III:自分の守れしもの
「ケンくん、早く!」
「で、でも、アンズ!」
俺はジム戦終了後、アンズに手を引っ張られてジムを後にした。
『ジムリーダー達はジム戦に負けた後、組織に殺される』
そう平然と言っていたダイゴさんの言葉を思い出して、俺は歯ぎしりする。
いくらジムリーダー達の大半がロケット団に加担しているとはいえ、こんなふざけたルール承認しているわけがない。殺されるんだ。実際にもう一人以上の犠牲者が出てるんだ。
それに……!
「悪い、アンズ!」
「ケ、ケンくん?!」
俺はアンズの手を振りほどいていた。
後ろに見えるトクサネジムを視界にとらえ、体の向きをそちらへと向けて地面を蹴る。
あのジムリーダーはまだあんなに小さいのに。
「だ、駄目だよケンくん! これは任務なんだよ、ここでしくじったら!」
「だけど見捨てれるわけないだろ!? 知ってて何もしない……俺はそれが一番大っ嫌いなんだ!」
縋るアンズの声と手を振りほどきながら、俺は駆け足でジムへと戻ろうとしたその時。
ドォン!!
「「!?」」
俺とアンズの眺める方向。そう、トクサネジムの方から一線の閃光が眩い青空へとのびていっている。
それで最悪な事態をアンズも俺も察知したのだろう。立ち竦んだ俺の腕をアンズはおもいっきり引っ張って、耳元で声を上げる。
「ケンくん!」
「……くそっ!」
また、俺は誰も救えなかったのか……。
俺は、誰も救えない。救えないのかよ!?
「ケンくん!」
「ちくしょおおおぉぉぉ!」
そう雄叫びをあげながら、俺はアンズと共にその場を離れた。他人の視線がジムの方へと向けられている間に、人気のないところへと駆け込んだ俺とアンズはミツルさんのラルトスの【テレポート】で指定された場所へと転移する。
その場所は……。
「こ、ここって……」
「知ってるのか、アンズ?」
いくらミツルさんのラルトスだからといって【テレポート】の移動距離には制限が存在する。もしも過度な距離の移動を試みればトレーナーだけではなくポケモン自体にも害を及ぼすことがある。
最悪、それは体の一部が欠損したり、違った場所へとトレーナーとポケモンが転移されたり、等だ。
だから俺は目の前に広がる景色をどこか釈然としない気持ちで見つめていた。ここは、同じホウエンなのか?
立ち込めてるのは霧なのだろうか?
「送り火山」
「おくりび、やま?」
聞いたことがあるような、ないような。他地方の地形までは熟知してはないからな。
初めて訪れるこの場所はどこか神妙な雰囲気が漂っているように感じた。人の目からあえて隠されているような感じがしたんだ。
「もしかしてダイゴさんは……」
青ざめたアンズの横顔を、その時俺は忘れることはないだろう。限りなく最悪な事態を鑑みていたアンズのこの顔を、俺は絶対に忘れることはない。
「おい、アンズ?」
「あ、ううん、なんでもないよ。それよりも、ここに来たってことは皆さんも来ているのかな?」
辺りを見渡してみても、他に人影は見当たらない。
ってか送り火山ってどういうとこなんだ? なんだか嫌な寒気がする。
「ここは送り火山、死者の怨念を送り届ける最後の場所」
いつの間にそこにいたんだろう?
「ナツメさん……」
「い、いつからそこに?」
後ろからぬっとあらわれたナツメさんに俺達二人は驚き慄き、反射的に後退してしまう。
「うふふ、ずっと」
常に、どこかしろから電波でも受信しているようなナツメさんはこういったところが好きなんだろうか?
「それよりも、予定より早かったのね。てっきりケンくんのことだから、ジムリーダーを助け出すとか厨二的なことを言ってたんじゃないかと思っていたのだけれど」
うっ。
「そ、それはですね、えっと……」
言葉を濁らせるアンズ。まあ、確かに説明しづらいわな、いろいろな意味で。
内心変な汗を掻きながら、俺はナツメさんに手振り身振り言葉を紡ぐ。
「ま、まあいいじゃないですか。それよりもなんでここに?」
「あら図星?」
「ぐっ……」
そうだ、確かに俺はそう思っていて、でも何もできなかったんだ。
「あら、何か訳ありなのね。あの双子が殺されたのはかわいそうだけど仕方がないわ。それを乗り越えなければいけないのだから」
それはわかっている。わかってはいるけど。
「ナ、ナツメさん」
「私はちょっと準備があるから、あなた達はあっちの方へ行ってて頂戴」
俺はナツメさんが指差す方を振り向きながら、様々な疑問を浮かべては消した。
「行こうか、ケンくん」
「あ、あぁ」
送り火山は霧に覆われてはいるが、見た所海に囲まれている。草原が足元に広がっており環境的にはその用途以外、快適な場所なのだろう。
ただ俺達を取り囲むこの嫌な雰囲気には慣れないな。
「ケンくん、あんまり気に病んじゃ駄目だよ? これからが、私達の……」
「あぁ、わかってる。わかってるよ」
アンズに手を貸してもらいながら、俺はナツメさんに指定された場所にしゃがみこむ。
自分の中ではわかっているつもりだった。だけど、この先もずっと俺は。
「なあ、アンズ」
「なぁに?」
俺の背中に手を添えてくれるアンズ。彼女の手の温もりが俺の心にそっと触れるみたいで、癒されていく。
「俺の弱音、聞いてくれるか?」
「うん」
俺はアンズの顔を直視して、そう訊ねる。一方のアンズはすぐに頬を赤らめて正面を向いてしまったが、それでも俺は続けた。
「もしこれからも俺がジム戦をしていくとしたら、俺は人殺しになるんだろうか?」
「え?」
「だってそうだろ? 知っていても何もせずにバッジだけを取っていく。それで本当にこの世界を取り戻しても、俺はそれを心底喜べるのかって―――」
パシッ!
突如として、俺の右頬に強烈な刺激が襲う。
「なっ―――?」
右を振り向けば、そこには両目に涙を溜め、顔を真っ赤にして立ち上がったアンズの姿があった。
「ケンくんは、舐めすぎだよ」
「え?」
「ジムリーダーを舐めすぎ」
俺は何かアンズを怒らせるようなことを言ったのだろうか?
「なんでさも当然のようにバッジが手に入るようなことを言ってるの? そんなにケンくんは強いの?!」
「ア、 アンズ、何怒って……?」
「黙ってて!」
ここまで激昂したアンズを俺は見たことがあるだろうか?
「トクサネジムだって、あの二人が熟知している本来のニューラを想定してバトルしてた。ケンくんのニューラが異常だったからあんな力押しができたんだよ?!」
アンズも、やっぱりわかっていたのか。
でも待ってくれ、俺のニューラが異常?
「ジムリーダーもバカじゃない! ジムバッジを多く所有するトレーナーが出てきたら、ちゃんと対策を練るんだよ! 私達はなにも負ける為に存在してるんじゃないの!!」
負ける為に存在しているのではない。
この時なぜか、その言葉が深く俺の胸中を抉った。
「ア、アンズ、俺はっ」
「アンズ、そこまでにしておきなさい」
アンズの肩に背後から手を置いたのは、ナツメさんだった。
「少年、良いことを教えてあげましょう。女を泣かす男程、下衆なものなどいないのですよ?」
ナツメさんはそっとアンズを介抱してから、俺から引き離すようにしてアンズをリードしていってしまう。
俺は座り込んだまま、途方に暮らされる。
だってそうじゃないか。このまま目的を遂行するにはジムバッジが必要なんだろ? だったら俺はジムリーダー達を間接的に殺しに回るってことじゃないか。
それをなんだってアンズが怒るんだ?
意味がわからない。
「少年」
いきなり呼びかけられ、俺は即座に声のする方を振り向いてしまう。
「ナツメさん……」
「あなた程鈍い男を私は見たことがありません」
いつもとは違って饒舌なナツメさん、それはこの環境がそうさせているのだろうか?
「悪いですが先ほどの会話は聞かせてもらいました。あなたの言いたいこともわかりますけど、まずあなたには知ってもらわねばならないことがありますね」
すらっとした体躯を隠さんとばかりに覆う長い黒髪。そんなナツメさんの凛々しさに、俺は目を奪われていく。
「私達はジムリーダーです。ジムリーダーだった、というのが正しい言い方なのでしょうけど……私達ジムリーダーは今も全員が同志であり、家族でもあります」
「っ!!」
ナツメさんは俺の目が見開いたのを確認してなのか否か、話を続ける。
「私達は覚悟の上でこの任務に赴いている。それを部外者のあなたが、さも自分だけが苦しいような言い方をしてはアンズが可愛そうだ思いませんか。現に、彼女の父親は敵側にいます」
「…………」
俺は何も言い出せなかった。
俺は誰かを救うどころか、誰かを傷つけていたんだ。
そうだ、アンズはすでにジムリーダーたちと対峙する覚悟を決めている。そして今日アンズはその同じ職務についていた仲間が敗れた瞬間を目の当たりにして、それでも俺を止めるのに必死だった。
「ケンくん達はまだ若いですからね。それゆえにアンズにも非があります」
すでに俺はナツメさんを直視することはできなくなっていた。ただただ頭を下げて、苦い思いをかみしめながら地面を見つめる。
「うふふ、ちょっと説教しすぎましたかね? ここに眠るのは何もポケモンの魂だけではありません。愛するポケモンと心中したトレーナーの魂も彷徨っているのですよ?」
「え?」
俺は彼女のその言葉でナツメさんの顔を窺う。
すると、ふっ―――という音と共にナツメさんの中から何かが抜けていくような錯覚を見る。
「……何、見てる?」
「あ、い、いえ! な、なんでもないです」
途端、ナツメさんがいつもの口調に戻ってしまっていた。
「アンズのとこ、行ってきます!」
俺は咄嗟に立ちあがって、そのままアンズが向かったであろう方へと駆けだす。
「若さ、羨望」
そうナツメさんが言ったのを聞こえた気がするが、俺は迷わずアンズの背中を追っていた。
「アンズっ!」
「っ!? ケ、ケンくん?」
びくっと背中を跳ねさせるアンズ。ちょっときょろきょろとしながら振り返るその仕草に、俺は少なからず安堵の気持ちを抱いていた。
「さっきは、その、悪かった」
「え?」
「お前の気持ちも知りもせずに、あんなことを言って悪かった。今更言ったことは取り消せないけど、二度とアンズをあんな風に怒らせたりはしない」
「……」
それが、俺が今精一杯出せる謝罪の言葉だった。
「ア、アンズ?」
黙りこくってしまったアンズに俺は声をかける。
「ケンくんの、バカ」
「え? うおっと?!」
アンズが何と言ったのか、ちゃんとは聞きとれなかった。が、しかし彼女はそのまま俺の胸に飛び込んできた。
「ア、 アンズ?」
「もう一回あんなこと言ったら、絶対に許さないから」
「ああ、わかってる」
「それに……」
「ん?」
「私の方こそ、ぶってごめんなさい」
その彼女の言葉に、俺の鼓動は自然と高鳴る。
「いいさ、悪いのは俺だから。それに約束する、俺はどんな時でもお前の傍にいる」
俺はしっかりとアンズの肩に手をまわして優しく受け止める。その時彼女の肩がぴくっと跳ね上がるのを感じた。
「えへへ、ありがと」
「どういたしまして、お姫様」
寒い冬、送り火山の頂上で互いの温もりを確かめ合った俺達。そんな二人の周りをいつの間にか到着していたダイゴさん達にずっと見守られていたことは、生涯俺とアンズの記憶から離れることはないだろう。
なんたって永遠とそのネタで詰(なじ)られることになったのだから……。