I:人とポケモン
「おいおい良いのか勝手に置いて行っちまって?」
ここはイッシュ地方ヒウンシティの港で、そこに停泊する船が一隻。
「あなた、天下のロケット団でしょ? 悪事を働いてなんぼじゃないの?」
先へ先へと一人進んでいってしまうミュウをガイは追いかける。
「ま、まあ、そりゃそうかもしんねえが……」
「ガイくんは良心が痛んでしょうがないのですぅ〜」
そう零すガイを後ろから抱きついたモモが茶化す。
「てめっ! 黙れモモ!」
「黙れってことは、やっぱりそういうことってこと〜?」
「はなれろ!」
そんな二人を後ろから見つめていたジンは苦笑を浮かべながら、「仲良いよなあ、二人って」と思うのであった。
「あ、こらジン! てめえ今くだらねえこと思いやがったな!?」
「え? い、いえいえ、なに言ってるんですかガイさん」
ぎろっと睨まれてジンは片手をぶんぶんと振りながら否定する。
「あ、なぁに〜? ガイくんってもしかして意識しちゃってるのー? かっわいい〜」
「うるせぇつってんだろが!」
バッとガイはモモから身を引き離し、「きゃうんっ」とモモは舌を少しだけ出しながらそんな甘く甲高い声を出す。
そんな彼らのやりとりをミュウは一人横目で冷やかに見つめており、
「三バカトリオって本当にいたのね」
とため息をつくのであった。
ここはイッシュ地方、ヒウンシティ。
高層ビルがいくつも建ち並ぶ大都会であるこの街は、イッシュ内では一番の人口を誇っている。行き交う人々の群れ、群れ、群れ。
なぜミュウが最初にこの街を選択したのはわからない。だが、三人はミュウについて行くしかないのだ。
「なあ、おい。一体どこへ行くんだ?」
ここに来るまでに四人の関係はいくらか解れたのだろう。特にミュウに対しては、警戒はしているものの敵対心は払拭されている。
「黙ってついてきなさい。会わせたい人間がいるわ」
ミュウがそう告げ、身をひるがえしてすたすたと人の波をかいくぐっていく。
「あ、ちょっ、待てよ!」
「あーんガイく〜ん、モモ迷子になっちゃう〜」
「てめぇはひっつくな!」
「ま、待ってくださいよ二人とも〜っ」
がっしりとガイの腕を離さずロックしたモモ。どうやらモモは新しい土地ということで舞い上がっているのだろう。キラキラとその両目を通り過ぎていく店のショーウィンドウに釘付けにさせている。
一方のジンは一人大掛かりな荷物を背負いながら、移動しにくそうになりながらも比較的長身なガイの赤い髪の毛を頼りに人混みの中をかき分けていく。
そうこうしながら三人はミュウが停止した目前にあるビルを見上げる。
「ここよ」
そう端的に言葉のみを発してミュウは自動ドアの中をくぐっていく。
ミュウに案内された建物……それは高層ビルという特徴を除いては一見普通なビルである。なぜミュウがこのような場所を知り、エレベーターの使い方まで知っているのか疑問に思いながらも三人はミュウと共に上へ上へと階を上がっていく。
「あら? あらら? 珍しいお客さんだこと」
着いた階で降りた面々は様々な大型機具が所狭しと並べられた空間に一人コーヒーカップを掲げる女性がいるのを確認した。
「お久しぶりねドクターアララギ。博士の方がいいかしら?」
「いいわよ別にどちらでも。それよりも……あなたが人を連れてくるなんて意外ね」
「ふふっ」
アララギ博士。
その人物の名を三人は知っていた。オーキド ユキナリと並ぶ程のポケモン博士号を取得した天才鬼才の女性博士。
「おいおい、あれって有名人だよな?」
「な、なんでこんなところに?」
「ぼ、僕に聴かれたってわからないですよっ」
三人は意外な人物を前に面食らい、あたふたと状況の整理を図るもそうすればそうするほどに訳がわからなくなっていく。
「それで? あなたの連れてきたお客人に何を話せばいいのかしら?」
「進化についてよ。もうさすがに答えは出たのでしょう?」
「……まあね。マコモも手伝ってくれたしどうにかなったわ」
そして次にアララギ博士から出た名前も思い当たるのか、ガイ達の中でどよめきが走る。
「おいおいマコモって言やあ」
「えっと、たしか〜」
「あのアララギ博士の同期でゲームシンクやCギアの発明者ですよ」
マコモ。アララギ博士の大学時代からの親友であり、ジンが言ったようにゲームシンクとCギアの発明者でもある。彼女が研究しているのはポケモンの不思議な力について。
「あれ、あたしのこと呼んだ〜?」
ぴょこっとボサボサとなった髪をしたマコモがとある機具の後ろから飛び出す。
「ああマコモ、丁度よかったわ。どうやら私達の研究テーマをご披露する時がきたみたいよ」
「おおっ! やったやったやったねっ」
白衣をただ上から着こなしているだけなのに、二人の抜群なプロポーションはくっきりとしたラインを描いている。
「お、おい、ミュウ」
「なによ?」
「お前って前にイッシュに来たことあるのか?」
ガイがそう質問し、残りの二人も興味津津に首を縦に振る。
「ええ、ちょっとあってね。この二人は私の友人よ」
ミュウの視線が途端柔らかいものへと変わり、ガイ含めた三人ははじめて見るミュウの表情にただただ見とれてしまう。
「ハーイ! それじゃそろそろプレゼンテーションをはじめるから、そこの椅子使ってね」
アララギ博士がプロジェクターを起動させたりパソコンにマコモが入力している間、ガイ達はアララギ博士の示した椅子なるものを探していた。
「椅子?」
「ああ、きっとこれのことよ」
と、いきなりミュウが積み重ねられた書類の山を蹴り飛ばす。
「え、ちょっ!?」
ジンが素っ頓狂な声をあげるも、書類の山は床へと散らばる。すると紙があった場所には椅子のもたれる部分が垣間見える。
「入った時も思ったけど、博士になるような人達って整理整頓って言葉知らないのかな?」
乾いた笑みと共にモモは苦笑しつつ、いそいそと四人分の座れるスペースを確保していく。
「えっと、それじゃ行きますよー?」
えいっ! と声を発すると共にマコモがキーボードのEnterキーを押す。
するとプロジェクターには「ポケモンの進化について」と書かれた題名が表れる。
ガイ、モモ、ジンはちょこんと行儀良く座っているがミュウだけは一人立ったまま、プロジェクターを静観する。
「ええと、それじゃ私達が始める前にミュウから説明を聞こうかしら?」
「わかっているわ。それじゃガイ、あなた達に聞くわ。シンクロニシティの時、この世界で何が起きたかわかるかしら?」
シンクロニシティ……それはポケモンと人間が動物より進化した瞬間のことである。その瞬間という時間枠が一瞬のものであるかどうかは定かではないが、明らかにその瞬間があったと説で言われている。
それは時間をかけたゆっくりとしたものかもしれないが、それが起こるにはどうしても環境の変化というものが必要となってくる。
「ポケモンと人は同じ時期にその存在となった。その起因はわからないけど、両者がなにをもってポケモンと人間になったのかははっきりとしているわ」
ミュウが語り、ガイが疑問符を浮かべる。
「なんだよ、それは?」
彼女はガイを片目で一瞥した後、顔を横に向けて続ける。
「それは科学の力よ」
「は? 何言ってんだお前、科学ってのは人が生み出したもん―――」
しかしガイの言い分はミュウにすぐに遮られる。
「それは間違いよ」
「何?」
アララギとマコモはわかっているのだろう、静かに頷きながら両目をつぶっている。
「ポケモンも科学の力を、人間が科学の力を同じ時に得た。ジン、あなたなら多少なりとわかるんじゃない?」
いきなり名指しされ、ジンは「へ?」と言ったような顔をするが思い至る点が将来技術者を目指す者としてあったのだろう一つの単語を口にする。
「もしかしなくても、モンスターボールとかですか?」
「良い線ね。そう、ポケモン達は人間という異なった生命体との共存において科学の力を人に順応させることを見出したのよ」
そこでひと呼吸置かれて、かすかな沈黙が生まれる。
「つまりポケモンは受動的に人間の能動的な科学を受け入れる道を選んだのよ。それが今の世の中ってわけ」
するとミュウの言葉に反応したのか、モモが椅子から立ち上がる。
「じゃあポケモン達は私達みたいに科学の力を使わなかったってこと? でもそれだけじゃポケモン達に科学の力があったなんていう立証にはならないわっ」
確かに、もしポケモン達が科学の力を持っているのに人間達の科学に従ったというのであれば……それはただの後付け論である。
「それは違うわ。ポケモン達は自分達の科学の力を隠すことにより、あたかも人が自分達の科学の力によってポケモン達を支配できるという認識を人間に与えたのよ」
ミュウはそこでガイ達に顔を向けて、両手を広げる。
「人はポケモンを自分達の思うがままに支配していると思っているでしょうね。でも実は上手い具合に操られていたのは人ってことよ。ふふっ」
ミュウが口を歪めて嗤う。その姿を三人は畏怖の眼差しで眺め、彼女の後ろにいた博士の二人は苦笑を浮かべながら肩をすくめる。
「それじゃあここからはあたしが受け継がせてもらいます。いいよね、ミュウ?」
「……ふふ。そうね、そうしましょう」
まださっきの演説の余韻に浸っているのか、ミュウは一歩後退してマコモに場を譲る。
「あたしも最初ミュウの話を聞いた時、人間としてちょっといただけない点が幾つもあったの。でもね、研究を重ねれば重ねるほど彼女の言ったことの信憑性はあがっていくばかりだった」
マコモやはり最初聞いた時はいただけなかったのだろう。だが博士、研究者の性であろう……真実に勝るものはないと信じているのだ。
「それじゃ続けさせてもらうね。まず皆さんはなぜポケモンが技を使うと思いますか?」
先ほどの話とは一転、そこにガイは疑問を抱いたのだろう。
「おい、それさっきの話と関係あるのか?」
「もちろんよ? ポケモンは未知なる生物であることに変わりないし、それは人間も同じ。でもねポケモン達が技を使用する理由は、人間に自分を操れますよ、ということをアピールしているからなの。だから人、つまりトレーナーが技名を発した時ポケモン達はそれに従うの」
マコモがプロジェクターに移りだした一般的なバトルの映像を指しながら続ける。
「それはポケモンと人の間での無駄な軋轢や争いが生まれないようにとしたポケモン達の知恵からなったもの。こう説明してしまうと、ポケモン達があたし達より知力を持っているように思えるけど……そうではなくて、これはポケモン達の本能から自然と出てくるものなの」
そうであろう。
いままで誰もがポケモンは力、人は知を司る異なる生物というのを信じて疑わなかっただろう。それが覆されようとしているのだ。
もちろんポケモンたちは生き抜くために技を用いることもあるだろう。しかしそれだけでは説明できないほどの技のバリエーションが確認されている。そう、多すぎるのだ。
「あらら、ちょっと難しすぎたかしら? ならちょっと休憩しましょうか、どうマコモが入れてくれるコーヒーは絶品よ?」
と、アララギ博士がにっこりと笑うと共にマコモの演説は途中中断された。