IV:やぶれた世界
アユミは金剛珠と白珠の粉々になった破片を鷲掴み、それを祭壇中央部へと持っていく。彼女のあとを追うように残りの二人も付いていくが、表情はどこか怪訝そうだ。徐々に、アユミの掌中に握られた二珠の破片同士が光を放ち始めた。それをごく当然の結果と知ってるかの如く、アユミは歩を弱めず、むしろ確信に至ったかのような笑みを浮かべた。
「お、おい、アユミ!」
「しっかりと傍にいたまえよ」
渾身の一振りをもって、アユミは祭壇上に握られた破片をぶちまけた。それらは光り輝きながら落ちていき、その色はまるで白金のようであった。
その光景に捉われていると、突如としてアユミ、キリン、そしてスズナの足元で黒い円が広がりつつあった。そう、破れた世界への入り口である。別名、反転世界とも言われるそこは、昔、神によりギラティナが送り込まれた世界である。
その入り口は深淵なる闇に包まれており、彼女らはどんどん底なし沼に沈んでいくようにして消えていく。そう、これこそがアユミが知り得た入口への手段だったのだ。
「うおっ、ぬけねーぞ!?」
必死にもがきながらキリンが慌てふためき、それが伝染してスズナもあたふたし始める。
「二人とも落ち着きたまえ」
そんなやかましい二人を静止させて、アユミは腰に両手を置いて満足気な表情を浮かべる。破れた世界への行き方には少ないながらにも諸説存在しており、しかしそのどれもがリスキーなものとなっている。
その中の一つに幻の国宝ともいわれる、金剛珠と白珠がこうやって粉々にし、合わせるというものだ。それは国宝を失うというリスクから成立するものであり、過去に試されたことはなかったが、どうやら成功しているらしい。そしてそれが巧妙に仕組まれた罠であることにもアユミは薄々気が付いていたのだろう。それでも彼女にとって、これはまたとないチャンスでもあった。
「な、なにが起きるっていうのよ!!」
両拳を天へと高くあげながら、スズナは不平不満を喚き散らしてそのまま頭部のてっぺんが闇の中へと消える。
「だから静かにしたらどうだい……」
今から起こるであろう事象ですでに頭を悩ませるアユミは、いらぬ人選をしてしまったのか少し後悔するのであった。
三人が黒い円から降り立った場所、それは奇妙な場所であった。豪華絢爛といえるほどに、透き通ったクリスタルのような淡い水色の壁が彼らをかこっていた。内壁にはいくつもの色を併せ持ったガラスが宛がえられ、彼らがここへと飛ばされる前に存在していた祭壇は埃一つないまでにピカピカな大理石によって研磨されていた。まるで先ほどまでいた場所が鏡によって反転してしまい、いくつもの時間を遡ったかのような光景であったのだ。
呆気にとられる二人を放置し、アユミは現状の確認だけを済ませると背後に構えた大扉から外へと赴く。
「これは……」
彼女が見たものとは古代シンオウ時代そのものだった。つまり、アルセウス教が最も栄えていた時代の建物が列挙し、どの建造物をとってしても貴重な文化財とも言えるものばかりが、あまりにも不規則的な建ち方をしていた。
横たわっているものもあれば、逆さまになっているようなもの、そして良く目を凝らせば地面までもが360度様々な角度をなしていることが確認できる。
だがその巧妙な地形の入り組みようは、決して解き明かすことができないだろう。それほどまでに奇怪であるのだ。
「おいおい、なんだよここ……」
「目がおかしくなりそう」
初めて目にするであろう特異稀なる世界に、キリンもスズナも困惑を隠せずにいた。それよりも周りの異様な風景に頭が狂いそうになる。
「そういった時は地面をみつめていたほうがいい」
アユミはそうアドバイスしながら、一人歩き出す。
「あ、おいアユミ!」
彼女はあたりを観察しながら、自分たちが立っている場所がキッサキ神殿であることに気が付く。当初は立派な建造物であったのだろう、外観は高く聳え、今のような外壁が存在していない。それほど歩いていないのに、やりのはしらとキッサキ神殿が隣り合わせになるようになっている。
そして数歩進んだところで、地は途切れていた。手を伸ばしたら上下逆に伸びている大地へと触れることができるといったように、方向感覚も平衡感覚もすべてが理解していても狂いそうになってしまう。
「どうやって移動すんだよ……ってか、どうしていきなりあんなのが出てきたんだ?」
「そうだよ、いきなり引きずり込まれて……」
キリンとスズナの疑問はもっともである。アユミは説明なしに二人をここまで連れてきたのだ。そういうアユミも飲み込まれるがままにこの世界へと連れてこられたのだが、説明する必要性はあるだろう。
「ここはギラティナが住む破れた世界。アルセウス教の神話についてはスズナは知っているね?」
「それは、まあ知ってるけど」
「時間を司るディアルガ、空間を司るパルキア。そしてその両方に縛られない存在、ギラティナ。彼ら三体が神アルセウスの分身であることが伝承に残されている」
統制と秩序ゆえに生まれし混沌と歪曲した世界。ここ破れた世界は、現世の逆の位置に存在すると言われる。だが決して天国と地獄といったような関係性にはない。
「ギラティナは神によって追放された身。歴史から排除された存在だ」
「そんなやつと会うって言うのかよ」
「アルセウス教は当時から真理というものがわかっていたのだろうね。パパが記した真実と反真実、その謎も恐らくはアルセウス教が説いたものなのだろう。ギラティナはこの世界から現世を常に見守っている存在だ。だからこそ、もしギラティナと話し合えるのなら……私は、きっと自分の力がなんなのかわかるような気がするんだ」
アユミがここに訪れたい第一の理由はそこにある。自分が八柱力と知り、しかしなにが自分の能力なのかわからないのだ。今までに様々な知識を蓄えてきたアユミにとって自分がなんなのかという疑問は未だ解けずにいた。
「自分の力?」
スズナは疑問符を頭上に浮かべながらアユミのことを凝視する。
「言っただろう、八柱力のことだよ」
「ああ、なるほどね。ここにいればアユミちゃんの能力がわかるってことなんだ」
「まあ、そうなることを祈るよ」
そうして頭を上へとあげるアユミ。それにつられて二人も同じ方角へと視線を向ける。はたして上空と呼べるのか、ある程度開けた空間にソレはいた。
ダークライの時にみかけた黒闇の霧状なものとは違った、異質な闇。いや、影をまとったといった方がいいのかもしれない。初めてその姿を確認した三人は、それがギラティナであることを本能的に察知した。茫然と眺めることしかできない、固唾を飲むことしかできない程の状況に彼らは陥っていたのだ。
『良く参られた人間』
頭へと直接流れてくるかのような声がアユミ達の中で響く。まるで声によって身動きを封じられているかのように、その物自体によって体を拘束されてしまったかのような錯覚に三人は苛まれることとなる。ギラティナはゆっくりと空間を漂いながら、アユミ、キリン、スズナへと目配せする。
『主らのことは見させてもらっていた。特に汝はな、他の人間とは違うゆえに』
ギラティナの両眼が定めるのはアユミ。彼女は毅然と振る舞おうとしたが、勝手に頬を汗がかけぬける。俄かに、手足の先は冷えはじめているようにも感じた。
しかしギラティナが彼らに危害を加えようとする気配は皆無であった。それよりも、むしろ歓迎されているようにも感じ取れるが、圧倒的な威圧感にはたじろいでしまう。
「私に似た人間が他にもいることも知っているのだろう?」
『うむ、汝に似る人間を後六つ……確認できような。そして異質なる汚れた存在が一つ』
「異質なる、汚れた存在……?」
『ポケモンと人間の間にて命を受けし、呪われた一族よ』
そうギラティナが口にするのはポケ人であろう。そうアユミは判断した。
『我は今とても愉快であるぞ。あの時空を司る番人共が現れないとあっては、ここで身を潜める必要もないのだからな』
「一つ、教えてもらえないかな?」
『良かろう良かろう。なんでも聞くがよい、我が知らぬ世界の理など存在しないのだからな』
「八柱力である私は一体なんの力を得ているのだい?」
後ろでキリンとスズナが見守る中、アユミは単刀直入にそう尋ねた。
『ふむ、人間は選ばれし八人をそう名付けるのか。汝の力は【飲み込む】だ』
その言葉を聞いたときのアユミは自嘲的な笑みを浮かべた。それはつまり、彼女が得意としていた知識の収集や記憶力が彼女の努力のたまものではないことを意味していたからだ。【飲み込む】という八柱力の能力があるからこそ、アユミは一目置かれた優等生でいられたということだ。
『己を拾った者にその力を見破られ、捨てられた憐れな小娘よ』
「なっ……」
そこで明かされた真実に、アユミは言葉を無くした。
『では、今度は我がうぬらにお願いをしよう。どうしても生身の人間に頼みたいことがあってな』
しかしギラティナのような存在にはアユミの心情は理解できないであろう。淡々と久しぶりの会話相手に胸躍らせているようにしか見えない。
『我を外の世界へと連れて行け』
「は?」
ギラティナから発せられたその提案に、キリンが真っ先に反応した。
「ちょ、ちょっと、待てよ。あんたはここの番人とかじゃないのか?」
『勝手に閉じ込められた、我にとっては意味のない世界だ。この体もここのせいで変容してしまった』
「つまり、晴れて自由の身になるってことか?」
『そうなるな。しかして、うぬらも酔狂な人間だ。あえてこの地へと訪れたのだから』
アユミはキリンがギラティナの相手をしている間に自分を落ち着かせ、なんとか平常心を保つことに専念できるようになっていた。
「そうだね、ここの世界に興味があったのと、是非ともあなたに会いたかったからかな」
普段ならば君、と呼ぶアユミがギラティナ相手にあなたと用いたのはせめてもの礼儀なのだろう。彼女はボールを一つギラティナの前へと向ける。
「ちょ、ア、アユミちゃん?!」
スズナがとたんに声を荒げる。それもそうだ、なぜならアユミはこのギラティナをボールへと収めようとしているのだから。それをじーっと眺めていたギラティナは表情は変えないが、言葉には明らかなる嬉々を含めていた。
『ハッハッハ、初めて出会う人間が、こうも面白い生き物だとは。やはり外の世界は素晴らしいものなのだな』
その回答に三人は張りつめていた緊張感を緩めることが可能となった。
「それじゃあ?」
『うむ、よかろう。人間が構築せし社会という偽自然が生み出したその珍妙な機械、それに入ってやる。存分に我を楽しませろ、人間よ』
「あいにくだけど、私の名前はカンバル アユミだ」
『アユミか。しかと胸にその名刻もうぞ。我を飽きさせるな』
「努力するさ」
そう宣言したアユミに、ギラティナはその大きな頭を近寄らせる。腕を精一杯伸ばして、彼女のモンスターボールがギラティナの鼻先へと触れる。
無事にボールへと収容され、さきほどまで威圧感を放っていた存在がいなくなったことで三人は安堵感をあらわにして向き合う。
「しかし、まさかギラティナを仲間にするなんてな」
「びっくりだよ! はあ〜、襲われるかと思った……」
キリンとスズナがそう茶化す間、アユミはぎゅっとその手のボールを握り、しまう。
「さあ、戻ろう。まだまだやることは残っているよ」
「ああ、そうだな」
「うん、わかった」
こうして三人は神殿内へと戻り、元来たようにして黒い円の中へと消えていくのであった。