III:揃うは踊らされし駒
「ほらほらミュウ、ほっぺについてるわよ」
「じ、自分で取るわよっ!」
アララギがミュウの頬にくっついてしまった米粒を指でつまんで、自分の口へと運ぶ。
見せることのなかったミュウの態度と反応に三人組は唖然としていた。
今、一同はビルの食堂へと昼食を取りにやってきていた。
外の景色へと目を向けると見えてくるのはビルの群れであり、窓には少々の雨粒がくっついていた。雨が降っているとはいっても、傘をさすようなほどのものではなさそうだ。
「ミュウってまだ箸慣れてないんだねー」
とマコモが調子よく笑いつつ、自分の箸を器用に右手だけで開いたり閉じたりして見せる。
「道具を使わないと必要な食料を採取できない人間と一緒にしないでくれるかしら。むしろあなた達にあわせている私に敬虔な態度をとってしかるべきよ」
ツンと顔を背けてみせるミュウではあるが、それでも空腹感には屈服せざるなく、箸を震わしながら料理をつまもうと努力する。しかし途中で諦めたのか箸を握りしめて食べ物へと突き刺した。
「行儀悪いわよ」
「人間社会のモラルに私が当てはまると思わないことね! ……くっ、美味しいわねこれ!」
素直じゃない子供のような態度を取りながらミュウは口いっぱいに頬張ったコロッケを堪能する。それを見ながらアララギもマコモも、まるでいつの日かあった懐かしみを思い出したかのような笑みを浮かべる。
そんな仲の良さをまじまじと見せつけられながら対面して食事をとるガイ達。
三人とも朝早くに島を出て以来何も食してはいなかったので、先ほどのプレゼンテーションによってショックは受けていても箸をなんとか動かし始める。というよりも今は違った意味でのショックを目の前から受けているのかもしれない。
しかし食欲が満たされることで緊張感も和らいできたのだろう、食事を済ませるころには「ふぅ〜」と溜息をついて一服をいれていた。
「どう、おいしかったでしょ?」
と、マコモは自信ありげな表情で三人に尋ねる。
「ええ、とっても。ですがここって一体なんのビルなんですか? お二方のような研究者ばかりではないような気がするんですが」
と一番最年少のジンが聞き返す。
「えーっと、たしかフレンドリィショップのイッシュ支店が結構な階を買い占めてた気がするけど」
フレンドリィショップ。それはトレーナー達を対象とした、ポケモンとの生活において必要な必需品を取り扱う店である。
その経営は全てシルフカンパニー社に牛耳られており、商品のほとんどがシルフカンパニー製である。中でもモンスターボール等はヒット商品であるが、シルフカンパニー社の独壇場となっている。
イッシュは他の地方とは違い、ポケモンセンターの中にフレンドリィショップを取り入れている。人口密度が一番多いとされるイッシュであるからこそのスペースを効率良く活用する商業スタイルであり、ポケモンリーグでの複合施設の形式を採用されているともいわれている。
「へえ、そうなんですか」
と関心しながらジンは食堂をぐるりと見渡し、中々の数のスーツ姿の営業マンをみかける。
「それはいいとしてミュウ。お前は俺達に言ったよな? 俺達のポケモンが選ばれた訳がどうこうって」
ガイは箸の先端をミュウへと向けながら、そう真剣な眼差しで問う。
ミュウは未だ箸というもので苦戦しながら芋の煮っ転がしを口へと運んでいる。芋系料理がお気に入りなのかもしれない。
「……ええ、そういえば言ったわね」
箸をそのまま手からぽろりと落とし、ミュウは髪をとかしながらガイを直視する。
「あなた達の持っているポケモンは、まあ俗に言われている御三家よね?」
「ああ」
御三家、それはポケモントレーナーを目指す少年少女達が最初にもらうと言われている初心者向けのポケモンのことである。
各地方にいるポケモン博士の研究所が都心より離れている理由として、この御三家を生ませ育てるという義務も負っている為に大規模な研究所を設けていると言っても良い。
そして各街や町村にあるトレーナーズスクールでは10歳までに自分のポケモンを持っていない子供たちに分け与えるポケモンとして御三家を用意しているのである。
「ガイはヒトカゲを。モモはゼニガメを。そしてジンはフシギダネを」
名を出された三人は神妙な面持ちでミュウの言葉を待つ。
「御三家は初心者向けのポケモンと言ったわよね? それは彼らの進化レベルや能力値などのバランスの良さが初心者に合っているからとされているけれど、中々それら使い手のトレーナーは数少ないわ」
そう、この御三家を使って旅を続けるトレーナーは数少ないのだ。
「御三家は初心者向けであると共に玄人向けのポケモンでもあるわけ。だからその中間にいるようなトレーナーにとって御三家は使いにくいのよ」
アララギがそこで一つ深い溜息をついて頬に手を当てて悩ましそうな表情をつくる。
「そうなのよね。毎年結構なトレーナーを輩出するこのイッシュでもそんなに御三家を転送することはないし、ジムバッジを一つや二つ取った後に返しにくる子とかも多いのよ」
研究所のある町以外では、子供達は違う生態系にいるポケモンにいち早く触れることが多い。そしてその為に最初からポケモンを保持していたり、御三家よりも最初から能力の高いポケモンを持っていることが多いのだ。
そうした場合を除いた初心者トレーナーたちも自分のスタイルに合ったポケモンを捕獲するために扱いやすい御三家を最初は用いるが、それ以降は研究所へ返したり逃がしてしまうのだ。そういった事態が多発したことがあり、スクールなどでは在校中に生徒が自身のポケモンを持てるような実践教育に力を入れるなど対策を行った。
「アノ人はあなた達の手持ちをも考慮してあなた達を選抜して、この私に託した。あなた達はポケモンの進化について多少なりとも知識を持ったでしょ? ならば次はあなた達がポケモン達に自分を教えることよ」
「自分を、教える……?」
モモがカメールの入ったボールを見つめながら、そうミュウに尋ねる。
「そうよ。そうすればあなた達は誰にも負けることはない、アノ人の組織を壊滅させる程の力を得るわ」
ミュウがそこで「ふふ」と得意な笑みを浮かべる。
「ま、待ってくださいミュウさん。なぜ僕達がサカキ様の組織を壊滅させるんですか?」
きょとん、とミュウはジンのことを見つめる。それはあたかも「知らなかったの?」とでも言いたげな表情であることこの上ない。
「アノ人は自分の創り上げた組織を壊してくれる人物を選び育ててるのよ? それがあなた達」
「だ、だから、なんで?!」
ミュウはにやっと唇を歪ませて、こう断言した。
「それがアノ人の野望だからよ。アノ人はポケモンと人が共に分かり合える世界を望んでいる。その為にはまず世界を変える必要があった……だからそうしたまで」
ここにて明かされるサカキの野望。
しかしだとしたらなぜサカキはこのような真似をとったのか? なぜ自分から積極的にその野望を直接叶える手段を取らないのだろうか? なぜ世界を征服したのに、それらしき行動を起こさないのか?
「で、でも、だったらなんであの方は―――」
「自分が消える。そうすることによってアノ人が望む世界になるからよ」
ミュウが幼少時のサカキの手に渡った時に彼らが立てた誓いがこれだった。
サカキはミュウという力を手に入れ、世界へと向ける視野が広まった。そしてはじめて世界というものをその目で視た。
こんな世界ではいけないと。
自分とミュウみたいにお互いが理解できる世界をつくらなければならない。その為ならば、自分はどんなことでもすると。例えそれが鬼や修羅の道であったとしても。
その望みにミュウは賛同した。
だから進んで自分の身を捧げたのだ。
サカキ、自分の短いながらにも主となってくれた人間の為に。
「まあ私は世界がどう変わってもいいのだけれど、あなた達三人がミュウと一緒にサカキを倒してくれるのなら私達の研究は堂々と発表できるのよね。期待してるわよ?」
「はい、あたしもその為ならお手伝いしますので! よろしくどうぞですっ」
ガイ達三人はぽかーんとミュウの話を聞きながら、心強い味方ができたことにも動揺を隠せないでいた。
「待ってくれよ、おい。もしかして俺達はサカキの用意したシナリオにまんまと踊らされているってことかよ……」
ミュウ達からしてみれば作戦通りなのだろう。だがその当事者でもある彼らに今告げられた事実。それは聞きたくなかったことだろう。
自分を窮地から拾ってくれた人物は好意ではなく、自分の野望達成のためにだったということになるのだから。
それを聞かされただけで自分達の何かが壊れるような音がしたのだ。
「そ、そんな……」
そして三人の中で一番の取り乱していたのはモモだった。彼女がどうサカキと接触したのかはまだ明かされてはいないが、裏切りとも言えるこの事実に少なくとも精神は啄ばまれていた。
「そうね、ショックかもね。でもあなた達には選ぶ権利はあるわ。まあ答えははっきりしているだろうけれど」
そう、答えは聞かなくてもわかっている。
ガイ達はもう後にはひけない。あの日、ミュウが垣間見せた三人の記録の断片……あの日から彼らにとって進むべき道は明日なのだ。
例え自分がサカキの描いたシナリオの上で踊らされただけであっても、彼らは―――
「いや、いい。例えサカキの思惑通りに世界が動こうとしていようが、俺はあいつに動かされることを自分の意志で、今ここで決めた。だから、もう動じねえ」
「……私は、あの方と直接話したい」
「僕も自分で、今ここで決めます。もう他に道は残ってないですから」
それは自分に対しての諦め、逃げ、言い訳。
そう思われるかもしれない。だけれども結局自分を律するのが自分しかいないように、自分の決断がどう他人に思われることなど問題ではないのだ。
彼らは決めた。自分達の進む道を。全てを知った上で、選んだのだ。
「でもなんでそのことを今俺達に言ったんだ?」
「そうね、まあこれから時間もたっぷりあることだし。今言おうが後で言おうが変わらないわよ。それに初めに言っておいた方が気持ちの整理もつくでしょ? もうついちゃったみたいだ、け、どっ!」
ミュウは苦戦していた最後の芋の煮っ転がしに箸を突き刺すことに成功し、それを得意げに口へと運ぶ。
「行儀悪いわよミュウ」
「うるさいわね。この芋が悪いのよ」
外見が美人であるがゆえ、いやこのミュウがここまで感情を曝け出せる人間がいるという事実にガイ達は安心しなければいけないのかもしれない。
「わかったぜミュウ。ありがとな」
いきなりのガイの感謝の言葉に、ミュウのみならずモモやジンもきょとんとした顔でガイを見つめる。
一方のガイはそんな彼らの視線に気付かずに、ゆっくりと顔を上げながら微笑を浮かべる。
「俺達のこと気遣ってくれたんだろう? ありがとな」
と、言いきったとこでガイはミュウと顔が合う。
先ほどから顔が硬直したままのミュウを見た後、モモとジンもそんな顔をしていることに気が付きアララギとマコモがにやにやとしているのを確認したガイ。
「ち、ちがっ、いや、これはだなっ!」
顔を真っ赤にしながらガイはそう大声を上げ、面向かってそう言われてしまったミュウに関しては頬を朱色に染めて俯いてしまう。
きっと素直に人から感謝されたことがないのだろう。
しかし一方のガイはと言えば、
「もぉ〜ガイくんー! 私にもそんなに素直になって〜〜〜!!」
「だぁ! だきついてくんなーーー!!」
先ほどまでの重たい雰囲気はすでに払拭され、いつも通りに戻ったと言えるのかもしれない。
今、彼らの進むべき道は確固たるものとなった。
そしてそれはサカキが望む駒の完成が近付いていることを意味していた。