III:コラッタ少年
『もし何かを成し遂げる為に何かを犠牲にしないといけないのがこの世の真理なら、あなたは得る物と失う物両者を天秤にかける?』
え?
不思議な問いかけによって、私はポケモンセンターのベッドの上で目覚めた。ベッドに転がっているのは三つのモンスターボール。改めて手にとってまじまじと見つめてみると、私は嫌な気分に苛まれる。
サトシさんと出会ってから、私はポケモン達との接し方がわからなくなっていた。
ボール越しに不思議そうな表情で私を気にかけてくれるポケモン達。でも私は彼らの心配に答えてあげられない。
「みんなはなにも感じない?」
だって、私には理解できなかったから。
こんなに小さなボールへと入れられて、閉じ込められて、使われる時にだけ外に出されて、それでいてなんで忠誠心を保っていられるの?
私なら、嫌だ。
サトシさんは史上最強のポケモントレーナー。だからあの人はポケモン達との共存において誰よりも理解して熟知しているものだと思っていた。
でもあのサトシさんが私の鞄を奪った人達を潰したと言った時の、あの表情が私を苦しめる。無垢な少年のような、他人から褒めてほしそうな表情。
潰したのはサトシさん。でも潰せたのはあの人のポケモンの力によって。それを自慢したげそうにしていた。それは決して悪いことでもないし、人としてはあたり前。
なのに、なのに、なんで……?
「なんで、私は泣いてるの?」
ぽた、ぽた、と涙がガーディ達のボール上に落ちる。
わからなかった。当然のことがわからなかった。なんであれだけのことで私はこんなにも悩んでしまっているんだろう。
ロケット団というテロリストに国を奪われ、お母さんは行方不明。お兄ちゃんはこの国を奪い返す為に危険な綱を渡っていて、たくさんの人がそれに巻き込まれている。なのに私には自分の親友を助けることで精一杯。
『自分の都合を貫けばいいんだよ』
そうサトシさんは言ってくれた。そしてその時、私は実感したんだ。
自分の都合を貫けばいいって。
でも、今改めてみると悩んでしまう。この子たちをみていると、そう思ってしまう。サトシさんの貫いている都合、それが果たして私の都合と同じような意味合いを持っているのかどうか。そしてなにより私の都合に一番振り回されるのはこの子達なのだ。
「ポケモンって、なんなのかな……?」
ここにきて立ちはだかる大きくて実態のない壁に私は塞ぎ込んでしまう。
そんな心持ちでこの子達と会うのが嫌で、私はそのまま疲れてしまったのか眠ってしまった。明日にはここを出て、ハナダへと向かわなければならない。
ハナダシティへと行くにはまずニビシティに着く必要があった。そのために通らずにいられないのがトキワの森だ。
カントー地方を代表する虫ポケモンたちが多く生息するこの森では、危険性が低いというのもあり新人トレーナーが多く見受けられる。それでもこの季節とあっては、虫ポケモンはあまり見られない。
私は昨日の悩みが解消することなく、呆然とした気持ちのまま歩いていた。
そんな私は自分より小さな男の子がコラッタを使ってキャタピーを捕まえる場面を目の当たりにする。
キャタピーをコラッタの【体当たり】で弱らせて、ボールを当てて捕まえる。
男の子はコラッタと共に喜びを分かち合いながらボールを拾い、キャタピーを早速出す。明らかにさっきまで敵対していたのに、キャタピーは素直に男の子に自身の体をゆだねていた。
なに、あれ……? これがポケモンなの?
いままでは何も想うことはなかった。ううん、友達のそういった場面を何回もみてきたけど「おめでとー」と言って一緒に笑顔になって喜んでいた。
でも今は違う。恐ろしかった。
ボール。こんなボールがさっきまで敵対していたポケモンを捕まえて収容したら、次出る時はトレーナーに絶対服従な姿勢を見せている。ううん、見せていなくてもそう見える。
過ぎ去っていく男の子をただ呆然として見つめながら、私は森に生い茂る一本の大木に体を傾ける。
私は今までポケモンを捕まえたことがない。ガーディもお母さんが誕生日プレゼントにって言って、十歳の誕生日にもらった。それにシャワーズだってカナから預かって、ラルトスもミツルさんから託された。だから私は野生のポケモンをボールで捕まえたことがない。
「あっ……!」
腰のホルダーから勝手にガーディが飛び出して、私の足に思いっきり噛みついてきた。
「いたっ!」
甘噛みとはいえ、そうとうな力で私は我慢ならずにしゃがんでしまう。
するとガーディが怒ったように吠えて私の懐へと飛び込んでくる。私はよろけてそのまま地面に尻もちをついてしまう。
「ちょ、ちょっとガーディ!?」
「ガウ!!」
ガーディは明らかに怒っていた。それに、泣いてる?
「ど、どうしたのガーディ?」
「ガウガ! ガウ!」
縋るように鳴き付いてくるガーディ。どうしたの?
私に何かを言いたそうに、訴えるように……。
「も、もしかして、傷つけちゃった?」
「がう!」
ガーディは鼻で人の感情を嗅ぎ分けることができる。私がガーディ達のことを、ポケモンのことを恐いと思っちゃったから。
私はガーディをぎゅっとその場で抱いて、涙する。
「ごめん! ごめんね、ガーディ!」
「くぅん」
私は何を考えていたのだろう。ガーディが恐いわけない、この子達が恐ろしいわけなんてないのに。
この短い間にいろいろなことがありすぎた。
だから、ちょっとおかしくなっちゃったのかもしれない。
「ごめんね、ガーディ」
私はガーディの頭を優しく撫でてあげると、後ろから突然声をかけられた。
「君、トレーナー? だったらバトルしようぜ!」
先ほどキャタピーを捕まえた少年だ。
「え、私と?」
「ああ、トレーナー同士、目が合ったらすぐバトル! いくぜ!」
「わっ、ちょ、ちょっと?!」
「レディファイト、キャタピー!」
少年がボールからキャタピーを出して私とガーディの前に現れる。
売られたバトルは買わなきゃ損。それがスクールにあった教訓の一つでもある。今思えばおかしいんだけどね。それでも私はバトルに応じる。あんな気持ちを払拭するためにも。
「それじゃガーディ、行ってくれる?」
「ガウッ!」
ガーディはたたっとキャタピーの前へと躍り出て、相手を威嚇する。
キャタピーは若干涙目になりながらガーディと対峙する。
「お、おいキャタピー? だ、大丈夫か?!」
「きゃたぁぁ〜」
「ガーディの特性は威嚇。相手の攻撃力を下げるって覚えておくといいよ!」
「な、なにを〜! 卑怯だ!」
「そ、そんな卑怯だって言われても……」
まさかそんなことを言われるとは思っても無かった。
でも見るからに相手の子はつい最近旅をはじめたばかり。ここは先輩としていろいろと教えてあげなきゃね。
「ガーディ、先制で【体当たり】!」
「がう!」
「くそっ! キャタピー、ガーディの来る方に向かって【糸を吐く】!」
え?
キャタピーの吐く糸がガーディの直線状に撒き散らかり、ガーディの足はそれに引っかかって転がってしまう。そしてあろうことか他の糸にもからまり、身動きが取れなくなってしまう。
ガーディは苦しそうにもがき、それが更に糸を体へと巻き込み拘束が強くなる。
この子、素質あるのかも。
「へへ、どうだ!」
ガッツポーズをして喜びを浮かべる男の子はキャタピーに止めの【体当たり】を命令する。
「なかなかすごいね。でもガーディが炎タイプだって忘れてもらっちゃ困るよ! 【火炎車】!」
ガーディの体から燃え上がるように炎が包み込んでキャタピーの糸を容易く焼き払ってしまう。
「げっ、きたねぇ!」
「汚いって、これがバトルだよ!」
なぜかこの時私は気分が高揚していたのを感じた。久しぶりのバトルだから? それとも勝利を確信していたから? そのどちらだとしても、私も結局はトレーナー気質だということなのだろうか。
そんな感情を胸の中に抱きつつ、私はガーディに大声で指示する。
「そのままキャタピーを吹っ飛ばして!」
さすがのキャタピーも赤く燃えたぎった相手を前には尻すぼみするしかできず、もろに攻撃を受けて戦闘不能に陥る。
「あぁキャタピー……」
男の子は悔しがると共にキャタピーを大事に抱きかかえてあげる。そうそう、負けたポケモンに一番大事なのはスキンシップ。たまに負けたらそのままボールに戻しちゃう人がいるけど、それでもその時は労いの言葉をかけてあげないといけない。
それすらしない人は、私は嫌いだ。
「くそっ、なら頼むぜ相棒!」
キャタピーを抱きかかえながら右手を腰のポケットに入っていたボールを取り出してフィールドへと出す。
さっきのコラッタだ。
「え……?」
そしてその時私は自分の目を疑った。
私はポケモンをみると大体の構造を理解し、そして弱点を……タイプ的なものではなく肉体的に急所となる部位を見つけることができる。さっきのキャタピーはそれを見切るまでもなく、ガーディとの戦力的差は明らかだった。だけどこのコラッタはなにかがおかしい。
「おらおらいくぞ! コラッタ、【電光石火】!」
「ガーディ、【咆える】で牽制!」
何か嫌な予感がした。ううん、こんなことがいままで無かったから動揺しているんだ。ガーディの牽制でなんとかコラッタの猛攻を阻止することはできた。
でもどうしよう。
いままでやってきた戦い方が通用しない相手。それも旅に出始めたばかりに思える男の子に負けるかもしれない。さっきとは違った恐怖が私を襲った。
でもでも、年上として、先輩として負けるわけにはいかない!
「ガーディ、あの技真似てみよっか」
「がう?」
「【陽炎】!」
以前お兄ちゃんが対戦していた人のリザードが使っていたオリジナルな技、【陽炎】。お兄ちゃんみたいに経験積んでいたら見破られるかもしれないけど、この子相手なら通用するはず。
あの時ガーディもちゃんと見ていた。だからきっとやり方はわかったはず。トキワの森は二月でも木々の上に多少の雪はまだ残っている。
「な、なんだ?」
ガーディが体内で溜めこんだ熱気がじわじわと体から噴出して、辺りの空間を歪みはじめる。そう、砂漠などで起きるあの現象を引き起こしているのだ。それの凄いバージョンだって思ってもらえればいいかな。
コラッタもまだ見極めができていない今がチャンス。ガーディは次に炎を口から放って、それは綺麗な弧を描いてコラッタに飛んでいく。
「コラッタ、避けろ!」
コラッタでも軌道は見極められる。自身の視界を頼りに軌道上から身を引いたその時、コラッタは衝撃を受けて吹き飛ばされる。
「え?!」
コラッタはそのまま動かなくなり戦闘不能。私達の勝ちだ。
きっとこんな感じなのだろう。
私がいままで戦ってきた先輩達も勝った後はこんな気持ちに駆られたのだろうか? これからも強くなるであろう後輩を見ながら、安堵と期待を膨らませるこの不思議な感覚を。
「くそっ、俺の負けだ。ほら」
「え?」
「ポケギアだよ、賞金渡さなきゃいけないだろ」
「あ、う、うん」
やっぱり小さな子からもらうのは気が引けるけど、ルールはルール。私達はお互いにポケギアを赤外線にて通信しあい、情報の交換と賞金の引き渡しを行う。
「次会った時は絶対に負けないからな……ハヤミ ルカ!」
「楽しみにしてるよ」
「覚えておけよな!」
相手の子はそう言い残してコラッタを抱えてトキワシティの方へと戻っていった。私はそれを見送りながら、彼のコラッタのことを思い出していた。
ポケモンだから人並み以上の動体視力をもっているのは当たり前。でもあの時ガーディの攻撃を避けようとした取ったコラッタの回避能力は他のコラッタ達とは次元が違った。
体の身のこなし。あそこまで体と足をばねにして跳躍するポケモンを私は見てきたことがない。一体あの子は……?
そんな疑問を抱きながらも、私はガーディの頭と首元を撫でながらニビシティへと向かった。