VIII:彼女の生き様
「こんな隠し通路があっただなんて……」
カスミさんが雑木林によって隠蔽されていた細長い通路を通り抜けながら感心の声を漏らしている。それは俺も同感だ。山の傾斜面にあった入口がまるでダミーとでも言いたいような構造となっているんだろうか?
「どうぞ、入って」
マグマ団の幹部に案内され、踏み入った空間は綺麗に塗装された真っ白な場所であった。白い蛍光灯が照らす部屋には赤と黒のツートーン調が目立つマグマ団のトレードマークをこらした服装が浮いて見える。その内の数名がマツブサが絡まれた糸を取り外して介抱をはじめる。
意識を失っているだけなため、命には別状はないはずだ。
「なあアンズ」
「なに、ケンくん?」
「これから、どうするんだ?」
そう、俺の疑問はこれにしかつきなかった。俺が全員を先導して何かを成し遂げることはできないし、なにをしなければいいのかわからない。いや、漠然とはわかっているのかもしれない。
俺たちはカイオーガの対処へと向かったカンナさん達との合流を果たさなければならない。だが今全員のインカム越しにマサキさんからの通信はない。恐らくここでは電波が届かないのであろう。
「幹部さん」
「なに?」
アンズは一歩前へと踏み出し、カスミさんとナツメさんを差し置いて話し始めた。しかしそれがアンズのこの中での役割なんだろう。俺はそもそも役には立ちそうにないからな。
「きっと今頃、ロケット団がグラードンの掃討を行なっていると思います」
「ええ」
さっきから上の方から衝撃音が響いてきてはいる。ロケット団といっても、あのグラードン相手にどこまでやれるのか。
「あなた方はどうするおつもりですか? ここへと通してくださったことは感謝していますが、協力体制はもはや切れました。それに私たちにはあなたたちと敵対する理由はあります」
「わかっているつもりだ」
「ならば、どうするのですか?」
「私たちはマツブサ様の意向に従う」
「なら……」
と、アンズ含めカスミさんとナツメさんが警戒態勢を取る。
とと、俺もか。若干腰を落として、ベルトの方へと手を添える。
「しかしマツブサ様の意識は完全にお戻りになっておりません」
「…………」
「なので、私個人の独断で決めさせていただきます」
その彼女の言葉に一番の動揺を受けていたのは俺達ではなく、マグマ団の団員達だった。それほどまでにこの事態が予想できていなかったものであり、その時の権限が彼女に移るということなど知らなかったようだ。
「マツブサ様が復活なさるまで、マグマ団は一時解散します」
「「なっ!?」」
それはここにいる全員の反応であった。一時解散? 一体なにを考えているんだ? さすがのアンズも面食らっている。
「マツブサ様のとった行動は私たちを裏切るようなものでした。ですがマツブサ様の下に仕える身として、当然そういった覚悟はもちろんあります」
ここにいる唯一の幹部であろう彼女は他の団員へと視線を向けることなく、続けた。
「私が責任を持ってグラードンの回収及び、ロケット団の殲滅を行います」
その言葉で俺は確信した。それはアンズも同じだろう。いやこの場にいる皆が同じ考えにたどり着いたはずだ。
彼女はこういった事態に陥ったのが自分の責任だと思っているということだ。あのような事態で危うく全員が死にそうになったのだ、そういう考えに至ってしまうものもしょうがないかもしれない。しれないが、あまりにも彼女の考え方は極端すぎる。彼女にのみ責任があるというのは馬鹿げた話だからである。
「それはおかしいわ。あなたたちの身動きを制限したのは私にも原因がある」
カスミさんがそう言って、幹部の考えを否定する。
そう、確かに俺たちにも非がある。しかしなんで急にこんな話に。
「あなたたちはマツブサ様をしっかり警護。それと目覚められるまでここから出ることを禁ずる。わかったな?」
団員達に指示を出し、彼女は俺たちに一礼して入ってきた扉から出ていこうとする。
「救出していただきありがとうございました。あなた方はここにいる団員が安全なところまで案内しますので」
「待ってください!」
アンズが彼女を引き止めようとするが、幹部という席に身を置く責任感の方が勝るのか留まる気配はない。彼女の手首をアンズがつかんでも、振りほどかれてしまう。
「待ってっていってるでしょ!」
その時アンズは声を荒らげた。両目に小粒の涙を浮かべながら、真剣な眼差しで彼女を睨んでいた。その表情に、さすがに気が引けたのか彼女は立ち止まる。
「しかし……これは、私のケジメなんです。止めないでください」
「いいえ止めます。自己犠牲でどうにかなると思っているのですか!」
「ええ、思っている」
「なっ!」
「マグマ団は組織だ。上の責任を下に示すことで、マツブサ様の組織は潰えることがなくなる」
「そんなことを望んでいる団員がここにいると思っているんですか!?」
アンズの言葉を受けて、女幹部は自分の部下達を見渡してそのまま出口の方へと向き直る。
「彼らがどう思っているのか、私自身がどう思っているかなんて問題ではない。これが組織というものだ」
「言っている意味がわかりません!」
こんなにも必死に食い下がるアンズを俺は見たことがない。面識が初めての相手になぜここまで? いや、俺でも止めたとは思うが、ここまではしないしできない。なぜなら男はああいう潔さとケジメのつけ方が嫌いではなく、憧れるからだ。
それをアンズがこんなにも否定するのは、彼女に昔なにかあったからなのか? アンズがロケット団のスパイであった事実は揺るぎない。でも、なにかがあったことは確かだ。だって、アンズを見ていればわかる。アンズは自らスパイとなったわけではないように見えるからだ。
「放してくれ」
「放しません!」
アンズは女幹部の裾にしがみついたまま、掴んだ手にこもった力をゆるめそうにない。
「なぜここまでする? 私はお前たちの敵なんだぞ?」
「関係ありません!」
ここまで固執する理由はなんなのか。俺はまだアンズのことを何もわかっていないんだということを実感させられる。そんな俺を察してくれたのか、カスミさんが右肩に彼女の手をのせてくれる。
「カスミさん」
残念ながらカスミさん自身も詳細を知らないようで、目をつむったまま首を横に振った。
「私もあんなアンズちゃんを見るのは初めて」
「そう、なんですか」
マグマ団の幹部はそれでもアンズの引き止めに応じはしなかった。
「私も君のような年齢だったら、もう少し素直になれたのかもな。グラエナ!!」
突如として現れたポケモンは、強引にアンズを引きはがして女幹部はそそくさと退室していく。
「待って! くっ!」
アンズが彼女の後を追いに行こうとしたら、前に立ちはだかったナツメさんによって阻止される。
「ナツメさん、どいてください!」
「どけない」
「ですが!」
「どけない」
口数の少ないナツメさんの言葉は、短いがそれだけに強力である。だからこそ、二回も同じことを言われたという意味をアンズは感じ取ったのだろう。逆らえないということが、俺にもわかる。
「アンズちゃん……」
駆け寄ったカスミさんの胸でアンズはむせび泣く。
「なんでですか? なんで、なんであの人は行ってしまったんですか?」
アンズには理解できないのだろう。それもそうだ、俺にも多少の憧れは描いてはいても、その深層心理を理解することはできない。だが、それでも俺には彼女を止めることはできなかっただろう。
走り去っていったあの人の後ろ姿とグラエナの姿は、なぜだか俺の脳に強く焼き付けられた。
「なんで、行かせてくれなかったんですか……」
脱力してしまったのか、アンズは抵抗の意も見せず、言葉だけが漏れてはかすれていく。
アンズがダブルスパイのような任につき、それを最後まで全うできなかったのは彼女が優しすぎるからかもしれないと俺はその時思った。だからこそ付け入る隙をダイゴに与えてしまったし、俺自身も彼女を揺らがせてしまった。
「最優先事項、カンナ達との合流」
「ナツメさん……そう、ですね」
アンズ以外のメンバーも釈然とはしていないのだろう。だが年長者として、一つの感情によって皆を危険へと晒すような事態は避けなければならない。
「私たちはここで退散」
「は、はい……」
ナツメさんがマグマ団の一人に話しかけ、拙い返事がかえってくる。
「あ、あのっ!」
俺がアンズを抱えるように支え、案内された違う出口から外へ行こうとしたとき後ろから呼び止められた。それは俺達をここまで誘導してくれた団員だった。敵同士だと気づかないことはたくさんあるんだろう。そうでもなければ、このマグマ団に同情するなんてことはないはずだからだ。
「ありがとうございました」
そこで彼が浮かべた、決死の笑顔を……俺は忘れることはないと思う。なにがひっかかったのかはわからない。でも、忘れようとしても忘れられなかった。
俺たちが抜けていったトンネルのような空洞は、砂漠の方へと続いていた。煙突山のいただきが見えることができ、さきほどから凄まじい衝撃音が空と大地に響いていた。まだグラードンが暴れている証だろう。
「自信を持ってね二人とも。私たちはきちんと任務をこなした。そう、思って」
最後につけたカスミさんの言葉はきっと優しさであろう。その優しさに甘んじることしか今の俺にはできないし、アンズは黙りこくったままだ。
ナツメさんのフーディンが形成した念動力によるシールドによって砂嵐から身を守りつつ、砂漠を出ようとしたとき新たなる異変が生じた。
「ナツメさん、あれ!」
「!!」
「なっ!?」
「……!!」
カスミさんの指摘で煙突山を振り返った俺たちが見たものは、この世の光景とは思えないものだった。大爆発と轟音と共に、天高く一本の柱がのびていたのだ。灼熱のマグマによって形成された柱は、まるでグラードンの勝利を祝うような煙突山の祝砲にも見て取れた。
だが真相はわからない。もしかしたらロケット団がグラードンを討伐する際にできたものなのかもしれない。だが、あれほどの大量な噴火が起きて、生身の人間が無事でいられるはずがない。だが、そんなことを確認する力も時間も今の俺たちにはなかった。
「急ぐ」
ナツメさんのその言葉に引っ張られるようにして、俺たちは急ぎ足でその場から退却したのであった。
第十九章 完