「裏」:彼女の覚悟
ルカがカナの看病をしている最中に居眠りをしていた時、すでにカナは意識を取り戻していた。
「んっ……」
むくりと起き上がる彼女の自慢の髪はさらさらとしていながらも乱れており、未だ目が完全に覚めていないのかしょぼしょぼとしていた。
「ルカ、ちゃん?」
カナは自分のひざ元で眠りこけている親友の姿を見て、眉をひそめた。
眠っている間に、自分はいくつの夢を……いや、予知を見たのだろうか?
数えきれるものではない。そして、そのどれもが回数を重ねるごとに規模が大きくなっていった。
そしてルカが自身を助け出してくれた、あの病室の出来事ももうすでに見てしまっていたのだ。
だからわかる。
次に何が起きるのか。そしてそれをどうやって防げばいいのかを。
「ルカちゃん、ごめん」
カナはルカのポーチを探り、そこからポロックケースを取りだした。自分ですらはじめて見る希少な木の実を使ってつくられたポロック。
そのポロックをたった一つでもシャワーズに食べさせれば、トップコーディネーターの道など容易い。それほどの代物が、まだ二つも残っているのだ。
でも、自分にはやらなければならないことがある。今度は私がルカちゃんを守る番。そうカナは自身に言い聞かせた。
部屋をこっそりと抜けだし、カナは姉の部屋へと忍びこんでカスミのモンスターボールを手に取る。
カスミはダイゴやサトシと共に行動しているが、家族はそのことを知らない。むしろ指名手配犯とされており肩身は狭いのだ。
そんな彼女はジムリーダーとして数々の水ポケモンを育て、管理している。その内の一匹が入ったモンスターボールが、今カナが手に持っている内の一つである。
「借りるね、お姉ちゃん」
カナはそう今はいない姉に謝罪し、その部屋の窓を開ける。
ベランダへと通ずるその窓を抜けて、非常用梯子を下ろしたカナはそのまま自分が育てている木の実が植えられている花壇傍へと移動した。
いわゆる裏庭である。
カナはそこで右手にモンスターボール、左手にはポロックケースを携えてただひたすらと待った。体を纏うのは病院で着せられていた薄い黄緑色の検査服で、今の時期、外にいるだけでも底冷えするというのにカナは動じていなかった。
そして幾分待った時、裏庭に突如として二人の人間が現れる。否、片方は人間ではなくポケモンだ。
「ん、目覚めとったんだが?」
「はい、おかげさまで」
カナが目の前で対峙しているのはサカキ リョウ。そして彼が率いていたのはミュウツーであった。
こうやってカナは久しぶりにリョウと再会を果たす。
カナとはおもえない程に鋭い視線がリョウとミュウツーの動きに注意を払っている。
「恐いけ、落ち着きないや」
「落ち着いていられると思いますか? ルカちゃんにあんなひどいことをして……私はあなたを許しません」
ルカがカナを想っていたように、カナもルカを想っている。
そしてカナはルカの危機をすべて夢で見ていた。ただ見ているだけで、わかっているのに何もできない自分の無力さが彼女の苛立ちをここまで露わにさせているのだろう。
「逆ギレか? そげなもん、無意味なことだけ」
「そうですね、そうかもしれません」
カナは一歩リョウへと近づき、そして左手に持っていたケースを払うようにして投擲した。
「おっと」
要領良くリョウがそれをキャッチすると、カナはそのまま真っ直ぐを見据えて告げた。
「これであなたが望むものは手に入ったはずです」
「そげだな」
リョウは指でつまんだケースの中身を確認すると、静かに頷いた。
「これでわに手、引けってことけ?」
「ええ」
密かにリョウは笑みを浮かべるとカナに向けて今度は小さなパソコンのような機械を取り出して、二人のちょうど真ん中の地面へと投げ捨てる。
「これは?」
「ここの家のセキュリティを割る時に使ったもんだけぇ。いくらミュウツーの【テレポート】でも突破できんかったんだがん」
「もう必要ないと?」
「ロケット団が掌握していたセキュリティ会社からデータを転送させ、ここの庭に入る時に使っただけだけん。心配はいらん」
ポケモンの【テレポート】で他人の家、あるいは敷地に入ることはできない。それはセキュリティ会社と契約している者に限られるが、大抵の家を購入する時にはそのサービスがついてくるためほとんどの世帯がそうなっている。
つまりリョウがここにミュウツーと共に来ることができたのは、セキュリティ会社からのコードを使いカナの家のセキュリティを無力化したからなのである。
「そんなこと、別に聞いてませんが?」
「言うがん」
リョウは好戦的な表情でそうカナに向けて言葉を放つ。
「今ここでわいを倒してもええが?」
「やってみれるものならやってみてください」
カナはリョウの挑発を挑発で返し、両者の緊張は糸のように張りつめており、いつでも切れそうであった。
リョウの一歩半手前にミュウツーが右手をのばした状態で待機し、カナはカスミのスターミーをボールから出して臨戦態勢を取らせる。
しかしリョウはここで戦う気はなかった。なぜならば仮にもカナはカスミの妹であり、他の姉はここにいる。向こうもポケモンバトルのプロであるならば、自分自身はまだ経験の上で劣っていることはわかっていたからだ。
それにリョウには、本当にここにいる理由がもうなくなってしまっていた。彼の能力、【欲しがる】を元にした八柱力の力が彼の本能になにも告げなくなったのだ。つまりリョウは導かれてここ、テンドウ家の庭へと、カナの持っているポロックケースがあるから来たのである。その為にセキュリティコードを手に入れる必要があり、時間を浪費した。
もしカナがポロックを隠し持っていたとしたならば、リョウの本能はまだここにいろと告げるはずなのである。
「ま、ええけ。とりあえず今は身を引くわ」
両手をあげて、リョウはそう言い残すとミュウツーと共に背を向ける。
「一つ、教えてください」
「あ?」
そしてカナも彼が退くとわかっていたのだろう。なので間髪いれずにそう問いかけた。
「あなたは自分がなぜそのような力を持っているか、疑問に思ったことはないんですか?」
同じ八柱力が目の前にいる。
その人物は人間としては認められないけれども、それでも同じ能力を持った人間なのだ。そして人間であるならば、それぞれの思惑がある。思う所があるはずなのだ。
「思わんなぁ。わの力なら力で、ただそれだけだけん。別に持って生まれたもんなんやけん、特別なんやろ? ははっ」
一拍置いて、リョウは顔を手で覆って嗤う。
「こうもあからさまに他人とは違うって神が言っとーだけん、感謝せんとな?」
そしてカナは今一番にリョウから禍々しい気を感じ取ったことがなかった。
「そう、ですか」
「ならな。【テレポート】」
そう言い残してリョウはミュウツーと共に立ち去った。
時間はさほど経っていないだろう。だがカナが体感した、リョウとの会話は彼女の寿命を幾分か縮めるほどに圧迫していて、それでいて圧倒されてしまった。
「……ふぅ。あれ?」
一息ついたと思ったら、カナの足はずるずると崩れ落ちるようにして腰が地面へと落ちてしまう。
「情けないな。これじゃルカちゃんに顔向けできないよ」
腰が抜けながらも、カナはリョウとのやりとりで得た情報を頭の中で改めて整理する。
「でも、得たものは大きいかな。やっぱり私は八柱力なんだ」
いくら【未来予知】の力を持っていたとしても、確証が得られなければ意味がなかったし不安であった。
リョウはカナを見てまず一言目に目覚めたかと聞いてきた。それはつまりリョウが、カナがどういった状態であったか知っていたということになる。
そして求めていた物がチイラの実であること。彼が連れていた正体不明のポケモン。何も手を出さずに帰っていったこと。
「こんな、こんな力なんて欲しくはなかったのに……」
そして彼女は今後、世界がどうなっていくかのヴィジョンがもう見えていた。それは彼女が望まないもの。そしてこんな力自体、カナは望んではいなかった。
スターミーがカナを心配して身を寄り添える。
「ありがとうスターミー」
カナはスターミーを抱きしめながら、ぽろりと静かに涙を流す。その一滴が頬を伝ってスターミーの核である鉱石の上へと落ちる。
それに呼応するようにスターミーはその宝石を明滅させて、カナの悲しみを共感する。
カナはスターミーをボールへと戻して立ち上がり、はしごを使ってまた元の部屋へと戻る。
自分の部屋でベッドにもたれて眠る親友に毛布をかけ、カナは着替え始める。
友人のものを勝手に取ってしまった罪悪感、それが今のカナにとてつもない軋轢をかけていた。だからだろう……着替える時に彼女の手が震え、そして普段から慣れている動作もできなくなってしまう。
カナが見る【未来予知】の力。それはなにしも全てを知るということではない。彼女が夢の中で見るのは断片的なシーンと音の流れ。
普段ならばその奔流に惑わされ、情報を掌握できない。なぜならば夢というものは一晩をかけて脳が整理している記憶の断片であるからである。なので夢というものには自分の中で得たものしか映らないとされている。
しかしカナの場合、夢の中で未来を見ることができる。それがカナの力であり、彼女にはその溢れる情報を整理できるほどの記憶力と集中力があるのだ。
それはもしかしたらトップコーディネーターを目指す彼女が得意とするありとあらゆるポロックやポフィンの組み合わせを覚えていたり、どんな木の実でも一目でわかるといった特技からくるものなのかもしれない。
だからこそ彼女は賢いがゆえに現状を掴むことができた。
ルカとの約束を果たす為、自分の夢を叶える為に準備していた旅の荷物を再確認してカナは鞄のジッパーを閉じる。
するとルカがもぞもぞと動き始めて、あたりを見回し始める。
カナはそこで微笑んで、親友を後ろから抱き締める。久しぶりに感じる友達の温もりに、匂いに、鼓動にカナは胸が一杯になっていくのを感じた。
「ありがとう、ルカちゃん」
帰ってきたよ、ルカちゃん。そう心の中で呟きながら……。