VII:メリッサの野望
瞬く間として人々が消失した為に、あたりはまたもや完全なる静寂に包まれることとなる。宙へと放り投げられたアユミ達は、ユンゲラーの【テレポート】によって無事地面へと転移することができたのだが……。
「キリン、キリン……スズナが……」
キリンの服にしがみついたままアユミはただスズナの名を連呼した。それを優しくキリンが頭を撫でてやるも、彼の心境も穏やかなものではない。そう、キリンはまたもや悲愴なアユミの姿を目の当たりにしたのだ。
「おい、ギラティナ」
『なんだ人間』
「よくも、アユミを……」
『何を言うか。ただ単に邪魔者を排除しただけではないか、何を憂うことがある』
「なん、だと」
ギラティナの言っていることが理解できないのか、キリンは怒りをあらわにしていく。
『アユミは我が姿を見た人間共の根絶を覚悟した。それに応えるのが従獣としての役割であろう?」
「てめぇ!!」
『このような些事に気を取られているような、アユミではあるまいて。そうでなければ我が主としての器を疑うことになろう?』
耳をふさごうとも流れてくるその言葉にアユミは脅えながらも、それでもなんとか立ち上がる。
『しかして、我を縛るボールは砕けた。故に我を抑えるものなし』
ギラティナのその一言にアユミもキリンも耳を疑(うたぐ)った。そう、そもそもスズナが放り上げてくれなければ、アユミ達も共に飲み込まれていた。つまり、あの時点ですでにギラティナは反旗を翻していたのだ。
『さらばだ、人間よ。我をあの忌まわしき世界から連れ出したこと、誉(ほま)れとして誇るが良い』
「Wait a minute」
気分は上々なのであろう。ギラティナにそういった概念があるかは定かではないが、声のトーンや笑い声を発しているところから察するに、頂点を極めんとするポケモンにとって人の感情というのもまた余興の一つでしかないのだろう。
アユミ達の事情などまったくもって知り得ないメリッサは、漂う不穏な雰囲気など意にも介さずギラティナへと詰め寄る。
『この格好は目立っていかんな。かしましい連中ばかりだ……』
「You’re not going anywhere」
フワライドに掴まりながらメリッサはギラティナの頭上まで飛び、行く手を阻む。ギラティナの思念はメリッサには流れてこないのだろう。
『退け、人間。加うるに、我が頭上に立つとは……身の程をわきまえよ』
「Go. 【Shadow Ball】!」
フワライドの頭上にて形成された【シャドーボール】が容赦なくギラティナの顔面へと直撃し、煤煙が上がる。メリッサはしてやったりといった風に見えるが、さきほどのゲンガーですら手出しできなかった相手である。それともこのフワライドにはなにかがあるのか?
『ハッハッハ!!』
メリッサの攻撃によってギラティナは、今までに無い笑声を上げた。それは畏怖をばらまく、狂喜に満ちた豪快な雄叫びにも近い。そして頭の中で響いていた声は、どうやらメリッサにも届けられたらしい。
『そうだな、これが痛みというやつだ!』
痛みという感覚。それがどんなものであったかすら、ギラティナは覚えていなかったのだろう。
「What the...」
そしてなによりメリッサ自身が驚いていたのは、ギラティナにかすり傷すら負わせることが叶わなかったという事実であった。ギラティナははっきりと痛みを訴えたが、しかしあのような高揚状態ではその言質すら疑わしい。
舌打ちと共にフワライドに再度命令を与えようとするメリッサ。しかしフワライドは先ほどのように機敏に動くことはなかった。力を使い果たしているのかどうかすら、地にいるアユミ達はわからない。だが、しっかりとある異変には勘付いていた。
それはギラティナからではなく、この街全体から感じるものであった。
「おいおい、冗談じゃねーぞ……」
キリンがアユミを背中へと担ぎながら、彼女のユンゲラーと共に駆け足で移動を開始する。
そう、キリンが目の当たりにしたのはヨスガシティのありとあらゆる所に建つ建物からぞろぞろと先ほどのように操られた人々やポケモンが登場する光景だった。
「ぐっ!」
なんとか人々の手から逃れようと、人のいないスペースを掻い潜ろうとするが圧倒的な数に行く手を阻まれる。しかしながら、彼らはキリンやアユミをターゲットとして見てはいなかった。
そう、彼らが向かっているのはギラティナ。メリッサはこのヨスガ全体の人間を総動員してギラティナを捕獲しようとしているのであった。
「Target is Giratina!」
フワライドはゆっくりとギラティナから遠ざかり、メリッサは眼下にて広がる自分のつくりだした軍勢に指示を出していく。狙うはギラティナである、と。
「Present. ARMS!」
その命令を聞き入れ、市内の人たちが次々とボールを取り出してポケモンを呼び寄せる。その数はみるみる内に増えていき、戦力が拡大していく。
『なんという場景か!』
ギラティナは迫りし人の群れに、嬉々として受け入れようとしているのか。技を行使することもなく、ただただその大勢を見下ろしている。
「FIRE!!」
その一声で、大群と化した人とポケモン達は一斉にギラティナへと矛先を定めて攻撃を開始した。大部分が中・遠距離からの特殊攻撃。そして肉弾戦に特化したポケモン達がその中を突っ走り、ギラティナの脚部へと猛攻撃をかけていく。
弾け、爆ぜる攻撃の嵐によって生まれる爆炎の光が、メリッサの横顔を照らしつける。その表情にはギラティナとは違った、狂いの色が垣間見える。
メリッサはこの国の人間ではない。本来はマインドセラピストとして活躍していた彼女なのだが、その実態がゴーストタイプポケモンによる暗示やマインドコントロールという類であることが発覚、裁判沙汰にまで陥った。それから逃れるようにして、彼女はこの国へと渡航してきたのだ。
持ち合わせもあまりなく、言語があまり通じない中で職を探すのは困難であった。だがそんな時、彼女はシンオウにてとあるイベントを目撃する。そう、ポケモンコンテストである。メリッサはこの舞台が使えるとすぐに思い至った。
マインドコントロールという技巧は習得するには、独自の研究と鍛錬が必要となる。その実績を持ち合わせているメリッサにとってコンテストで勝ちあがることは容易ではなかったが、それでもその力量で優勝を勝ち取っていった。珍しい外国人の活躍によって、ヨスガシティでメリッサの存在は遅くはあるものの知られていくようになった。
舞台へとあがれる回数も増えていき、それと共にメリッサは自身の計画を実行段階へと移していった。そしてトップコーディネータとしての頭角を露わにし始めた時に、協会からのお目がかかったのだ。メリッサは誰にも気づかれないようにして、協会からのスカウトや審査員をマインドコントロール下に自身をヨスガシティのジムリーダーとしてのポジションを獲得するに至ったのである。
それからことは簡単だった。コンテストを開くたび、そこにいる人間すべてに術をかけ、次第に駒の数を増やしていった。そんな中でメリッサがジムリーダーとしての業務を半ば放棄していたのは、街以外の人間と触れ合うことを避けるためにあった。そしてジムリーダーであるが為に得られる特権で活用していた協会の図書館にて興味深い文献を見つけたからである。
そう、今彼女が戦いを挑んでいるギラティナの存在である。
メリッサはヨスガシティを我が物にしたように、非常に独占欲が強い人間だ。そんな彼女が注目したのがギラティナが住むとされているやぶれた世界の存在にあった。それを手に入れる為に、彼女はマスターボールですら入手することにまで至り、日々戦力をかき集めていたのだが、まさか本人もギラティナが街に現れることまでは予測していなかった。
「Go. go. go!!」
追撃による追撃、降りやまない攻撃の波にギラティナの姿は完全に飲み込まれてしまっている。
「くそが!!」
キリンはアユミを抱えたままにギラティナから距離を取る。
「キリン、すまない」
「いいんだよ、黙ってろ!」
「すまない、私は、また……」
「んなことより、お前が考えなきゃなんねーことを考えろ!」
「……ああ、そうだね」
後ろを振り向かなくともキリンにはいかにすさまじい戦闘が、しかも一方的な攻撃が行われているかヒシヒシと感じることができた。そしてキリンを通り過ぎていく、無感情の人やポケモンの顔を追い越す度に胸の奥底が嫌悪感で膨れ上がっていた。
『刺激的なものだな、痛みというのは!!』
「Oh my...」
しかしながらギラティナの思念は未だに流れ込んできた。それが意味するのは、ギラティナが健在であるという揺るがない事実である。
『こちらからも礼を尽くさねばなるまい!』
「What the hell is going on...」
当惑しきっているメリッサをアユミは見上げながら、ユンゲラーへと目配せする。
「ユンゲラー」
彼女のパートナーは、こくりと頷きそのまま【テレポート】して消えてしまう。
「おいアユミ、どうするんだ?」
「とりあえずこのままヨスガシティを抜け出そう。行けるかい?」
「任せとけ」
「頼もしいな、君は」
そうキリンへの賛辞を述べると、アユミはメリッサを視界へと捉え続けた。すると、上空に形成される球体をアユミは視認する。それがギラティナの技によるものだとわかるには数秒もかからなかった。
空中にて出現する黒球が、瞬きをすると同時に消失し、そこにあったものがすっぽりと消えてしまう。
「気をつけたまえよ、キリン!」
「おいおい、マジかよ!」
キリンもそれを目撃したのだろう。街全体を覆うようにして発生する球を警戒しながら、キリンは逃げ惑う。
「Shit!」
悪態をつくメリッサからも、彼女の思惑通りにコトが運ばなかったことに苛立っているのだろう。そして上空にまでギラティナの技が行使されはじめたために、フワライドは更にどんどん街から逃れるように動きはじめる。
その間、暗示が解かれていない住人達は止むことなく攻撃をし続ける。しかし次々と黒い球体に飲み込まれて、存在ごと消失していく。そう、跡形もなく消え去っていく。
「今だ、ユンゲラー!」
次第に数が増えていく黒球は、ついには空白を残すことなく溢れはじめていた。そのタイミングを見計らって、ユンゲラーへと合図が送られる。
ユンゲラーはメリッサのフワライドへと取りつき、【泥棒】を行使し彼女からジムバッジをくすね取る。そして任務を終えたユンゲラーはそのままアユミ達の傍へと転移し、そして……。
ヨスガシティが無数の黒い円球に飲み込まれ、地図上からその姿を消すのにはものの一分もかからなかった。