「裏」:はじまるは
ヤマブキシティ内で一番高いビル、シルフカンパニー社。その屋上の社長室でサカキは街を一望しながら、呟いた。
「そろそろ頃合いか?」
「恐らくは」
サカキの傍には一人の女性。彼女はそっとそう言うと、サカキの肩に両手を添えた。
「邪魔者を泳がせておくのもいいが、こちらにもやるべきことはある。なにもこの国が欲したが為にこのような計画を企てた気はない」
「わかっています」
ロケット団がこの国を乗っ取ってから二月が経とうとしていた。サカキがこの国を必要とした理由とはなんなのか?
「あなたが何もかもを犠牲にしてきてやり遂げたかったこととはなんなのでしょう?」
サカキは女性の手に自分の手を乗せて、力強くも優しく下ろしてやる。
「私が望むのはただ一つ。絶対的な力と優しささ」
「そう、でしたね」
絶対的な力と優しさ。
「時は熟し始めている。ならば我々は新たなる火種をもってして、加速させるだけだ」
「それがあなたの言う優しさなのでしょうか?」
サカキは意味ありげな含み笑みと共に首を横に振る。
「いいや、力だ」
両手を差し出し、サカキは深淵たる表情で告げる。
「私はいずれこの国から抹消されなければならない存在だ。ならば悪役は悪役らしく、舞台を盛り上げなければ面白くはないだろう?」
サカキは扉の前で待機していた秘書に向けて指を鳴らす。
「新たなる世界への扉は、現在を犠牲にしてはじめて開かれる」
秘書は一礼をすると共に部屋から退室する。
「このふた月……それが、私が与え得る猶予だった」
「それを以てしてあなたを超える者がいなければ、この国も終わりだと?」
女性は静かに微笑み、サカキもそれに応える。
「忘れてもらっては困るな。そうなってしまえば、それはそれで私の野望も達成される」
ぐっと拳を握り、サカキは呻る。
「私が私の人生をもってして練った計画だ。完膚なきまでに壊しにかかってこい、未来を切り開く者達よ」
『これよりロケット団各幹部に告げる』
サカキが直々に育て上げた幹部達のインカムに、この放送が流される。
『我々のヘッド、サカキ様がこれよりミッションコード:Power and Graceを発令した。各幹部は報告書に記載されている通り、ミッションを全うせよ。繰り返す、ミッションコード:Power and Graceが発令された。各幹部は部下を引き連れ、ただちにミッションを遂行せよ』
発せられているのはサカキの秘書を務めている者の声であり、次にロケット団へとサカキが本来の目的で束ねていた者達へと命令が行きわたる。
『ロケット団各団員へ通達。これより我々は本来の目的を遂行する。繰り返す、我々はこれより本来の目的を遂行する』
淡々と流れるアナウンスに、それを聞いていた団員達は各々の配置場所で静かに動きはじめる。
そう、彼らは新たに配属されてきた新米ではない。彼らはサカキが歩んできた人生の中で集めた屈指のウォーリア―だ。その規模は決して多くはない、だがその戦力は一体どれほどのものなのだろうか。
世界はまた大きく揺れ動く。
先ほど流された通達を幹部室ソファの上できいていたレイハがすくっと立ちあがり、握っていたするめいかを噛み切らせて笑みを浮かべる。
「やっと、やっとだにょ。遂にこの日がやってきたにょろー」
幼い容貌からは想像もできないほどに好戦的で好奇心溢れる表情を浮かべながら、その少女は沸き立っていた。
ニョロモをモチーフにしてつくられた丸く可愛らしい帽子をかぶった少女が、そう呟き幹部室からトテトテと立ち去って行った。
そしてトクサネシティにてその報をきいたジムリーダーフウとランも、また。
「ねえねえ聞いたかいラン?」
「ええ、聞こえたよフウ」
「待ったかいがあったってことかな?」
「きっとそうだよフウ、あんな負け方してストレス溜まっていたの」
「そうだね、わざと負けてあげるというのはストレスも溜まるし勝つよりも難しいことだから」
「いっぱいいっぱい暴れたい」
お互いに手を絡み合わせ、フウとランはそう嬉々とした声を上げる。
「もちろんだよラン。でも、その前にやることはやらなきゃね」
「わかってる。なら早く行きましょうか」
「うん、そうだね」
「ふふふ」
この二人がどこにいるかはわからない、だがロケット団幹部であるこの二人も静かにと動き始めていた。
そしてまた一人、幹部であるこの男も―――。
「ふぅ、やっとミッションスタートですか。まあこんな変装ばかりの任務も飽き飽きしていたことですし丁度良い頃合ですね」
トウガンとヒョウタのジム戦に立ち会い、両名の死へと関与したこの男もまた心を弾ませていた。
「ジムを攻略させるのはいいのですが、そこに辿りつくまでに時間がかかり過ぎて困ります」
機は熟した。つまりサカキのこの命令は、新しい世界へと向けられた新たな試練なのである。
「しかしまさかいきなり待ち伏せていたミオジムにビンゴが来るとは思ってませんでしたね……」
男は携帯端末を取り出すとシンオウ地方のマップを映し出す。
そしてそのマップ上には赤く点滅する二つのマークがある。
「ミサカ キリンとカンバル アユミですか。もう少し情報を集めておく必要があるかもしれませんね」
男は端末を操作して耳元へと当てる。
「はい、こちら本部」
「ミサカ キリン及びカンバル アユミの詳細情報を送信してください」
「送信理由を」
「これより厳重監視対象へと移行しますので」
「了解しました。ですがミッションをお忘れになることなさいませんように……バラッド様」
「承知」
携帯端末をポケットへとしまい、男バラッドはほくそ笑む。
まるで新しいおもちゃを手にした子供のよう、無邪気にと。
「さてと、とりあえずは目下の仕事をこなすことにしましょうか」
バラッドがサカキの発令したミッション時に行わなければならないこと、それは神の排除にあった。
「アルセウス教の方がホウエンにいてくださって助かりますよ」
そう言い残して、バラッドは夜の闇へと消えて言った。
「オーキド博士、聞ぃたかや?」
「うむ、まあわしは以前から話を聞いていたからのう」
ここはシルフカンパニー社地下にある研究棟。オーキドがサカキより依頼された研究を行っている場所である。
「そげか。それで、ミュウツーの様子はどないなん?」
「うむ。前に話していた五つの木の実を覚えておるかの?」
今オーキドはリョウに託していたミュウツーを専用の培養液の中へと戻し、様々な解析データを集めていた。
ミュウツーは未だ完全体ではあらず、長時間のボール外活動、一定時間以上の戦闘等といった致命傷が残っているのだ。
「五つの木の実? あぁー、あの幻と伝説の木の実だったかや?」
「ああ、そうじゃ。ナゾ、レンブ、イバン、ミクル、そしてジャポの実という五つからなる幻の木の実たち。そしてチイラ、リュガ、カムラ、ヤタピ、そしてズアの実からなる伝説の木の実たち。これらを調合し与えたポケモンは真の覇王となると言われている」
リョウはわざとらしく感心したように口笛を吹く。
「でも博士ほとんど持ってるってゆーとったやん」
「そうなんじゃが……十ある木の実の内、八つは入手しておる」
オーキドは巨大な電子スクリーン上に十の内八つの木の実を明るく表示させる。
「てことーわー、チイラの実とレンブの実がないってーことかや?」
「その通りじゃ」
海の力を宿るといわれるチイラの実。そして一つ一つがコマのような形をしている奇妙な形のレンブの実。
「入手ルートが困難だが?」
「まあ、ちょっとわしの方でのトラブルでな。チイラの実はまったくもって手に入らんし、レンブの実はもう直手にはいるはずじゃ」
「ならチイラの実だけかいな」
「うむ。頼まれてくれるかの?」
「こっちは暇じゃけ、ええよ」
「助かる。おぬしの能力はこういう時役に立つからのう」
「へっ」
リョウはそうオーキドの頼みを聞きいると座っていた実験用ベッドから飛び降りて、そのまま昇降エレベーターへと向かう。
「情報はお前のポケギアへと転送しておく」
「りょうかーい」
まるで祖父と孫のように、そんな親しそうな会話を交える二人。
リョウの姿が見えなくなるとオーキドはキーボードを操作して、画面上の木の実をグループ分けする。五つ五つで伝説、幻のグループへと分ける。そして新たに二つの木の実をそのグループ上の頂点に位置付する。
伝説の木の実のトップにはサンの実を。そして幻の木の実グループのトップにスターの実を。
その二つの木の実が一体どういった効果を持っているのかは定かではないが、オーキドはこのことをリョウへと話すことはなかった。
「わしが利用される人間であるように、お前達も利用される側にいるということを忘れてもらっては困るの」
そう呟いたオーキドの顔は、マサラの悲劇で彼が見つかった時のように冷酷でいてそして狂喜染みた笑みを浮かべていた。
「ねえピカチュウ」
「ぴかっ?」
シロガネ山の麓。ルカの鞄を盗んだとされる集団を壊滅させた場所にサトシは立っていた。
「あの子はなんで強くないのかな?」
「ぴかぴ、ぴかっ」
サトシは辺り一体をリザードンの業火で焼き払った為に地面が抉れ、剥き出しにされた土地は黒く焦げている。
なのでここに誰がいたのかはもはやわからないといった状態になっていた。
ルカの荷物を取り返した後、サトシは自分のいた山の麓にこのような隠れ家らしき場所があることに感心していた。
「僕なら彼女程の潜在能力があったら、うらやましいほどなのに……」
そう言いながらサトシはピカチュウの顎をさすってやる。
「ぴきゃ〜」
うれしそうにピカチュウが喉を鳴らして身震いする。
「彼女、ルカちゃんはケンくんよりよっぽど強くなれるのに。なのに彼女は力を求めようという意志がないみたいだった」
サトシはなにを考えているのだろうか?
「僕には理解できないな……」
ピカチュウの背中を撫でながらサトシはそう呟いた。
世界の頂点に座す者は、他の者とは考え方が違う。それはあたり前のことではあるが、一番理解されない部分でもある。
「シゲルには会えなかったけど、今は一刻も早くこのバッジを届けようか」
「ぴぃか」
後ろのほうで翼をくつろがせていたリザードンに向かってサトシは声をかける。
「頼んだよ」
「リザァ!」
背中にまたがるようにして首元へと腕を回し、ピカチュウも落ちないようにとリュックに腰掛けるようにして主人の頭を掴む。
そして勢いよく地面を蹴るリザードンは宙へと飛翔し、サトシはホウエンへと戻ったのであった。