VII:イニシャルインシデント
人間がイニシャルインシデントで科学の力を得た?
私にはサカキが言っていることがまったくもって理解できなかった。
「この世界の人間達は元来、ポケモンに対抗する術を無くして続くはずだった世界だ。ゆえにポケモンが人を統べるといった自然の法則、弱肉強食にしたがっているはずだった」
サカキは手に取ったカードを机の読み取り機っぽい機械に通して、後ろの窓の手前にパネルが現れる。
「だがイニシャルインシデントが起き、その時にこの世界を他の世界へとリンクさせた者達がいる。それが八柱力だ」
映し出されるのは八人の人間のシルエット。そして、イッシュ地方のマップ。
「マコモという研究者が発見したイッシュの謎。それは遙か昔にイニシャルインシデントが起こった時の現象の痕跡だったのだ」
ま、ま、ま、待って。
もしかして、私達は……。
自然とカナを握る手の力がこもってしまう。
「八柱力とはポケモンの能力である技を使える人間のことだ。彼らが唯一、ポケモンに対抗できうる力を持っていたということになる。その彼らが、まるで導かれるようにしてイッシュに集い……そして、この世界に変革を招き入れたのだ」
パネルにはイッシュの中心部を囲う八つの六角形上に並んだ都市が赤く照らされていて、真ん中からは眩い光の柱が立っていた。
「他の時空へと繋がるゲート、それがイッシュ地方だ。イニシャルインシデントが起こり、ゲートがどこかの世界と通じた。その時に向こうの世界が持っていた科学という力をこの世界は得ることができたのだ」
なにやらどんどんと話がややこしくなっていくのを私は感じていた。というか、難しすぎるよ!
なんで、なんでこんな話を私達にするの?
私にはその時のサカキの真意がまるで見えてこなかった。
広く、薄暗い社長室の中でサカキという人物の支配力というものをひしひしと皮膚が敏感に感じ取っているのがわかった。
するとカナが割って入るようにしてサカキに問う。
「今、世界と言いましたよね? 人間が科学の力を得たのではないのですか?」
「君は実に聡明な娘だ。そう、確かにこの世界は科学という力を手に入れたが、それは人間もポケモンも一緒だったのだよ」
え……?
「ただポケモン達は科学の力を恐れた。それは自分達にとっては未知なる力だったからな。だが、人間は違った。科学、それは……ポケモン達に対抗できうる最初にして最後の手段だったのだよ」
だから人間はポケモンとは違い、科学の力を手にとったの?
「人間には縋るものが必要だった。弱者から強者へとなる為の力が、だ」
科学の力。
「だがポケモン達は本能的にわかってしまった。このままだと人間は科学の力で、自然界はおろか、自分自身達まで滅ぼすであろうということを」
サカキが雄弁に語る演説に、私はどんどんとのめり込んでいってしまった。
「だからポケモン達は科学の力を行使ではなく、順応させる道を選んだ。人間の科学の力が暴走しないように、自分達の自己犠牲によって被害を最小限に収める為に」
「ということは、もしかしてっ」
「そうだ。私達が今生み出したとされているこの社会において、ポケモンの力無しでは成り立ってはいないということだ」
サカキの言葉に、私は衝撃を受けていた。
それはつまりポケモン達が世界の為に妥協したってこと? それって、ってことは私達とポケモン達の関係はイニシャルインシデント前からなにも変わってないっていうこと?
「我々は常に弱者なのだよ。ポケモン達がいざとなれば、我々人間など一瞬で消えてしまう」
「だからあなたは、あんな化物を!」
え、化物?
「そうだ。我々がポケモン達に対抗する為には人間が、科学によって創ったポケモンが必要なのだよ。我々の遺伝子を引き継ぎながら、ポケモンの力を持つ兵器がな」
どういうこと?
「ミュウツーの力さえ完璧となれば、量産し全てのポケモンをこの世から消し去ることも可能だろう」
ミュウツー? 一体、何の話なの……?
「ではあなたはなぜまたしてもゲートを開こうとしているのですか? 他の世界へと繋がり、新たに何を求めるんですか!?」
カナが声を張り上げる。
「何を言っている? 私は八柱力などには興味がない。強いて言えば、違う世界のことも今の世界のこともどうでもいいことだ」
「な、何を言って……?」
「私は一人の人間にして、男だ。男が常に欲すものが君たちにはわかるかな?」
男?
男が常に欲するものって……?
「優しさと力だよ」
優しさと力?
力っていうのはなんとなくわかるけど、優しさって何? 大の男の人から優しさがなんてきいたことがないから、私はますますわけがわからなくなっていく。
「ただ一人、いや一匹か……新たなる変革を望む者がいるみたいだがな。何を考えているのかはわからんが、そいつの好きなようにさせる気は毛頭ない」
こ、今度は一体なんの話をしているの?
「そうですか、わかりました」
え、カナ? 何がわかったの?!
「私の力もまだまだ至ってないみたいですね」
「八柱力など、今のこの世の中ではいようがいまいがさほどの脅威でも重要なファクターでもない。だが私は君たちをここへと呼んだ真意がわかるかな?」
そうだ。
私はてっきり八柱力だからここまで通されたものだとおもっていた。それはカナもそうみたいで、二人して改めて緊張が体全身を巡り始めていた。
「ハヤミ ルカ、そしてテンドウ カナミ……君たち二人を今日からロケット団の一員として迎え入れよう」
「「えっ」」
「これは君たちに与えられた選択肢ではなく、勧告だ。拒否をする場合、ここで命を落としてもらおう」
っ!?
いままで気付かなかった。
辺りの気配を見て取ると、部屋の隅にいたスピアーがその鋭い両手の針を私とカナの首筋に突き付けていた。
自然と生唾を飲み込んでしまい、その首筋を汗が滴る。
「最初からこうするつもりで、喋っていたのですね」
「私は君たちよりは修羅場を経験している。君たちの考えが甘かったということだ」
きっとカナは自分達が八柱力であるということをカードにサカキにいろいろな情報を聞き出そうとしたんだと思う。それは私には思いつかないし、でも、それでも上手く行くやり方だと思っていた。
だけど、サカキの方が一枚も二枚も上手だったみたい。
「私が常に欲しているのは優しさと力だ。そして君たちは私の欲する力となる。八柱力にゲートを開かせる役割に魅力を感じはしない……だが、その能力自体に私は興味があるのだよ。ミュウツー計画が失敗した時はその能力があれば人間でもポケモンに対抗しうることができるからな」
「一体私達に何をやらせようって言うのよ!」
そこで私ははじめて喰ってかかった。こんなの許せない!
「やっと威勢が出てきたようだな。なに、簡単なことだ。君たちには全国で指名手配されているダイゴが率いる一味を殲滅してもらう」
え? ダイゴ率いる一味って。
「そうだ。君の兄ハヤミ ケンと、そっちの姉であるテンドウ カスミのいる一味のことだ」
そ、そんなのっ……!
「そんなのできない!」
カナが声を大にして、そう叫ぶ。
「ほお。ならば今ここで命を落とし、カスミの前に君の首をさらしてもいいんだぞ?」
ぞわっ!
サカキがカナになげかけた言葉に込められた殺意に、私の背筋は凍りつく。カナに至っては表情が更に暗くなっているのがわかった。
この男に、私達は近づくべきじゃなかったと。それを私は体と本能で感じ取っていた。
「い、いや……。そんなことするくらいなら、ここで死んだ方がましだもの」
「カナ……」
あんなプレッシャーに負けじと、カナは反論した。でも声の節々は震え、いままでサカキを直視していたカナの目線は泳いでしまっている。
「ふっふっふ、はぁーはっは! なるほど、やはりお前達は面白い。私に盾突こうとする奴らなど、あいつら三人だけだと思っていたのだがな」
三人? 一体、誰のことを……。
「まあいい、スピアーやれ」
え、ちょっ!?
「スターミー!」
サカキの命令でスピアーが私達二人を突き刺そうとしたところに、カナの腰ベルトのボールに入っていたスターミーが【高速スピン】を繰り出して攻撃から防いでくれた。
「ほう。さすがと言ったところか?」
「言ったでしょ? 私には未来を見る力があります」
「ではさきほどのは演技か。私も君が若いというだけで見くびっていたようだな」
カ、カナさん、あなたさんはどれほどまでに度胸が据わっていらっしゃるんですか!
で、でも今はそんなこと言ってる場合じゃない!
「ガーディ、スピアーの右上腕部に向かって【火炎車】!」
「がうが!」
ここは戦わなきゃいけない時なんだ!
カナの入れ替わり立ち替わりで私はガーディを出して、私の目で見えたスピアーのウィークスポットめがけて指示を出す。
「面白い。面白いな、さすがは八柱力の子たちだ! スピアー、【ダブルニードル】!」
「すぴぁ!」
ガーディの技はスピアーに接触はするものの打撃を与えるまでには至らず、【ダブルニードル】を体に叩きつけられてガーディは吹き飛んでしまう。
「ガーディ、【火炎放射】!」
「があ!」
でも体勢を立て直したガーディはスピアーに向けて火炎を放射する。
「スピアー、【虫のさざめき】」
サカキはそれでも冷静な指示を出して、スピアーは【火炎放射】を相殺してしまう。
つ、強い……!
そう思っていた矢先、突如としてスピアーが奇妙な行動を取る。スピアーが翅を使ってなぜか跳躍したかと思うと、右側の羽がちぎられてしまった。
体勢を崩したスピアーはそれでも残った翅で床へと着地して棘を構える。
「カナっ!」
そう、さっきのはカナのスターミーが【高速スピン】でスピアーを狙い、翅を粉砕したのだ。
「【見破る】と【未来予知】の力、お前達の力というものがどれほどのものとなるのか……楽しみになってきたな」
こちらが優勢だと思うのに、サカキは一向に調子を崩さない。
「だが、まだまだ経験不足だ」
「え?」
「うそっ」
いままで敵は眼前のスピアーだけだと思っていた。だけどサカキが指を鳴らしたその時、部屋がライトアップされてそこには整列されたスピアーの群れが存在していた。
うわ、きもっ!
で、でも、これは絶体絶命ってやつだよね。
「獲物を自分の懐へと招き入れたのだ。罠というものは二重三重では足りない。【未来予知】とはいえ、全てを見切れるということではなさそうだな」
「くっ」
カナが歯ぎしりする。
そうか、カナの【未来予知】は未来を見ることができるけど、自分が理解できうる範疇までなんだ。未来は予想できても、予想外は予想できない。
「物事の見方は二通りだ。表を見るか、裏を見るか。先に表を見なければ裏が見えないように、裏が見えなければ表を見ることはできない」
「……」
カナは黙りこくってサカキを見つめていた。こんなカナ、見たことない。
「まあいい。ならば貴様らに選択肢を増やそう。ダイゴ達の殲滅か、それとも世界のゲートを開かせないようにするかだ」
世界のゲート開かせない? それってさっき言っていた……。
「選ぶのは貴様たちだ。時間はくれてやる、連れて行け」
「はっ」
そしていつからそこにいたのだろう。なんの物音も立てずに私とカナを掴んだ人がいた。
「ちょっ、離して!」
しかし抵抗虚しく、私達はシルフカンパニー社の独房へと監禁されてしまった。