IV:烈空の覇者
「これで任務終了だ。ご苦労だった皆」
ダイゴさんだけが一人、空の柱頂上で俺達を見下ろしながら右手にボールを握っていた。その中にはさっきまで死闘を繰り広げ、やっと手に入れた烈空の覇者であるレックウザが入っている。
マサキさんを含む俺達8人は地べたに這いつくばっていた。それはレックウザとのバトルで体力を消耗しただけではない。目の前のダイゴさんによってひれ伏せられている。
「今をもってお前たちとの契約も終了だ。後は自由に、この腐り行く世界で死んでいくがいい」
何を、言って。くっ、体が動かない。
ダイゴさんのメタグロスが繰り出した【重力】が俺達も、ポケモン達をの自由をねじ伏せている。
右頬に伝わってくる床石の感触が妙にひんやりとしていて、それが俺の恐怖心を駆り立てる。それと共に嫌な考えが脳内をめぐっては、どんどんと悪い方へと加速していく。
「まあ心配するな。すぐにまた改変が始まる」
「ダイゴ……何を言って……ぐっ……」
カンナさんが自力で立ち上がろうとするもせいぜい腕が上がるくらいで、すぐに地面へと押し戻されてしまう。
なんで、なんでこんなことに!
焦燥感がただただ胸の高鳴りを早め、視線をダイゴさんに向けるだけで精一杯になる。
「レジギガスにレックウザ。この二体があれば、俺はこの国を取り戻せる」
名の知れたジムリーダー四人に四天王一人、そして熟練ポケモントレーナーのミツルさんに元ホウエンチャンピオンだった人物が一丸となってやっと衰弱させることのできたレックウザ。野生であるがゆえ、乱暴な力の使い方に翻弄はされたものの、統率のされた俺達の攻撃の前でどうにか攻略できたのだ。
そんなポケモンがダイゴさんの手に渡り、もし彼が言っていたことを実行しようものなら、対抗できる人物などいるわけがない。あのサトシさんだって危うくなるだろう。
「ぐぅ……うぅぅ」
「だ、だいじょぶか、アンズ」
「ぅ、うん、大丈夫」
アンズは苦しそうに顔を歪め、俺の方へと必死に手をのばそうとするがそれをダイゴさんのハッサムによって遮られる。
「くぁっ!」
「なっ!」
メタグロスのアンズにかかっている【重力】だけが解除されたのか、ハッサムは右手の鋏でアンズの手首をつかみあげる。
「アンズ!」
【重力】という技は広範囲に影響が及ぶ。それゆえに範囲の操作は難しいが、ダイゴさんのポケモンはそれを制御し、コントロールすることができる。それだけに実力の差が顕著に現れる。
だがなぜダイゴさんはアンズを? 離せ、離せよ!
「まずは裏切り者に制裁を加えなければな」
「え?」
苦悶に表情を歪めるアンズにダイゴさんは歩み寄り、彼女の襟を掴む。
「さすがは忍だけのことはあるな。親子揃っていろいろとやってくれる」
「ぐっ、そんな」
アンズがなにをしたって言うんだよ!
「お前たちも騙されていたみたいだから言っておこう。アンズはサカキからの刺客だ」
なっ……。
は?
アンズの髪が無造作に揺れる。ダイゴさんのアンズを掴む拳に力が入っているんだ。
「こいつのせいでいろいろと支障は来したが、まあなんとかなった。俺もお前をうまく利用させてもらったからな」
「ダ、ダイゴさん、わ、私は……」
「黙れ」
「くは!」
アンズは容赦なくダイゴさんに頬をひっぱたかれる。
「アンズ! ア、アンズを離せ!」
俺は思いっきり声を出して叫ぶが、ダイゴさんからの鋭い眼光に俺の腹底が急速に冷えていく。
なんなんだ? 誰なんだこの人は? これが俺の知っているダイゴという人物なのか?
「な、なんでですかダイゴさん!」
この中で一番ショックを受けているのはミツルさんだろう。俺の見た限りでは、ミツルさんが一番ダイゴさんの傍にいた。いつ、いかなる時にでもだ。それだけで彼のダイゴという男に対する忠誠心が高かったのが窺えた。
「ミツルか。お前は良く働いてくれた。せめてもの情けに、お前だけは生かしといてやる。ハッサム、やれ」
「ハッサム!」
赤い鋼鉄で体を覆うストライクの進化系は、その左手をミツルの頭部へと振り下ろす。ガツンという音と共にミツルさんの頭部は床へと叩きつけられ、彼の意識は奪い去られる。
これで他の全員に、ダイゴが本気であるということが確実に明白となった。
「な、なんでや、なんでなんやダイゴはん……」
ダイゴは、マサキさんを一瞥し何も言わないままアンズの方へと向き直る。
「おかしいとは思ってはいた。だからこそ途中から泳がせた」
「くっ……」
なんで? なんでだ? なんでアンズがサカキの手の者だってわかったんだ。
「困惑しているみたいだなケン。ならば教えてやる」
ダイゴさんが俺を見下しながら、淡々とアンズを疑うに至った行動を列挙していった。
「トクサネでのサカキからの通信、あれは起こるはずのないことだった。ケン、お前のポケナビはダミーナンバーじゃなかったってことだ」
「でも、それだけじゃ!」
「ああ、そのとおりだ。これだけじゃアンズを疑う要因にはならない」
「なら!」
俺はずっとアンズと一緒にいた。アンズがなにか怪しい行動にでたとこなんて、見たこともない。
「俺達が一緒に行動する時、必ずロケット団からの接触があった。それはロケットの打ち上げの時でもそうだった」
「そんな」
「だから俺はアンズをお前と組ませた。アンズが下手に動けるようにしながらな」
「な、に?」
もしアンズを疑っていたのなら手元に置いて監視をすることができる。なのになんで何も知らないような俺と組ませたんだ?
ま、まさか……。
「そうだ、情報源が皆無なお前といてアンズが何かをサカキへと報告することはできない。もどかしかったんじゃないか、アンズ?」
「くっ」
悔しそうに眉を曲げるアンズに容赦ないダイゴさんの腕力が加わっていく。
「アンズちゃんを放して! 放しなさい!!」
カスミさんが視線を合わせられずに叫んでも、それはダイゴさんには届かない。
「のちのちの為にお前たちも始末しておいてやるから安心しろ。ハッサム」
ハッサムの両腕が銀色に輝き始める。あ、あれは……。
ダイゴはアンズを放り投げ、その先に構えているのは技を繰り出そうとしているハッサムの姿。
「や、やめろぉ!」
「俺に歯向かった報いだ」
【重力】による重圧に逆らいながら、俺はアンズへと手を伸ばした。投げ出されたアンズの表情は恐怖に歪み、眼前に迫るハッサムの攻撃を前にもはや声を上げることも叶わない。
全てがまるでスローモーションのように動いているようで、俺はただ叫ぶことしかできない。や、やめろ、やめてくれ!
ハッサムの両手はアンズの頭部へと狙いを定め、次の瞬間、アンズの脳天はかちわられてしまう。
「アンズ!」
「アンズちゃん!!」
土埃を撒き散らす程の衝撃が振動となって体に伝わってくる。
それは、いくらダイゴのハッサムだからといって、【メタルクロー】の威力としては到底考えられるものではなかった。
「間に合ったかな」
「戻ったか、サトシくん」
「これはどういうことですか、ダイゴさん」
「なに、最初から今まで全て予定通りだよ」
現れたのは、【アイアンテール】でハッサムの【メタルクロー】を防ぎきったサトシさんのピカチュウだった。
サトシさんはその両腕にアンズを抱きかかえ、その後ろにはここまで飛ばしてきたリザードンが疲れ気味に息を整えている。一体どれくらいの速さでここまで飛ばしてきたんだろう。
「さあサトシくん、レジギガスを渡してもらおうか」
「渡すとでも思っているんですか?」
「ああ、思うね。なにせ」
ダイゴさんが指を鳴らし、それを合図にカスミさんの絶叫が響きわたる。
「カスミ! やめろ!!」
カスミさんの顔は俺からは後頭部しか見えないが、床へとめり込んでいた。このままじゃ、カスミさんは!
「ならばレジギガスを渡すんだ。また親友を失ってもいいのかい、サトシくん?」
「くっ!」
「あ゛あ゛あああぁぁぁぁ」
耳を塞ぎたくなるような金切り声に、サトシさんはレジギガスの入ったボールをダイゴさんに投擲することで止めさせる。
「ご苦労だった。それでは、さよならだ諸君」
そして次の瞬間、ダイゴさんは目の前から消えた。恐らくテレポートだろう。急激に体を圧迫していた不可視な力が消え去り、俺達は解放される。
確実に俺たちは全員殺されるところだった。それをサトシさんは救ってくれたんだ。
「ア、アンズ!」
「くぁ、こほっ、かはっ」
俺は地を這い蹲りながらアンズのもとへと寄って、彼女を介抱する。
「大丈夫か?」
「ぅ、うん、ありがとうケンくん」
俺には信じられない。アンズが、アンズがサカキの送り込んだ刺客だということが。
だって、だって、そうだとしたら俺がアンズに抱いていた感情はどうなっちまうんだ? 消えるのか? それとも俺の心の奥底でへばりついたまま落ちなくなるのか? わからない、わからないんだ。
「カスミ? カスミ!」
頭部を圧迫された為だろうか? 脳へ酸素が行かずに軽い酸欠状態に陥っている。
ナツメさんをカンナさんが抱き起こし、エリカさんは自力で起き上がる。ミツルさんは未だに昏睡状態におり、マサキさんに至っては持ち込んでいたレックウザのデータをそのままダイゴさんに奪われてしまった。
見るからに、全滅だ。
「ケンくん、大丈夫かい」
「サトシさん……。カスミさんは?」
「ああ、命に別状はないみたいだ。それよりも、何が起こったのか教えてくれないか?」
「え?」
「何が起こったか、教えてくれ」
とても落ち着いた表情でサトシさんは俺を直視する。
この人は、強いんだな。そう直感した。
俺はアンズを抱えながら、ゆっくりと語りだす。ここで何が起こったのかを、そしてレックウザとの戦いがどれほどのものであったのかを。
カンナさんとカスミさんがレックウザの尾を凍らせて対空でのバランスをなくさせた。エリカさんが状態異常の技でレックウザを翻弄させ、ナツメさんが体力を消耗させる。ミツルさんとダイゴさんが主力となり正面からレックウザを押さえ込み、俺とアンズとで側面から攻め込む。
それでやっとこさ勝ち取ったのだ、勝利を。少なくとも30匹以上いたポケモン達を相手にレックウザは対抗し、こちらの戦力を大幅に削った。
俺のポケモンもニューラを残してはほとんどが瀕死状態になった。
そしてやっと一息つけるかと思った途端に、ダイゴさんが反旗を翻したのだ。彼が最初からこのつもりでいたのか、そうでなかったのかはわからない。
でも、結果的にダイゴさんは俺達を利用したんだ。
くそっ! くそっ!!
思い返すことで溢れかえってくる感情を、俺は押し殺すも、両目からは涙が浮かんできてしまう。
「わかった、ありがとうケンくん。それじゃ僕はいくよ」
「え? ど、どこに行くんですか!?」
「ダイゴさん……いや、ダイゴをぶっ潰しにさ」
「え?」
サトシさんはカスミさんの頬を愛でて、そしてすくっと立ち上がる。
全員の視線がサトシさんに集まり、史上最強のトレーナーは声を張った。
「これから、きっと大規模な戦闘が起こると思います。そしてそれはきっと各地にも被害が及ぶでしょう」
そしてサトシさんが俺達に言い渡す。
「皆さんにはここ、ホウエンで事態の収拾に専念してもらいたい。まずはアクア団とマグマ団を止めてください」
空の柱であるからそんなにも感じなかったが、ここへ来る途中はずっと天気雨だった。そして度々に天気の入れ替わりが激しいのが、空の柱からだとよくわかった。
最初はレックウザによる影響だと考えていたが、さっきまでより明らかに天候は悪化している。
「僕はダイゴを止めにいきます。カスミのこと、どうぞよろしくお願いします」
そこで小さく会釈したサトシさんは、ピカチュウを肩に乗せると、帽子を深く被った。彼はリザードンに跨り、そしてそのまま空へと飛び立って行ってしまう。
だんだんと小さくなって見えなくなってしまうまで、俺はサトシさんから視線を外すことができなかった。
こうして俺達は取り残されてしまった。それぞれの心に深い傷を負って、俺たちは主を失い、ただ呆然とするしかなかったんだ。