「裏」:決し着く
ヤマブキシティの上空に、金属同士が擦れる羽ばたきが近づいてくる。
その口ばしに加えられたボールが、街の中心部へと落とされていく。冬空の陽光がボールを煌めかせ、輝きを放つ。段々と加速していくボールは、次第に一定の速度となって地面へと吸い寄せられていった。
空中にてボールから光が漏れ、中から巨大なポケモンが姿を現す。そう、レジギガスである。
突如空中から襲来した巨大なポケモンに、街は騒然とした。最初は何かのイベントか、催しもののオブジェかと思った者もいただろう。しかし道路のコンクリートは重積によってひび割れ、数人の人間がそれの下敷きになったのでは、もはや平然
としてはいられないだろう。
人々の叫び声が飛び交い、混乱に巻かれてポケモン達も喚き、鳴きだす。中にはレジギガスに向かって吠えるポケモンもいたが、トレーナーたちによって回収されていく。
「みなさん速やかにここから退避してください! 焦らずにお願いします!」
ジュンサー達が人々の誘導を率先し、再編成された警察の面々が神妙な面持ちで突如現れた異様な姿のポケモンに面喰っていた。
「なんなんだ、これは」
一人の警官が微動だにしないレジギガスを見上げながら呟いた。
そう、レジギガスはまったくもって動こうとも、そういった素振りも見せなかった。それは自身の特性もからんではくるが、そういう指示をダイゴから受けているからといった方が確実であろう。
特性、スロースターター。
時間が経てば経つほどに、その潜在能力をフルに活動させることのできるレジギガス最大の能力であり武器である。
「おい、誰か撤去班に連絡しろ」
撤去班。それは主にこういったトラブルの対処を任される部署のことである。このポケモンの世界において、大型ポケモンによる事故や事件も少なくない。そういったときに活躍するのが撤去班であり、その作業において訓練されたポケモンや重
機操縦者によって構成されている。つまり、大型ポケモンの撤去および、その損害の対処を一手に引き受けるところなのだ。
「わかりました」
ジュンサーの一人が通信機越しに撤去班へと連絡を入れる。ものの五分もすれば、すぐにでも撤去活動が始まることだろう。
最初の内は阿鼻叫喚と化そうとした現場だが、何も動きがないことを知った野次馬が徐々に集まり始めていた。しかし真にここが地獄と化すということを知る者は、鎮座したままのレジギガスしか知らないのである。
ダイゴが自分のポケモンを回収し、なんとかレックウザの尾の自由を確保する。だがしかし、まだ余裕を持てるわけではなかった。
消えた二体のクチート達。それが一体どういった風に転移されてくるのか。予想がつかないのである。
「レックウザ、【竜巻】で壁をつくれ」
自分の周りに風の渦を発生させ、ダイゴはリョウが攻撃を仕掛けてくる位置を把握しようと試みる。すると風の壁を突き破り、弾丸のように飛来してくる物体があった。それは二つの長い顎が互いにからまり、巨大な車輪のように回転し、飛来し
てきたクチート達であった。
「ぐっ! あそこだ!」
時空の歪みが生じたところに、レックウザはすかさず【龍の波動】を放出する。ダイゴの右腕はクチート達によって弾かれ、肩の方から脱臼してしまう。ボールによる回収を試みたものの、それ以上の速さでクチートたちが衝突してきたのだ。
「ちぃっ!」
恐らく念動力を用いてのステルス効果をミュウツーは創り出していたのだろう。そのためネンドールにも察知できなかった。念の扱いにおいてミュウツーに勝ることは例えネンドールであっても難しかったのだ。
しかし腕一本を犠牲に、ダイゴはリョウの居場所を突き止めた。同じ手は、ダイゴに通用することはない。それをリョウは察知したのだろう。ミュウツーに抱えられたまま、リョウはダイゴに向かって飛翔する。
「ダイゴォォォ!!」
ミュウツーが右手に念を溜めはじめる。バチバチと激しい音を立てながら、みるみる内にエネルギーの塊が大きくなっていく。それはたやすく【竜巻】によって生じた障壁をも崩してしまう。
ミュウツーの左脇に抱えられたリョウは、またもや木の実を咀嚼する。なにをするのかわからないが、ダイゴはそれを見逃さずにレックウザへと命令を下す。
「【龍の舞】から、【逆鱗】だ」
自身の能力を高めたレックウザは雄叫びをあげながらミュウツーへと向かって下降していく。
「リョウ、お前の全力見せてみろ」
「へっ! 減らず口もそこまでだけ!」
全身が赤く輝きだし、レックウザの全体がミュウツーを木端微塵にせんと突進していく。対するミュウツーも極限まで威力を高めた【サイコブラスト】が弾かれんばかりと膨らんでいた。
ダイゴは宙へと飛び上がり、レックウザから離れる。それは二体の衝突から免れるためでもあるが、次に来る事態を予想していてのことだった。
「ぐはっ!」
レックウザとミュウツーはもれなく激突し、すさまじい衝撃波が生まれる。その風に飛ばされながらも、ダイゴは視線を広範囲に広げて敵の姿を追う。すると、苦悶な表情を浮かべ、吐血と共に現れたのが転移されたリョウだった。
普通、エスパータイプのポケモンが使う【テレポート】は術者と共にいることで、ある程度安定した転移が行える。だが、単体を飛ばすとなるとコントロールが難しくなる。そのトップと目されるであろうミュウツーでも、リョウへの負担を軽減
することはできてもゼロにすることはできなかった。しかしミュウツーでなければ、今頃リョウの体は時空のはざまで消滅していたであろう。
「きたか!」
しかしダイゴはこれを予期していた。それほどのことをしてまでも自分を倒そうとする敵の心理を、完全に掌握していたのだ。これがチャンピオンへと登りつめる男の資質なのかは定かではない。それすらを凌駕するほどにダイゴは卓越した存在
なのだろう。
空中で突如としてはじまる殴り合い。
しかし今度は攻める側はダイゴであった。再度、両腕に装備したダンバルがリョウのみぞおちへと深くえぐりこむ。
「ごはっ!」
唾液と鮮血を混じらせて口から吐き出しながらも、リョウは左手のこぶしでダイゴの肩をがっちりととらえていた。
「くっ!」
ダイゴの右肩からも血液が噴出する。顔を歪めて己の肩を確認すると、そこには鋭い牙を骨に達するまでにくいこませていたナックラーの姿があった。ナックラーは両手足でしっかりと主人の腕にしがみつき、必死にかみついてはなしはしなかっ
た。
だがダイゴは、装着していた右腕のダンバルを射出して、ナックラーをダイゴの肩から弾き飛ばす。
「とりゃあ!」
みぞおちへのダメージに身を震わせ、胃液が漏れながらも、リョウはボールを開きガラガラを呼び出す。しかしガラガラ本体はそのまま地上へと落下していってしまう。突然のことにガラガラ本人も驚愕するも、リョウは見向きもせずに目的の獲
物だけを右手に構えていた。
そう、骨の棍棒である。そのためだけにリョウは容赦なく自分のポケモンを犠牲にしたのだ。
「ぐっ!」
左腕のダンバルでリョウが振りかざす骨から身を防ぐ。咄嗟の反射神経で危機は免れ、大きな骨は真っ二つに粉砕される。バキメキと、乾燥した音と共にリョウの武器は壊れてしまう。だが彼はその折れてしまった骨を懐へと引き戻し、勢いよく
手前へと突き出したのだ。
そう、割れて砕かれた骨ではあったが、その断面は荒々しくとげっている。それがダイゴのノーガードの胸へと突き出されたのだ。
「ふんっ!」
しかしリョウの攻撃は届かず、彼が握っていた骨はまたもや、さきほどナックラーを弾き飛ばしたダンバルによって弾かれてしまう。ダンバルはお互いを引き戻し、その引力を用いて的確な軌道を持ってして戻ってきたのである。
そしてもう片方のダンバルがリョウの右頬を捉え、殴りつけた。
リョウの頬骨と上顎骨が砕ける軽い音が響くが、それは本人の中で気持ちが悪いほどの音を反響させる。
そしてそれをもってダイゴとリョウの決着はついてしまった。落ち行く中、すさまじいほどの読み合いが続き、しかしダイゴの方に分があった。木の実を用いても、リョウがダイゴへと一矢報いたのは右肩の傷のみであった。そしてそれと同時に
、レックウザとミュウツーの対決も決着がついていた。
恐らくリョウの焦りはミュウツーの限界時間にも関係していたのだろう。最近まで五分までしかボール外活動ができなかったミュウツーは約一時間もの間、出ていられたのだ。しかし強制的に造られた体では、伝説級のポケモンによる必殺の一撃
にはまだ耐えられなかったのかもしれない。
力なく項垂れ、四肢が弛緩してしまったミュウツーはリョウと同じようにして地面へと落下していく。
一方、興奮止み切らんといったレックウザではあるが、節制できるのか、主人であるダイゴを無事尾で回収する。ダンバル達の力を借りながらも、龍尾に捕まったダイゴは落ちていく一人の少年を見下ろしながら冷たい視線を向けた。
「これで終わりか」
18の少年にしては良くやったと称賛する、というレベルではない。ダイゴは明らかにリョウに対して恐怖していた。それを乗り越えることができたのは、彼がリョウよりもトレーナーとして熟練であったからだ。そして、ミュウツーがまだ不完全
であったからに過ぎない。
しかし彼の戦いはまだ終わってはいない。
そう、まだ終わってなどいないのだ。
ダイゴがその異変に気が付いたのは、レックウザがいきなり首を回して後方、つまり目指すヤマブキとは反対の方向を向いて、威嚇しはじめたからである。
「お久しぶりと言った方がいいですかね?」
レックウザが向く方角にいたのは、一人の青年であった。擦り切れた帽子が彼の歩んだ人生を物語っている。その青年の両腕には落下していったはずのリョウが抱えられていた。右頬が陥没し、服装は吐血と土砂でぐしゃぐしゃになってしまって
いる。中世的な面持ちだった彼は、今では見る影もない。
「まさか、もう追いつかれるとはな」
「僕のこと、なめない方がいいですよ」
怒りを押し殺して青年はダイゴへ向けて語尾を強める。決してダイゴの目を見ることなく、帽子の鍔が青年の顔の半分を隠してしまっている。
青年が乗っているのはリザードン。猛々しく、雄々しく燃え滾る尻尾の炎が自身のレベルの高さを物語る。
青年の名前はサトシ。
ポケモンマスターの称号を勝ち取り、伝説を残した少年である。
「そうだな、その通りだ」
ダイゴは、優雅に普段通りの口調で告げる。
「さすがというべきだな、サトシく―――」
「黙れ!」
今まで声を荒げることのなかったサトシに対して、ダイゴは押し黙る。
「お前は、絶対に許さない! ツワブキ ダイゴ!!」
見下ろせば、小奇麗な田舎町は焼け野原と化していた。
そう、この町は彼、サトシの故郷なのである。