「裏」:助手
「行きましたか」
マサラタウンで唯一の下宿を経営していた男は、ボートによって去っていく四人を見送りながら、一人つぶやいた。
「これで私もお役目御免ですかね、ナナミさん」
そう、彼はナナミの夫である。今は亡き妻のことを想いながら、宿舎のマスターは自身の髭を撫でて愁う。
ここでマサラの悲劇における顛末に触れておこう。世間的に知られているマサラの悲劇では、オーキド博士が怪奇的な実験を行い、協会に逮捕されたことで有名だ。それに使われてしまったポケモン達の持ち主における補償や事故処理に、一躍マサラタウンの存在が全国に知れ渡ることとなった。
しかしながら、その裏に潜む真実は複数の人間にしか知られていない。いや、複数の人間が真実の断片を知っているにしか過ぎないといった方が正しい。
サカキが以前より進めていた、ミュウの遺伝子をもとにポケモンを創り出す計画。それに対する賛同を求めるため、若かりし頃のサカキは全国を奔走した。そこでたどり着いた一番の協力者がオーキドであった。
若い頃、ハイア地方の救世主となった実績を買われ、数年のうちにシルフカンパニー社のトップとなったサカキは敏腕経営者としても有名になりつつあった。そんな頃に非公式で進めていたポリゴンの開発に彼は成功していた。その成果をオーキドへと託したのが、マサラの悲劇の数年前である。
さすがはポケモン研究の権威なだけあり、彼の疑似生命体における研究は驚くほどのスピードで完成へと向かっていた。しかしながら、なぜオーキドはサカキによる提案に乗ったのか。その秘密は、ルカたちが見つけた地下オーキド研究所の謎の施設にある。
あそこにはオーキド研究所が預かっていたポケモンの脳はない。それもそのはず、あそこに展示されていた全ての水ポケモンの脳は、全国の海から集められたものだからである。
サカキはマサラの悲劇が実行されるまで、オーキドの地下研究施設のことを知らなかった。サカキがオーキドの施設から引き抜いたのは疑似生命体のデータだけではなく、地下施設のデータも含まれていた。それはオーキドからサカキへのメッセージであり、それゆえにサカキはシルフカンパニーでポリゴン2、ポリゴンZの研究を進められたと共に他の研究にも着手できた。
あの豪華客船サント・アンヌ号を襲った狂暴化した水ポケモン達も、オーキドの研究をもとに開発された怪電波である。単に狂暴化するだけでなく、それを完璧な制御下に置く。その技術をサカキは継承し、オーキドが必要としていたサンプリングをロケット団を使うことでデータを収集した。
サカキによる野望のために水面下で動きだしていた計画は、こうも複雑であり、深い闇を感じる。
この事件を紐解くにあたり、ホウエン地方で起きた事件が鍵を握る。ニビシティのジムリーダータケシの死を招いた、ジンがいあわせた野生ポケモンによる急襲事件である。
そこになぜこの男、しがない宿舎主が関与しているのか。それは、彼がオーキドの助手を務めていたからである。オーキドの下でともに研究をしてきた彼は、その伝手でオーキドの孫娘であるナナミと交際していた。
オーキドが捕まった時、彼は事前に退職しており協会からのお咎めはなかったのだ。
「博士。私もあなたに報いられれば良いのですが」
男はオーキドによって助けられた。それはオーキドが疑似生命体を生み出す研究をわざわざ大々的に進め始めたころと同期する。それは部下思いなオーキドからくる優しさでもあった。その事件後に、あの下宿屋を始めたのだ。
つまり、この人物はマサラの悲劇の真実を知る数少ない人間の一人ということになる。
「さて、私も最後の仕上げと行きますか」
あの日殺されてしまった妻と友人の家族の弔いを済ませた後、マスターは神妙な面持ちでルカ達を案内したと別の方向、つまりオーキド地下研究所への方向へと歩んでいった。
激しい二つの巨大な爆発音は、ゴローニャの全身が弾けた結果により起きたものだった。その衝撃音は身近にいる者の聴覚を消失させるには十分な威力だ。
「ぐっ!」
ひじで耳を覆い、テッシード達の壁により衝撃を受けることは免れるダイゴだが、数秒間ほどの聾状態を体感することとなる。
「はっはっはー! 行け行けぇ!」
リョウはここぞとばかりに、今度はゴローン達を上空へと投げつける。人並み外れた怪力は、先ほどリョウが咀嚼した木の実によるものだった。多大な治癒能力と体力の活性能力を持つ木の実、そうチイラである。
カナから受け取ったポロックをもとに、オーキドが独自に開発した人工木の実をリョウは所持していた。効力は本物とは程遠いが、それでもある程度の恩恵を受けることができ、チイラの実がいかに強力な効力を持つかが窺い知れる。
「ぐっ!」
その代償として持続時間は短い。さすがの限界が来たのか、リョウはありったけのゴローンを投げ終えてすぐさま後退する。そして間髪入れずにミュウツーの【シャドーボール】が炸裂して時間を稼ぐ。
土砂が巻き上げられ、砂塵がもうもうと漂う。
しかしその中で、リョウの方へと向かって歩いてくる人影があった。そう、ダイゴである。先ほどの爆発からの主だった外傷は見当たらない。つまり、完璧に防いだということなのだろう。
「ひゅ〜」
それを見て、リョウがひときわ高い口笛を鳴らす。その反面、内心では焦りが生じ始めていた。なぜなら、ゴローンの投擲は的確にダイゴがノーガードであった真上から飛来していったのだ。聴覚も鈍り、方向感覚が失われているはずなのに、ダイゴはまっすぐにこちらへと向かっていることにリョウは驚きを隠せなかった。
「さすがに、きついな」
と、ぼやくダイゴは至って冷静だ。
彼の周りには、主人を守ろうと死力を尽くしてかばったテッシード達が散らばっていた。いくら鋼タイプといえど、全身を揺さぶるほどの爆発を幾度となく浴びれば内臓や脳がやられてしまう。
悠々と歩みを止めないダイゴに向かってリョウはほくそ笑む。
「プテラ、【大地の力】で奴を閉じ込めーや!」
リョウの指示で、プテラが雄叫びを上げる。すると、ダイゴの足元周辺の地面がまるでくりぬかれたようにして空中へと飛翔する。そしてそのまま生身のダイゴを覆い隠して、圧殺しようと試みるが……そんな手法ではダイゴを殺めることはできない。
ダイゴのメタグロスが【サイコキネシス】でプテラによる攻撃を防ぐ。宙に浮いたまま、十はある岩石が拮抗していた。それが指し示しているのはメタグロスとプテラの実力にわずかな差があるということだ。つまり、後出しでも相手の攻撃を抑えられるメタグロスの方に分があることを示している。
「今だ、サンドパン!」
そしてリョウは、地中に潜伏させておいたサンドパンへと合図を送る。それはこのことを見越しての作戦であったのかはわからないが、しかしダイゴの足元には依然として変化が見られなかった。
「なっ……」
本来ならば背後から飛び出したサンドパンの一閃がダイゴの首元をとらえるはずだった。しかしながら、待てど待てども現れはしない。その代りに現れたのは、強靭な二本角を所持する鋼をまとったポケモンだった。
ダイゴのボスゴドラがその両手に握っていたのは脱力しきったサンドパンだった。動く素振りすら見せないサンドパンの両爪は見事に折られており、もはや見る影もない。
「はは、やるの……」
「君は危険因子だからな。徹底的に潰させてもらう」
「そげな言葉が聞けーなんて、光栄だけん」
「そうか。ならば、終わらせよう」
リョウはミュウツーの傍まで後ずさり、なにかのサインを出す。それに呼応してミュウツーが【テレポート】で姿を消し、ドサイドンが地面に穴を掘り始める。
「逃がすと思っているのか? レックウザ」
逃亡を図ろうとするリョウに向かって、ダイゴは翠竜に指示を出す。すると、ドサイドンの足元から空中へ伸びるようにして一つの竜巻が形成されていく。
ドサイドンの体が宙へと浮かび上がり、必死にもがくが一度空中へと浮かんでしまったら……後はもう上昇するしかない。自分の身長の何倍もの高さに持ち上げられたドサイドンはそのまま地面へと落下してしまう。掘っていた穴に自ら落っこちても、それでもリョウの姿は見当たらない。
「自分の手持ちを置いて行ったのか……」
放り棄てられたサンドパンと、ぐったりと穴にはまり動けないドサイドン。そしていつの間にか、プテラの姿は見えなくなっていた。
「わかるかネンドール?」
あたり一帯に念を飛ばしてネンドールは敵の居場所を察知しようとするが、なんの手応えも感じられなかったようだ。
「なに?」
そしてそれは不可解なことでもあった。確かに【テレポート】が確認できたのはミュウツーのみ。つまり、ミュウツーがこの場から離脱したのはわかる。しかしプテラに至ってはそのような技を持ち合わせてはいないし、レックウザならば空を監視していたはずだ。そしてなにより、この短時間でネンドールが感知できる範囲から逃れることは不可能なのだ。
そんな速さを出すポケモンなどいるわけがないのだから。
「メタグロス、警戒だけはしておけ」
ダイゴがそう忠告し、ポケモン達に注意を促すがすぐに異変に気が付いた。
「メタグロ……!?」
新たにホルスターからボールを二つ取り出し、ダイゴはクチート二体を出してレックウザの胴体に手をかける。レックウザはそのまま飛翔し、ダイゴの目下では奇妙な光景が広がっていた。
なんと、クチート二体がその巨大な顎で目標をとらえていたのだ。しかし、それは消えていたはずのリョウのプテラであり、見るにも無残な姿で突然ぽっと現れたのだ。理解不能な現象にダイゴが眉を顰めた瞬間、地上にいた残りのネンドールとボスゴドラが視界から消える。そして先ほど感じた違和感の正体も明らかになった。メタグロスの姿が忽然と消えていたのだ。
「嫌な予感しかしないな」
するといきなりレックウザが空中で停止し、ダイゴは振り落とされそうになる。そして判断をつける暇なく、レックウザが突如として悲鳴を上げると共に口から光線を発射する。
ダイゴは光線の方向にあったレックウザの尾を確認すると、そこにはなにかに嬲られ、傷跡だらけになったダイゴの手持ちの三匹ががっちりと固まっていたのだ。レックウザの攻撃は尻尾を外し、大海へとのびて大きな水柱をあげる。
リョウの仕業だということはダイゴにはわかっていた。しかし彼とミュウツーの姿はどこにも見当たらない。
「厄介だな」
だがダイゴには一つの確信はあった。敵にレックウザは奪われることだけはないということを……。
そして予想していた通り、今度は地上に残してきたクチート二匹が姿を消したのであった。