「裏」:暗躍者
「どうなされますか、ハル様?」
「難しいわね」
暗闇の中、ハルと呼ばれた少女が悩み声をあげる。
彼女の周りに集っているのは怪しげな装束に身を包み、大きなテーブルの上にホウエンの地図を広げていた。その後ろには全国地図が控えている。
ホウエンの地図には、煙突山辺りとルネシティ東部の海面が赤いマーカーで丸付けされていた。その位置は明確にマグマ団とアクア団のアジトを指している。
「このままではロケット団が事態の鎮静をなしてしまいますが」
「それは構わないでしょう」
「ですが、それでは……」
そう、ハルが率いるこの集団はアルセウス教。彼女たちは今、このホウエンで起こっていることの対応について談義していた。
「アルセウス教は、この度のホウエンの騒動には加担いたしません」
「ですが!」
「黙りなさい!」
「…………」
ハルもわかっていた。アルセウス教の本拠地であるシンオウがロケット団によって支配下に置かれてしまった今、ロケット団との連携は重要となってくる。しかしそれを重要視しているのはアルセウス教の推進派の連中であり、ハルのような保守派にとってはロケット団との協力は拒否している。
ただそれが意味することはロケット団との対立。それは推進派も保守派も望んではいないことである。だからこそ、彼らは今のホウエンで起こっていることに対しての対処に困っていた。
ロケット団の助力として動くのか、ロケット団より先に動くのか。その決断の時が刻一刻と迫っているのだ。
「ハル様、それでは一体我々はどうすれば」
そしてハルは後ろに控えていた両親に会釈して、その場にいるアルセウス教の者達へと告げた。
「私たちはこれ以上ロケット団の前でイイ子でいる気はありません。あの日、ロケット団に私たちの居場所を奪われた私たちには……」
そう。あの日、つまりはロケット団が全国を制覇した時にアルセウス教の本拠地は彼らに乗っ取られてしまった。だがそのことは一般には公開されてはいない。サカキはアルセウス教が持つその圧倒的支配力を利用することを選んだのだ。例えその宗教が薄れつつあると言っても、シンオウに置ける政治や歴史の背景には必ずアルセウス教が轡(たずな)をひいているのだから。
だからハル達一家はサント・アンヌ号にてこのホウエンの地まで流された、否、左遷されたのだ。しかし彼らはアルセウス教のトップとしてそのような仕草は見せないでいた。ただただ自分たちがアルセウス教の者であるプライドを保ち続けていたのだ。
そうであったからこそ、あの時ハルがルカに会えたのは僥倖と言えるのかもしれない。心の持ちように幾分のゆとりと、このままではいけないという責任感を持つことができたのだから。そして彼女はその目に焼き付けた。ロケット団の誇る圧倒的<力>というものに。
「それはシンオウの彼らを見捨てるということですかな?」
「いいえ、違います。シンオウに残された彼らの為にこそ私たちは抗うのです」
「ですが! 今の我々にそのような戦力はありませんぞ!」
「誰が武力を用いると言ったのです?」
ハルはメディターを目指す一人の少女と出会った。
その少女は一人だった。一人で自分の大切な人の為に頑張っていた。ロケット団によって、サカキという男によって日常を奪い去られてしまった少女だった。
私情が混じってしまっているのはハル自身もわかっていた。だが、そういった人間がいる。例えアルセウス教の人間でないにしても、そういう人たちがいるという事実は消えていない。
「無駄な血を流す気などありません。私たちは神アルセウスのこどもたちです。神の御心に従う者、己の信ずる道を進むのです」
「「はい!」」
「まずはキッサキ神殿でおきた事態を収取にいきます。それで多少はロケット団も余計な口出しは控えるでしょう
ホウエンにて活動を行なっていた全てのアルセウス教の内通者がここに屯っている。数は少ないけれど、彼らには誰にも負けない絶対無二の力があった。それは信仰である。
信仰心とは一見夢幻のものに見えようとも、それは人を動かす原動力ともなる。その道理をハルは人一倍理解していた。だからこそ、人の上に立つ、立てる存在なのである。
もし今のハルが、ルカがロケット団に所属していると知ったらどう思うのか。少なくともハルは、アルセウス教の君主として立ち振舞っていると同時にルカの友人として今の戦況を傍視してきた。そしてこのホウエンの地にて考慮しなければならない存在もいる。
スウセルア教。
彼らの動向も未だ目立った動き無し。このホウエンにて起こっている異常現象。そして集った三つの勢力。
ロケット団による侵攻に最後まで抗い続けたこのホウエンの地で、また新たな火種が弾けんとしていた……。
「待たせたな」
一人の男がジョウト屈指の港街であるアサギの埠頭に足を下ろした。
船荷などを収容する巨大な倉庫が群れる内の一つに、その男は入っていく。するとそこで待ち構えていたのは複数人の男女。
「いいえ。それよりもホウエンは凄いことになっているようですね?」
一人の女性が男へと歩み寄りながら、そう尋ねる。
「なに、計画通りさ」
男はつかつかと深奥部へと歩いていく。その背後で一人の青年が問いかける。
「しかし良いんですか? あのような手では向こうの方々がかわいそうに思えますが」
「敵の裏をかくには、まず味方から……と言うだろう?」
「あまり良い気はしませんね」
男の傍若無人さに青年は納得いかないように言葉を濁すが、男は構わないように振舞う。
「しかし良くこれだけの人間が集まってくれたものだな」
意外そうに男はここへと集った面々を見渡して感嘆する。
「まあ誰もがそれほどまでに不満を抱いているということだよ、元ホウエンチャンピオン」
「棘のある言い方じゃないか、マツバ」
暗闇からいきなり現れた気配に男は感づき、不敵に笑みを浮かべて迎え出る。
「こっちとしても、街が好き放題にされて困ってるんですよね。もう、信じられません!」
ぷんぷんと頬を膨らませているのはこのアサギのジムリーダーであるミカンである。冬だというのに彼女のトレンドマークである純白のワンピースは健在である。頭には白いニット帽、肩にも同色のカーデガンとしっかりと耐寒対策はできているようではあるが。
「そう怒るなミカン。それよりもダイゴ、ちゃんとフォローは入れるんだろうな?」
「無事終わったらな」
先ほど闇から突如として登場したエンジュシティジムリーダーであるマツバの言葉にダイゴは簡潔に答える。
「お前なあ……」
「時間がない。それにホウエンに奴らの注目が行っている今しかチャンスはない」
ホウエンにてカントーで集った協力者達を裏切ったダイゴ。そんな彼が今いる場所はジョウト地方。もはやカントー地方とは目と鼻の先にあるところである。
「まあいいさ。俺達もいつお前が独断専行……いや裏切るかわからないからな、手短に予定通り終わらせられるのなら終わらせよう」
そしてここまでの経緯を知っているマツバだからこそ、今のダイゴとも話ができた。
マツバが秘密裏に集めたジムリーダー達は、それぞれにロケット団への不信感を抱いている。そして誰もが一様は信頼のおける者たちだとダイゴも思っているのだろう。それはもちろん、勝手な行動は取らないであろうという意味において、ではあるが……。
「それでも僕はダイゴさんのやり方には納得いきません。そしていつかこっちも裏切られるとわかっている人と協力だなんて」
さっき不満をこぼしていたのはキキョウシティジムリーダーのハヤトである。
「そう言うなハヤト。確かに虫のいい話ではあるし、勝手が違う。だけどな、こんなことをするなんて向こうが予測できるか?」
「そ、それは……」
「そこが狙いなんだ。こちら側の混乱は相手に付け入る隙を与えてしまうが、その付け入る隙をこちらのチャンスとして活かすにはこういったやり方しかない」
「……マツバさんがそこまで言うなら」
ダイゴは目配りだけでマツバに謝礼すると、それを勘繰ったマツバはもう二人の協力者へと向く。
「異存はないか、シジマさんにイブキ?」
「無論だ」
「ないわ」
目を瞑ったままタンバのジムリーダーはコンテナの上で瞑想しており、フスベのドラゴン使いジムリーダーのイブキは同じコンテナに背をあずけたまま手短に答える。
「さすがにジョウトのジムリーダー全員とはいかなかったか」
「ああ……。ツクシとアカネに関しては年が年だからな」
それは彼らを信頼しないという意味ではない。意味ではないにしても、まだ十代前半の彼らには荷が重すぎると判断したのだろう。
「それじゃ、チョウジのヤナギさんは?」
「あの人は、完全にあちら側の人間だった」
「なに?」
ダイゴの問いにマツバは声を潜めて耳元で伝える。
「どうやらヤナギさんが裏で手を引いて奴らをジョウトへと引き込んだらしい」
「そういうことだったのか」
「ああ。それこそサカキという男が侮れない。さすがのワタルさんもヤナギのじいさん相手には分が悪いからな」
様々な陰謀が裏で行われ続けている今、なにが起こっていても不思議ではない。ダイゴのステージは今、ホウエンからジョウトへと移った。そしてホウエンの騒動がまだ続いている中、ダイゴとジョウトのジムリーダー達によるステージが始まらんとしていた。
「見つけた」
「……誰、ですか?」
「そんなに警戒しなくてもいいわ、最後の八柱力さん」
妖艶に満ちたその声の主はミュウ。その言葉が向けられるのは白き龍レシラムと黒き龍ゼクロムを従える一人の少年に対してであった。
ここがどこなのか? それは人が踏み入ることのできない領域であるのかもしれない。そもそも現存する場所なのかも、この異様な空気の中では定かではない。
だがそこには少年がいた。その肩にゾロアというポケモンを乗せながら。
「八柱力? ……それにしてもお姉さん凄いですね。レシラムとゼクロムがこんなにも警戒しない人なんて会ったことないですよ」
「あら、いつ人間だなんて言ったかしら」
「え?」
まるで世界そのものを諦めてしまっている眼をした少年をミュウは楽しげに見つめて止まない。なぜなら彼女はこういった人間を弄ぶのが大好きだからだ。
「まあ、今はそんなに時間はないから後にしましょう」
「何を言っているんですか? それに、用がないならお引き取りください」
あくまでも腰を低くして少年はミュウへと言葉を連ねる。しかしその口調には抑揚の一切が見受けられない。まるで何にも感心がないようである。
「あなたの望みはなにかしら?」
「……消えて、無くなりたいことかな」
「ならその望み、叶えたいと思わない?」
「できるならとっくにしてるさ」
少年がレシラムとゼクロムを従えているのではない。レシラムとゼクロムが少年を監視していたのだ。それは彼が八柱力の一人であり、この世界の均衡を担う貴重な存在であるからだ。
「N……その名前があなたの全てを物語っている」
ミュウは口が裂けてしまいそうな程の笑みを携えて、Nという名の少年の耳元で囁く。
「あなたの望みを叶えてあげるわ」
と……。