VIII:消えた街ヨスガ
電子地図として世間に広く知られ、使われているタウンマップ。無料アプリとして協会側が提供しており、随時衛星を通して反映されており、街の住人にとってもトレーナーにとっても重宝されている情報源である。
だがこの時分、そのタウンマップ上である異変が生じていた。なぜならば、シンオウ地方の全体マップを開いている人たちの視界にヨスガシティの存在がERROR、つまり認識不明として表示されていたからである。
その真意を確かめようにも、協会側がいくらヨスガシティの役所やジムに連絡しても返答はない。それもそのはず、ヨスガシティそのものがすっぽり消えてなくなったからである。ギラティナの技によって生み出された巨大な半円のクレーターが、その事象が事実であることを物語っていた。
そしてそのくり抜かれた大地の中央に、佇むようにしてギラティナが鎮座している。目をつむったまま、微動だにしないのである。
そんなギラティナの姿を、放心状態に陥りかけているアユミとキリンは眺めていた。ちょうど彼らが倒れ込んでいたのは、クレーターの淵近く。もしユンゲラーの【テレポート】の座標がほんの少しでも短かったら、今頃彼らもあの黒い球体に飲み込まれていたことであろう。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫かい、キリン?」
「くっそ……もう、うごけねぇ」
「しかし、一体なにがどうなって」
アユミは遠目ながらにも、ギラティナの姿を確認する。ユンゲラーも相当なショックを受けているのだろう。主人達を救った安堵感以上に、この光景はインパクトがありすぎる。
「なんだい、ユンゲラー?」
しかしながら、ユンゲラーは頭を振って雑念を取り除き主人へと手にしたものを手渡す。その手に握られていたのは収縮されたマスターボールとレリックバッジであった。
辺りにメリッサの姿が確認できないということは、彼女も取り込まれてしまったのであろう。
「ありがとう」
弱弱しくもアユミはユンゲラーの下あごを撫でてやる。甘えるようにして、ユンゲラーも目元を緩める。だが、そんなに和やかに過ごせる時間はない。
アユミは立ち上がり、事象をただただ静観して、頭を回転させる。数分とすれば、確認の為に隣町などや三方向へのびる道路の通行人が、突如として消えたヨスガシティの惨状を目の当たりにすることだろう。そうなってしまう前に、アユミはギラティナをどうにかしなければと思った。だが、なにも有効な手が思い浮かばない。
手持ちのポケモンをぶつけたところで、ギラティナに勝てる保証など微塵もない。奇策や不意打ちなどがまったくもって通じない程の存在……それが神聖視されるポケモンなのであると、アユミは現実の苦渋をかみしめていた。
キリンもゆっくりと上半身を起こして、若干回復してきた体力を頼りに立ち上がる。
「あらあら、大変なことになってるわね」
突如として聞き及ぶ声に、アユミとキリンは勢いよく背後へと振り向く。すると、そこにいたのは桃色の髪を風になびかせていたモモの姿であった。近くにゲンの姿は見当たらない。
「君は……」
「あー待って待って。なにもあなたたちと争おうとしてるわけじゃないわよ? それに、今はこれが先決でしょ……」
語尾を薄れさせながら、モモは真剣な面持ちでギラティナを見つめている。
「あれは、ポケモンなの?」
「……そうだ。ギラティナと言ってね、この世界の裏側に存在しているやぶれた世界、唯一の住人だよ」
「地獄、とは違うみたいね」
「ああ、それにギラティナは神の分身とも言われている」
口笛を吹きながら、モモは関心したように眉を上げる。
「神の怒りに誰か触れちゃったわけね」
「そうだ、ね。しかし、やけに冷静に物事を受け入れられるんだね、君は」
「そりゃ伊達にロケット団の正規団員やってないわよ」
「そうかい。それで、ゲンはどうしたんだい?」
「逃げられたわ。てっきりあなたたちといると思ったんだけど、違うみたいね」
「そうか、安全ならばそれでいい……」
キリンは珍妙な表情でアユミとモモの姿を見守っていた。感情についつい身を任せてしまうキリンにとって、さきほどまで敵対していた相手と肩を並べることなど考えられもしないのだろう。しかし、今はその必要があるのだということを二人を見つめながら感じるのであった。
「にしても、どうやってここまでこれたんだい? 君はただのロケット団員というわけでもなさそうだね」
「ふふふ、言うなれば愛の力ってやつかしら?」
軽くウィンクを飛ばすモモを、アユミは嫌なものを見るかのようにして後ずさる。そしてアユミがモモに対してただものでない雰囲気を感じたのは、彼女の気配の無さにあった。
真後ろまで近づいてきたのに、気付かなかった。しかもあたりは街一つが消えたことによって静まり返っていたのに、その物音にすら気づかなかったのだ。それは彼女がダークライというポケモンを所持していることにも多少は由来しているのだろうか。
「それで。君の言葉を素直に受け取るなら助けてくれるんだろうね?」
「ええ、もちろんよ。本当はこうなってしまう前に事態を把握したかったんだけど、そうも言ってられないしね」
「君、何を言って……」
「さてと、そういえば面白い物を持ってるわね」
「なに?」
モモの視線の先にあったのは、先ほどアユミがユンゲラーから受け取ったボールであった。
「これが、どうかしたのかい? メリッサがギラティナに向けて使おうとしていたのだが」
「それは私たちロケット団が次世代モンスターボールとして開発したマスターボールっていうアイテムよ」
「マスターボール?」
「どんなポケモンでも捕まえてしまう、魔法のボールかしら?」
「なっ……そんなものが? だがそんなボールの記述なんて、データバンクに残っていなかったぞ?!」
「マスターボールには一つの決定的な欠点があるのよ」
「それは?」
「捕まえてしまったポケモンはボールから出てくることができない」
それを聞いてアユミも、そしてキリンも驚きを隠せずに開いた口がふさがらなかった。
そうマスターボールの唯一にして最大の欠陥点はそこにあった。一度ポケモンをボール内へと取り込むと、強力なロックがかかってしまうのだ。それゆえに、100%の捕獲率を誇るがロックの解除ができないのである。それゆえにロケット団は販売を諦め、改善不可能とし、開発手順からすべての工程を踏んだデータを消去したのである。
しかしそんなボールをメリッサが所持していたのにはいくつか疑問が残る。
「ならなぜメリッサはそれを使おうとしたっていうんだ?」
「彼女の目的がなんであったかはわからないけど、マスターボールのロックを解除する方法を知っていたのか。それとも、街がこうなるのを予期して阻止しようとしていたのか、かな?」
アユミは、だがそんな殊勝なことをあのメリッサが考えているとは思えなかった。しかしその話を聞いて、アユミは手に握るマスターボールを眺めた。
「それしか手はないみたいね?」
「そう、だね。これしかないみたいだ」
「なら協力しましょ?」
「君の腹の奥底がどうなっているか、これが終わったらじっくりと見させてもらおうか」
「あら、いいわよ。そこの彼も交えてね?」
にっこりと笑うモモに、キリンは怖気を感じてしまうが、だがそれでも彼女のことを否定することができなかった。
「ダークライ、カメール、行くわよ」
彼女のボールから出現したのは、二人の記憶に新しいポケモン二体。彼らがアユミやキリンのどのポケモンよりも高い戦闘能力を誇っているのは言わずもがな……モモは右人差し指と中指を合わせて、それを額あたりで軽く振って合図を送るとクレーターを勢いよく駆け下りていく。
すると、ダークライは視界から消え、カメールは前方へと【冷凍ビーム】を放射し始める。モモは軽くジャンプしてカメールの腹の上に乗っかり、カメールは甲羅を出来上がった氷に滑らせる。まるでスケーティングでもするかの容量で、モモはカメールの甲羅を使ってどんどん街の中心部へと近づいていく。カメールは器用に頭を逆さにしながらも、【冷凍ビーム】を放ち続ける。
ギラティナまでの距離はおよそ10qはあるだろうか? しかしクレーターの勾配を利用していくモモの姿はみるみる小さくなっていく。
「キリン、行くよ!」
「しゃーねぇ。頼むぞキリンリキ」
アユミはピジョットに掴まり、キリンはキリンリキへと跨ってモモの後を追う。
近づいてくる気配を勘付いてか、アユミの遠目にはギラティナがかすかにだが動いたように感じた。だが、距離は依然あるためにそうも言えない。
最高マッハ2を出せるといわれるピジョットならばものの十数秒でギラティナへと接触はできるだろう。しかしながらアユミを掴んでとなると、そこまでのスピードは出せない。しかしそれでも容易にモモのカメールと速度を合わせることができた。
「それじゃ、私が気を引くから、ボールお願いね」
「わかった、だが気を付けたまえよ。少なくとも、黒い球には気をつけるんだ」
「ありがと、ねっ」
それを合図にアユミは再度ピジョットの飛翔と共にギラティナの上空へと位置付く。
『ふむ、ここまでしてもまだ小うるさいか』
直接脳に届くギラティナの声に、アユミは顔をしかめるも更に接近していく。
ギロリ、とギラティナが目を向けるのはモモの姿であり、そこから視線を外そうとはしない。
『こうも我に近い存在の人間がいようとはな。これもまた一興というやつか』
ギラティナの言っていることを理解できないものの、アユミにとってそれは好都合であった。モモがギラティナの注意を引いている中、マスターボールを当てさせるのがたやすくなるからだ。
「私もすごいのに好かれちゃったね。これも魅力の内なのかな?」
嬉しそうにモモは微笑みながら、ギラティナへとどんどん近づいていく。もはや首を上に傾げなければ、ギラティナの全貌を視界へとおさめられないほどだ。
するとモモの周辺にヨスガシティそのものを飲み込んだ黒い円球が生じ始めた。しかし一つ一つの直径はさきほどのよりは短かく、数も少なかった。
それを見下ろしながら、アユミはギラティナの様子の変貌を察知した。力を使いすぎたのだろうか? だが神である以上に侮れない。そんな疑問が生まれては離れず、確定しないが為に判断しかねた。
しかしながらギラティナは明らかに力が制御されていた。それは力を使いすぎたというよりは、力を行使した後処理のせいで体があまり言うことを聞かないかのように。
「今がチャンスよ、ダークライ!」
ダークライが【ダークホール】をギラティナの真下へと展開し、身動きを取れなくさせる。それを機にアユミはマスターボールを拡大させて、狙いを定める。
ギラティナの用いている【シャドーダイブ】の派生形である黒い球体は、そのままやぶれた世界へのゲートともなっている。つまり、この世界で消えたものがすべてやぶれた世界へと転移されたということになる。表の世界に出たことで、ギラティナが本来の役目である表と裏の世界の支柱としての力を取り戻したのだ。
だが本人ですらその力の制約に気が付いていなかった。転移させることは容易ではある。だがやぶれた世界へと転移されたものの容量が大きければ大きいほど、複雑であれば複雑であるほどに、時空のラグがギラティナ自身を蝕んでいるのである。つまりやぶれた世界に転移してきたものを構築する時間と空間の膨大な情報量が、表の世界にでディアルガとパルキアが干渉しないが為に、ギラティナにかかる負担が莫大なのである。
ヨスガシティに加えて、生身の人間とポケモンが一度に移動するにかかる時空の障壁。それが、ギラティナの表の世界で行使した最初で最後の神としての力だったのかもしれない。
「行け!」
投擲されたマスターボールは緩やかな放物線を描きながらギラティナへと向かっていくのであった。