II:屈服しなさい人間
紙や器具がごった返したこの空間になぜアララギ、マコモ博士両名がいるのか説明しておこう。
「たしかお二人はこの地方で活動されていませんでしたよね? なぜこんなところに?」
コーヒーを啜りながら、そう切り出したのはジンだった。
頭がこんがらがってしまうために、ただいま閑話休題中である。いれてもらったコーヒーを啜りながら、談話をし合う。
「あー私とマコモ、ここの大学を出てるのよ。それで一番八都市に近いここを拠点にしようってね」
「はい。それにネットワーク環境的にも設備的にもここだと早く手に入りますしー」
アララギとマコモは互いに顔を合わせて相槌をうちあう。
「八都市?」
モモは外にいた時に冷え切った指をマグカップの熱で温めながら顔を上げた。
「ええ。ヒウンシティの北にあるライモンシティをはじめ、ホドモエ、フキヨセ、セッカ、ソウリュウ、カゴメ、サザナミ、そしてブラックシティがこのイッシュで言われるところの八都市よ」
ずずっとまた一口アララギはコーヒーを啜る。
「はい、ハイリンクを周辺とした八つの六角形状に点在している街のことを指します」
マコモがそう告げ、すっと立ち上がる。
「そろそろ続きよろしいですか? あたし早く続けたいです!」
研究者としての性なのか、自分の研究成果を他人に見てもらいたいという衝動に掻き立てられたのだろう。
「そうしましょう。それに私苦手だわ、人間の飲むこのコーヒーってのは」
ミュウは一口飲んだもののその後しかめっ面になりながらマグカップをアララギにつき返していた。
「それでは続きを始めましょうか」
「ちょっと待ってくださいマコモさん」
マコモが目を爛々に光らせながら説明を開始しようとしたとき、割って入ったのはガイだった。
「さっきは衝撃的過ぎて頭が追いつかなかったが、あんたはポケモンが俺達人間と無駄な争いを生まないように知恵を働かせたって言ったよな?」
「はい」
「おいおい、笑わせんじゃねえよ。そんな屁理屈認めろって言うのか? 俺達人間がポケモンの良いように操られてるってよお?!」
「ひぃぃ?!」
ついカッとなってしまったのか、ガイは机を片手で思いっきり殴っていた。
さっきまで一人このことをコーヒータイムの間、ずっと考えていたのだろう。考え至ったからこそ憤りがわいてきた。
マコモはそんなガイにおびえながらも、いそいそと続ける。
「い、言い方がまずかったでしょうか? えっと、ですがこれは事実なのです。さすがに今のポケモン達はそれを意識しているかはわかりませんが彼らの潜在意識にはちゃんとその作用が未だ働いています」
それは研究を重ねてきてデータが出ているから言えることなのだろう。
「ということは、転送システムにおいてもポケモン達が自ら【テレポート】と言っていいかはわからないけどそれに似た力を発しているからこそ成り立っている……?」
モモは指を顎に当てて首をかしげて見せる。
「はい、そうですね……大体そんなところです。正確に言ってしまえば自身の体をデータ化する体質を有しているのも大きいですが」
マコモはモモの指摘に親指を立ててみせる。茶目っけのある博士なことである。
「ふふ、それを人が奇跡の発明だとか言って舞い上がっているのを見ていると存外、面白いものよ」
横やりを入れるようにミュウがそこでほくそ笑む。
「ミュウは黙ってて。それに私はまだ全てを信じたわけじゃないから」
モモは明らかなる対抗心を持ってミュウに反論する。そんな彼女にミュウは肩をすくめて溜息をつく。
「ふふ、解釈はご自由にどうぞ。私は私の真実を述べただけよ。それに無理があると思わない? ポケモンのことを完全に理解できてもいないあなた達に、ポケモンを捕まえたり転送できたりする道具や装置が存在しているこの現状がそもそもありえないのよ」
たしかに今存在する数々の副産物に対してジンは疑問を抱いてはいた。なぜならあの装置を使ってポケモン以外の物質は転送が不可能だからである。
「ただ自然の循環と平穏を願うポケモン達があなた達の我儘を聞き入れることでこの世のバランスが成り立っていると、誰も考えたことがないの?」
ミュウが三人の顔色をうかがい、そして腕を組んで背を曲げる。
なにかの犠牲の上に成り立つものがある。まるでそれが人間の社会であるかのような言い草だ。
「ふふ、ふふふふ、だから人は無能なのよ」
「っ!! 黙ってって言ってるでしょう!?」
モモは喰ってかかるような形相でミュウへと怒鳴る。
その表情からは受け入れがたい事実を頑なに否定したがっている苦悶と納得してしまっている安堵の入り混じった感情が織り成すせめぎ合いから来るものであった。
「あら、怖いのね」
と微笑んでミュウは一歩後退する。するとアララギがミュウの肩に手を置き、ミュウはつまらなさそうにぷいっとそっぽを向いて更に後退する。
「昔の人は何を願ったのかしらね? 何を望んだのかしら? 私はポケモン達の進化について長年研究してきて、そんな時にミュウと出会ったの。彼女が今してくれた話を私も聞かされた時思ったのがこれ」
アララギはプロジェクターへと向き直り、微笑む。
「昔のことはわからない。それが今生きているという何よりの証よ。だから私は人間の手によって生み出されてしまったポケモンを徹底的に研究しているわ」
そう、例えシンクロニシティの時にポケモンと人間が生まれたとされていても新たに誕生したとされるポケモンは確実に存在する。
ヤブクロンやベトベター、ポリゴンなどがその良い例である。
「おいおい待ってくれよ。もしかしてあのオーキドっていうジーさんが関わっていた、あの胸糞悪い研究にあんたも加担していたっていうのかよ?」
オーキドが行っていた研究。それはマサラの悲劇と語られる、ポケモンの命をもってして新たなるポケモンを創りだすという前人未到の大事件のことである。
その研究はサカキの援助によって実現のものとなり、今リョウがプロトタイプとしてミュウツーを従えている。
「オーキド博士の研究について私は聞かされてはいたわ。興味はもちろんあったけれど、でもその時私は違う研究を学会で発表していて忙しかったのよ」
よほどアララギもその研究に惹かれていたのだろう。恐るべし研究者魂。
ここでオーキドによる倫理性を疑わないあたり、彼女もまた真理を追い求める研究者ということなのだ。
「でもねベトベターやヤブクロンを研究してみると、やっぱりミュウの言ってたことを裏付けするようなことばかりになるのよ」
「そ、それはどういうことですか?」
ジンも、多少焦りを交らせながらアララギに尋ねる。
彼女の後ろでミュウは鼻高々といった面持ちで腰に手を置く。
「ああいったポケモンは私達人間の負の部分であるところから生まれてきている。それはこの世界のバランスを保つために、ポケモンとして現れたのではないかって私は思うの」
つまりこれ以上の汚染を防ぐためにポケモンとして生まれること、そうすることで汚染の促進を抑えるということなのであろう。
人間が固有に持つ信仰心を利用した自然現象からの具神化を、ポケモンが行ったということだ。
「だとしたら私達が成し遂げていることは、自分達の為だけのものであって世界の為のものではない。私達が所詮豪語している世界とは、私達がつくりだしてしまった社会のことであり、ポケモン達が住んでいる世界ではないのよ」
アララギはしっかりとした信念と共にそう断言した。
「「「っ……」」」
そして三人は彼女の言葉に何も言い出せないのか、ぐっとどこへもぶちまけられない感情を胸の奥で堪える。
「ふふふ、どう屈服する気になったかしら人間?」
打って変ってミュウが乗り出し、Sッ気満タンな態度で三人を卑しく見下す。
「私達がどれほどまでにこの世界を大事に思っているか、わかったかしら? あなた達人間と覚悟の度量が違うのよ」
今まで羅列されてきたことを踏まえて、三人はぎゅっと唇をかみしめる。
「それでもあなた達は我が物顔で世界を壊していく。自然の力を司っている私達がいつまでもあなたたちの愚行を静観していた理由が見いだせたかしら? 見いだせないでしょうね? しょせんは社会という自分達のルールにのっとった世界なんかじゃ、本物の世界を見定めることなんてできないのだから」
ミュウは「ふふ、ふふふふ」と妖艶な笑みを携えたままに続けていく。
「確かにポケモンに人間のような高度な演算能力はないわ。でもね、だからといってポケモンは無知というわけではないのよ?」
ミュウがそう切り出したことでマコモはいそいそとプロジェクターの映像を切り替える。
「あなた達はポケモンの言う言葉を理解できて? ポケモンは人の言葉を理解できるというのに?」
そう指摘された通り、その逆はない。
「マコモも言っていたけどポケモン達の使用する技もあなた達に適応したからこそ生まれたものなのよ? ポケモン達はそうすることで自分達の潜在能力の可能性が広がると確信していたからこそ、強大な技を得ることもできた」
そうでないポケモンも勿論いるのだが、それは至って例外である。
「それにあなた達は感情が表せるからこそ人間は高度な生命体だと思っているのでしょうけど、感情表現においてポケモンも人間と同様に持ち合わせているということになんで気がつかないのかしら? ああ、それとも気がつかない振りをしているだけかしら?」
饒舌になった彼女を止める者など、今ここにはいない。
アララギとマコモはミュウの意見に同意しているし、三人はミュウに反論する程のカードは持っていなかった。
だがアララギが一歩前に出てミュウにこう告げる。
「まあまあミュウ、そのくらいにしておきなさいよ。それに人間側にだって世界を見ている者がいるってこと忘れてないわよね?」
ゴゴゴゴっと迫るアララギの気にミュウは冷や汗を一つかいて、
「わかってるわよっ」
と言ってぷいっと身をひるがえす。
「さあさ、あなた達もそんな絶望めいた顔していないでしゃきっとしなさい」
アララギはガイやモモ、ジンの頬を両手でつねってやりながら彼らを正気に戻す。なぜならば彼らはアーボックに睨まれたニョロモのような顔をしていたからだ。
さぞかしミュウをこれほどまでに畏怖したことがないのであろう。いや、ポケモンというべきか。
「な、なあアララギ博士」
ガイは握りこぶしをつくり、椅子に座りながらアララギを見上げる。
「俺達人間は……このままでいいのか?」
きっとそれが今ガイが聞ける一番最善な質問だったのだろう。だがアララギは彼の顔を覗き込んで、
「それはあなたが自分の考えでもって決めなさい。それに今聞いたことの全てが真実とは限らないのよ、人間はそれを自分で決められる自由があるのだから」
と告げるのであった。
「それじゃあ皆さん、お食事にでもしましょうか! それがいいです、うんうん! このビルの食堂はそれはそれはおいしいんですからー」
マコモはその場のムードを盛り上げるためにそう言うが、さすがにミュウの演説は三人の常識を覆すほどまでにインパクトが大きかったのだろう。
三人は未だに軽い放心状態から抜け出せずにいた。
「ミュウ、やりすぎよ」
「……わ、わかったわよ! な、なんとかすればいいんでしょ!」
やたらミュウはアララギとマコモに気を許しているのだろう。あのサカキ並みに。ここまで感情を素直に出すミュウというのも稀なのだ。
「ほらごはん食べに行くわよ! 来ないと私が全部食べるわよ?!」
真っ赤に頬を染めるミュウ。よほど三人のことを気に掛けているのだろう、自分への反省も込めているかはわからないが普段見られないミュウがここにいる。それを見た三人はそれぞれに複雑な感じに微笑むも、心を入れ替えた御様子。
例えポケモンが人間より強大なものであっても理解しあえることはできるのであろう。そうでなければミュウがここにいるはずがないのである。そして自らその世界の仕組みを教えることはないであろう。
ミュウもまた人間を求めているのだ。