VI:謎の男
あれからどれほど歩いたのか? そう思える程の時間が経ち、キリンたちは今、カンナギタウンへとたどり着いていた。
なぞの男の後についてきて、キリンはここまで来た。険しいみちのりを延々と7、8時間と歩き、その間、男はアユミを抱きかかえたまま何もしゃべらなかった。
キリンがいくらたずねても、男はただ一言「黙ってついてこい」とまでしか言わなかったのだ。
「おい、いい加減しゃべったらどうだおっさん」
カンナギタウンが見えてくると、キリンは一際眼光を鋭く光らせる。いつも大体の場合は考えなしのキリンでも、相手の男に自分がかなわないことは本能的に察知していたが、そろそろ堪忍袋の緒が切れ始めているのだ。なにせ、アユミを延々と担がれているのだ。ほかの男の手によって。
「黙ってついてこいと言ったはずだ」
「てめぇ!」
キリンが食ってかかろうとするが、あっさり足払いをくらって横転してしまう。さすがのキリンでも足腰が疲れてきているのだろう。
「あの小屋が見えるか? とりあえずはあそこまで黙ってついてこい」
「ちっ!」
頬に地面の砂利をこすり付けられて、キリンは男が指差した小屋を目視する。歯軋りをすれば、かすかにだが砂のじゃりじゃりした感触が舌を伝う。
今ではすっかりと日が昇り、昼時である。しかしながらいまだに季節は冬。吐息は白い靄へと変わり、吹き抜ける風は肌をちりちりとさせる。
さらに緊迫とした雰囲気をもって、男とキリンたちはカンナギシティの郊外に位置するなんの変哲もない小屋の中へと入っていく。質素な佇まいではあるが、生活に必要なものは全て揃っているこの場所は、男の住まいなのだろうか。
「ん……」
「アユミ? お、おい、大丈夫か?」
小屋内のソファに男はアユミをおろすと、アユミはまぶたを瞬かせながら意識を取り戻す。自身の状態を認識しながらも、すかさず現状を把握しようとする。
「ここは、どこだいキリン」
アユミはキリンの心配に答えずに、自分のいる場所の確認をすると共に目の前のなぞの男から視線をはずさない。
「ここはカンナギシティだよ、カンバル アユミ」
「どうやら私たちは有名人のようだよ、キリン」
そしてアユミはこういった事態を想定していたのだろう、冷静に男と会話を続ける。初対面ではあるが、今の状況下においてはさして予想外なことでもなんでもない。それほどまでのコトをしてしまったのだから。
「だがお前が想像していたのとは少し違うだろうな」
「ああ、そうだね。そうであったなら、こんなソファに座らせてはもらえてはいないだろうからね」
そう、もしアユミが想定していた事態となっていたならば良くて拘束……最悪、死んでいたのだから。
「とりあえずお前も座ったらどうだ、ミサカ キリン?」
「ちっ」
渋々とキリンは男の指示通りにアユミと同じソファへと腰を下ろし、男は彼らの向かいの椅子に座る。
「まずはお前がつかんだ情報を提示してもらおうか?」
ジャケットの内ポケットからタバコを取り出した男はおもむろにライターを点けて火を灯す。
「情報交換において必要なことは二つある。信頼と信憑性だ」
「ふっ……わかってるじゃないか。いいだろう、俺から喋らせてもらう」
改めてアユミとキリンは男を見据える。
ボサボサになった無精髭に加えて彫りの深い顔立ち。シンオウの出ではないということは一目でわかる。厚い手のひらに加えて、がたいで言えば人並みなリングマといった感じだろうか? 少なくともアユミのような少女一人を軽々と担いで歩くのは朝飯前だろう。
しかしだからといって巨漢というわけではなく、着痩せするタイプではあるのだろう。髭のせいで年をとっているように感じられるが、剃ってしまえば10歳くらいは若く見えるのではないだあろうか。
「俺の名はシラヌイ ゲン。元国際警察……ポケポリと言ったほうがわかりやすいか」
「「!?」」
国際警察、あるいはポケポリと称されるそれは、国際犯罪や国際的指名手配犯を捕まえたりする特殊な警察のことである。しかし、なぜポケポリの人間がこんなところにいるのか二人は理解できずにいた。なぜならば今起こっていることは国内の問題であり、国際的ではないはずだからと二人は思っていた。
「言っただろう、元だってな。俺たちポケポリも自由に行動できるわけじゃない。国家主権の問題に関わるからな。ただ今回の一連の騒動をポケポリが静観しておくわけもないだろうが」
「意外だね……しかし、こんなところにそんな格好でいるということはいろいろとありそうだ」
アユミは目上の人間に対しては口調を変えるものだが、目の前の男の前では取り繕わなくても構わないと判断したのだろう。
「順を追って説明したほうがいいか?」
「いや、詳しいことは後回しでもいい。それより君が私たちの前に現れたのはシルフカンパニーの件かい?」
「まあな。まあ、まさかあんなだいそれたことをしてくれるとは思ってもなかったが」
「それで欲しい情報でもあるのかい?」
ここでアユミは話を進めるが、一つだけキリンは気づいたことがある。それはこの男が自分たちを救ってくれたということをアユミが知らないということをだ。
「アユミ」
「なんだい、キリン。今忙し―――」
「こいつが俺たちを助け出してくれたんだ、ロケット団の奴らに殺されかけたとこを」
「……そうか、なるほどね。つまり君は私たちのことをずっと監視していたってわけか」
「頭の回転が早くて助かるな。それに、ゲンでいい」
少なくとも彼らの年の差は軽く20を超えるだろう。しかし、ゲンはそう提示してアユミたちからの信頼を促す。
「わかったよ。なら私から話そう……ロケット団、いやサカキの目的を」
「ああ、頼む。俺の目論見通りにならないことを祈るがな」
ゲンの言い回しに若干引っかかるも、アユミは続ける。
「サカキの最終目的は恐らく二つが考えられる」
アユミは右手でピースをして数字の2を示し、中指を下ろす。
「一つは異次元への扉を開くことで新たなるイニシャルインシデントを起こすこと」
イッシュ地方の六角形に点在する八つの街が扉の鍵穴を示し、その鍵である八人の特殊な能力をもった八柱力。いかにして彼らが扉の鍵として異次元へと世界をつなぐかはわからないがサカキがそれを望んでいるかもしれないとされている。
しかしながら本人から告げられたことはない。それはアユミがロケット団の保有する八柱力という資料から彼女が導き出した可能性の一つでしかない。
「そしてもう一つが、自身の滅びだ」
自身の滅び。それは自滅ということにも汲みとれるが、ニュアンスが少し違う。
「自殺ってことか?」
キリンが愚直に質問してくるのをアユミは目で制して続ける。
「あのサカキほどの男だよ? そんな単細胞じゃない」
「そうだな。しかし自ら滅びを求めているのか?」
「ああ。彼は世界を変えたいと願っている」
「世界だと? だが、あいつは現にこの世界を変えたじゃないか」
思い違う点がゲンにはあるのだろう。
そう、たしかにサカキは世界を変革させた。だがそれだけではダメなのだ。
「発展した科学技術、円滑とした経済の流れ、より効率的な生活を手に入れた人間、そして人間社会という新たなる自然の形に慣れたポケモン達。こういったサイクルができてしまった今、サカキはその循環を壊そうとしているんだよ」
「サイクル、だと……?」
人々が生きる時代というものは個人の短い生による積み重ねであり、そしてその中で様々な進化や発展を人は織り成してきた。
だが、限界はやってくる。いや、限界ではなく……落ち着きといったほうがいいだろう。
これ以上の高みを目指さなくても良くなってしまう時期が訪れてしまうということである。。
「意欲の停滞……それが導くものは人類の破滅だ。そう、サカキは思っているようだね。といってもここからは私の勝手な憶測になってしまうが」
「なら、今のサイクルはどうなっているんだ?」
「今のサイクル? 崩れてはいないさ。言うならば更に流れが良くなったといえるかもね」
サカキの介入により世界は変わった。自作自演のテロ活動とその鎮火に貢献したと民衆に知らしめるほどの巨大な組織と企業を持ち出し、更には国民を統べるほどのカリスマ性がサカキという人物にはあるのだから。
彼はこの国を劇的に改善したと言っても過言ではない。だがそれは言い換えるならば彼の匙加減一つで、この国は終わってしまうこともあるということだ。
「だが腑に落ちないな」
「なにがだい? いや、今度はゲンの番だよ。言わなければならないことがあるんだろう? 聞きたいことはやまほどあるのだからさっさとしたまえ」
「ふ、そうだな。まずは俺が元ポケポリだったってことについて説明するか」
ゲンはタバコを床に落として、それを靴底で踏み躙(にじ)る。
「俺は数年前からサカキとロケット団を追っていた。個人的にはサカキをだ。それに効率がよかったんでポケポリにいたってことになる」
「見た感じキリンと同類なのに、良くポケポリなんかに入れたね」
「案外、頭は回るほうだぞ?」
にっ、と笑ってみせるゲンの顔はとても優しそうでそれでいて頼もしい。
「ふん、それで? なんでやめたんだい? それとも、やめさせられたとか言うんじゃないだろうね」
「いや、自分からやめたさ。サカキに勘づかれる前にな。それでダブルスパイとしてロケット団にも入っていた」
「君はどこまでつかんでるんだい?」
ゲンの口からダブルスパイという単語が出てきた時、アユミの表情が険しくなる。前髪のせいであまり伺えないが、彼女が放つ空気がピリピリと逆立っているのがわかる。
自分からわざわざダブルスパイと白状するスパイなど真意が見えないからだ。
「そう警戒しなくてもいいさ。とりあえず、俺は自分の為に動いているだけだ。その中でお前たちは使えるってだけさ、だから助けた」
「君は話が下手なのか、それともなにか言い含めているのか。おそらくは後者だろうけど、面倒な男だね」
「よく言われるさ」
「それで、君には依頼人がいるのだろう? いくら自分のためだとは言っても、それがこちらを監視しておくという理由にはならないからね」
ダブルスパイとまで言ったのだ。それはつまり雇い主がいるということになる。
「それはその内わかるさ」
「……まあいいよ。それで君はこれをどう見ているんだい?」
「俺はサカキという奴に個人的な面識がある。そして俺はあいつに家族をマサラの悲劇で殺された」
「「え?」」
マサラの悲劇。その単語は有名でありながらも、未だに数多くの謎を含でいるものである。
「そうだな、まずはマサラの悲劇の全貌を伝える必要があるのかもしれんな」
マサラの悲劇の全貌。
アユミとキリンは固唾を飲み込んでゲンを見つめる。
あの日の真実が今、解き明かされようとしていた……。