II:脱出2
凍える地面に倒れ伏しているのは数十にものぼる人の集い。彼らはダークライの技により、昏睡状態へと陥ってしまったのだ。その中で立っているのは四人の人間と彼らのポケモン達。
アユミはただ一直線にモモを見据えていた。彼女の全身から漂う黒いオーラ。雰囲気などではない、ちゃんと視認できるのだ。彼女の伸びた桃色の髪が、ゆらゆらと立ち込める黒い粒子の中で揺らめいているのは、どこか恐怖心をかきたてるのだ
。
「おいおい、冗談だろ」
ゲンがモモを直視しながら、そう口ごもる。
「驚かせちゃった?」
はにかんでみせるモモであるが、そこにかわいらしさは存在しない。キリンもわけがわからないと言ったように、表情を固まらせたまま動かない。
「でも、今は逃げることに専念しよっか」
モモの言っていることは正論ではある。ではあるが、それ以上にアユミ達の中でモモの存在は、真逆の方向に肥大化していった。このまま付いて行っていいのか段々とわからなくなってきたのだ。
「お前が逃走経路を確保してくれたのは礼を言おう、だが、俺たちはお前には付いては行けない」
立ちはだかるように、ゲンがモモの前でそう宣言する。
「え?」
アユミとキリンを自分の背中に隠すようにして、手で二人になにかを合図する。その指示を受け取り、アユミはゆっくりとガブリアスへと振り向く。
「行けるかい?」
「ガブっ」
「そうか、いい子だ」
ガブリアスの首筋を撫でてやりながら、アユミはキリンの裾を握って傍に引き寄せる。
「ガブリアスに乗って逃げるよ」
「なに言ってんだ、こっちにはジムリーダーのポケモンが」
「なら早くその女を起こしたらどうだい」
「は? いやいや、どうすんだよ」
「こうだよ!」
パーン! と、アユミの右手がスズナの左頬に炸裂した。
「おい!」
キリンがそこで声を上げるが、アユミのビンタは効力を発揮したのか、スズナは突然の衝撃に目を覚ました。
「こ、ここは……?」
「君はキッサキジムリーダーのスズナだね」
「え、き、君は?」
「今は私が質問しているのだよ」
えらい形相で睨まれて、スズナはたじろぐも今は逃げ場がない。とりあえず見ず知らずの少女にこくこくと首を縦に振って頷くことしかできなかった。
「いいからとっととポケモンをしまうんだ」
「え? あ、ユキメノコ、マニューラ!」
「さっさとしたまえ」
「は、はい!」
時は一刻を争う。早く、このモモという人物から離れなければならないのだ。なにかおぞましい空気を漂わせる、この女から。そしてアユミがそう感じているのは、モモが記録上KIAとなっているのにこうやってこの場にいるという事実を目の当た
りにしているからだ。それに加えて、モモが先ほど見せた謎の現象。
当のモモはゲンに拒絶されたことを、未だに理解していないようだった。時間が経つにつれて、その意味が浸透してきたモモは後ろの方でいろいろと動きはじめたアユミとキリンをじっと眺めていた。
しかしゲンのせいで、詳しくは見えない。
「なんで? だって、今から一緒に……」
「一緒に、ができないからだ」
「え?」
「お前は俺たちが思っている以上に恐ろしい存在だ」
「え、だって、これはね? ダークライにお願いして」
「そんなことは聞いてない。感謝はしている。だが、それもここまでだ」
モモの必死な弁明にもゲンは聞く耳を持とうとはしなかった。ゲン自身も危惧していたのだ。得体のしれないこの女を。
アユミは、スズナがボールにポケモンを戻し、キリンも同じようにキリンリキとサイドンを回収したところでガブリアスに捕まるように促す。
「いいかい、舌を噛まないようにするのだよ」
「了解」
「わかりました……」
三人を背中の鰭(ひれ)に捕まらせたガブリアスは、姿勢を低く保ち後方に聳(そび)える、キッサキ神殿を内部に秘めた山を望む。
「おいおいまさか……」
「う、ウソでしょ?」
「まあ、こうなるんだろうとは思ってはいたけどね」
キリンとスズナはガブリアスがやらんとしていることに絶句し、当のアユミは予感が的中したことに、自分自身にため息をつくように嘆息した。
「ちょっと、ちょっと待ってよ!」
そしてそれはモモにも分かることでもあった。三人がここから去ろうとしていること、ゲンがその為の足止めをしようとしていること、更にはキリンがここからいなくなってしまうということ。
モモの目的は八柱力のアユミをイッシュへと連れて行くことである。それすらも達成できず、生き別れた弟ともまた離れ離れになってしまう。それはなんとしてでも避けなければならない。だが、キリンの前で流血沙汰を起こしたくなかったし、
そういった姿を見せたくなかった。
ダークライを使うことに躊躇していた。なぜならそれはモモの闇そのものであるから。だが、彼らを……いいや、キリンを救うにはそれしかなかったのだ。なのに、だったはずなのに、完全な拒絶をモモは受けていた。
「行け、ガブリアス!」
ゲンの恫喝にも似た大声に、ガブリアスは一気に上空へと飛躍して断崖の斜面を軽いステップで登って行く。しかし彼らのすぐ真上には突如として黒い霧のようなものが形成された。そう、ダークライの体の一部である。
「行かせないから」
まるで駄々をこねる子どものような態度に、ゲン達は更なる怖気を感じることとなった。まるで想定不可能。そしてこの底知れぬモモの力に畏怖するしかなかったのだ。
「いや、行かせてもらう。俺たちには成し遂げなければならない野望がある」
ゲンは新たにボールを取り出し、そこから現れたのはロトム。それは洗濯機の形をしたロトムであった。
モモは上空を見上げ、キリンの姿を追っていた。そしてダークライはまたもや能力をもってして、彼らを眠らせようとしたかったがあの高さでは無事では済まなくなる。どうすればいいのかと逡巡している間にも、ガブリアスは疾風の如くどんど
んと山を登って見えなくなっていく。
ゲンがアユミへと手信号、つまりは手話の単語で教えたのは「やりのはしら」というひらがな六文字だった。その意味をアユミはすぐさま理解したが、それでも不安だけが渦巻くのであった。
恐らくゲンが手に入れようとしているのはディアルガとパルキアの力。だが、あのポケモン達は神話上の存在であり、科学的にも存在が立証されてはいない。今までアユミが読破した文献の中に、彼らの存在が示唆されるような文章はあっても、
実際に存在していたとまでは証明できないのだ。だが、アユミはこの目でレジギガスが復活する場面を目撃してしまった。そして伝説とされていたレジ系三体をもその目で確認したのであった。
「だめだめだめだめ! キリンは私と一緒にいなきゃダメなの!」
そう叫ぶモモに、ゲンは眉をしかめた。
「どういうことだ」
「っ!?」
そこで、モモは口を手で覆う。しかしすぐにゲンを睨み返し、戦闘態勢はと入る。
「ダークライはあいつらを追って! 私は、こいつを!」
「良い度胸だ、受けて立とう」
モモを足止めすることには成功しそうではあるが、ダークライをみすみす見逃すことがゲンにとっては歯がゆかった。しかし、ダークライというポケモンを初めてその目で見たゲンはどうすることもできなかったのだ。後はアユミ達に託すしかな
い。
カメールがその場で飛び跳ねながら、バトルに向けた準備運動を始めた。それに対してロトムはどこを見ているのかわからない目線を茫然と宙へと向けている。
「「勝負!」」
速さが自慢のガブリアス。しかし、進行方向上に障害を敷かれてしまえば思うように身動きすることは叶わない。ダークライによる幻術攻撃によって、ガブリアスの意識は朦朧し始めていた。
今アユミ達の手持ちの中でダークライへと立ち向かえる、元気のあるポケモンはいない。スズナが持っている残りのポケモンもこのような険しい地形ではバトルを行えるのも難しい。むしろ足手まといとなってしまうのがオチである。
ここでアユミ達もろとも眠らせてしまえばダークライにとっては楽だろう。しかしダークライの主人であるモモはキリンの安全を第一に考えていた。それを裏切るようなことはできなかった。それゆえに、両者ともに歯痒い思いを抱いていた。
「とにかく高く跳ぶんだ、ガブリアス!」
耳元で叫ばれて、その指示を忠実に受けてガブリアスは黒い霧から抜け出す。
「降りるよ!」
「は?!」
「ちょっと!?」
アユミは両脇にいるキリンとスズナの首筋に腕を回してガブリアスの背中を思いっきり蹴ったのだった。
眼下に広がる森林地帯にはまだ多くの雪が覆いかぶさっている。いくらかの衝撃は緩和してくれそうではあるが、地面が隠れてしまっている為にどこまで雪が積もっているのかは素人目にはわからない。
「あとは頼んだよ、ジムリーダー」
アユミはそうスズナへと後を預ける。実に唐突ではあるが、アユミの判断は常に適切なものばかりだ。適材適所にことを決めることに長けているゆえなのであろう。
「初対面でこんなにジムリーダーをこき使う人は君が初めてだよ!」
歯をむき出しにして不満を発するスズナだが、アユミは応えることなくキリンにしっかりと捕まっていた。その判断も適材適所といったところなのか。
「ええい、ユキノオー、しっかりと受け止めて!」
ユキノオーの入ったボールを真下へと投擲して、スズナは声がはちきれんばかりに叫んだ。ロケット団たちに一人で対抗していた時、アユミはスズナが出していた二匹のポケモンを見て気が付いていた。あまり神殿内で大きな振動や音を出さない
為に、ユキノオーのようなポケモンを出すのを控えたのだろうと。
それゆえにスズナのジムリーダーとしてのプロフィールを暗記していたアユミは、こういった判断を確認無くして行ったのだ。情報に絶対的信頼をおけるアユミ。それは彼女がキララと出会って、更に固定化された観念なのかもしれない。
地面で姿を現したユキノオーは豪快に着地した後、木々の枝をその両腕で掴み、雪をかきあつめて落ちてきた三人を難無くキャッチした。
「けほっ、けほっ」
「うわっぷ」
「〜〜〜っ!!」
冬の防寒着の少ない隙間へと容赦なく入り込む雪の冷たさに目を閉じて苦悶するも、それでも立ち止まってはいられない。上空では未だにダークライのものと思われる影が確認でき、ガブリアスに至っては裸眼では確認できない。
「このまま私たちをやりのはしらへと連れて行きたまえ!」
「ええぇ!?」
アユミはスズナにそう命令しながら、キリンと共にユキノオーの背中へと乗っかる。当のユキノオーも、自身のトレーナーと共に降ってきた人間を追い払うこともできずに困惑していた。
「もう、なんなのよあなたたちは!」
「それは移動しながら説明するよ」
「わりぃな」
悪びれることなくそう告げる二人に、スズナはなんとか堪忍袋の緒をしめなおしてはユキノオーに抱えてもらいながら声を大にする。
「ユキノオー、やりのはしらまで行くよ!」
「ノオーーー!!」
移動すると同時に大量の雪がユキノオーの後ろで発生し、三人は濃い雪の弾幕の後ろへと隠れてしまうのであった。