IV:託された言葉
ヘリコプターが私の視界に次々とは現れ、中からロープを伝って今では氷花と貸したハナダデパートへとたくさんの制服に身を包んだ人達が降り立つ。
「君っ、大丈夫か?!」
十、二十と現れる救助隊の人々の中に私とカナの方へと駆け寄ってくる影が一つ。
「チーフ、全員が【毒針】をくらっています!」
「ちっ、よくもやってくれたなロケット団! いいか、一刻も早く全員を病院へ搬送しろ!」
「「はっ!」」
切迫とした風景をただ茫然と眺める。
「君っ! 手を放してくれないか?」
耳元で上がる大きく急(せ)いた声をきいて、私はカナを握る手に力を込める。
「君はこの子の友達なのかい?! だったら、君も一緒に来なさい! 君も早く治療を―――!」
「いい。早くその子を連れていけ」
野太くも芯のある声。その声にレスキュー隊員の人の私に対する言葉は遮られる。
「は? し、しかし!」
「いいから、行けっ」
「はい!」
私からカナを掻(か)っ攫(さら)うようにレスキュー隊の人はカナを奪ってヘリコプターへと速足に戻っていく。
目の前にはグレイのコートに無精ひげの男の人が私を見下ろしてくる。まるで、狼のような鋭い眼光は私を見下ろして洞察する。
「おいっ」
氷の刃のように、触れるだけで胸の奥が痛むその声に、私は寒さ以外の震えを覚える。
ヘリの旋回音がうるさく、さっきのレスキュー隊の人が大声をあげていたのにもかかわらず、目の前の人の声は小さくとも鮮明に耳の中へと入ってくる。
「お前が、やったのか?」
やった? 何を? 私が、何をやったっていうの?
そんな思考が頭を巡り、口からは何も発さない。
「そうか……。悪かったな……」
男の人は私の頭の上に、大きな手を乗せる。
その手は、さっきの眼光とは裏腹にとても柔らかなタッチであった。だけどそんなもの今の私は欲しくない。
「行こう。君の友達も大丈夫だ」
男の人がゆっくりと私の手を取って、私を担ぐ。
お姫様だっこのような格好で、私は無気力なままにヘリコプターへと乗せられる。
「連れてけっ」
「はい! チーフはどうされますか?!」
「俺はもう少し現場を見てから戻る。早く、患者を病院へ」
「はい!」
ダンディで色黒い肌は褐色が良くて黒い短髪がヘリコプターのプロペラから生み出される旋風に揺れる。
チーフと呼ばれる、私のことを運んできてくれた人は最後に私を一瞥してからヘリコプターの扉から離れていく。
私はお礼の言葉も述べることもできずに、そのままハナダ病院へと連れて行かれた。
首を動かさずじっとしていた私の視線に映るのは、無機質なヘリコプターの中身とけたたましい旋回音。そして、連絡の途絶えないトランシーバーの通信音だった。
私は一人だけ、ハナダ病院の集中治療室以外の場所で検査を受けた。
外傷はなし。そう診断された私が次に連れられてきたのは精神科。そこで私は懐かしい先生との再会を果たす。
メディターの授業を受けていた時に、その一環としてこのハナダ病院にたびたび訪れたことがあった。その時に一番仲良くなった先生が精神科医の人だった。
「先生……」
「ルカちゃん」
先生は心配げな表情を私に向けて、診察室へと駆け寄ってきてくれた。きっと私のことを聞いて、急いでやってきてくれたのだろう。
あいまいな記憶が残って過ぎていく中、顔見知りの人を見たことでなにかが自分の中で綻んでいくのがわかった。
なんにも感じられなくなった手で、一人、合成革で作られた椅子の上で前かがみになる。
「うぇっ……。んっ、う、ああ、うぁああ……」
抑えきれなくなった嗚咽が、胸の奥底から湧きあがって漏れる。
「ルカちゃん」
知り合いの先生が優しく私の背中をさすってくる。
「ガナはっ……? せんせぇ、カナは、カナは、どこっ?」
「カナちゃんは今手術中よ。でも安心して、ここの病院の治療は万全よ。ルカちゃんも知ってるでしょ?」
でも、そんなの関係ない。カナは、カナは大丈夫なの? 本当に、本当に大丈夫なの?
まるで、自分の一部が抜け落ちてしまったかのように。私は暗中、それを模索する。まるで抜け落ちてしまった自分の眼球を探すように、私は……私は…………。
「邪魔するぞ」
突如、聞き覚えのある声が私と先生がいる病室へと入ってくる。
「今は、診療中ですよ! 関係のない方は―――」
「国際警察だ」
私の後ろでそんなやり取りが行われて、私はゆっくりと後ろを振り返る。
「俺についてこい、ハヤミ ルカ」
涙によって歪んだ視界に映るのは先生の白衣とグレイのコートの色。そう、その人はさっきハナダデパートで私を睨みつけていた男の人だった。
私はただただ無言で国際警察の男の人の後ろをついていく。ハナダ病院の廊下を通り抜け、忙しなく院内を駆け回る看護師や医師とすれ違っていく。きっと他にもいろんな人が襲われたのだろう……そう考えると足取りが徐々に重くなっていくのを感じた。
エレベーターに乗って、なぜか上へ。私とその人は屋上へとやってくる。
外では灰色の空から、本当に灰塵(かいじん)のようにぼとぼとと地面を真っ白く汚していく。
肌に触れる冬風は追い打ちをかけるように、私の心身を更に蝕んでいく。
「なん、ですか?」
私の口から絞り出されるのはそんな言葉だけ。
早くカナのもとに行ってあげたい。そんな気持ちに私は駆られる。
「何……少し、話がしたくてな。いるか?」
「……ありがとうございます」
男の人がコートのポケットから缶コーヒーを出して渡してくれる。
少しだけ悴(かじか)んできた指先を温かい缶があたためる。
屋上のフェンスに腕と肘をかけて、男の人はコーヒーをすする。そのフェンスの間を吹き抜けてくる冷たい風が私の頬をチリチリと痛く撫でつける。
「君は、どうして助かったんだ?」
やっぱりデパートであったことを聴かれるんだ。私はそう理解して、俯く。
答えたくはなかった。なんでって、そんなの自分でも何が起こったかわからないことを説明できるわけがない。
「何……疑っているわけではないんだ。ただ、あそこで何が起きたかを知っていて、今喋れる人間は君だけだ」
でも私は口に出したくなかった。
ううん、思い出したくなかった。
「無論、辛いことはわかっているさ。ただ、君が話してくれれば俺達も動ける。さっきのようなことを未然に防ぐことができるかもしれないんだ」
言われている理屈はわかる。
わかる、けど……。
私は俯いたまま、その男の人を見ないで黙る。
見えないけど、多分その男の人は優しげな笑みを未だに向けてくれているんだと思う。
「一つ、いいか?」
「え?」
私は、不意に顔を上げる。
「俺の名前は……シラヌイ。シラヌイ ゲンだ」
「え、あ、あの?」
いきなり名前を言われても、私は戸惑うしかない。
「俺も、お前と同じ境遇にあったことがある」
シラヌイさんがそう話を切り出して、私は言葉を飲み込む。
「俺は家族を失った。一番の親友だと思っていた奴にだ……目の前で殺された。知らないか? 20年前のマサラでの―――」
知っている。20年前のマサラタウンの出来事を。あの事件は、人類史上最悪の事件として知られている。まさか、シラヌイさんはあの事件に関与していたの?
でもシラヌイさんの話を聴いて私の頭の中にリョウさんの姿が思い浮かぶ。
「すまんな、こんな引き出すような話をして」
「いえ、私も喋ります。私はカナのおかげで、助かりました……」
カナに【毒針】が刺さる直前の顔と言葉が頭によみがえり、私は下唇を噛む。
「そうか。悪かったな」
「なんで、謝るんですか?」
「……そうだな。謝るほうがよっぽど、どうかしてる、ありがとう」
「ロケット団って、一体なんなんですか?」
そう、私は知りたい。私からカナを奪った連中を。私から日常を奪った連中を。
シラヌイさんは一度だけ目を固く閉ざして眉間にしわを寄せてから力強く目を開ける。
「ロケット団はテロリスト集団だ。最近になってその存在が知られるようになった……。俺達もまだそんなに情報は手にしていない。何しろ、巧妙なネットワークシステムを築いている」
テロリスト……。その言葉が私の目を覚ます。
常に、テレビの向こう側の世界だと思っていた。でも、それはちゃんと実在していて……現に今私に襲いかかってきた。
「ロケット団の奴は、誰か覚えているか?」
私は一瞬、リョウさんの名前を出せばいいのか迷った。
言わなければならない。でも、口が動かなかった。
だって、リョウさんはそんなに付き合いはなかったけどお兄ちゃんの親友で、優しくて、マイペースで、常に笑顔が絶えるようなことがない人だったのに……。
でも息するのと同じように、何も感じずに何も考えずにリョウさんは私を殺そうとした。そう、あの時のリョウさんからは殺意が感じ取れた。
「リョウさん。サカキ リョウ……」
「な、に?」
「その人がカナや他の人達を【毒針】でおそった人です」
シラヌイさんは顎に手をあてて、黙り込んでしまう。
「そんな馬鹿な。あいつが……」
「あの、シラヌイさん?」
私の問いかけに、シラヌイさんは我に返ったのか、私の方を向いて
「ああ。いや、大丈夫だ。話してくれて感謝する」
「い、いえ……あのっ」
「なんだ?」
「なんで私によくしてくれるんですか?」
ただ私が生存者だから話をしたいんだとは思えない。
「君は、どこか俺と似ているような気がしてね。別に他意はない、ただちょっとな」
私の方へと歩みよってきたシラヌイさんは私の頭に手を乗せる。それはとっても温かくて、大きくて、懐かしい感じがした。
「さあ、帰ろうか。綺麗な着物も煤(すす)だらけだ」
「あ……」
見下ろした着物はあちこちが破けて、傷だらけ。折角お母さんが用意してくれたのに、今では見る影もない。
「下の連中がデパート周辺の落し物を回収し終えた。君の荷物があるかもしれないから、見ていってくれ」
「はい。あ、でも、カナが」
「君の友人は無事手術が終了した。だが、助かった人は全員が面会謝絶だ」
「そ、そんなっ……!」
私は理不尽だという声を発そうとしたのがゲンさんはわかったのか、私の背中に手を添える。
「さあ」
私は両手で抱える缶コーヒーを強く握る。握りながら、私はエレベーターの中でずっと沈黙を押しとおした。
シラヌイさんに優しくエスコートされながら、私は病院のロビーに集められた品々を眺める。
青いビニールシートに乱雑ながらにも丁寧に並べられた荷物を見て、私は破れた紙袋からのぞき見えるケースを見つける。
「ベリブの実……」
ケースを両腕にしっかりと収めると、なにかが圧迫された感触が着物の中から伝わってきた。
え、なに?
私は袖の中をまさぐって、指先に触れたのはカナの巾着であった。ケースを置いて、両手で煤と埃でまみれた巾着を掴んで中身を見る。
そこにはカナのポケギアに財布と、ひとつのモンスターボールが入っていた。
『私に、何かあったらシャワーズをお願い』
カナ、なんであんなこと言ったの?
シャワーズの入ったボールを両手で掲げて、私の口が震える。
「なんで、あんなこと言ったの? カナ………」
私はその場で膝から崩れ落ちる。その時、お母さんからもらった髪飾りのアクセサリーが互いにぶつかって無機質な音を鳴らす。
お椀型にした両手でちょこんと収まっているボールの上に、涙がぽとりと一粒落ちて表面を優しく撫でるようにして伝っていった。