VII:マサラの悲劇
「20年前、マサラタウンで俺の家族が殺された」
「ま、待ってくれ……。20年前のマサラの悲劇ではそんな発表はされていないはずだ」
「そりゃそうさ、その事実はポケポリ上層部によって揉み消されたんだからな」
ゲンが重々しく、そう呟きながら、新たにもう一本のタバコを取り出す。
アユミの動揺をよそに、ゲンは続ける。
「20年前……俺がちょうど実家に帰省してた時のことだ。サカキを筆頭に率いる少数精鋭による掃討作戦が遂行されていた」
アユミとキリンはもちろん事件のことは知っている。
だがどんな詳細な記事を読んでも、全面に出ていたのはオーキド博士による陰湿な実験のことのみ。誰かが殺された、あるいは失踪したという事実は書かれていない。
「あいつの目的はオーキド博士の研究データ。そりゃそうだろうな、あんな規模の実験をしていたらあいつが見逃すものじゃないだろう」
さてここで一つ整理しておかなければならない事がある。
オーキドの人工擬似生命体開発の実験は、サカキによる依頼をもって行われていた。だから彼らは知らないのだ。
ゲンのように事情を知っている者は、サカキがオーキドの実験データを盗もうと試み、失敗したと思っている。そしてサカキが直々にオーキドを監獄から出したのは、その腕を買ったからと推測したのだ。
だが真実は違う。
サカキが少数精鋭でマサラを訪れていた本当の理由。それはゲンの家族を抹殺する為であった。
だがゲンもサカキ以外は誰も知らない。マサラの悲劇という事件がこのことを隠す為のカモフラージュであったということなど。
「あいつらが俺の家を拠点にする為に、そして俺があそこにいるとわかっていたから、サカキは、サカキは……」
ゲンは苦い思い出を噛み締めるようにして、それでも話をしていく。
「あいつがあの時なんで俺を生かしたのかはわからない。だけどな、俺はあいつを一生許すつもりはない」
アユミは黙ってゲンの言葉を整理していき、ある疑問にたどり着く。いや、単純明快であったのかもしれない。
「君は、いつどこでサカキと知り合ったんだい?」
そう、話のつじつまはあっているが驚かされることばかりである。
なぜならサカキとこの目の前にいる男は同年代であるということは疑いようがない。実際にサカキはまだ50に行っていない。
アユミが察するに20年前の時点でサカキはグループのリーダーとしての素質をすでに備えていたということだ。そしてアユミがロケット団のデータバンクをハッキングに成功していても、サカキに関する情報は皆無に等しかったのだ。
「俺はもとはハイアの出身でな。あいつは俺の幼馴染だった」
「幼馴染?」
「ああ。あいつは小さい時から人とはものの考え方がずれていた。そこに俺は憧れていたのかもしれないな」
ハイア地方、それはジョウトとホウエンの間に位置する場所。砂漠地帯であることで有名であり、存在している街の数はほかの地方に比べると圧倒的に少ないがいくつかの大企業を生んだりなどと一目は置かれている。
そしてサカキがそのハイア出身であるということをアユミは知っていた。それは彼の息子が同じスクールに通っていたから……。
「だがある日、俺たち二人の前に謎の女が現れた」
「謎の女?」
「ああ。そいつはサカキに一つのモンスターボールを託して消えていった」
覚えているだろうか? そう、サカキに託されたボールに入っていたのはミュウ。
昔、ポケ人がサカキに託したボールである。
「それ以降、あいつは変わっちまった。いや、本来のあるべき本性を開花させたっていったほうがいいのかもな」
「そこからサカキの知名度は上がっていった、そうだね?」
「ああ。あいつは実験室に閉じこもり、そしていつのまにか名声と富を築きはじめていた」
「そのボールにはなにが?」
「そこまではわからんさ。追求しようとしたが、あいつは俺のことなどまるで眼中にいれてなかったみたいだしな」
話を聞く限り、大学に入るにあたり二人に接点はなくなったらしい。
サカキは自社の立ち上げに成功し、ゲンはカントーへと上京してタマムシ大学へと通っていたらしい。幾年かカントーにも慣れ、マサラへと帰省した時、サカキ達に家族が襲われた。
「つまりサカキ達が表立った行動を取らなかったのは、やっぱりオーキド研究所の爆発が原因なんだね?」
「良く知っているな。そうだ、あいつらがオーキド研究所へと行こうとした時に起きた爆発音のせいで奴らは撤退したんだ」
そう、マサラの悲劇と呼ばれる所以であるオーキドの研究が通報された原因がこの爆発にある。大規模ではなかったが、近くを訪れていた市民がこの爆発で研究所を訪れ、そこでその惨劇を目撃したのだ。
「あの後、絶望の淵に追いやられた俺だったが……まあなんとかなるもんだな、人生ってのは」
「もしやのろけ話がはじまるんじゃないだろうね」
「お前たちももう少し大きくなったらわかるさ、パートナーの大切さがな」
「知りたくもないね」
アユミはそっぽをむいてしまうが、前髪の下では目線がキリンのほうへと向けられていた。
対するキリンは先ほどの会話の内容が理解できずに、「パートナー?」とつぶやきながら首をひねっている。
「まあ家族というのはいいもんだ。自分の人生を投げ出してもいいほどにな」
そう言ったゲンの表情は若干の曇りを見せるも、タバコで一服ついて払拭させる。
「大学を出てすぐにポケポリへと入った俺は多忙な毎日を過ごしてたが、14年前にとあるサカキ絡みの事件で一人の赤ん坊を救出したことがあった」
「どんな事件なんだい?」
そうアユミが訪ねたのは、彼女の知識の中で14年前にあった事件で該当するものがなかったからである。
「表沙汰にはなってないが人体実験が行なわれていたらしい。その実験体だったのかはわからないが、俺はその子を保護し、調査した結果……どうやらオーキドの研究とつながっていたことがあとあとわかったんだ」
「その事件、もしかして当時のシルフカンパニー社の下請け会社が関与していなかったかい?」
「良く知ってたな、ああ、その通りだ」
14年前とすれば、すでにサカキがシルフカンパニー社の社長として就任していた。そしてそんなシルフカンパニー社を危惧する人物が書いた記事を読んだことがあるのをアユミは覚えていた。
そう、確か書いた人物の名前は、
「ミキキ……」
そうである、若きし頃のミキキ キララの父である。
「どうかしたか?」
アユミの様子がおかしいと判断したのか、ゲンは彼女に言葉をかけるがアユミは我にかえって首を横にふる。
「な、なんでもない。続けてくれ」
「調査がだいぶ進み、俺は再度マサラタウンへと赴いた。その時に、思わぬ邪魔が入った」
「邪魔?」
「ああ、お前たちも知っているだろう? 史上最年少でポケモンリーグとチャンピオンを屈したポケモントレーナーを」
史上最年少でポケモンリーグを制覇した男、それはもちろんあのサトシのことを指していた。
「まあ彼からしてみれば、俺は悪人に見えたんだろうな。バトルのせいで欲しい情報は入手することはできなかったが、それでも確証は得られた」
「確証?」
「ああ、あのマサラの悲劇での爆発は人為的なものだったってことがな」
「人為的? その真意は?」
「それがわからないで、迷宮入りってわけさ」
アユミは少し考え込むようにして、何か思い当たるも筋が通らないと思いその発想を切り捨てる。
「それで? ゲンはこれからどうするんだい?」
「ん? とりあえずはお前たちと一緒にいようと思うが?」
「なにさも当然とそういう流れになってるんだい! キリンも何か言ってやったらどうだい!」
「んぁ? まあ別にいいんじゃね?」
「き、君という奴は! さっきまでこの男に敵対心を露にしてただろう!」
キリンは顔を真っ赤にして怒鳴るアユミをからかいたくてしょうがないのだろう。実際さっきの話の半分も理解できずにいたのだから多少のストレスがたまっていてもおかしくはない。
「案外そのおっさん悪い奴じゃないみたいだし、頼りになるんじゃね?」
「だからといってこんな馬の骨と私は一緒にいたくないのだよ!」
「おいおい言ってくれるねえ嬢ちゃん。だが、俺がいて損することはなにもないぜ?」
と言いつつゲンは懐からあるものを取り出す。
「そ、それは……」
「ああ、フォレストバッジだ」
ゲンが手に持つそれはフォレストバッジ、キリンが敗れたナタネのハクタイジムのバッジである。
「なぜ君がそれを? まさか……」
「いや、それはないぜアユミ。俺たちを助け出したのがナタネとこのおっさんだったからな」
キリンでも直感で理解したのだろう。もし目の前の男がまだなにか隠しており、一連のジムリーダー達殺害に関与しているのではという憶測がアユミの脳裏をかすめたのだ。
「ナタネには悪いことをしたが、俺たちに許された時間は少ない」
「それは私がしたことが大きいのかな?」
「それもあるが、組織内で動きがあった」
「動き? もしかしてPower and Graceのことかい」
サカキが始動させた作戦コード名、Power and Graceはアユミのハッキング前に出されたものである。そのため、ある程度の内容までをアユミは把握できていた。その真意が謎のままという点を除いては。
「そこまで掴めたのか、さすがだな。ああ、そのとおりだ」
「おいおいアユミ、なんだよその……ぱ、パワーなんちゃらってのは」
アユミは一拍置いて自身がモニターの中でつかんだ情報を口に揃えて出す。
「Power and Graceは伝説と謳われるポケモンたちを捕獲して、八柱力を覚醒させる作戦らしい。つまりはイニシャルインシデントを起こす為に必要なものがあるというわけだ、恐らくね」
「他には?」
「ロケット団の組織が関与しているデータなら得ることができた。でもサカキ個人の情報は全くもってデータバンクには入っていなかった。それはつまり、サカキ自身が組織に対して秘密にしていることがあるというわけだ。だからPower and Graceが八柱力を刺激するものは確かだが、それによってイニシャルインシデントを起こすかどうかまでの確証はないということさ」
「ということは、お前が言っていたサカキが望んでいる自滅っていうのは?」
「憶測の域を出ないね、それでも」
アユミは軽く震え出した手を抑えて、意を決する。
「もし彼がそれほどの人物だった場合、私たちは未知の敵と遭遇することになるだろうね。それが人なのか、ポケモンなのか、それとも私達の知らないなにものかが……必ずこの世界を終わらせにくるよ」
イニシャルインシデントに興味が無いと言い放ったサカキ。しかし彼が成さんとしようとしていることは、イニシャルインシデントへの布石でしかない。
サカキが望むもの。そしてそれを望まぬ者たちの真の戦は、まだ始まったばかりだ。