V:打倒ダイゴ
空は快晴。
こうやって天を仰いでいたら、心が澄み通っていくのだろう。緩やかに流動していく小さな雲の塊が、心を露わにしてくれる。もうなにもしなくても許されそうな、そんな錯覚に陥りそうになりながら
「しっかりしな、ケン!」
俺を幻想の淵から生き返らせてくれたのは、カンナさんの手厳しい怒号だった。
アンズを懐に抱いたまま放心していた俺の体は彼女のぬくもりを再確認しはじめる。
そうだ、アンズをっ!
「アンズ?!」
「ケン、くん……」
「大丈夫か?」
「それ、さっきも聞いてたよ」
はにかみながら、アンズは笑みを浮かべる。それが俺を安心させようとしての表情であることが痛いほどにわかってしまう。
だから俺には信じられないのだ。アンズが、敵側のスパイだったということが。また、また俺は大切な人間との絆を失ってしまうのだろうか。
「シット!!」
カンナさんが激情を露わにして、先の戦闘にて飛び散った岩床を蹴り飛ばす。
俺の視界にいるだけでもミツルさんとカスミさんはぐったりと倒れたままであり、エリカさんがカスミさんを、マサキさんがミツルさんの介護にあたっている。
「大丈夫ですか、カスミさん?」
「うぅ、あ、エリカさん?」
「大丈夫ですよ」
「え?」
エリカさんが優しくカスミさんの頭を撫でている。
「そう、だ。サ、サトシは? サトシはどこにいるの?」
痛みがまだ取れないであろう頭を片手で抑えながら、きょろきょろとカスミさんはまだ完全に回復してはいないであろう視界を頼りにサトシさんを模索していた。
「サトシさんは……行ってしまわれましたよ」
「え? どこに?」
カスミさんは虚空を眺めていた、サトシさんが飛び立っていった方角を。
「ダイゴさんを追いに、ですわ」
「ダイゴ、さん……」
恐らくサトシさんでもダイゴさんを見つけることはできないだろう。あの人は【テレポート】を使ったのだ。それがなにを意味するかは同じエスパータイプを持つ俺ならわかる。
あの人の実力を鑑みれば、当に近くにいるはずがない。
「大丈夫でっか、ミツルはん!」
「うぅ……マサキさん?」
「なして、こないなことに」
マサキさんは苦渋の表情を浮かべていた。それもそうだ、あの人は勝手に自宅から拉致られて、賛同したとは言ってもダイゴさんに利用されるだけされて見離されたのだ。
研究者として、一技術者として一体どれほどダイゴさんに貢献したのだろうか。それは俺には計り知れない。
そういえばカスミさんやアンズから聞いたマサキさんの拉致事件にはこういった経緯があったと聞いた。最初に報道された銀行強盗の報道のさいに取り上げられた車両はアンズ達が乗っていたものだったらしい。
カンナさん達はダイゴさんから指示された口座に資金を振り込んでいた最中に、ロケット団の強盗団と出くわしたらしい。ポケモンを使っての強奪行動を見過ごせなかったアンズがロケット団員を自身の手で一掃、彼らが乗ってきたバンを乗っ取って次の任務であるマサキさんの誘拐へとことを移したらしい。
だから報道では保護されたロケット団員達が一般市民扱いされ、そのまま元々ロケット団員達が使っていたバンが犯行用のままであったが為、そのままニュースで取り上げられたのだ。
一体それがなんの口座であったのかはわからないが、今はそのことについて考えている場合ではなかった。
「ケンくん?」
「アンズ……」
俺は傍にアンズを抱きかかえたまま近くにいるのに、どうしても距離を感じてしまう。そう、俺は一つの真偽を確かめなければならない。
カンナさんがナツメさんを抱え起こしてはいるが、未だ苛立ちの念は消え去っていない。
「あのね、私……」
そして俺はわかっていたのだ。彼女の心情を。だけど、言葉にされないとわからないのだ。
でも、聞くのが怖い。
「私はっ」
「アンズ」
「言わせて」
「……ああ」
この短期間で俺とアンズは惹かれあうようにして距離がどんどん縮まっていった。それは同年代であることもあるだろうが、なにか相通じるものがあったからだろう。
それがなにかはわからないが、それでも確かになにかを感じていた。
「私は確かにお父上の命により、くノ一としての責務を果たしました。でも、それは一度だけ……。あなたに出会って、私はわからなくなったのです」
「アンズ。もしかして、それがアンズの悩みだったのか?」
時折アンズが見せていた影。その原因が俺にあったというのか?
そして彼女のこのしゃべり方に、俺は違和感を抱かざるをえない。
「だから、だから私は逃げ出せなかった。あなたを忘れたくない、裏切りたくなかったから……。あの日から、私は……」
アンズの両目に溜まった涙が彼女の頬を伝う。揺らぐ瞳から流れ落ちる雫は愛おしく、俺はその輝きを口付けで受け止める。
しょっぱい味が、まるで今の状況を顕現しているかのようで、俺の目頭にもなにかがこみ上げてくる。
「え?」
「俺もだ」
彼女の頬から唇を離し、俺はアンズをゆっくりと抱き寄せる。
「俺もアンズを忘れたくもないし、裏切りたくもない。あの日、アンズに約束した通り」
「ケンくん……」
そう、あの日。俺とアンズがトクサネシティ攻略後に赴いた送り火山で、俺はアンズを怒らせてしまった。その原因がなんであったかはまだわからないし、それはきっとアンズの口から直接聴かなければならないことだろう。
だが俺はアンズの傍にいると誓った。
それが彼女の、当時の彼女として在り方を狂わしてしまったのであれば俺はその責任を取るつもりだ。
例え彼女がなにものであっても、もしダイゴさんが言った通りのことをしたのだとしても、今の俺にとって許せないのはダイゴさんの方だ。
「今、俺達がしないといけないことはダイゴさんを止めることだ」
「うん」
カンナさんが頭をかきながら、片目を閉じたまま空を見上げ始める。そしてそれはカスミさんも感じ取ったことなのだろう。
「嫌な天気ね」
「そう、ですね」
「カスミ、あんたはもう少し休んでなさい」
「い、いえ、そうも言ってられないですよね、これ」
カスミさんが空を指さして、カンナさんは頷く。
何があるっていうんだ? 俺は釣られて空を見上げるが、快晴としか言いようがない天気にしか見えない。
「見たことないわ、こんな天気」
「はい、私もです……。レックウザがいなくなったから?」
「もしかして」
「はい、そうかもしれません」
レックウザがいなくなったから? どういうことだ?
そんな疑問を払拭してくれるように、答えは自ずと天から降ってきた。大量の雨だ。
「なっ!?」
突如として空を曇り空が覆い始め、シャワーのような豪雨が俺達を襲う。それは疲れきった俺達の体温を冷やし、体力を削いでいく。避難するか? と、そう思い始めた頃にまたもや異変が生じた。
一挙に雨は上がり、今度は照りつける太陽の日差しが俺達の肌を焼き殺さんとしてくる。
未だ地面で伏せっているポケモンたちも異変によって意識を戻し始めたのだろう、困惑したような表情をしながら起き始めた。
「全員ポケモンを戻して、建物にもどるわよ!」
そう先頭をきって指示を飛ばしたカンナさんのことを、俺はその時心底頼れる人なのだということを悟ったのかもしれない。俺はニューラとキュウコンをボールへと戻し、アンズに肩を貸しながら空の柱内へと戻っていった。
空の柱内部で俺達は互いに何かを語らねばならないとわかっていはいるのに、誰も一言として喋り出す人物はいなかった。ショックの方が大きいのか、それとも頭の中で整理ができないのだろうか。
俺は身勝手ながらにもアンズを置いて、皆の前に躍り出た。
「あの、いいですか」
皆の視線が俺に集中する。
「下っ端にいる俺でも、わかります。今、俺達がしなければならないことがダイゴさんを追うことでもなく復讐することでもない。そしてダイゴさんへと近付く為にも必要なことが、この異変をまず沈めることであることも」
そう、きっとこれはマグマ団とアクア団の仕業だろう。いや、そう仕向けなければダイゴさんはレックウザが現れないことを知っていたのだ。
それにあのダイゴさんの豹変ぶりを俺達が信じるわけもない。
そりゃたしかに裏切られた、裏切られたかもしれないけど。
「そうだな。あいつの顔をぶん殴らないと、私の煮えくり返った腹は静まりはしない」
氷結の女王として恐れられているカンナさんの背後からはメラメラと燃え盛る怒りのオーラが放たれていた。
それは俺がリョウに対して抱いていたものと同等なものなのだろう。
「私はサトシを追います。その為のことならなんだって……つっ」
「大丈夫?」
カスミさんとエリカさんも異論はないみたいだ。
「僕も、ダイゴさんに聞きたいことがありますから」
ミツルさんはそう言って俺に微笑みかけてくれた。この人はいつも自分を犠牲にしているから、優しいんだろうな。きっと自分が一番ダイゴさんに尽くしていたというのに、笑ってみせてくれている。
「わいは、下りさせてもらうわ。きっと自分らに着いていってもあしでまといになるだけや。でもできるだけのサポートはさせてもらうで」
「マサキさん、ありがとうございます」
「なーに、ケンくんも頑張っとるんや。わいも頑張らんとな」
マサキさんがコガネ出身であってくれて良かったと思ったのはこれが初めてかもしれない。ムードメーカーとしては十分なほどに空気を和ませてくれる。
「ナツメさんは?」
ずっと黙ったまま俺を直視し続けているナツメさんに俺はおそるおそる尋ねる。
「必要事項」
「……ありがとうございます!」
美白肌に泥がついてしまっていてもナツメさんが纏う独特な雰囲気は取り払われはしない。そんな自我をこういった状況でも保ち続けられるこの人たちを俺は心底尊敬する。
「アンズも、今までよりももっと働くのよ」
「カンナさん……。はい!」
そしてカンナさんはこれから起きうるであろうメンバー内の摩擦要素をその一言で取り払ってくれた。最悪、俺だけでもと思っていたがアンズのことは皆知って黙っていたのかもしれない。
俺は自分の胸が底のほうから温かくなっていくのを感じ取ることができた。そして俺はアンズがこういう人物であるからこそ、完全に彼女を疑うことができなかったのだろう。
「まあ、いいわ。これから私たちはグラードン・カイオーガの沈静化へと移るわ」
カンナさんが懐から出したタバコに火を灯し、俺達面々の顔を一巡した。
「はい」
「☆※●▽!」
カスミさんは昔旅に出ていた時と同じようにして髪を後ろで一つに束ねた。スターミーもボールから飛び出し、体を回転させてその意気込みを見せつける。
他の面々のポケモンも飛び出し、体力が疲弊しているにもかかわらず、主と同じ意志を表明する。
「これから忙しくなりそうですね」
「らーふぅ!」
エリカさんは自前のカチューシャを取り外して埃を払う。エリカさんのラフレシアが頭部からアロマの香りを漂わせる胞子を噴出し、辺りを和ませる。
「仕方がない」
「ごすごーす」
ナツメさんは汚れてしまった自分の服を不満そうに見下ろしながら、顔の泥を拭う。主人の服をぱたぱたとゴーストが一生懸命に埃を払う。
「やりましょう」
「れいっ!」
ミツルさんは拳をぎゅっと握り、前へとかざす。同じようにして彼のエルレイドもポーズを取る。
「わいを怒らせたらコワイでぇ」
「ぶい?」
マサキさんはノートパソコンを突き出して意志を露にする。連なるようにしてイーブイも声を高々に鳴く。
「絶対に止めようね」
「いとまぁ」
アンズは俺の腕へと手を伸ばし、見上げてくる。彼女の腕にしがみついているイトマルも俺を見上げ、力強い瞳を向けてくれる。
「ああ、絶対にな」
「にゅら!」
ああ、そうだ。絶対に止めるんだ。
ダイゴさんが何を考えているかはわからないからこそ、俺達はあの人を放っておくわけにはいかない。その闘志はニューラにも伝わっているみたいだ。
「なら行くわよ。私たちの手にかかれば伝説のポケモンの一体や二体、問題じゃないわ」
「やぁーど!」
カンナさんの自信にここにいる誰もが疑うことを知らなかった。そう、俺達ならやれる。やるしかないのだから。
「打倒ダイゴ! あいつをぶっ潰す!!」
「「おう!」」
やってやる。やってやるんだ!