V:二人の別れ
ポケモン転送装置の仕組みというものは皆が熟知しているものなのであろうか?
いうなればポケモンたちが人為的に【テレポート】をされて移動するという画期的なシステムである。しかしそれにはさまざまな問題点があることも言わねばならぬだろう。
そう、これは開発されたシステムではなく……発見されたものであるからだ。
なぜ、どうやってポケモンが転送装置をもってしてとある座標から違う座標まで転送されるかの原理は解明されてはいない。しかし開発者として名を知らしめたアキハバラ博士という人物は存在する。
だがアキハバラ博士は装置についてのインタビューを受けることはなく、姿をくらませている。
「じゃあ先ず俺はなにをすればいい、アユミ?」
「飲み物を用意してきてくれるかい。お茶で頼むよ」
「へいへい」
ポケモン転送装置はネットワークを介して、ポケモンの生体情報をデータ化しているものと思われる。だが生命体のデータ化というのは人間では確認されておらず、これはポケモンにのみ適用される応用技術であるとアキハバラ博士は発表の時に説明した。
つまりアユミが今からポリゴンZを使ってしようとしていることはポケモン転送装置を通してコンピューターネットワークへと入り込み、ロケット団……いうなればシルフカンパニー社の情報を得ようとしているのだ。
「お待ちどさん」
「ありがとう。それじゃはじめるよ、いいねポリゴンZ?」
アユミの問いかけにポリゴンZはこくりと頷いてボールへと戻る。
彼女はボールを転送装置の台へと乗せ、パソコンを開いてキーボードを操作しはじめる。キリンからしてみれば、なにをしているのか皆目検討がつかないが、邪魔だけはしてはならないということだけは直感的に理解した。
さて話は少し遡るが、ポリゴンというポケモンについて補足をしておこう。
ポリゴンというポケモンは人工的に初めてつくられたものである。そして昔一般的に販売もされたりもしたのだが、高額な維持費と管理費が要求されたために廃止されたという記事をアユミは読んだことがあった。
その主な原因としてポリゴンというポケモンは高い演算能力を持っている為、扱いが非常に難しく、オーバーワークしてすぐにオーバーヒートしてしまうのである。
いわば高性能な生きたパソコン。それがポリゴンである。
なぜアユミとキリンはキララのポリゴンを見たときにそういった違和感を抱かなかったのは、ポリゴン2が発表されたときにも一般販売がなされポリゴンほどには表沙汰に物議をかもさなかったからだ。
しかしポリゴンZを見たときにアユミは確信した。
ポリゴンZとはポリゴン2の進化系ではなるが、能力は上がってはいてもバグが生じて開発されたものである。なのでよりバトル特化となったと言ってもいいだろう。
つまりキララが情報を集めるのに適していたポリゴン2を使っていたのは説明がつく。しかしキララから託された、おそらくキララの両親のであるこのポリゴンZはポリゴン2より高性能でありながらもバグの類が見当たらなかった。
それならばかなりの説明がついてしまう。
キララの両親はただのジャーナリストではないということ。そしてこのポリゴンZはおそらくシルフカンパニー社で開発され、一般販売となったものではないということ。
アユミの読みがもし正しければ、このポリゴンZにはシルフカンパニー社のセキュリティをかいくぐる要素を持ち合わせている可能性がある。
そして今、アユミはかなりの緊張感と高揚感を味わっていた。
鼓動は急上昇し、かすかに指先が震え、下唇に妙に力がこめられ、両目はパソコンのモニターから離れられずにいた。
すでにポリゴンZは転送装置の台からはボールごと消えており、すでに電脳世界へと飛んでいる。
モニター上に映し出されるスクリプトの嵐。ポップアップの連鎖が目にも止まらぬ速さで覆いかぶさっては消えていき、ネットカフェに設置されているパソコンのスペックを遥かに凌駕している。それでもこの作業量が成されるのもポリゴンZの力のおかげなのか。
そしてどれくらいの時間が経ったであろうか。少なくとも五時間か六時間か。
アユミが動かしていた指を止めて、するとポリゴンZのボールが戻ってくる。
「お、おい、アユミ? 大丈夫か?」
キリンは彼女が終わるまでの間、ずっと見守っていた。
「は、ははは。とんでもない連中だったよ……ロケット団、いやサカキという人物はね」
アユミはどこか遠くを見るような目でそう微笑し、乾いた笑い声をあげる。
疲労感に見舞われた瞳からはいくらか生気が失われているのがキリンには見て取れた。
「どうだったんだ? やっぱりいろいろとわかったのか?」
「まあね。でも、そのために払った犠牲は大きかったよ」
「は?」
アユミは転送装置の台にあったボールを取って、開閉スイッチを押す。するとその中にいるはずのポケモンは現れなかった。
「お、おい、ポリゴンZは?」
「消えたよ……」
「は?」
「追跡を免れるためにシルフカンパニー社のデータバンクで爆発してもらったんだよ」
「……は?」
つまりポリゴンZはアユミにすべての情報を渡すだけ渡して自爆したということだ。
「今頃シルフカンパニーは大慌てだろうね。そして、私達も危ない……」
「俺はお前がやったことはよくわかんねー。でも、それは必要なことだったんだよな?」
「私が無駄なことをするような人間だと思うのかい? 心外だね」
と、アユミは強気で言い放つものの、キララから託されたポリゴンZを殺してしまったのだ。心境は平穏では決してないであろう。
アユミはキララの野望を受け継いだ。そのために失うものがキララとの最後のつながりであったとしても、彼女は決断するしかなかった。
「早く、ここを出よう。きっと、狙われている。こんなところで騒動は起こしたくはないから」
「ああ、しっかりつかまっとけよ」
「……たのむ」
アユミがスクールの中で頭角を現していたのはなにも勉学だけではなかった。気の合う友人がいなかった彼女は常にパソコンと向き合っていたのだ。
キリンはアユミがスクールのパソコン前によくいることは知っていたが、まさかここまでできるようなことを習得していたとは知らなかったのだ。
そんな彼女を労いながら、キリンはアユミを背中に背負う。
「お前を守るのが俺の務めだからな。ここからは任せてくれ」
しかしアユミはキリンの言葉が聞こえていないのだろう、その証拠に彼女はすやすやと寝息を立てていた。それを傍目に見ながらキリンは微笑む。
個室を出て受付にて伝票を渡すと共に、キリンは預けていた自分のモンスターボールを受け取る。ネットカフェでは出すことが叶わない彼のポケモンを受け取るためだ。
「あのお客様、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ないです。んじゃどうも」
アユミを背負っているのだ、それは不審がられるのも不思議ではない。
「んで、こうなるってか? とんだ、映画やドラマだよな」
キリンが裏通りに入って街を抜けようとした時、暗闇に混じって複数の人物に二人は囲まれた。
作業が長かったとは言え、時刻にするとまだ夜明け前である。人の気配も少ないし、頼れる光は街灯くらいだ。
「ミサカ キリンとカンバル アユミだな」
「別にんなこと確認しなくてもわかってるんだろ?」
キリンはアユミと荷物を路地に下ろして、腰のベルトに手をのばす。
「今まで監視対象でしかなかったが、先ほど正式に排除命令が下った。覚悟してもらおうか」
「俺達にはやることが残ってるんでね、そうそうにやられはしねーぞ?」
囲まれた人数は5人。いくらキリンといえど、手持ちのポケモン二匹では無理がある。
だが、引けはしない。
こうやって狙われている以上、アユミがやってのけたことには意味がある。その意味を、キリンは守りとおさねばならない。
「いけ、ドラピオン」
リーダー格であろう男はドラピオンを繰り出す。
「お前の首を刈って、ボスへと献上させてもらう。お前達もやれ」
「「はっ!」」
ドラピオンを出した男以外の連中はドクロッグをそれぞれボールから出す。
「やれ」
冷たく機械的に発せられた命に従い、ドラピオンのするどい爪がキリンを切り刻もうとその腕を振りかざす。
「ほぉ……。さすがにやるようだな」
体力の回復が済んだサイドンの自慢のボディがドラピオンの爪からキリンを防ぐ。
そしてサイドンの強靭な尻尾がドラピオンの頭部に炸裂して引き離すも、たいしたダメージを与えることはない。
するとドクロッグたちが一斉に踊りだし、サイドンを撹乱しながら迫りこもうとする。
「サイドン、【アームハンマー】!」
両腕を振り上げて、サイドンの【アームハンマー】が地面のコンクリートに炸裂する。その衝撃によってドクロッグたちの動きは一時的に制限されてしまう。
「させるか、ドラピオン!」
しかし多勢に無勢、サイドンが次のモーションと入ろうとした時、ドラピオンの両腕が伸びてサイドンの腕をつかむ。
「くっ、【アクアテーっ!?」
「「ぐぁっ!」」
「がっ!!」
闇夜に包まれたこの路地裏で、山岳から顔を出しはじめた朝日が照らし出したのは二人の人間だった。
ロケット団の面々は地面に伏し、彼らのポケモンも同様に意識をなくしていた。否、死んでいた。
「危ないところだったな、坊主」
そう言いながら、その男はキリンへと声をかける。男の服装はキリンたちを襲ってきた男達と同じ物。つまりは、裏切ったということなのだろうか? 現に彼のドクロッグだけが生き残っている。
「ずばり、私がいなかったら大変だったでしょうね」
そして驚くべきことは、もう一人の女性がキリンが対戦して負けたナタネ本人であったのだ。
「なっ……」
キリンとサイドンは一体なにが起こったのかわかる由もなく、ただ呆然と二人を眺めていた。
「とにかく、ここを離れるか。お前がそんな技出したおかげで、野次馬が集まりそうだしな」
そういいながら男は上着を脱ぎ始め、下に着ていたシャツをズボンから引き出す。そうしただけでさっきの連中とは区別ができるようになってしまう。
「さあ、あなた達も準備して」
一方のナタネはあの奇抜な格好ではなく、茶色と白といった地味目の服装に身を包んでいる。彼女がなぜナタネかわかったのは、彼女がつけているバンダナと髪型のおかげであろう。
「一体、どういうことなんだよ」
キリンがやっと口を開いて問い詰めようとすると、男のほうからは彼を抑止するような声でキリンの肩に手が乗せられる。
「お前達のやったことは言うなれば大罪だ。そして今の世界で善がサカキの手にあることを認識しろ」
「っ!」
キリンはにらみつけるような視線で男を射るも、男は毅然としたままアユミを肩に担ぐ。
「ナタネ、悪いな……つき合わせてしまって」
「ずばり、いいことはないでしょうけど……御武運を」
「ああ。行くぞ、ミサカ キリン。俺について来い」
「お、おい、ちょっと待てよ!」
男がアユミを担いで先へと行ってしまう為、キリンは荷物を持ち上げて後に続く。彼のサイドンにいたっては何もわからぬといったままボールへと戻される。
そしてキリンは最後に振り返ってナタネを見た。彼を負かした最初のジムリーダーの姿を……。
彼女はキリンに向けて辛辣とまでは行かないまでも拒絶するような発言をした。だが彼女は自分達を助け、そして今は笑って見送っている。
それがナタネの最後の姿であることを、キリンは数日後に知ることになる。