「裏」:整いたる舞台
ヤマブキシティにそびえるシルフカンパニーの建物はもはやこの街、いや国の象徴として君臨している。今まで国のトップが存在していなかった為に、それ専用の施設は存在しなかった。各地方に点在していた協会の上層部、つまりは四天王及びチャンピオンによって統制は取られていたからだ。
つまり、今までになかった役職にサカキが就いたことにより、事実上サカキは自由に政務を行うことができている。それこそが彼の狙いであり、突然のクーデターないし制圧に乗り出した要因の一つともなっている。
「レジギガスが奪取されたもようです」
「そうか、裏の裏をかかれたというわけか」
サカキは表情を何一つ変えず、ただじっと自室の社長室からヤマブキシティ全体を見下ろしていた。
いつぞやケンに電話をかけた時とはうって変わって。
「この私がこの座から降りることはこれより3年間はありえない」
「は、はい」
一人語りだすサカキを、後ろに控えている秘書が戸惑いながら相槌をうちはじめる。
「そう、計算していたんだがな。これからの戦いでロケット団じゃ戦力の大半を失うことは覚悟しなければならないな」
「そうなのですか?」
サカキは全てを達観しているのはもはや言うまでもないだろう。だがどこまでを彼が事態を掌握しているのかは依然闇の中だ。
「ミュウツーの調整はどうなっている?」
「はい、ただいまチイラの実による投与が行われています」
「そうか、やっとか」
「オーキド博士によりますと、そろそろかと」
「なら間に合いそうだな」
「はい?」
何に間に合うのか? それを秘書はわからずにいた。だがサカキの部屋にいるもう一人の女性は笑みを携えながらソファから立ち上がる。
「あの娘(こ)達も間に合いそうなのですか?」
「気になるか?」
「当たり前です」
「なに、きっとレイハが守ってくれるだろう。それに面白い奴が接触してきたらしいからな」
「そうなのですか?」
「手塩にかけて育てた連中だ、なにもバトルに強いだけがこの世界を生き残る術ではない」
サカキは日の沈んでいくヤマブキの街を一望し、一瞬ではあるが哀愁を漂わせるため息をついた。
「さて、残るは舞台を用意することだな。ホウエンの英雄には華々しく散ってもらうことにしようか」
「これがあなたの描いたシナリオですか?」
「シナリオ、か。悲しいことにな、この物語には主人公もライバルも存在はしないのさ」
サカキは自身の椅子に深く腰を下ろし、告げる。
「いるのはただ悲しく世界を見届ける老いぼれだけさ」
「やっとここまでたどり着いたの」
「やっとかや」
オーキドとリョウが見つめる培養液のタンクにはミュウツーが静かに眠っていた。
コポォ、コポォと空気の泡がてっぺんのほうまで伸びて行っては消える。
ここはシルフカンパニー社の地下研究棟であり、今まさに実験が最終段階へと移行している最中であった。
「十種類に及ぶ木の実を調合した培養液。全能力の向上に、長時間に及ぶボール外活動も可能となったはずじゃ」
「そもそもなげにそんな制約があっただ?」
「ミュウツーの細胞は未だ完全ではない。外気に含まれる微量な公害物質のみで、細胞の崩壊がはじまってしまう」
「難儀やのぅ。そいで? どれくらい出せられるようになっただ?」
「五分じゃのう」
「みじかっ」
「文句を言うでない。これが科学の限界じゃ」
ふぅーん、とリョウは今一度ミュウツーを見つめる。
ミュウの遺伝子をポリゴンという組織体と組み合わせ、その核となっている他のポケモン達の生命エネルギーの塊であるポケモン、ミュウツー。
そして希少な木の実が調合された培養液により、実質ミュウツーは最強のポケモンとなった。
「これで、わもダイゴとか言うやっちゃに対抗できるようになったわけや」
「強敵じゃぞ、あのダイゴという男は」
「知らん知らん。強ければいいんだけ。それに、わには倒さなならんもんがおるけん」
「……そうか」
オーキドはそれ以上何も語らず、せかせかとミュウツーの状態を管理しているマシン上に指を走らせる。するとタンクに入っていたミュウツーがボールへと収容され、それがリョウの手元へと転送されてくる。
「そんじゃ、いってくーけん」
「うむ、健闘を祈る」
「別にそうはおもっとらんくせに、無理するもんじゃないけ」
「ふっ……」
リョウはミュウツーをホルダーへと装着し、そのままエレベーターの方へと姿を消したのであった。
「くそがくそがくそがくそが!!!」
身内だとおもっていた男に突然襲撃され、目的のレジギガスをまんまと奪われてしまったシュラカは激情を露に雄叫びをあげていた。
彼の悲痛な叫び声が崩壊しているキッサキ神殿の中で反響する。
「先ほどの目標をロスト! 尋常ではないスピードで誰も追いつけません!」
「追いつけませんじゃねーんだよ! 維持でも捕まえろ!」
「はっ、は!!」
「くそが!」
報告にきた団員の襟首をつかみ取り、そのまま吐き捨てるようにして地面へと突き出す。
「さっきの連中はどうなった!」
「いま追跡中ですが、崩れ落ちてきた岩盤によって進路が遮断されています!」
「とっととどうにかしろ!」
「はっ!」
焦りが焦りを呼び、シュラカの思考能力を徐々に徐々に奪ってゆく。
全ては完璧に進行していた。レジアイスの搬送の時も連絡はあった。その直後にサトシがレジアイスを横取りしたのだろうと、シュラカは踏んでいた。
「ずいぶんの荒れようですねシュラカ」
「あぁん?! 誰だきさっ……!?」
近寄ってきた配属部隊の一員にそう告げられ、シュラカは鋭い視線でその人物を睨み口淀んだ。なぜならその団員の顔が取り剥がされて、新たに現れた顔はロケット団における幹部の一人だったからである。
「バラッド……さ、ま」
「無様でしたよ、例え身内であっても、味方であり信頼できる人物とは思わないことです」
「な、なぜあなたがここに……」
「八柱力である者がここへと訪れそうな気がしたのでね、ちょっと混ざっていました」
シュラカのような者では例え他地方のリーダーを任されたとしても、実力でいえば幹部達の足元にも及ばない。それほどに能力における差が歴然としているのだ。
それはつまりシュラカの下についていた面々がいきなりのバラッドの登場に困惑しているのは言うまでもない。
「それよりも、この失態をどう償っていただきましょうか?」
「ぐ、そ、それは……」
「別に上に報告するつもりはありませんが、任務の失敗が組織の中でどう処理されるかは知っていますよね?」
「それは、わかっています」
サカキという絶対的指導者のもとにおける規律というもの。それはジムリーダー達が敗北をするとともに権利、及び命を奪われると同様に厳しいものである。
そう、任務の失敗はそのまま死を意味する。だからこそ彼らは常に用意周到、そして真剣であった。だが度重なる成功の連鎖に気が緩んでしまったのか、と問われれば今回においてそれは違う。なぜならば、そう、イレギュラーが発生したからである。
サトシ。
この人物が介入することでいとも簡単に奇襲を許してしまった。そしてその責任はシュラカにもある。なぜならば彼は、彼の性格上、自分の配下における団員の顔を覚えていないからだ。
少数精鋭ということは連携がものをいう。だがシュラカは命令系統における力による秩序及び統制を選んでしまった。それはシュラカが尊敬しているサカキの組織の動かし方と同じだったのである。
だからこそ彼は失態を犯してしまった。そしてそれは同時にサカキのことをただ敬虔していたにすぎず、理解するには至っていなかったことを意味する。
「どんな事態が起きても、それを完璧に遂行するのが私達ロケット団です」
「くっ」
「だからリーダーを任されたあなたには責任を取ってもらうことになります」
「ぐっ……」
ロケット団の規則をシュラカは心得ている。だがその反面、ここで潔く殺されるのは彼の流儀には反している。そう、ここで死ぬわけにはいかないのだ。
「バラッド様」
「はい、なんでしょう?」
「八柱力を監視、及び捕獲も我々の任務です」
「そうですね」
「あの連中をなんとしてでも捕まえて参ります」
「ふむ……いいでしょう」
まるで苦いものを強く噛み締めるようにしてシュラカは頭をバラッドに下げた。
「あなたの活躍をここで見守るとしましょう」
「ありがとうございます。では、行ってまいります。いくぞお前ら!」
シュラカは第二のチャンスをもらうとすかさず団員を率いてアユミ達の後を追い始める。
「「はっ!!」」
幾人かの戦闘要員がシュラカに続こうとして彼の後ろについていこうとする。が、しかし。
「とでも言うと思いましたか?」
突如として現れた一筋の虹がシュラカの胸を突き刺した。
「ぐぁっ?」
シュラカが最後に視界に納めたのは自分の前方へと伸びていく七色の光線だったであろう。それは残滓をちらつかせながら消え、彼の命の灯火を奪っていった。
膝から崩れ落ちるシュラカは、自分の中から溢れる体液の暖かさと、雪によって冷えた神殿の大理石の感触に板挟みにされながら最期を迎えた。
「任務失敗は死を意味する。それはあなたが一番わかっていただろうに……」
「シュ、シュラカ様?!」
他の面々は突然のシュラカの死に驚愕する。これが、自分たちの組織における幹部という人物なのだということを再認識させられたのである。それはすなわち頭の切り替えを要求されるに等しい。
「さあ、あなたたちがどうしなければならないのかわかりますよね?」
「「はっ!!!」」
そしてそれができるのが、正規団員である彼らなのである。だからこそ、ロケット団は強い。
「さあ、楽しい狩りの始まりです」
バラッドはもうすでに見えはしないアユミ達の姿を臨みながら、嬌笑に口を歪めるのであった。