「裏」:ホウエンの赤と青
ケンがトクサネジムでフウとラン相手にバトルしていた間、ダイゴ達はすでに動いていた。
ケンとアンズを見送った後、ダイゴはカンナとエリカをひきつれて海を渡っていた。トクサネシティ本島の西へとのびる124番水道。カンナのラプラスに三人で乗り込み、悠々と目的地へと進んでいく。
普通のラプラスであれば成人三人を乗せることは不可能であるが、カンナのラプラスは特殊だ。平均的なラプラスより一回り大きいが為可能なのであり、それゆえに四天王カンナの切り札として君臨している。
「やはりまだ寒いですわね」
白いファージャンパーと耳あて、手袋といった出で立ちのエリカが両手をこすり合わせながらそう呟く。普段の着物姿であるエリカからは予想だにできない格好をしている。
「これがいいんじゃないの。私の実家の方なんてこれより寒いわよ?」
今日は機嫌が良いのだろうか。普段のびしっと決まったスーツ姿ではなく、ラフなバロックコートに身を包んだカンナは白い息を嬉々として吐く。皮膚をくすぶる寒気はカンナを奮い立たせるのだろう。
「そんなことより、あとどれくらいかかる?」
一番後ろの方に座っているダイゴは今にも吐き出してしまいそうな、顔色の悪い表情で尋ねる。
ダイゴに至っては服装こそあまり変わっていないが、髪をオールバックに固めてサングラスを着用していた。
「ダイゴ、あんた船酔いするんだったらするで先に言っときなさいよ」
呆れた感じの声でカンナが嘆息し、「大丈夫ですか?」とエリカはダイゴの背中を優しく擦る。
「ポ、ポケモンなら大丈夫だと思って……うぷっ!」
「ちょっと、ラプラスの上で吐かないでよね! 殺すわよ!」
口元に手を当てて逆流する嘔吐物を必死に抑えるダイゴに、カンナは容赦なく罵倒を投げつける。
それは、まあ自分のポケモンの上で誰も汚物を吐かれるのは嫌であろう。
「まあまあカンナ。もしそうなった時はダイゴさんを蹴落とせばいいだけですし」
そしてダイゴの背中をさすっていたエリカはさりげなくそんなことを呟き、今にも吐き出そうとしていたダイゴは違った意味で顔色を悪くする。
「だから我慢できますよね、ダイゴさん?」
「……あ、あぁ、も、勿論だ」
気のせいだろうか、背中をさすってくれているエリカの手にやけに力が込められていると感じるのは……。そうダイゴは内心冷や汗をかきながら、自分の体で起こっている生理現象と戦い続ける。
国の中でも温暖なホウエン地方であっても、今は二月である。陽射しが燦々とまではいかないがぽかぽかと感じるような天候でも、海はまだ冷たい。というよりも凍える。
そんな中に落とされでもしたら、寒さ以前におぼれ死んでしまうのだろう。心臓が悪い人間の場合はショック死も十分に考えられる。
「あ、見えてきたわよ。あれがアジトね」
カンナはラプラスの首元にまたがるようにして座っており、自身のポケッチで地図を参照しとある岩盤を指差す。
そう、この三人が目指していたのはホウエン地方で様々な活動を起こしているアクア団のアジトであった。
ホウエン地方が一番最後までロケット団の支配下になるのに時間がかかったのは彼らにも一因ある。
ダイゴの必死の時間稼ぎもそうだが、ホウエン地方にはアクア団とマグマ団という二つの組織が存在していた。ロケット団と似通っていると言ってしまうと語弊が生じるが、この二勢力がロケット団侵攻の時に一時結託し抵抗にうってでてきたのだ。
結局はサカキの綿密な計画の前にこの二大勢力は太刀打ちができず、ダイゴにも時間稼ぎとして利用されて終わったのだが。
さすればなぜ今更ダイゴ達はアクア団のアジトへと向かうのか?
「ですが、上手く協力を得ることはできるのでしょうか?」
「まあそれは実際行ってみないとわかんないだろ」
そうダイゴはアクア団に協力を仰ごうとしていたのだ。自身がチャンピオンを務めていた時は目の上のたんこぶ組織であったが、今は同じ追われる境遇にある。ロケット団には協力はしていないだろう、というのがダイゴの読みであるのだ。
「ほら、着くわよ」
一見なんの変哲もない岩盤の一種であるが、よくよく見ればそれが人工的につくられたものだというのがわかる。そもそも周りが似たような岩盤で埋め尽くされている為に、本島に場所が特定できていなければ辿りつくこともできない。
それをダイゴが知っていたのは、彼がチャンピオン時代にアクア団と対立し念入りな調査をしたからこそなのだが。というよりも一時期本人がアクア団に入団していた経緯があるのだが、それを知る者は恐らくいないであろう。
「おお、ここだここだ。懐かしいな」
ダイゴはラプラスから下りて、すたすたと平らな岩盤の上を歩いていく。
「海こそが偉大なり、母なるは海、全てのはじまりは海よりなりし」
合言葉によるパスワードなのだろうか? ダイゴが囁いた台詞に反応して岩盤の一部が海底へと下がっていきラプラスの前に中へと入る水路ができあがる。
「よっと」
近づいてきたラプラスに再度ダイゴは飛び乗り、そのままアジトの中へと進んでいく。
「あんた、チャンピオン時代いろいろと奔放してたみたいだけどあの噂本当だったの?」
「ん? なんのことだ?」
うすら笑いを浮かべるダイゴに、カンナは諦めたのか追求することなくそのままラプラスの首元を撫でてやりながらアジト内部へと進行していく。
「だ、誰だ! ここを我々アクア団のアジトだとしっての暴挙か!?」
アジト内部は船が碇泊できるような中規模なスペースが存在しており、壁は岩盤であっても内部はすべてが鉄鋼で設えられている。
碇泊場の管理と見張りを担っていたであろうアクア団の新人団員が声を張り上げてダイゴ達に忠告するが、ダイゴは毅然とした態度でラプラスの上で立ち上がりこう告げた。
「アクア団団長、アオギリにお目通り願いたい! 俺はダイゴ、ツワブキ ダイゴだ!」
「え、えぇ?! あ、あの、指名手配中のチャンピオン?!」
さすがの団員も驚きを隠せないのだろう、意外な人物の登場の対処にどうすればよいのかわからずあたふたとしだす。
すると天井に取り付けてあるスピーカーから渋い男の声が響き渡る。
「私の部屋まで丁重にご案内しろ」
「は、はひぃ! 了解しましたアオギリ様!」
アクア団独自の敬礼をすると共に、その団員はダイゴ達の顔色をうかがうようにしながら彼らを案内する。
カンナとエリカはアクア団のアジトに行き協力を仰ぐことまでは聞いていたが、その手段が正面突破だということまでは知らなかった為今はおとなしくダイゴの後ろをついていく。
「ねえカンナ」
「ん?」
「秘密基地ってなんだかわくわくしますね」
「お前も緊張感ゼロかよ。はぁ……」
「どうかされました?」
「いや、なんでもない」
自分自身がこの中では一番の常識人だという認識を持ち合わせているカンナは気苦労が多そうだ。
一方のエリカは目を輝かせ、いかにもというアクア団のアジトっぷりの内装を満喫していた。
「こ、ここであります!」
いくつものワープ装置を得て、団員はダイゴ達をとある部屋のまで案内した。アクア団のアジト内にはいくつものワープ装置が存在し、部外者が例え侵入したとしても容易には目的地につけないような細工が施されている。
「ご苦労さん」
「い、いえ! それでは失礼するであります!」
まだ入って間もないのか、それともダイゴという人物を前に緊張しているのか、恐らくその双方であろうが新人団員はそのまま一礼してそそくさとワープ装置を使って退場する。あるいは異様な変装をしている三人に戸惑っているのかもしれない。
「入ってくれ」
先ほど聞いた声がスピーカーから洩れると共に三人の前にあった扉が横に開く。
扉の奥に設置された重厚なテーブルに両肘をついたダンディな男が鎮座していた。丁寧に剃られた無精髭が似合う恰幅のある男、それがアクア団団長アオギリ。
「久しぶりだな、アオギリ」
「貴様もいろいろと大変だな、ダイゴ」
不敵な笑みを浮かべあう二人。この二人の過去になにがあったかは定かではない、というよりも今ここでは語らないでおこう。
「ここまですんなり通したってことは、わかって通したってことでいいのか?」
「ふん、まあな。私もこのままで終わるつもりはない」
カンナとエリカはそんな会話を織りなす二人を背後から見守り続ける。
「もうマツブサとも話はつけているのか?」
「やっぱりそこまでお見通しなわけか?」
「貴様ともあろう奴が、この私だけに協力を要請するとは思わんでな。お前はそういう奴だ、今も昔もな」
アオギリはそう断言すると共に両手を宙へと浮かせる。
「なら話は早いな。俺達の持っている情報を譲る」
「その代わり共同戦線でホウエンを取り戻す、と?」
「その通りだ」
昔アオギリとダイゴの間になにがあったのか。しかしお互いに敵視しながらも、どこか通ずるものがあるのだろう。
「すんなりと行きすぎて逆に怖いですね」
「そうね。まあカスミ達もうまくいっているといいけど」
そう、他のメンバーは今マグマ団のアジトへと赴いている。
ダイゴが行おうとしているホウエン奪還計画、それはアクア団とマグマ団と共同戦線を展開することにあるのだろうか?
ところ変わり、トクサネジム。
「ハヤミ ケント、君は強いね」
「その強さがこれからも磨かれることを切に願っているよ」
マインドバッジを渡したフウとランは最後にそうケンに言葉を贈る。
「ああ、ありがとな」
そしてその後二言三言かわし、ケンとアンズはジムから出ていった。
フウとランはケンがなにか後ろめたい気持ちと共に何度か振り返り双子に何かを言いかけて止める。そう、彼は双子の運命を慮っていたのだ。しかし審判が睨みをきかせており、ケンはアンズに引っ張られながらジムを後にした。
二人を見送ったフウとランはそのまま試合を仕切った審判に労いの一言をかける。
「いえいえ、それでは手続きへと参りますか」
審判はフラッグを放り投げ、ボールを取り出す。
「手続き? ああ、そうか僕達は負けちゃったんだよね」
「そうだったね、それで手続きはどうするのかな?」
フウとランがお互いに首をかしげる。
「手続きはあなた達の命を以て完了しますよ! 行け、トドゼルガ!」
今や全てのジムの審判がロケット団員となっている。つまり、フウとランもここで―――。
「見て見てラン、このトドゼルガ……やりがいがあるね」
「そうだねフウ。頑張ってねネンドール」
すかさずランがネンドールをボールから呼び出す。
「な……。他のポケモン達はまだ治療中だったはず!」
ジムリーダー達はジム戦で使うポケモン以外はジム内の保管庫、あるいは専用の治療室にて体力の回復を行っている。その為、このロケット団のいうところの手続きは難無く行われる予定だったのだ。
「下っ端は下っ端らしく、地面に這いつくばって雑草でも食べてればいいよ。ね、ラン?」
「自分が自分の上司を知らないなんて、あの組織もこれだから面白いよね。ね、フウ?」
両手を握りあい、にやっと妖艶な笑みを浮かべる双子ジムリーダー。
「ど、どういう……」
自分の状況を逆に理解できなくなった審判(ロケット団員)は奇妙な双子を目の前に後ずさりはじめていた。
「「ネンドール、【破壊光線】」」
そして一閃の光線が審判とトドゼルガを飲みこみ、それはジムの壁をも貫通して虚空の彼方へと消えていく。
強烈な熱線はなにもかもを焼き尽くし、塵すら残さない。
「僕達がロケット団の幹部であることを彼は知らなかったみたいだね」
「構わないよ。それよりもサカキ様のロケットを壊した犯人を捜しにいかなくていいの?」
そう、フウとランはロケット団の団員であると共にレイハと並ぶ幹部であったのだ。
「そうだね、でも今は一緒に最後の時を過ごそうか」
「そうだね、もうここともお別れだものね」
そうしてフウとランはお互いに顔を近づけさせて、まるで憚ることもなく口づけを交わすのであった。