I:お正月
自分の部屋のベッドの中、私は丸くなって羽毛布団に優しく包まれながら目を覚ます。
きっとお母さんはごはんを作り終えてるとは思うけど、私は耳を澄ませながら静かに瞼を閉じる。
そして私の至福の時間は続いて―――
「毎日毎日同じことさせんな―――」
「しかし今日の私は違う、鞄白刃取り! ふんぎゅっ!?」
お兄ちゃんが来るタイミングを見計らって、私は布団から飛び出して振り下ろされる鞄を両手で受け構える。
でもタイミングがずれて私は思いっきり頭から鞄を受け止めてしまう。ずっしりと入っているであろう教材の束が頭頂部に直撃して、頭蓋骨に衝撃が走る。
い、痛すぎる……。ぐすん。
「お、痛そうだ。わりっ」
「うきゅうぅ……。って、あれ? 今日学校だっけ?」
両手で頭を抱えながら、私は痛みを抑えてお兄ちゃんを見上げる。お兄ちゃんの肩にはニューラがのっかり、眠そうながらもキリっとした表情を向けている。
「招集だ」
「あ、そなんだ。いってらっしゃーい」
「行ってくる」
私の部屋から出ていくお兄ちゃんを見送りながら、私はきょとんとベッドの上で手を振りながら考える。
「……結局無駄起き?! って、なんで起こしにきたのよバカ兄!」
最後に聞こえたのはお兄ちゃんが静かに笑った空気の音と、パタンと閉じるドアの音だった。
ゆっくりめの朝を迎えながら、私は着替えて食卓へと下りて行ってごはんにありつく。
「結局バカ兄は私をいじめてるだけなんだよ! (むしゃむしゃがっつがっつ)」
朝ごはんのお餅を口で噛み切りながら、箸を振りまわしてお母さんに講義する。
「あらあらルカちゃん、ゆっくり食べないと喉につまるわよ?」
お母さんはお母さんで湯飲みのお茶を可憐にすすっている。ちなみに今日はお正月。元旦である。
スクールはもう冬休みに入っていて、休日を満喫している。
「だって学校もないのに私を起こしにくるなんて狂気の沙汰としか思えないでしょ?! 絶対私をいじって楽しんでるんだ!! んーーー!」
お椀の中から掬(すく)ったお餅を口でちぎろうとするも、びよーっとお餅は伸びてしまう。
「折角のお正月なのに学校で活動なんて、ケンくんは大忙しね」
お母さんはテレビのリモコンで電源を入れて、モニターには近場の神社前の中継が流れる。
『ただいまハナダ神社前は物凄い人だかりです。新年を迎えた為着物を着た人たちも多く、大変にぎわっております―――』
私はお兄ちゃんのせいで慌てていたのか、箸とお椀を下してお母さんの方を向く。
いけない、新年のあいさつをバカ兄との騒動でかんっぺきに忘れてしまっていた。
「あ、あけましておめでとうございます」
「はい。あけましておめでとうございます」
ちょっと遅いかもだけど、食卓を挟んで私とお母さんは小さなお辞儀を交わす。
そういえば昨日の夜は日を跨ぐまで起きてようとしてたんだけどいつの間にかリビングで眠っちゃったんだっけ。あれ、じゃあ誰が私を部屋まで送ってくれたんだろう?
「そういえばカナちゃんと初詣に行くのよね?」
と考えていたけどお母さんに問いかけられて、今日の予定を思い出す。
「うんっ。でも昼前に行こって言ったから、お母さん着付けして〜」
「はいはい。いいわよ」
「わーい」
私はお気に入りの黒豆と数の子と一緒にお餅を食べ終える。
テレビ画面では中継の最中に画面上にニュース速報が流れるが、私もお母さんもその字幕には気がつかなかった。
『先々週起こった大停電の原因はカントー発電所内にて大規模なショートが発生したことが判明。尚、発電所は何者かに荒らされた形跡があり、ポケポリは最近多発しているテロ集団との関連性を調べることを決定―――』
私は食後数十分後に着物の着付けをしてもらうためお母さんの部屋へと入る。
「今年はちょっとしたプレゼントがあるわよ」
「本当っ?!」
「ええ。ほら、いらっしゃい」
お母さんが私の目の前に差し出すのはスターミー型の髪飾り。中央の宝石は本物で、なんだか魅入られそうな輝きを放っている。
「うわー、きれ〜い」
「お母さんが昔使っていたものだけど、ルカちゃんにあげるわね」
「ありがとう、お母さんっ」
私はお母さんの胸の中に飛び込みながら、着物の着付けをしていく。その時、私はお母さんが少しだけだけど寂しそうに笑ったことに気がつかなかった……。
先ずは足袋を履いて、お母さんに髪のセッティングをしてもらう。後ろで髪を束ねて、スターミーの髪飾りをつけてもらう。スターミーの髪飾りからは水の結晶をモチーフにしたアクセサリが垂れてて、清らかな感じが漂う。
「はい、できあがり」
「ありがとうー」
私はセッティングされた髪で鏡に向かって角度を変えてみたりする。
「あら、ルカちゃんまた胸大きくなったんじゃない?」
「そ、そうかな……?」
着物に着替える際、ブラジャーは針金入りのものだと着付けができない上に苦しいから私はお母さんが使っているのと同じ着物や浴衣用の和装ブラへと付け替える。
「お胸が大きいと赤ちゃんが良く育つって言うのよ。はい、これ着て」
「はーい」
長襦袢(ながじゅばん)を先に羽織って、腰紐、伊達紐の順に巻いていく。
着物の袖に腕を通して、お母さんの正面を向く。
「はい回って」
一回転しながら腰紐を巻いて、お母さんがおはしょりを作り皺を伸ばしてくれる。
そして伊達紐を巻いて結んで、帯、帯締めの順に巻いていく。
お母さんが私の胴回りに腕を通すので、私は両腕を案山子(かかし)みたいにピンって伸ばす。袖って結構重いから疲れる……。
帯揚げを最終的に巻いて帯の中へと押し込んでいき、お母さんが要らない皺(しわ)を伸ばしてくれる。後ろにお太鼓を帯びに差し込んで、着付け完了。
「はい、完了よ」
「わーい、ありがとう〜」
私はくるくると袖を遊ばせるように二、三回転して喜ぶ。
結構お腹辺りがきついけど、安定感があって私は着物を着るのが好き。
時間を見れば、もうそろそろ11時。
「あ、そろそろだ。行ってくるね」
「はい、いってらっしゃい。あ、そうだわ……はい、これ。お年玉」
「わ〜、ありがとうー。あっ……えっと、ありがとうございます」
「楽しんでらっしゃい」
「うんっ!」
私はいったん自室に戻って、ベッドの上で朝ごはんを満喫してすやすやと転寝(うたたね)しているガーディを起こす。
「神社で迷子にならないとは思うけど、出しといたら他の人に迷惑になるかもしれないし……。ごめんね、ガーディ」
「ガウっ」
わかってくれたのか、ガーディは元気に一回吠えて私がボールを出しても嫌な顔をせずに戻ってくれる。
私は巾着を持って、中にポケギア、お財布とガーディのモンスターボールを入れる。
玄関で草履を履いて、お母さんが最後に何かを言い渡してくれる。
「最近何かと物騒だから、気をつけてね。特に人混みは危ないから、ちゃんとカナちゃんと一緒にいるのよ?」
「はーい。私もう15だよ? 大丈夫だってー」
「そうね、それじゃ気をつけて行ってらっしゃい。ケンくんに会ったら私も出掛けるから夕方辺りまでは戻らないって言っておいてくれる?」
「はーい。それじゃいってきまーす」
私は小さく手を振って家を出る。私に手を振ってくれるお母さんはいつも通りの笑顔を向けてくれた。その笑顔をもう見ることが叶わないと知ったのはもっと先のことになるけれど……。
首に巻いた首巻きはぬくぬくしていて寒い風が吹いてきても大丈夫。雪は降らず、でも雲を見上げればいつ氷の結晶が舞い落ちてきてもおかしくはないように感じる。
カッカッと草履が綺麗に除雪された歩道を軽やかに鳴らす。ハナダ神社はスクールの近くで、スクールがお月見山に連なる山の一つを訓練所に使っている為、ご近所になる。
でも、なんで神社とかお寺っていっつも山の中か近くなんだろう?
と、ふと疑問に思うも構わず歩き続ける。
道中ではないけど、神社はスクールの近くだけど通学路延長線上にないためカナの家の前を通ることはない。
私は巾着の中からポケギアを取り出してカナの番号を見つけて通話ボタンを押す。
ピピピピピピピピピ
軽快な電子音が耳元で響きながら、数秒後にカナが出る。
「ルカちゃん?」
「うん、おはよーカナ。もうすぐで神社に着くから」
「あ、うん、わかった。待ってるね」
どうやらカナはもうすでに到着しているみたい……。やっぱり、早いな〜。
私はポケギアを巾着にしまって神社までの歩幅を早める。
境内の見えてきたハナダシティはすでに報道の通り、人でごった返していた。
うわーすごい人。
「ルカちゃーん」
「あ、カナ〜。お待たせ、待った?」
「ううん。大丈夫だよ」
カナは私の群青と紫紺で染められた大人しい着物ではなく、桃色と紅で色鮮やかな着物を着ていた。
「うわー、カナかわいい〜」
「ルカちゃんも大人っぽくて綺麗だよ」
一緒に中へと入っていき、群れる人の合間を縫っていきながらなんとか参拝へとありつく。
私とカナは賽銭箱に小銭を放って、鈴(れい)を鳴らして二拝二拍手一拝で拝礼を済ませる。
「お腹も空いてきたし、何かたべよっか?」
私がそう提案するとカナも「うん」と答えたので、神社の両幅に展開されている屋台を見渡す。
「でも、やっぱりお正月はコイキング焼き(タイヤキに酷似したもの)かなー」
「私はオクタン焼き(たこ焼きに酷似したもの)久々に食べようかな」
それぞれに思い思いの食べ物を購入してあったかい内に食べる。
「ルカちゃん、オクタン焼き一個食べる?」
「うん、あ〜ん」
「はい」
カナに爪楊枝(つまようじ)でオクタン焼き一つ口に入れてもらい、
「じゃあ、お返し〜」
「っ……。あ、おいしい」
「でしょ〜? この餡子(あんこ)が尻尾の先までぎっしり入っているのはこのハナダ神社の出店だけなんだよっ!」
「そ、そうなんだ……」
私の熱弁の隣でカナは若干苦笑いを向けるも、楽しそうに食べ物を食べ終える。
「あ、そういえばカナは初夢どうだった?」
「え、私……?」
少しだけびっくりして眉をひそめるカナがそこにはいた。
「私は……夢見なかったよ」
「そうなの? 私はねー、ピジョット二匹にお月見山まで行ったんだけど肝心の三なすびがなかったよ……」
私が項垂れる中、カナは少しだけ顔を青ざめさせていた。
「どうしたのカナ? 大丈夫?」
「うん。ちょっと寒くなってきたかなって思って」
「そう……?」
私はそんなに温度の変化を感じることはなかった。でも空を見上げれば、ちらほらと雪が降ってくる。
これが初雪というんだろうな。今年はきっといい年になりそう。
「わー、雪だよ雪〜」
私は腕を天に延ばして雪にいち早く触れようとして、カナも雪の登場で心境が変わったのかいつもの表情に戻ってきていた。
しかしこの時、私はまだ訪れるであろう悪夢については何も勘付くことはできなかったのだ。