダーであろう老人のその怒声と同時に、あたりを覆う林の中から一斉にポケモン達が現れるのであった。