I:キリンの存在意義
ヒョウタとの対決、そしてキララの別れと、アユミは心に精神的なダメージを負いすぎた。
しかし彼女には、そしてキリンにも立ち止まっている余地はなかった。先に進まなければならないからだ。それはキララの為であり、自分達の為でもあると言い聞かせながらアユミは顔をあげる。
炭鉱が爆破され潰れたクロガネシティでは日夜、土砂の撤去作業が進められていた。まだヒョウタとキララの遺体は発見されておらず、そうともなるとまだまだ見つかるには時間がかかりそうだ。
街の代名詞である炭鉱とジムリーダーを失ったクロガネシティは今後どうなってしまうのか。そんな不安な想いを背負いながら住人は一日でも早い復興を願うのだろう。
かくしてアユミとキリンはクロガネシティを去り、北へと向かった。次のバッジがあるハクタイシティへとだ。
「なあアユミ」
「なんだい?」
キララの死から一晩、アユミは両目の下に隈を濃く残していながらも普段通りの調子に戻っていた。いや、そう見えるといった方が正しいか。
「ハクタイにはどうやって行くんだ?」
「君は他人に頼る癖をどうにかした方がいいよ」
「いや、地図とか読めんし」
「君はつくづく使えないな……。ハクタイシティまではサイクリングロードを使うんだよ」
クロガネシティとハクタイシティをつなぐ一番の近道として有名なサイクリングロード。しかしながら南から北へと上がるとなるとかなりの労力を使うことになる。
「へえ。でもアユミ、お前自転車乗れないんじゃなかったか?」
「知ったような口を聞くんじゃないよ。なんの為に君がいると思っているんだい?」
「ああ、なるほどな」
すでにアユミの分の荷物を持ちながらもキリンは両手を合わせて納得がいったのか頷いて見せる。
「ほら、さっさと行くよ。長居は好きじゃないんだ」
「へいへい」
今やクロガネシティは大騒ぎ状態であり、もちろん検問が敷かれている。だがアユミとキリンはそれをかいくぐって街の外へと出てきた。
アユミの綿密な計画とキリンの高い運動能力を持ってして二人はクロガネ炭鉱博物館の裏から街を抜け出したのだ。
そして今丁度、とある傾斜を目の前にしていた。
「次はここか?」
「まあここを上がればすぐサイクリングロードへと辿りつけるね」
「よし、じゃあほれ」
「むっ……」
キリンがその場にしゃがみ込むと、アユミは不本意な表情を浮かべる。
ふくれっ面をしながらも自分ではどうにもできない為、アユミはキリンの背中に身を預けて首に腕を回す。
「しっかりつかまっとけよ」
「言われなくてもっ―――!」
キリンはアユミを背負いながら軽い身のこなしで急な斜面をひょいひょいと登っていく。
「君は本当にエイパム並みな動きをするね……」
「うらやましいか?」
「別に」
まだ朝靄が辺りを覆っているこの時間、誰もこの二人を見かけてはいないであろう。
垂直に近い岩肌を人一人背負いながら意気揚々に登っていくキリンの姿はアユミの指摘するようなエイパムの身のこなしそのものである。
「ほら、大丈夫か?」
「大丈夫だ」
万人ならば遠回りをやむなくされる場面を人並みはずれた身体能力でクリアするキリンは、アユミをゆっくりと下ろしてやる。
「まったく、君と一緒に来てよかったと思う稀な瞬間だよ」
「なんだよそれ」
「君の唯一の存在意義ということだよ、馬鹿ということ以外のね」
「今日はいつになく手厳しいな」
「そ、そんなことはないっ!」
アユミは博識であるし、その小柄な体型を紛らわす為に大きな態度できつい口調で話してしまう。だがその手の内を返せば純情であり寂しがり屋なのである。
つまり簡単に言うと、キリンにおんぶされて胸がドキドキしたのをこうやって誤魔化しているというわけだ。
「ほらさっさと行くよ」
「へいへい。よっこらせ」
手に提げていた荷物を肩に担いでキリンはアユミの後ろについていく。
二人が登った場所から道なりに出るまで1キロ、すぐに見えてきたのはサイクリングロードのゲートであった。サイクリングロードはなにもマウンテンバイクや二輪駆動車だけではなく自動車やバスなども通ることができる。
「こんな時間でも通れるのか?」
「通れるよ。それがサイクリングロード事業の魅力だってこと忘れたのかい?」
そう、今や全国で始まろうとしているのがサイクリングロード事業である。それは街と街、地方と地方を効率的かつ高速に交通するようにと立ちあげられたものであり、今注目されている。
各地方の中で最もこの事業で力を入れているのがイッシュ地方。イッシュの本社が資本を出して全国普及を目指しているのだが、あまりうまくいってはいない。それにはイッシュ以外の地方は全体的に起伏が激しく、工事に着工できないのである。
さて、そんなことはさておき二人は二十四時間常に営業しているサイクリングロードのゲートへと入っていった。
巨大な一本橋、と例えればよいだろうか……それがサイクリングロードの魅力であろう。それがゆえに大規模な工事が必要となる。
「すみませんが、二人乗り用の自転車一つ」
アユミは受け付けカウンターの丁度頭一つ出たといった感じで自転車の注文をしていた。
「かしこまりました。両漕ぎにいたしますか、それともサイド付きで?」
「サイドで」
「はい、それでは自転車はハクタイゲートにてご返却ください。サイクリングロード通行料とレンタル料を含めて2500円いただきます」
「キリン、お金」
アユミの後ろで控えていたキリンは、いきなり自分の呼び出しに驚きつつもアユミの要求に眉をしかめる。
「おい、お前それぐらい持ってるだろ」
「キリン、お金」
「だから―――」
「君、私が言っていることがわからないのかい? お、か、ねと言っているのだよ」
「ちっ!」
キリンはポケギアを外して受付嬢に乱暴に手渡す。
「こ、こちらでよろしいでしょうか?」
「お願いします」
さっさと受付を済ました二人はサイドカー付きのバイクの方へと案内され、ゲートを通された。
「側車付きって、お前……」
「言っただろう? 私は知で君は力だ」
「まあ最近運動もバトルもしてねーからいいけどよ」
「だったらさっさと行きたまえ」
「へえへえ」
アユミはすでにサイドカーにちょこんと座り、膝上に荷物を乗っけている。口調は変わらずとも目がうつらうつらしているあたり眠たいのであろう。
キリンも寝不足といったら寝不足の方ではあるがここに来るまでに体を動かしている為か、脳はしゃきっとしていた。
「よっしゃ、行くぞ」
「早く行って、くれ……」
準備も整い、キリンはサドルにまたがってパドルをこぎ始める。
まだひんやりとした暗闇の中を照らしているのは、橋全体に設けられた外灯のみ。しかしそれでも度々通り抜けるトラックのライト無くしても視野は十分に確保されている。
だがこの時間帯、キリン達以外に自転車を使っている者はいない。
というよりもあまりこのサイクリングロードを自転車でクロガネゲートからハクタイゲートまで行くものは多くはない。
なぜならば、ハクタイの方までは上へと登る傾斜となっている為かなりの労力を要するからだ。
しかしそんな傾斜も関係なく、キリンは自慢の脚力でどんどんとハクタイゲートまで登っていった。
おそるべし。
「おいアユミ、着いたぞ」
「ん……」
スポーツ等が好きなアウトドア派であるキリンは自分のペースを保ちつつも、しっかりとサイクリングロードを満喫した。アユミが寝ているのをいいことに、寄り道をしてみたり、朝日を拝んだり、軽めの食事を取ったりなどでハクタイゲートに辿りついた時にはもう誰もが起き始めるような時間帯であった。
しかしキリンがわざわざ遅くついたのにはわけがある。それはしっかりとアユミに休息を与える為だ。それと彼女が眠っている間にキララの名を連呼していたから、そうせざるを得なかった。まだ彼女はキララとの別れを偲んでいたのだ。
「やっぱり君でも結構かかったみたいだね。ふぁ〜」
「ああ、それよりもとっととジム行こうぜ」
「うん、そうだね」
そんなキリンの気遣いも露知らず、アユミはむくっと起き上がる。
寝ぼけている時のアユミはかわいいことをキリンは孤児院時代から知っている。その為、扱い方もちゃんとわかっているのだ。といってもキリンはアユミよりも入ったのは幾年か後ではあり、常にアユミからは年下扱いにはされるが。
眠気眼を服の袖でごしごしとこするアユミの愛くるしさといったらないだろう。それに眼鏡を外したアユミの素顔というものは大体いつも前髪で隠されてはいるがかわいいのである。
「またのご利用、お待ちしております」
と、受付にて自転車を返した二人はハクタイシティへとたどり着いた。
昔を今に繋ぐ街、というレッテルの貼られているこの街は西側にハクタイの森が存在しているように、自然に富んだところである。
クロガネシティとは一変していることが一目でもわかることができる。
「しかしこんな朝っぱらからジムリーダーなんているのか?」
「ジムが開くのは大体この時間からだよ」
「ひゅー、お前には無理だな」
「うるさいな……」
なので朝には弱いアユミは、キリンの煽りにもまったくもって反応が薄いのである。
「それじゃとっとと行くか。今日は俺でいいんだよな?」
「ああ、構わない。だが気をつけたまえ、ハクタイジムのリーダーはナタネ……草タイプの使い手だ」
「構わねえよ。弱点を克服してこその覇道だ」
「君は本当に理に適わない男だね」
二人がそう会話しながらジムの前へとたどり着くと、ジムの門が勝手開き中から一人の女性が現れた。
「ずばり来たねチャレンジャー、待っていたよ。あたしがこのハクタイジムのジムリーダーナタネだ」
ジムリーダーの風格を漂わせるその独特なファッションセンスはもはやハクタイの看板でもある。
ただ彼女がマゾであることは彼女は隠しているつもりだが、周知の事実なのは御愛嬌である。
「それじゃ、ずばりジム戦と行こうかしら!」
「望むところだぜ!」
なんだか好戦的なところはお互い似ているのだろうかとアユミが考えている間、彼女は何かがひっかっかっていた。
「キリン、気をつけるんだぞ」
「ん? お前が心配してくるなんて意外だな」
「馬鹿、そういうことじゃない」
「……ああ、わかってるさ。じゃあな」
キリンはアユミの意図を組んだのか頷いて去っていくと共にくしゃくしゃとアユミの頭を撫でてやった。
「むっ……」
不服そうな表情をアユミは浮かべながらも、黙ってジムの観戦場へと荷物をずるずると引き摺っていくのであった。
シンオウ、第三のジム戦が今から始まる。
しかしナタネはなぜ、この二人が来ることをわかっていたのか。それは寝ぼけていたアユミに緊張感を走らせるには十分過ぎるファクターとなっていた。
「気をつけなきゃね」
そうアユミはこぼして、辺りを警戒するのであった。
「これより、ハクタイジムリーダーナタネとチャレンジャーキリンのジム戦を開始します!」
そしてジム戦の合図が審判より高々と宣言された。