「裏」:この世の理
「それで?」
「なによ?」
アララギとマコモが使用している研究室の真ん中で、宙に浮いたままのミュウが聞き返す。
「なによって、あの三人をそれぞれその地方に赴かせたのには理由があるんでしょ?」
そう言い直すアララギは、しかしその本題には興味なさそうにしながら自身の研究論に目を通していた。きっと飽きてきたからそんな話題を振ったのだろう。
「なによ今更」
「いいじゃない、別に」
とりわけ何かをしていたわけでもないミュウは天井の方を見直して、それで軽く首を横に振る。
「どうでもいいじゃない」
「あなたねぇ……」
はぁ、と嘆息するアララギを横にマコモが突然立ち上がる。
「どうしたの?」
「新しい報告があるよ〜!」
マコモがあたふたとパソコンのモニターに映し出されている情報を読み上げる。
「シンオウのキッサキ神殿で爆発事故があったみたいー」
彼女が言っているのはモモがちょうど立ち寄っていた場所である。
「ふぅーん、モモもさっそく面倒ごとを起こすのね〜」
ミュウはそこではじめてモモの名前を口にする。そのことにアララギは唇をにやりと曲がらせる。
「あら、なにもかもお見通しって顔ね」
「そんなことないわよ」
ミュウは床に足を着き、窓の方へと向かっていく。
「ポケモンにもいろいろいるけれど、特殊な存在の念を私は感知できるわ。だから多少なりともどの地方にどれくらいの念がいるかはわかるつもり」
ミュウのように希少種とされているポケモンは他の希少種の存在がどこにいるのか特定できる。それゆえに、お互いの聖域には干渉しないようにしているのだ。それは、この世界の均衡を、自然を守るために。
「そうね、だからこそあの三人をそれぞれ行かせたのでしょう? 理由を聞かせなさいよ」
「あなた相当暇なのね」
「私もききたーい」
今度はミュウがため息をつき、外の景色を楽しむようにして口を開き始める。
「モモにはシンオウ、あそこにはモモが求める者がいるのよ」
それはきっとキリンのことだろう。なぜミュウが彼らのことを知っているのかはわからない、だが理由はそれだけではないようだ。
「ガイにはカントー、あそこにはガイが乗り越えなければならない者がいる」
それはレイハのことなのか、それともまた違う人のことなのか、定かではない。
「ジンにはホウエン、あそこにはジンが会わなければならない者がいる」
ミュウはなにをもってしてそういっているのか? それはダイゴのことなのか、あるいは八柱力の内の誰かなのか。
「まあ、あれよ。面白いことになりそうだからよ」
「でもあの三人なら5年も待たなくてもすぐに終えて帰ってきそうだけどね」
アララギの読みは正しい。そしてそれはミュウも承知のはずだ。
「いいえ、絶対に5年後よ。あの三人が帰ってくるのは、ね」
ミュウは遠くを望むようにして窓から見える海の向こうを眺める。
「どういうこと?」
持っていた書類をいったんおいて、アララギがミュウの方を見向く。
「どういうことって、そういうことよ。理由なんていらない、そう必然的にわかるのよ」
それはポケモン特有な能力とでもいうのだろうか? ナマズンやガーディ、はたまたピカチュウなどが地震が来る前にそれを察知できるというように人間には理解できないことを本能的にわかってしまうのだろう。
「それってなに? 人間にはわからないってやつ?」
「そうね、人間にはわからないわね」
少し悲しそうにつぶやくミュウをアララギとマコモが見守りながら、アララギが椅子から立ち上がる。
「そういえば、少しイニシャルインシデントについて調べたんだけど」
「なんでまた?」
「そうねぇ、最近暇で暇でしょうがないから、かしらね?」
「なによその自慢げな顔」
ふふん、と鼻を鳴らすアララギ。彼女が大体こんなしぐさをする場合は新しいなにかを見つけた時だと相場が決まっている。
「どう考えてもイニシャルインシデントよりも前の事例についての文献や記録がどこにもないのよ」
「それは、つまり?」
「あなたの考えも含めて考察するとね、私たち人間という種はイニシャルインシデントが起きた時にこの世界へと連れてこられた。そういうことになるわね」
しばらくの沈黙が流れる。それがもし本当のことであるならば、それは相当な一大事である。
「つまり、ここはもともとポケモンしか住んでいなかったって言いたいの?」
「ええ、その通りね。あるいはポケモンとはまた違った生物、か」
「でも、なんで……」
何かを言いかけてミュウは口を噤む。
「そういうことね」
ミュウは押し黙ったようにして声を殺し、アララギを見据えて彼女は渋々しくうなずく。
「ええ、ポケモン達の進化がどう行われたのか明確な情報がいまだに研究として得られないのは、私たちとポケモンの間に明確な遺伝子のつながりが欠如しているからということなのかしらね」
ハイリンクによるパラレルワールドとの交錯。それがはじめに起きたイニシャルインシデントであるとマコモは踏み、そしてそれをミュウは肯定するような言動を発した。
つまりハイリンク、ポケモンのみが住んでいたこの世界にハイリンクによって違う異世界から人間だけが連れてこられたかもしれないという仮説が今つくられたのだ。
『もしそれをアノ人が知っていたというのなら、アノ人は一体ハイリンクを使ってなにをしようというの? ポケモンと人間の共存を望んでいたはずなのに、このままだと反対のことに』
ミュウが悩んでいる表情をよそ目にアララギは続ける。
「なんで向こう側の世界の人間はここへ来ることを望んだのか。それとも望んでいなかったのか。はたまたその逆なのかはよくはわかっていないけど、きっと説明できるはず。そしてそれを立証してくれるのはポケ人の存在だと私は思っているし、なにより八柱力の遺伝子情報がほしいわね」
ポケ人。またしてもここでその単語が飛び出す。
そして八柱力。もしアララギの仮説が正しいのだとすると、イニシャルインシデントを起こした八柱力とは一体どこから来たというのか?
「もしかしたら彼らは本当に不幸な存在だったのかもしれないわね」
科学者としてそれは不謹慎なのかもしれない、情を動かしては絶対であるはずの結果に支障をきたすことがあるからだ。だが一流の科学者であるアララギがそうこぼすのも無理はないのかもしれない。
ポケ人、それはポケモンと人の間にできた望まれない存在。その定義すらアララギの仮説によって多少は見方が変わっても来る。
彼らがもしポケモンの世界にやってきた人間の仲介役としての役割を果たした存在だったとしたら? そうでもなければこの世界は最初から他方がもう一方を支配するといった秩序の中にあっただろう。
だがそんな文献は残ってはいない。もし初めて邂逅した彼らが無駄な血を流し、畏怖を抱くことなく、お互いの恐怖心を和らいだ存在がポケ人にあるのだとしたら、彼らはあまりにも非道な仕打ちを歴史上されてきたということになる。
それも人間側からの一方的な排除を受けて、今ではその数すらわからない。
「あなたたちのような希少種でもその時の記憶はないのでしょう?」
「そうね」
そしてそれらを裏付けるようにミュウなどの希少なポケモン達にはイニシャルインシデント以前の記憶がない。それは時を司るものたちでも同じなのだ。
行ける年代に限界があるのだ。だがそれを限界などと思うことは、彼らにはない。
「ま、そうなればそうなったでどうやってポケ人が生まれたのかとかいう疑問は出てくるのだけれどね」
「人間の考えることは時にはおぞましいほどに賢いわね」
「ふふ、ありがとう」
すべてを自然の享受だとして受け止めるミュウ達ポケモンは、アララギのようにそんな風に考えることができない。それは人間はもとはこの世界の住人でないからかもしれない。
「そうしたらますます私の研究の答えが見えてきたかも」
「え、どういうこと?」
今までは口を出してこなかったマコモがアララギのその一言に反応する。
「ベトベターやヤブクロンの存在はもしかしてポケモンと人が共存を成し得た故の産物かもしれない。いいえ、証なのかもしれない」
人間に自然の怒りを。自然が危機に陥っていることを知らせるために具現化されたといわれるポケモン達。それらの存在は母が愛をもって子をしつけるために怒鳴るように、それは自然がポケモンを介して人間を受け止めたということなのではないだろうか? そう考えれば考えるほどに煙に巻かれた視界がはっきりとしたものへと変わっていく。
「つくづくこの世の人間なる存在はみじめなものよね」
圧倒的弱者、それが人間なのであるとアララギは言っているのだ。皮肉以外のなにものでもない。そんなものを世間に発表できるはずもないのだ。そう、人間のみが固執しているこの社会という鳥かごの中では。
「そんな風には考えたことがなかったわね。私たちは現れるべきところに現れる。あなたたちのように私たちに名前までつけなければいけないほどに面倒くさくて弱い生き物。それでも私たちはあなたたちを受け入れる、受け入れない理由がないから、それが自然の循環なのだから」
人間の尺度とポケモンの尺度、そのスケールの違いがここまでの軋轢を生んでいるのだろう。
それを共存と呼んでいいのだろうか? いや、そうでも言ってられないと人間の方が機能していけなくなるからだろうか?
「なら私もそろそろ行くわ」
「あら、おでかけ?」
ミュウは研究室の扉の方へと浮遊していき、認証キーを入力して開く。
「ここにいる八柱力にいろいろ聞いてくるわ」
「あなたが積極的に動くなんて珍しいわね」
「そうかもね。でも、なにか見えてくるかもしれないわ」
アララギの仮説を聞いてミュウもなにか思うところがあったのだろう。
「そう。なら、いってらっしゃい」
「おみやげよろしくで〜す!」
手を振る二人の人間の友にミュウは微笑み返し、ビルを後にする。
ミュウが会うべき人間は、いや、八柱力とは? ミュウはその存在の念を感じ取りながら向かっていく。
『アノ人がやろうとしていることはこのことなのかもしれない。だとしたら、私はアノ人を排除する……』
サカキとミュウ、彼らの思惑は遠く離れていながらも交錯し衝突する―――。
第18章:完