III:レイハの過去
私たち四人はオーキド研究所地下に隠されていた実験室を目の当たりにした後、丘を降りて町の中へと入った。規模が大きくないマサラタウンは、その地形の七割以上が自然に囲まれている。
ここで育つ人もポケモンもとても伸び伸びとしている、そんな雰囲気が特徴的な町がマサラ。前に来た時も思ったけど、田舎町っていう単語がこれほどまでにフィットする場所を他に私は知らない。もちろん、良い意味で。
マサラタウンにはポケモンセンターがないから、私たちは適当な宿舎を見つけてそこで今くつろいでいる。くつろぐ、というよりも安静かな。とりあえずカナの状態があんまり良くないから、今日は一時中断してここで泊まっていくということになった。
本当ならおじいちゃんとおばあちゃん、つまりはお母さんの実家があるから挨拶しにいかないといけないと思ったけど……今の立場上、行く気がひけた。
「カナの様子はどうにょろ?」
私はさっきまで割り当てられた部屋でカナをベッドへと寝かすことができて、宿舎の一階の方へと降りていく途中だった。
「うん、大丈夫。ちゃんと寝かせたから」
「そうか」
一安心したようにガイさんがつぶやいて、くわえていたタバコの火を灰皿へとねじ込ませながら消した。
レイハちゃんとガイさんはずっと部屋に入らないで、ロビーの談話室とバーを兼ね合わせた場所でずっと待っていてくれた。
「とりあえず、今日はここで一晩明かすか」
「そうにょろね……。そうなると、本部へは帰れないにょろ」
え?
さっきのレイハちゃんの言葉を私は疑った。本部ってことはヤマブキシティへは帰れないってこと?
「どういうこと?」
私は階段をおりきって、急ぎ足になりながらレイハちゃんに詰め寄る。
「今レイハ達は本部へ連絡無しにここまで来てるにょろ。その場合、遅くても今日の夜までにはヤマブキシティへと戻っていないといけないにょ」
そういえば、ナナシの洞窟での任務をほっぽってガイさんと一緒にここまで来ちゃったことを思い出す。
「場所が場所なだけに、レイハがお前とカナを守りきれずに洞窟内で連絡途絶となった想定がどれだけ時間を稼いでくれるかが問題にょろ」
つまり本部が任務失敗だと思い込んでてくれるまでの時間ってことが鍵を握る。
「それがつまり、カナが回復できるまでの時間ってわけか」
「そうにょろね。GPSも支給された通信機の類も全て壊してきたにょろし」
ガイさんの言う通りだった。つまり、その猶予の時間を全てカナの為に費やすと二人は言ってくれてるのだ。でも、なんで?
「おいおい、なに湿気た顔してんだよお前。元はと言えば、俺が無理矢理お前らを引っ張り出してきたんだ、これくらいは当然だと思いな。というか、お前らがこんな状態だとこっちにも支障を来たすんだよ」
ガイさんは素っ気なくそう言って、対するレイハちゃんは顔を赤らめて怒るような感じで、
「ふ、ふん、別にお前たちのことを気遣ってとかそういうんじゃないにょろ! いつものお前たちじゃないと、こっちの調子が狂うだけにょろからね!」
二人の不器用な優しさに、私は元気よく「はい!」って答えて、笑みの上に涙を浮かべた。
「お、おい、な、なんで泣くんだよ!」
「レ、レイハはなにもしてないにょろ!」
私は首を激しく横に振り、両手の甲を濡らしながら涙を拭う。
「ううん、違うんだ。ありがとう、ありがとうございます」
何を言いたかったのか二人はわかったみたいで、ガイさんは気恥しく頬を指で掻き、レイハちゃんはだんまりになってしまう。
「今日はいろいろあったし、とっととお前も寝るにょろ」
「え、でも……」
まだそんなに夜が遅いわけでもない。確かに今日はいろいろあって疲れたけど、まだ眠くはなかった。
「なんなら、飯でも食うか? 俺は食えるような気分じゃないけどな」
苦虫を噛み潰したような表情でガイさんはきっとあの時の情景を思い出しているんだろう。誰だってあんなものを見せられて、まともに食事を取れるような神経は持ち合わせてはいない。
「なら今日はもう寝るしかないにょろ。どうせ今日はもう他にすることも、やれることもないにょ」
そう言われればそうなのかもしれない。それにそう言われると、なんだか一気に疲れが現れてくるような気がした。
「うん、それじゃあおやすみなさい」
「ああ、ゆっくり寝な」
「おやすみにょろ」
二人へと手を振って、私は階段を上がっていった。部屋の中で安らかな寝息を立てているカナの隣へと横になり、そのまま目をつむっているとカナのシャンプーの匂いがしてきて私の意識はそのまま眠りへとついた。
「んん……」
なんだかとっても良い気分な夢を見ていた私は、なにかに抱きつこうと寝返りをうとうとしたら、突如浮遊感に見舞われた。
「ふんぎゅっ!?」
凄まじい鈍い音と衝撃を全身に浴びて目を覚ましたら、私の目の前には壁があった。それが壁だと認識するのに数秒かかったんだけど、それから数秒かけて自分がベッドから落ちたことを自覚する。
「いたたっ」
壁際にベッドを寄せとけばいい話なんだけど、この部屋の隅は内側に出っ張ってるから、それができない。落ちることはないと思ってたんだけどな……。と、私は同じベッドの上に寝ているカナの姿を確認する。
あ、そうだ、カナのベッドに寝ちゃったんだった。そりゃ、落ちちゃうよね。
この部屋にはベッドが二つとソファ式のベッドが一つある。レイハちゃんはソファのやつがいいって言ったから、そう割り振ったんだけど……レイハちゃんの姿が見えなかった。
あれ? トイレかな?
今日は冷え込むし、私も行ってこようかな。そう思い至り、スリッパを履いて部屋を出る。もう真夜中くらいなんだろう、すっかり宿舎の廊下は暗くなっていて、ロビーの方からの明かりしか頼るものがない。
トイレで用を済ました私は、ロビーの方を渡り廊下から覗くと……そこには一人でいるレイハちゃんの姿があった。
「レイハちゃん?」
「んあ!? な、なんで、お前がいるにょろ?!」
「しーっ! あんまり大きな声出しちゃダメでしょっ」
「んむ……」
私はレイハちゃんの座っている机と同じのに腰をかける。バーカウンターの人は業務中で、ホットミルクを頼んだら快く承ってくれた。
マサラタウンなのに、こんなに遅くまで営業してくれるんだなと感心する。それとも、こういう所だからこそなのかな?
「レイハちゃんこそ、どうしたの?」
「眠れないだけにょろ」
「もしかして、今日のことで?」
「そう、にょろね……」
厳密にはもう昨日の出来事だけど、やっぱりレイハちゃんにとってもあれは相当衝撃を受けたんだと思う。
「あの、さ……レイハちゃん」
「なんだにょ?」
「レイハちゃんのこと、もっと教えてくれないかな?」
「んにょ?」
不思議そうに私を直視してくるレイハちゃん。きっと、なんで? とか思ってるんだろうな。まあ、そりゃそうだよね、いきなりだもん。
「だって、私たちもうロケット団じゃなくなっちゃうんでしょ? 短かったし、辛かったけど、でも学ぶことも多かった。それはレイハちゃんのおかげだし、これからも一緒にいるなら……もっと知っておきたいんだ」
「いつ、レイハがお前たちと一緒にいるって言ったにょろ?」
その時のレイハちゃんの表情は真剣で、ちょっと怖かったけど、でも私は本音を貫き通した。
「そんなこと言ったって、私はレイハちゃんについて行くよ。それに、レイハちゃんが私を置いてどっか行っちゃうなんて思えないもん」
「んな……」
私にはわかる。だって、レイハちゃんも置いて行かれるのが大っきらいなタイプだもん。
「だから、教えてよ。レイハちゃんのこと、知りたいんだ。それに、レイハちゃんは私たちのことデータとかもらって知ってるんでしょ? 不公平じゃん!」
「ええい、うるさいにょろ! 教えればいいにょろね!」
やった!
嬉しさの余り手をじたばたさせちゃったけど、それを見てレイハちゃんは深いため息をついていた。えへへ。
「失礼します。ホットミルクです」
「あっ、ありがとうございます」
「ごゆっくり」
注文しておいたホットミルクを受け取り、その湯気から漂う牛乳の匂いを堪能する。両手に握るカップからはちょうどいい熱が伝わってくる。
「おいしそうにょろね」
「レイハちゃんも飲む?」
「じ、自分で頼むにょろ!」
差し出そうとしたカップを拒否られて少し落ち込むけど、すぐさま本題へと移行する。
「それで? なにから話せばいいにょろか?」
「今日はなんだか素直だね?」
「う、う、うるさいにょろ!」
「えへへぇ、ごめんごめん」
きっとレイハちゃんもあのことに触れるよりも気軽になれるんだと思う。だからこんな悪ふざけにも付き合ってくれる。やっぱりレイハちゃんは私なんかより大人なんだなって思う。
「レイハちゃんはどこの出身なの? ジョウトとか?」
「違うにょ、レイアはハイアの出身にょろ」
「ハイアって、サカキと一緒の?」
「そうだにょ」
意外だな。そうだったんだ。
「レイハの一族はハイア地方の過酷な環境で生き抜くために水を商売道具に用いてたにょ」
「水?」
「そうにょろ。レイハ達の一族は代々からニョロモをはじめとするおたまポケモンやかえるポケモンと一緒に暮らしてきたにょ」
おたまポケモンとかえるポケモン……えっと、それってきっとレイハちゃんの持っているニョロモの進化系全体を指すことなんだと思う。
でも砂漠という特殊な環境でそういったポケモン達は平気だったのかな?
「大変じゃなかった?」
「そりゃ大変にょろ。でも、一族には代々受け継がれてきた秘法があるにょ。それがあったからこそ、レイハ達は現代まで力強く生き抜いてこれたんだにょろ」
「だったら今の家族はカントーにいるの?」
「…………いないにょろね」
「え?」
なにか、まずいことでも聞いてしまったんだろうか?
「もうレイハの一族の生き残りはレイハだけになったにょ」
「え?」
「レイハの家族も、一族も、十数年前に起きた事故で全員が亡くなったにょ。その時、レイハはサカキ様に助けられたんだにょ」
「それって……」
「なんだにょ?」
カナは前、私にサカキの下に集められた人間は必然によって集められたと言っていた。だからガイさんも、モモさんも、ジンさんも全てがサカキと密接に関係している。それは、レイハちゃんも変わらないのかもしれない。
だったら、レイハちゃんの家族が亡くなったのは、きっと……。
「どうしたんだにょ? 聴いてるにょろか、ルカ?」
堪えきれなくなった涙がホットミルクのカップへと落ちて、はねた。