IV:キララの託したもの
ナタネから敗北を喫したキリンは今、アユミと共に夕食をレストランでとっていた。
相変わらずのアユミの食事の量に、キリンは食欲がうせるのを感じながらも彼女の話を必死に聞いていた。
「面白いって、どういうことだよアユミ」
「おもしろいんだよ。いらだたしいと同時にね」
「それはキララのことがあってもそう思うのか?」
「……そうだ」
若干の躊躇の後、ステーキの肉を両頬に頬張りながら、アユミはフォークをキリンへと向けて告げる。
キリンの指摘はもっともだ。あんなにもキララの顛末で悲しんだのは彼女自身だ、それを含めたとしても面白いと言うことは不謹慎だとキリンは思ったのだ。
「私達の日常を奪い去ったやつらの親玉が、こうやって私達に刺激を与えてくれるんだ。くくく、それに応えなきゃいけないじゃないか……そうだろ?」
「おいアユミ、お前……」
キリンは危惧していた。
アユミは昔から勉強の虫と呼ばれるほどの努力家であった。なにを聞いても答えられ、成績においてはスクール歴代トップをたたき出してもいた。
それゆえに彼女はクラスの中でも浮いていたといわざるをえない。疎外はされはしないものの、彼女は孤独だったのだ。
誰からも理解されず、それゆえに殻に閉じこもる。
そんな彼女が今、嬉々としている。それは彼女が心からすべてを理解できずにいるからであろう。
自分の知らないものが、まだこの世界にはあるという認識が彼女に今刺激を与えている。それが例え短い時を同じくした友人を亡くしてしまったとしても、それは徐々に彼女にとって新しい刺激と変換されつつあった。
「私はただの革命としか思っていなかったが、サカキはどうやらもっと上から物事を見ていたんだろうね。それを今、再認識してるよ」
「上ってどういうことだよ……」
「一つ一つ整理していったほうがよさそうだね」
「俺にもわかるように頼むぜ」
「ああ、承知しているとも」
アユミはすでにデザートへと手を伸ばしていた。口八丁手八丁とは彼女のことを言うのであろう。
彼女はケーキの乗った皿を手前に引き寄せて、上に乗っているチーゴの実をフォークで刺す。
主張の欠けたショートケーキを見つめながらアユミはキリンを見つめる。
「ん?」
「これがサカキが支配する前までの世界だとしようか」
「前って、このチーゴ無しケーキがか?」
「そうだ。サカキがこのチーゴの実だとしよう……上に乗せると、どう見える?」
アユミはゆっくりと赤く煮て熟されたチーゴの実をケーキのクリーム上に乗せる。
「見栄えがよくなったな」
「そのとおりだよ。前の世界はなんの色気もない、つまらない世界だった」
「おいおい待てよ。まさかサカキはこの世界をよくしたって言いたいのかよ」
「客観的に言ってしまえば、以前よりはマシな世界になっただろうね」
キリンには信じられなかった。このケーキがもしアユミの言うとおりの今の世界だとしたら、誰もが否定するわけがないからだ。
「中身はもちろん変わらないさ。ケーキでいうところの味はね……でも、サカキ自身の登場で世界は完成したも同然なんだ。そして、サカキは違うものを見ていた」
「なんだよ?」
アユミは説明を終えたのか、ケーキにフォークを通して一部分を口元へと運んで咀嚼する。
「ケーキっていうのはね、ホールが普通なんだよ」
「……? おいおい、まさか」
「そのまさかさ。今私達が見ているこのケーキは全体の何分の一かだ」
「でもそんなこといつごろ気付いたんだよ、お前は」
ぺろっとケーキを食べ終えたアユミはコーヒーで口直しして続ける。
「だから言っただろう? 今日のナタネを見てだよ。彼女は私達を待っていた……それはつまり、監視されて居所がばれているということだよ。そして私達を監視しているのは二人……ジムリーダー達の寄り合い、そしてロケット団の団員だ」
「っ!?」
「あまり周りを見渡すんじゃないよ、キリン」
「……あぁ。それにしても、どういうことだ? なんで俺達なんかが」
「それについては私にもわからないよ。でもね、好機としか言い様がないんだよ」
「なにがだよ?」
「私達がジム戦にまたも敗北すれば、彼らのマークからは逃れられるはずだ」
「は?」
再戦して勝つはずじゃなかったのかとキリンは問い詰めるが、アユミに一笑される。
「私達はキララの残した情報を手に入れなければならない。まあ、きっと大体が推測通りかもしれないが……そこにはサカキの目標が記されているはずだ」
「ジムバッジをそろえるっていう俺達の目標はどうしたんだよ。それに、次のジム戦負ける気は俺にはないぞ?」
「なら私がやるよ」
「てか、そんなことするなら次の街へ行った方がいいんじゃないのか」
「そうだね、でも私たちは邪魔されるわけにはいかないんだよ。そのためのカモフラージュになるのならなんだってやるさ」
ジム戦において何人もの挑戦者が現れる。そして敗北した者が再度挑戦しにくることは珍しい。
大体がジムリーダーと自分の力量の差に参ってしまうからだ。それでもその中には根気強く、負けず嫌いな者がいる。そういった者が再挑戦をするのだ。
そして確率論的に、二度敗れた者が再度挑戦することは無いに等しい。
「そうかもしんねーけど、俺は嫌だね」
「だったらさっき勝てばよかったんだよ」
「ぐっ……」
キララが残した情報。その元とはどこなのか? そしてそれが手に入る場所とは一体……?
そのすべてをアユミは把握しているのか、していないのか?
「でもよ、目星ついてるのかよ? というかキララのかばんにはなにが入ってたんだ?」
「キララの手帳とモンスターボールだよ」
「モンスターボール? でもあいつの手持ちは確か……」
キリンはキララが所有していたポリゴン2のことを思い浮かべる。
「どうやらこのポケモンがキララの切り札だったと思う」
「切り札?」
「つまり、彼女の両親が所有していたポケモンということだよ。彼女はあれほどのことを知っていた、となると彼女の両親が一体何者であったかは推測できる」
「……お、おい、誰なんだよ?」
アユミは少しの間目を瞑り、考え込むようにしてから目を開く。
「さあね」
そのときの彼女の表情には一種の憂いが帯びており、しかしキリンはそれ以上追及することはなかった。
「とにもかくにも、あの正月の日に起きた一連の事件は無視はできないということなんだろうね」
カントーの各主要街にて起こったテロ工作に見立てられたロケット団の自作自演は、もしかしたらなにかを隠すために行われたものであったのか。
はたまた、すべてにおいて実行された意味があるのか。
その真意はいまだ闇の中ではあるが、アユミは徐々にそれに近づいていっていた。
「とりあえず今日はネカフェで夜を明かそう」
「ネカフェ。ネットカフェか?」
ネットカフェ、それはサイバーカフェとも呼ばれることもあるが金銭を支払うことでインターネット環境の常備されている個室ないしパソコンを使える場所のことである。
さまざまなサービスが提供されており、ポケモンたちと一緒に娯楽を楽しめるなどといったこともできたりする。
「そう。このポケモンを使って確かめたいことがあるんだ」
「おいおい、そんなことしたら怪しまれるんじゃ……」
そう、もしアユミが言うとおり監視をされているのならば再挑戦し負けることで監視を外してから行動することが普通だろう。
「確かに君の言うとおりだ。でもこれで確定する、ジム戦を再挑戦できるかどうかで私たちの立場ははっきりしたものとなる」
「どういうことだよ」
「今夜私たちは事を犯す。それが看過されるようであればジム戦に負けることで私たちは自由の身だ」
「賭けにでるってことか」
「そうだ」
意を決した彼女の瞳に、それ以上キリンが難癖をつけることはなかった。
「お金はよろしく頼むよ。ナイトパック、二人分だ」
レストランでの食事を終え、またしても多大な料金を支払うアユミ。こと食費に関しては自分で自分の分はきっちりと支払うようである。
そして店から出た彼らは近場にあったネカフェへと入っていき、レジ前でアユミはそうキリンにそう告げたのであった。
「おい、お前も金あるだろ」
「さっきの食事でほとんど消えたさ。私は食べるためにバトルする主義だからね」
「とんだトレーナーだぜ」
いやいや言いながらもポケギアを機械に通すあたり、キリンもなれてきたのだろう。というより払わないといったらアユミは絶対に払わないことを身にしみて知っているのだ。
「それではA24のお部屋となります。こちらの廊下のつきあたりとなっております」
「どーも」
キリンは店員から入店時間の書かれた伝票をもらい、アユミをつれてA24の個室へと向かう。
「へー、結構広いんだな」
「そんなことはどうでもいいんだよ。ほら、そこを空けて」
「へいへい」
アユミはキララのショルダーバッグから取り出したボールを開いてポケモンを呼び出す。
そして現れたのはポリゴンZ。キララの持っていたポリゴン2の進化系である。
「おいおい、これってキララのポケモ……ん?」
「このポケモンはポリゴンZ。キララのポリゴン2の進化系だよ」
「へー、ポリゴンってここまで進化するんだな」
「でも妙だ……」
アユミは現れたポリゴンZをまじまじと観察する。一方ポリゴンZは見知らぬ二人に呼び出されて困惑しているようにもみえる。
「なんで気がつかなかったんだろう……」
「なにがだ?」
「いや、ポリゴンについてだよ」
「は……?」
「ポリゴンは野生にはいない。ポリゴンは昔、シルフカンパニー社がはじめて人工的につくったポケモンとして脚光を浴びたんだ」
そう。ポリゴンとはサカキがシルフカンパニーにて研究の成果として発表したものである。
そしてその研究データはオーキドへと託されて、ポリゴン2、ポリゴンZという段階を経た後にオーキドはマサラの悲劇で逮捕されてしまった。
そうして時を経て、オーキドは再度サカキの下で研究を再開しミュウツーを誕生させた。
となれば、どうしてキララはポリゴンという試作段階のポケモン……言うならば不完全体であるポリゴン系を持っていたのか?
そしてなぜ二体も持っていたのか?
「もしかして、キララは……」
「おい、アユミ?」
「ごめんね、ポリゴンZ。君のトレーナーはもうこの世にはいないんだ。だからキララの代わりに私達に力を貸してくれないかな」
アユミはじっとポリゴンZを見つめて、その両手で体を触れる。
ポリゴンZは電子音を鳴らして同意の意思を伝える。きっとポリゴンZも勘付いていたのかもしれない。あるいはキララから言われていたのかもしれない、こういう時が来るかもしれないということを。
「おい、アユミ?」
キリンは不安と焦燥が彼をはやし立てる。
「キリン、君は私のサポートを頼むよ……」
「は?」
「もしかしなくても、ちょっと面倒なことになるかもしれない」
「どういうことだよ?」
アユミはポリゴンZをデスクトップの横に設置されているポケモン転送装置にボールへと戻してから設置する。
「今から電脳のプールにポリゴンZを泳がせて、必要な情報を手に入れる。私の指示は絶対だから、聞き逃すんじゃないよ?」
「なんだかよくわかんねーけど、わかった」
アユミがこれから行うのはハッキング。
もしキララの言っていたことが本当なら。もしここにポリゴンZがいる意味がアユミの推測通りなら。
彼女は確証を得なければならない。
キララが、いやキララの両親がどうサカキとつながっているのかを。
そしてサカキの思惑とはなんなのかを。
……知る必要があるのだ。