V:始動
小雨も降りやまろうとしている夕刻時、ミュウは研究室の窓から外を眺める。
アララギとマコモは二人でなにか違う話題で盛り上がっていたが、ミュウにとってはどうでもいいことであった。
今ミュウが思っていることは二つ。
サカキの野望に対する自分の取るべき行動。そして、このイッシュで起ころうとしている事態への対処。
『難しいものね……。アノ人の野望は叶えられそうだけど、アノ人はイッシュに来るのかしら? 来たら厄介よね。ならいっそ私の手で……?』
やたらと物騒なことを考えているミュウ。だがミュウはいろいろと勘づいていた。
あの孤島で過ごしてきた幾年もの間に人間の社会が変わることはあっても、世界は変わることがなかった。
だが今、時は満ちようとしていた。
昔自身を助けてくれたポケ人はこう言っていたのを思い出す。
『八柱力……こ……イッシュ、の……時が……る。わた……そ……為の、代理……』
八柱力。そしてイッシュ地方のハイリンクを囲む、ヘキサゴン型に陳列する八都市。
「ねえ、アララギ」
ミュウはそこでアララギへと声をかける。
「ん、どうしたの?」
「あなたハイリンクへ行ったことはあるの?」
ハイリンク、恐らくはそこで何かが起こるのだ。そうミュウは考えていた。
「ハイリンクならマコモのほうが知っているんじゃない?」
「あ、はい。ハイリンクとは異世界へと通じるゲートだとあたしは思ってます」
異世界。
「異世界? それはどういったものなのかしら?」
ミュウが初めて耳にする言葉。
考えてもいなかった。異世界。この国に異世界へと通じるものがあっただなんて。
「はい。すでに私達は異次元、異空間、異時間といった現象をギラティナ、パルキア、ディアルガというシンオウのポケモンから検証できています」
ギラティナ、反転世界に棲むとされる伝説のポケモン。
パルキア、空間を司る神と呼ばれるポケモン。
ディアルガ、時間を司る神と呼ばれるポケモン。
「そしてこのイッシュには異世界、言ってみればパラレルワールド……並行世界への入り口があるとあたしは思っています」
並行世界。それはある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)のこと。
「そのゲートが開く条件は?」
「えーっと、それがまだわからないんですよね……。でも条件に空間と時間が関わっているのは間違いなくて、時間の方はあいまいですけどその時期はもうすぐみたいです」
マコモがあたふたとその研究資料を読み上げながら報告する。
『合致する。辻褄はあっている……』
ミュウはマコモからの話で一つの確信を持ち始めていた。
「でもどうしたのよミュウ、突然?」
アララギが怪訝そうにミュウに尋ね、ミュウは笑みを浮かべてこう発した。
「もうじきその異世界へのゲートが開くわ。きっとそれこそがアノ人の最終目標」
「「え……?」」
ミュウは再び窓の外へと視線を戻し、そのビルから見える山岳を望む。
「なら、ここにいた方がよさそうね」
そう呟いて、ミュウはまた笑う。
『アノ人がイッシュを襲わなかったのはこの為なのね。合点がいったわ……』
イッシュ地方。
それは異種すぎるほどの交流を成しえた、極めて珍しい土地。
「ほらよジン」
「あ、ありがとうございますっ」
ガイから投げ渡されたスポーツドリンクの缶をジンは受け取る。
「そういえばさー、私達これからどうするんだろうねー」
「……知るかよ、んなこと」
ガイは空がどんよりと曇った中、ぱしゅっとビールの缶を空けてぐびぐびと喉をうるおしていく。
「っかー、うめぇ!」
いろいろともやもやが解き放たれたのか、ガイは心底満足げな表情でビールを飲み干していく。
「おっさんぽーい」
とモモが茶々をいれるが、気にもとめずに飲み続ける。
ポケモン達との対話を終えた三人は、いまだこの庭園でたむろっていた。
「まあでもカントーには戻れなさそうだしねー」
「そうですね……」
そう、彼らはロケット団からはいわば追放された身である。というよりも死んだことにされているのであろう。
ミュウの捕獲などできるはずもない、そう高を括り三人を任務につかせた。その後連絡も何もしていないのだ、いまさらカントーの本部に居場所があるわけもない。それに取り付けられていた発信機はすでにジンによって処理済みである。
「ならここでどうすんだよ? ここにロケット団の支部はないぜ?」
「むしろ好都合でしょ。私達が生きているだなんて知られるわけにはいかないもん」
それもそうだな、と言った風にガイは理解して缶を握りつぶしてゴミ箱へと投げ捨てる。
「再出発って言っていいのか? つっても、俺達三人に再も何もあったもんじゃねぇけどな」
「それもそうだねー」
「はいっ」
人には言えない過去がある。
特にこの三人となればなおさらであろう。
「ってことは、僕達無職ですね……」
「「―――あっ」」
ジンのさりげない一言に、はっとしたガイとモモ。そう、確かにいままではロケット団という組織でシルフカンパニー社員として雇用されてはいた。だが今は……。
「まあ、あれだな。ジム巡りってのも一つの手だぜ?」
「ええ〜……バトルって面倒。それにそんなところに顔出せるわけないじゃーん」
ガイが提案するもモモにすぐさま却下される。
「バトルっていう制度、あれなくなんないかな」
モモはそこで密かに『実際殺る方が早くて楽なのに』と呟くのだが、二人には聞かれなかったようだ。いや、聞こえなかったフリをされたのだろう。
「と、とりあえず戻りませんか?」
ここでだべっていてもどうしようもない。そう思ったジンはそう切り出して屋上にある扉を開いて階段をおりていく。
「おいモモ、いくぞ」
「え〜、だっこ〜」
しゃがみこんで草をいじっていたモモは、そう言いながら首をふって両腕をガイへと伸ばす。
「てめぇは幼稚園児か!」
「ももぉ〜がいくんの、だっこがいいのぉ〜」
わざと舌ったらずな喋り方でモモがねだり始め、ガイはそんなモモにすこしばかりきゅんとなりながらもそっぽを向いてしまう。
「いいから行くぞ!」
幸いその表情をモモに見られることはなかったが、ガイはそれを紛らわすためにジンを追って階段を下りていく。
「んーいけずー」
すくっと立ちあがったモモは指先についた土や草を払い、そのままガイの後をついていく。
三人はそろって階段下りてすぐのエレベーターへと乗り、そのまま研究室のある階で降りる。
「あらら? 帰ってきたわよ」
すぐさま聞こえてきたのはアララギの声。
一人悠々とコーヒーを啜っているアララギの背後辺りでドタバタしながら駆けまわっているのはマコモ。ミュウにいたってもちょっと忙しそうに何かを探しているようにもみえる。
「マコモ、そこじゃないでしょ!」
「あわわ! えっと、えっと〜!」
しかも仕切っているのはミュウである。
「い、一体どうしたんですか?」
ジンが思わずアララギに尋ねると、アララギは口で答える変わりにコーヒーカップを掲げてみせる。
「あなた達の今後の方針を決めてるのよ。いえ、もう決まっているからその準備といったほうがいいかもね」
「準備だあ? もしかして職でもくれるってのかよ?」
ジンは焦ってはいないのだろうがガイとモモはすっかり良い大人である。自分達の食い分は自分達が稼ぎたいという理念が働いているのだろう。
「うーん、そうね。そうなるかもしれないわ。でもあなた達ミュウについていくことにしたんでしょ? ならあの娘についていかなきゃね」
にっこりと笑って見せるアララギ。その表情からモモは嫌な予感しか読み取ることができない。
「あ、三人揃ったのね。丁度良いわ、こっちにきなさい」
ミュウに手招きされてガイ達はしぶしぶと足踏み揃えて歩み寄っていく。
真っ白く綺麗にされたホワイトボードに、バンっ! と手を叩いてミュウは声を大にして告げた。
「これから私達は八柱力を探しにいくわ!」
それを合図にいそいそとマコモが裏でボードに絵を描いていく。
「八柱力? なんだそりゃ」
「今からする話をちゃんと聞きなさい。そうすればわかるわ」
いつになく張り切った様子のミュウ。
それもそうだろう。今までいきてきた長い年月、ここまで体が昂揚する気分を味わうのが久しぶりなのだ。
「とりあえず私の話が終わるまで質問は一切禁止よ。おーけー?」
ここまでフランクになるものなのか、そう感じなくもないが彼女の話が終わるまでは静かにしていよう。
「この世界はポケモンを中心に成り立っている。神もポケモンである、その時点で人間との差は明らかよ。なにせ崇拝しているんだもの、当然よね」
多少ムッとくるような言い方ではあるが、それがミュウなのだ。仕方がない。こういうところは変わらずと言ったところだろう。
「でもね、神のアルセウスも気まぐれで特別な人間を世に放つことがあるの。その人間たちは数が限られている上に、同じ時期とは言え見つけるのは困難なのよ。それを私達は八柱力と呼ぶ」
同じ時代。それはつまり昔にも前例があるということだろう。
ミュウはマコモの話を思い出しながら言葉を紡ぐ。
『あ、はい、そうですね。前例があるからこそあたしはハイリンクが異世界へのゲートだと推測しています。でも2000年以上も前のことですから立証は難しいんです』
そうはるか昔に起きた出来事を語るのは難しい。それが2000年も前となるとなおさらだ。
「八柱力は人間でありながらポケモンの技を使えたり特性に似た性質を持っている、いわばポケモンに近い人間のことよ。彼らは特殊な力を用いることで人間社会にて時には偉人、またある時は異人として扱われてきた」
そういった人物により人間社会の歴史は少なからず影響を受けてきた。
「その八柱力と呼ばれる人間が八人揃いも揃ったのははるか昔、2000年以上前。それを証明する一つの事例がある」
「もしかして、それって……」
ジンはなにか思い当たる節があるのか、顔をあげてミュウを見つめる。
「そう、【イニシャルインシデント】よ」
イニシャルインシデント。それが意味するものはこの世界のはじまりだ。
世界のバランスがリセットされ、人間が人間としてこの世を支配するとなった時。
「それが八柱力によるものだっていうのかよ?」
もしミュウの言うとおりだとしたら、再度【イニシャルインシデント】のようなことが起きるというのだろうか?
そうだとしたら、一体なにが起こるのか想像だにもできない。
「ええ、彼らが要因であったのは間違いないわ。現にイッシュにはどの地方よりも古くから伝わる逸話があるのよ」
そう、実際にイッシュにはこんな伝説が残っている。英雄の伝説が。
なぜ他の地方は神話が残っているのに、イッシュは伝説なのか。それはその時期にイッシュの異世界へのゲートが開いたからだと、マコモは言うのだ。
「イッシュの英雄伝説。それを裏付けていたのが異世界へのゲート。つまり英雄は私達の世界の住人ではなかったのよ」
つまり英雄は異世界からきたということである。
「まあそれはおいといて、その時に八柱力という人物は存在していた。それがあんなにも理解不能な伝説を生んだのでしょうね。龍という表現も、異世界の人間のものなのでしょう」
ミュウはマコモが描いた六角形型のイッシュの簡易地図を指差す。
「八柱力は揃うべき空間にいる必要がある。それがこのイッシュの八都市。そこにこの国に散らばっている八柱力を探し出して揃える……開かれる時間までに」
ただ呆然と話をきいている三人は、それでも必死にミュウの話についていく。
「あなた達三人には散らばっている八柱力を探し出してこのイッシュにつれてくること。それがあなた達の新しい任務よ」
「「「…………え?」」」
ミュウは意気揚々と右腕をびしっと伸ばして三人に人差指を向ける。
「さあ、行ってきなさい!」
ガイ、モモ、ジンの新しい旅がはじまろうとしていた。
第十四章:完