II:史上最強の男
「じゃあ、まずは何から話そうか」
サトシさんは私のベッド横に椅子を拵えて、優しく訊ねてくれる。
「えっと。あの、私はどうしたらいいんでしょう?」
自分の行動が誰かの計画を狂わせているのかもしれない、という予感が頭から離れず私は最初にそれを尋ねた。
「うーん。ルカちゃんは、どうしたいのかな?」
え?
一拍置いてサトシさんはそう尋ね返してきた。
「え、えっと……」
「ルカちゃんがフエンバッジを持っていたということは、何かしらの理由があって持っているということだと僕は思ってる」
サトシさんは落ち着きはらった表情に穏やかな微笑みを携えて、続ける。
「そしてルカちゃんはここにいる。それはルカちゃんがここに来なければいけない理由があったからじゃないかな?」
私は視線をサトシさんから自分のいるベッドのシーツへと落として、ぎゅっと両手にその布を握る。
「私は、私はカナに会いたくて、会わなきゃいけないと思って」
言葉が絶え絶えに、歯切れが悪くても、それでも口を動かす。
「だから……」
でも思うように言葉が舌の上からでなくて。
「それでいいんじゃないかな?」
「え?」
「ルカちゃんがそうしなければいけないと思って、行動に移したんなら、それでいいんだよ」
サトシさんは私が加減もわからずに力を込めていた手にそっと自分の手を被せて、そう呟いた。
「大事なのはさ、どうすればいいかじゃなくてルカちゃんがどうしたいか、だからさ」
私が、どうしたいか?
「だから、他人の都合を自分で抱えなくてもいいんだよ。だってさ、この世界は一人一人の都合が混ざりあって、重なって、交わってできているものだから」
そこでサトシさんは寂しく笑った。
「自分の都合を貫かなきゃ、自分じゃなくなっちゃうんだよ。ポケモン達を見ていると、そう教えられるんだよね」
自分の都合を貫く。
それは自分勝手なこととは違うの? だって、それで他人に迷惑がかかっちゃったら、それはだってとても無視することはできないのに。サトシさんは私が考えていたことを読み取ってくれたのか、はたまた私が声に出して言っちゃっていたのかはわからないけど答えてくれた。
「うん、だからその時は他人のことも自分の都合にしちゃえばいいんだよ。この世界は一人一人の都合が集まって成り立つけど、一人だけじゃ世界は成り立たないからね」
難しいよサトシさん。
でも、私のことを励ましてくれているんだってことはわかった。わかったからこそ、私は静かに微笑んで感謝する。
「あの、だったら私の都合聞いてくれますか?」
「なんだい?」
「このフエンバッジをお兄ちゃんのところまで送ってくれませんか?」
私の都合を貫く。
「勿論。それは僕の都合でもあるからね」
「えへへ」
そこで私ははじめてサトシさんの前で気を許して笑えた気がする。
この人は不思議な人だな。
寂しそうで、でもとても温かい。
「あのサトシさん」
「ん?」
「なんでサトシさんはトキワシティに?」
その時、私はサトシさんの瞳の奥で悲哀の感情が揺れ動くのが見えた。
「昔の僕の知り合いとね、話をしにきたんだけど……」
サトシさんはおもむろに席から立ち上がって、続ける。
「ジムにいるかなと思ったんだけど、なかなか会えなくてね」
「それって……」
このトキワシティにはトキワジムというジムが存在する。そう、カントーチャンピオンであるシゲルさんがチャンピオンになる前にジムリーダーを務めていたというカントー最強のジムが。シゲルさんがチャンピオンになった後は誰かが任を引き継いだらしいんだけど、そこまで詳しくは知らない。
もしかしてサトシさんはシゲルさんと知り合いなのかな?
「ルカちゃんって、思ったことをすぐ口に出しちゃうタイプの子なのかな?」
サトシさんが若干苦笑染みた声でそう言ってきて、私は慌てて口を両手で塞ぐ。
「もしかして、聞こえてました?」
「うん。あはは……」
かぁーっと私の両頬が熱くなるのが感じられて、今にでもシーツを頭の上からかぶりたい衝動に駆られる。
「シゲルは僕の永遠のライバルであり、親友なんだ」
嘘っ?!
「たまにあいつ一人でシロガネ山の頂まで来たりするんだよ? おかしいよね」
サトシさんってカントーチャンピオンの友達だったんだ。
え? っていうかちょっと待って。シロガネ山の頂って、もしかしてあの史上最強のトレーナーがいるっていう。
「えぇーーー!? サトシさんが、あの史上最強のトレ―――!?」
がばっ、と私の口はサトシさんの両手で押さえられる。
「しーっ! しーっ!」
サトシさんが必死な思いでそう念じてきたので、私は自分のはしたなさに違った意味で顔を赤らめてしまう。
「ルカちゃんって思ったよりもお転婆さんなんだね」
うぅ、また言われた。
「ダイゴさんから誘いを受けなかったら、多分僕はずっとあそこにいたと思う。それに友人の危機にも気付かずにいたかもしれない」
史上最強のトレーナー。
それはこの国の人間なら知らない人はいないと言われるほどの都市伝説。それはシロガネ山が立ち入り禁止エリアにされている理由の一つとしてもあげられている。史上最強のトレーナーがいるからこそ危ないから立ち入り禁止にされているとまで言われていた。それはつまり史上最強ということは、史上最悪で凶悪かもしれないっていう噂が広まっているから。
でもその本人がサトシさんで、私の抱いていたイメージとはまるで違ったから驚いちゃった。
「だから僕はダイゴさんには感謝してるからこそ、あの人の奪還計画に力を貸してるんだ。まさかケンくんの妹さんに会えるとは思ってなかったけど」
お兄ちゃんは私が想像していた以上に、なにかをしようとしている。
私達の為に、皆の為に。
「あの」
「ん?」
「お兄ちゃんは、やっぱりその、危ないことをしようとしてるんですか?」
でも、私はお兄ちゃんが危険を冒してまで何かをしてほしくはない。だってバカ兄でも、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだから。
「そう、だね。でも僕達がやらなきゃいけないことなんだ」
「でも!」
「酷かもしれないけど、もしやめて欲しかったらそれはルカちゃんの都合をケンくんに貫かなきゃいけないことだ」
サトシさんが決意のこもった目で私を直視してくる。
「僕は昔からいろいろな人に迷惑をかけてきたから。それでもポケモンマスターになるっていう都合だけは諦めずに貫きとおしてきた」
サトシさんはそこで頭にかぶっていた赤と白のツーカラーが特徴的な帽子を外してかざす。
「だから強くなれたし、そのせいで友達を傷つけたことはあったけど……後悔はしてない」
私はただ黙ってサトシさんの言葉に耳を傾ける。
「だからケンくんが決めたことを本人以外では変えられない」
でも! それでも!
私はサトシさんが言わんとしていることが理解できた。だけど、それだから、だからこそ私は。
「大丈夫。ダイゴさんの下には強力な助っ人がたくさんいるし、強い人もたくさんいる。皆、この国を取り戻したいんだよ」
強い人がいるのはわかってる。でも理屈はわかっても納得はいかない。それでも。
「はい」
と、頷くしかなかった。そんな私を見かねてか、サトシさんから手渡される帽子を受け取ってそれをまじまじと見つめる。
ところどころに見られる掠り痕や汚れ。それは全て、サトシさんが今までの旅で掻き集めた勲章の証なのだろう。こんなの見せられたら、何も言えないじゃないですか。
サトシさんは帽子を見せて伝えたかったんだと思う。男とはそういう生き物なんだと。私には一生わからないことだと思うけど、バカ兄がここにいたらきっとなにかと言われてどうせ聞いてももらえないだろうから。
「わかり、ました」
「ありがとう」
「お礼なんていいですよ。むしろ私がしなきゃいけないのに」
「そんなことないよ」
お兄ちゃんはバカ兄だから、きっと私がなんて言ってもまた毒舌を吐いてくるだろうしね。わざわざ私の都合をぶつける必要もないのかもしれない。いや、絶対無い。だったら私は自分の都合で、早いとこカナのところへと行く。
「あの、サトシさん」
「ん?」
「本当にありがとうございました。お兄ちゃんのことも、鞄のことも」
「ううん」
私は小さくお辞儀をして、ポケギアの時計を確かめる。時刻は夕方。結構、寝ちゃってたんだ私。
「シゲルがここのジムリーダーを辞めてから、結構治安が悪くなったみたいだね」
そう言われてみれば、確かにそうだ。
「あのグループはここ最近暴れるようになったらしくて、シロガネ山の麓にアジトをつくってたみたいだね」
「それって、危ないんじゃ……」
「うん、まあだからちょっと潰しに行ってきた」
「え?」
そこで、にっとサトシさんは子供染みた笑みを浮かべる。まるで、どうだすごいでしょと誉めてもらいたげに。
「ロケット団もそうだけど、僕は悪事を嬉々として行う連中は許せない。人やポケモンは自分勝手な行動で傷つけたりしたらいけないからね」
これがサトシさんの言う自分の都合と自分勝手な行動の違いなのだろうか。
「あの、本当にありがとうございました」
「え? いや、だからいいって―――」
「いえ、ありがとうございました」
私はなぜだかこの時、そう言ってこの会話を断ち切ろうと思った。なぜ、かはわからない。でもなんだか変な違和感に苛まれたんだ。
サトシさんは良い人、だけど危険な人でもある、と……。
「それじゃ、僕は行くね。シゲルには会えなかったけど、こうしてルカちゃんに会えてよかったよ」
「私こそ、なんのお礼もできずにすみません」
「ううん。だってバッジはちゃんと受け取ったし。あ、えっとアスナさんと何があったか聞いてもいいかな?」
私は言葉が詰まりそうになったけど、アスナさんとカラクリ大王との一連の出来事を説明した。
「そう、か。あの火事として報道された事件にアスナさんはからんでいたんだね」
「ダイゴさん達もこのことは知らなかったんですか?」
「うん。アスナちゃんと連絡が取れなくなったのと事件との関連性は最初から考慮していたんだけど、彼女とカラクリ大王の繋がりがいまいちよくわからなかったから」
そう、だったんだ。
私は無邪気に笑っていたアスナさんの顔を思い出して、胸が苦しくなった。
「それじゃ僕は行くね。ルカちゃんが目的を達成できることを祈ってるよ」
「あ、は、はい!」
私は見送りにでようとベッドから出ようとしたけど、サトシさんに肩を押さえられてしまう。
「今日はゆっくりと休んで、明日に備えて」
サトシさんは帽子をぐっと抑え込むようにして被って、鍔が目を隠してしまう。
「それじゃあねルカちゃん。またどこかで」
そして背中を向けたサトシさんから、私はなぜかなにも感じることは無くなっていた。