VII:出発
晴れていく視界の中で、私が空中に見たのは長いとぐろを巻く、大きな緑色のドラゴンタイプのポケモンだった。
「なに、あれ……?」
そう思ったのは私だけじゃなかった。サカキ リョウに至っても空を仰ぎ、口を開いていた。でもその口は狂喜に満ちているように歪んでいる。
「本当にレックウザが?」
その疑問に至りついたのはレイハちゃんとサカキ リョウ。つまり、ロケット団の幹部である二人は知っていたことなのだろう。レックウザ。あのポケモンの名前なのかな?
「くっくっく、これだが、これ!! わが求めとったんは、これだけん!」
そしてどうやらお目当てのものを見つけたのだろう。サカキ リョウは、一際大きく声を上げる。
「ツワブキ ダイゴ! そげかそげか、わの血が求めとったんはお前か!」
ダイゴ? その名を私は知っている。お兄ちゃんが一緒にいるはずの人の名前だ。元ホウエンチャンピオンの人間が、このカントーで、しかもあんな巨大なポケモンに乗っているってこと?
ダイゴさんの乗っているだろうポケモンのレックウザは、何も語らず鋭い眼光で地上を睨んでは大きく口を開いた。
「やばいにょ! ガイ、二人を抱えて逃げるにょ!」
「ちぃっ!」
私とカナはがっちりと逞しい両腕に支えられて、宿舎の方へと担がれていく。
「な、なになに!?」
「耳を押さえて、目を閉じるにょろよ!」
吹き飛んでしまった宿舎の元入り口を潜り抜け、裏方のほうへと向かうガイさんとレイハちゃん。
「こっちだ!」
と、バーカウンターの後ろに控えていたマスターが現れる。私達は指示に従って、カウンター裏へと隠れる。さっきの衝撃があったにもかかわらず、このカウンターは特殊な材質でできているのか、主だった傷が見当たらない。
「来るにょ!」
レイハちゃんの声は最後まで聞こえなかった。同時に頭上から眩い閃光が降り注ぎ、熱い光が弾ける。爆音が轟き、木片や土砂が外から襲いかかってくる。
「きゃあああああ!!」
ただ耳を塞いで、奇声を上げることしかできない。なにが起きているのか皆目わからない。なんなの、なにが起きているっていうの!?
淡い真っ白な光が止むと同時に、今度は地上から禍々しい紫紺のオーラが漂ってくる。
「な、なに!?」
私はカウンターの影から顔を出して、なにが起きているのか確かめようとする。
「ルカちゃん、危ないよ!」
カナに服を掴まれても、私は自分の好奇心を抑えることができなかった。
視界の先には悠然と立ち構えるサカキ リョウを守るようにして、ミュウツーというポケモンが両腕を高く空へとかざしていた。その両手から溢れ出しているのは可視化された紫紺色の念動力。レックウザの攻撃をミュウツーはこうやって防いでいたんだ。溢れ出たエネルギーの奔流による衝突をミュウツーが防ぎ、その結果、暴風が砂塵を巻き上げてあたりへと拡散した。
綺麗だけど怖い。離れたいといけないのに、ずっと見続けていたい。そんな奇妙な感覚に私は陥ってしまう。それほどまでに実力が高い者同士の攻防というものには迫力があった。
なにかがレックウザのもとから飛翔していくのが確認できた。その直後、レックウザは地面へと下降し、それに伴い強風が生み出される。
小枝の破片が頬を荒々しく撫でていく。目を半開きにしていないと、小粒の砂利が視界を邪魔してくる。それでも目を離すことができない。予想はしていたけど、それ以上にレックウザというポケモンの大きさは尋常ではない。
「おい、どうすんだよ。あんなの俺達の手には負えねえぞ?」
「わかってるにょ。もうなにがなんだかわからない……」
ガイさんとレイハちゃんの会話が耳をくすぐる。そしてカナは私の服をしっかりと握って放さない。
「お二方がよろしければ、お手伝いいたしましょうか?」
そうダンディな声でそう提案してきたのは、マスターだった。マスターはこの宿舎のオーナーでもある。自慢の宿も二階部分が崩れ落ちてきたために、あたりには残骸が散乱してしまっている。そんな中で、このバーカウンターだけは吹き飛ばされることもなく無傷なままだ。
「すまないにょ、こんなことに巻き込んでしまって……」
「いえ、お気になさらずに。それに、似たようなことも昔にありましたので」
え?
似たようなこと? って、もしかしてマサラの悲劇のことなのかな?
「手伝うって言ったって、どうすんだ?」
「実はここに隠し扉がありまして」
ガコッ、とマスターが取り外したのはバーカウンターの模様と思っていた飾りの一部だった。それをスッとスライドさせると、木板が外れて中が空洞と化していた。空洞じゃない、どこかへとつながっている?
「さあ、どうぞ」
怪訝な表情を浮かべてマスターを見つめる私たち。それでもすぐ傍では戦闘が再開したのか、衝撃音が轟き始めた。私たちはお互いに目配せをして、頷きあった。
柔和な笑みに導かれながら、まず私が穴の中へと入っていく。次にカナが降りて、レイハちゃんが。ガイさんとマスターが次に潜り込んできた。
この人数でもなんとか狭苦しくない程度に確保されていたその空間は、左右に長く伸びている。
「ここは?」
カナの疑問にマスターはまるで懐かしむようにして説明しはじめる。
「覚えていますか、マサラの悲劇を? あの時、私の友人の家族が殺されました」
え?
「その時に友人を匿った場所がここです」
マサラの悲劇で殺人事件が起こったことは報道されていない。それなのに、もしかして、マサラの悲劇の真相はこれなの? 誰が殺されたのかはわからない。でも、誰かが殺された。そしてそれをこの人は知っている。
「ここはどこへ繋がってるにょろか?」
そのレイハちゃんの質問に、私は途端と嫌な気分に苛まれた。なんなの、この悪寒……?
「オーキド研究所の地下施設です」
予感していたんだ。この場にいる皆は、この場所にオーキド研究所で経験したのと同じ気配を感じたに違いない。そう、微かに鼻腔を刺激するこの臭いは研究所の地下で嗅いだものと同じだから。
そして、そうそう呑気にしてもいられない。さっきからずっと地上からの震動が伝わって、洞窟全体が揺らされている。
「お前は何者にょろ?」
更なる警戒心を持って、レイハちゃんがマスターを見つめる。
「ただのしがない下宿屋の主人ですよ。それ以上でもそれ以下でもございません」
「信じられるか」
それでもガイさんは納得は行かないみたい。それは私たちも同様だった。ただの主人なわけがない。
「そうですか。ですが、今は一刻も早く皆様をここから脱出させることが優先事項。付いてきてください」
あくまで答えることなく、マスターは奥の方へと歩みを進める。
「ちょっとこっちに来るにょろ」
私とカナ、そしてガイさんをレイハちゃんが指で呼び寄せる。マスターはどんどんと奥に行くのにも構う様子はない。
「あの男は怪しいにょろが、こっちにとって害はないと思っていいにょ。それにこうなった以上、いち早くヤマブキへと帰る必要があるにょろ」
「研究所の方はいいのか?」
「詳しく調べたかったにょろが、この状況じゃ無理にょろね。今のレイハたちにあそこの研究データを解析する技術も機材もないにょろ」
「まあ、そうだな。しかし、どうやって帰るんだ? さっきので車両はぐちゃぐちゃだぞ?」
その言葉にカナは身を萎縮させる。
「す、すみません」
「ああ、いや、あれは感謝してる。それよりも、このままだとあいつを見失うぞ」
その後、私たちはマスターの後を追って行く。ひんやりと涼やかな洞窟内が、体の底から凍えるような怖気の正体なのかどうかはわからない。でも、早くここから出たいという思いは加速していく。
そのせいで自然と早足になっていく。
「こちらです」
何分歩いただろう? 一分のような感じもするし、何十分も歩いた感じもする。そして私たちが出た場所は海沿いの岬だった。海の方からマサラタウンへと向かわなければ決してわからないようなほどに、見つかるのは困難な、鍾乳洞への入口のような場所だった。
そうか、あの臭いは海のにおいだったんだ。冬の寒い時期、海の独特なにおいは増長されるって聞いたことあるけど、そうだったんだ。
「こちらのボートで、どうぞ」
穏やかな波間にたゆたう、優に10人は乗用できるボートに私たちの誰もが目を疑っていた。でも、レイハちゃんだけは納得のいった笑みで冷や汗を浮かばせてる。
「あの研究所の奇妙なポケモン達は、全部ここから連れてきたにょろね」
「さて、なんのことでしょう」
「最後までとぼけるのならそれはそれでいいにょろ」
「ではお気を付けて」
マスターはガイさんにボートのキーを手渡す。
そのまま無言でガイさんがレイハちゃんやカナをボートへと乗り込ませる。
「おい、ルカ。いくぞ!」
「あ、はい!」
私はガイさんに呼びかけられるも、その前にとマスターの方へと駆け寄る。
「あの、マスター」
「どうしましたか?」
「マスターの入れてくれたホットミルク、美味しかったです!」
最後に何かお礼を言おうと思って、咄嗟に出たのがそれだった。マスターは面食らったようにきょとんとしていたけど、すぐにあのダンディな笑みを浮かべてくれた。
「いえ。またのお越しを楽しみにしておりますよ」
「はい!」
それを最後に、私はボートへと思い切って飛び乗る。
「きゃっ!」
バランスを崩しかけそうになり、その先にいたカナに大げさに飛びついて、私はガイさんに出発を促す。
「さあ、出発進行しましょう!」
「ふん。しっかり捕まっとけよ!」
レイハちゃんは入江の洞窟から出るまでずっとマスターのことを注視していた。マスターの正体はわからないけど、あんな美味しいホットミルク入れてくれる人が悪い人には到底思えなかった。
「レイハさん」
「どうしたにょ、カナ? 暫く寝てるといいにょ」
「え……」
カナも同じことを言おうとしたのだろう。ここからヤマブキまでは恐らく数時間はかかる。先にセキチクの方へと行かないといけないからだ。
「きっとカナの能力が必要になってくるタイミングが必ずあるにょ。その為にも、お願いするにょろ」
「は、はい!」
カナは元気良く答えて、私の方へと駆け寄ってくる。
「頑張ってね、カナ」
「うん。頑張るね」
寝なければ発動されない能力、【未来予知】。それが今後、どういった局面で役に立ってくれるのか。それは神のみぞ知ることなんだと思う。
船橋で毛布にくるまって、カナは寝息を立て始める。私はカナの横に座り込んで、ガイさんが舵を握っている姿を見て、改めてすごいなと思った。ガイさんは車も運転できるし、船もできるんだ。
「ルカ」
「なに、レイハちゃん?」
ずっと進行方向とは逆に広がる海原を眺めながら、レイハちゃんに私は呼ばれる。
「これから起きることをしっかりと覚えておくにょ」
「え?」
「あんなものに首を突っ込めるだけの覚悟を持てって言ってるにょ」
あんなもの?
そして私は今頃気付く。そう、あの洞窟内を震わせていた正体。それがポケモンによるバトルであったことに。
遠ざかっていくマサラタウン。でも、その地上では死闘が繰り広げられていた。爆発音や閃光が弾け、それがあの町をすべてを焼け払ってしまえるほどに強力なものであることは一目瞭然だった。
私は改めて生唾を飲みこむ。
「これから始まるのは、新たな歴史の一ページにょろ」
レイハちゃんの髪がなびき、こちらへと飛来してきた一条の光線が海の表面を焼き焦がして海柱が立つ。その衝撃で船がぐらんと傾く。
ガイさんが巧みに舵を切ってバランスを保とうとして、私は床に屈んで姿勢を支える。あと少しずれていたらと思うと、私の頬を冷や汗が伝っていく。
戦場を見据えながら、自然と私の拳を握る力は強まっていた。