「裏」:キララという少女
ミキキ キララは別段なにかに優れているわけではなかった。
幼い頃より両親が多忙なために一人でいることが多かったが、二人から預けられていたポリゴン2と共に過ごしてきたことでさみしさを感じることはあまりなかった。
それでもスクールの行事や週末などは両親不在の時は周りとの違いを感じてしまうのであった。父兄参観の日などでは同級生が後ろから見られる視線と期待を受けてそわそわとしている姿を知るだけで、キララはそのような緊張感を得たことがない。
否応無しに孤立してしまう、そう感じてしまうようになっていった。
それを紛らわせるためにキララはいつの間にか自身の中でとあるキャラクターを作り上げることにしたのだ。
いつも元気で人のためになるようなことができる人間になりたい、そう彼女は強く望む内にキララはだんだんとその理想系へと近づいていった。
「ねえねえポリゴン2、今日はどんなキャラが良いかな?」
「ポリポリー?」
人工的に作り上げられたポリゴンという素体は自己をデータ化している為、パソコンなどのインターフェース無しに外部情報をデータ化して蓄えることができる。
キララは己の想像し生み出したキャラクターを演じ、ポリゴンに記録させることにより数々のキャラを蓄えることに成功していた。そしてそれを自身の携帯端末に呼び起こすことで人からは奇人変人と呼ばれてもおかしくない奇行を成し得ることを可能としていた。
「今日は知的クールキャラでいこうかしら」
長くはない髪の毛を右手で払いのけ、緩んだ目元をキリッと上げて伊達メガネを装着する。カントー地方で有名なイミテというモノマネ娘ほどではないが、その表情を変化させる術はレベルが高い。整形などをしただけではないのに、彼女は雰囲気の捉え方が正確であった。
もはや先ほどとは別人と化したキララは朝の身仕度を済ませてスクールへと出かける。
無人の家はやけに広々としていて静けさがあたりを支配している。朝日の木漏れ日がカーテン越しに屋内へと侵入しようとし、電気の灯されていない部屋には薄暗い影が産み落とされていく。
階段を下りてくるキララの足音が床の板目と板目を擦り合わせてはギシギシと木材から空気の漏れ出す音を響かせる。
「いってきます」
そうローファーを足先を立てて揃えながら、キララは返事の来ない挨拶を玄関に残し外へと出る。
春先だというのに眩しい程にてりだしている陽光をその全身に浴びながら、キララは鞄を肩にかけて歩き出す。
ちょうど通学路に面しているキララの家は、この時間帯多くのスクール生が見受けられる。
その多くは出てきたキララを見かけてはバツの悪そうな表情を浮かべ、皆が皆知らずの内に早足で過ぎ去っていく。
それもそのはずだ、誰しもがキララを知ってるのだ。
なにをしでかすかわからない、なにもわからない薄気味悪い女。一昨日はハキハキとした熱血タイプかと思いきや次の日は一転、無口で内気なキャラへと様変わり。そしてまた別の日には清楚系お嬢様など、当初は面白がっていたクラスメートも次第に冷めた目でキララを見始め、そしてしまいには無視するようになった。
それはキララが望んだことでもあり、孤立したキララはそれでもなお日替わりキャラ付けを続けた。
当初はいじめられているのではないかと担任の教師やカウンセラーにも気にかけられたが、キララは一点としてそれはないと言い張り、教師たちもキララの奇行にはついていけなくなり見放されていった。
しかしキララはそれでよかった。そしてすべては順調だと悟っていた。なぜなら彼女がこのようなことをし始めたのには明確な理由があったからだ。
こうしていればきっとスクールから親に連絡が行き両親が迎えに来てくれる、と。
だが、そうことが転じることはなかった。
「ただいま」
放課後、在校生が各々に部活なり同好会なりに勤しむ中キララは一人帰路へとついていた。
無人の我が家のドアを開け、声をかけても返ってくる声はない。
「ふぅ〜」
一つ伸びをしながら、ローファーを無造作に脱ぐりさりながら彼女はかけていたメガネを玄関先に置く。
キャラをつくることは容易くとも、それを維持するのは疲れるようでキララは息をつきながら自室へと戻っていく。
「ポリゴン2、今日のデータ送っとくね〜」
素の彼女に戻ったところでキララはポリゴン2を呼び出し、端末から情報を送信する。
それをまるで待ってましたと言わんばかりに彼女の相棒は嬉しそうに電子音を唸らせ、食事を与えられたと同じ至福感を味わう。
蓄積すること、管理すること、そしてそれらの演算を好むこのポケモンにとってキララを記録することこそが彼女とのつながりを具現化しているものなのかもしれない。
「よーし、それじゃあ今日もはじめよっか」
「ポリ!」
そんな彼女はスクールから帰って寝るまで、時間を潰すためにパソコンに電源を入れる。ポリゴン2の入ったボールをパソコンの隣に設置されている転送装置へと置き、キララはキーボードを操作する。
キララは自分でも不思議なくらいに情報というものに関しては人一倍敏感であった。ニュースサイトを開き、その記事のタイトルを一つ一つ追う度にどういうわけか真相へと最短のルートでたどり着いてしまうのだ。
欲しい情報をすぐに手に入れてしまう。
それがキララの特技といえばそうなのかもしれない。それを手助けしてくれているポリゴン2の存在も大きいのかもしれないが。
ポリゴン2をパソコン内にデータ化し転送することで、PC内での処理は飛躍的に向上する。ポリゴン2からしてみればキララが情報を収集すればするほど自身の糧となるのだから喜ばしいことなのだろう。
そうしてある程度集積されたデータをキララはまとめて、レポートにまとめてからレポーターごっこをするのが時間潰しの過ごし方となっていた。
こうやってミキキ キララという人物は出来上がっていった。
進級するにつれ親は次第に帰る時間が遅くなり、キララはその環境に慣れつつあった。
そんな生活が日常となっていた年末間近、スクールが冬休みのために遅くまで眠っていたキララは食卓で一通の手紙を見つける。
普段ならばその日の食費のみが置かれているはずなのに、今日は文書が添えられており紙幣ではなくカードが置かれていた。
「なんだろう」
冷蔵庫からミルクを取り出して、それを直に飲みながらキララは紙に目を通す。そこに書かれていたのは目を疑う内容であった。
【キララへ
毎日帰りが遅くなっていてごめんなさい。ここのところ忙しくてまともに家に帰れない日が続いているお父さんお母さんをどうか許してください。
それでもなんとかお正月の朝には帰れそうなの。だから1日はみんなでお祝いしましょう。ただ私たちには準備している時間がないからキララが好きなようにアレンジしていいわ。カードを置いておくので好きに使ってね。
母より】
ここ数週間の間、顔もまともに見られなかった母親からの伝言にキララは喜びを隠せなかった。
キララはこのような状況に慣れてきたとは言え、やはり辛かったのだ。だから外出するときはわけのわからない適当なキャラを演じてはそれに集中することで両親のことを考えないようにしていたのだ。
「ねえ聞いて、お母さんとお父さんと一緒にお正月過ごせるの!」
「ポリー?」
起動したてのポリゴン2はまだ処理が追いついていないのかキララの言葉を解釈しきれずにいたが、それでも彼女と一緒に喜びを共有した。
「どうしよう、い、いろいろ買わなきゃ!」
クリスマスも親と過ごせなかった為、彼女の家にはそれらしき雰囲気を感じさせるものなど何一つない。
「や、やっぱり門松とか、注連縄飾らなきゃだよね! あ、それにおせち料理とか注文しないと!」
ポリゴン2から送られてくる正月に関するキーワードを受け取りながら、キララのテンションは上昇していった。
家族と久しぶりに過ごせるイベントとあって、彼女は今までに一緒にできなかったことも同時にやろうと考えた。それくらいのわがままならいいだろうと。
それから数日、彼女は奔走した。デパートへと赴き、ホームセンターをはしごし、ネットでの注文を各種行い、そして買い込んだものをレイアウトしていく。
玄関先には大きな門松と国旗が掲げられ、扉上部には注連縄がかけられて紙垂が風に揺れる。そこに醸し出されているのは明らかなる正月モードで、彼女の意気込みが見受けられる。
家内部も正月らしさがフューチャーされ、食卓には豪華絢爛なお節で彩られ、お神酒の準備まで整っていた。
そして食卓にてキララは着物を羽織り、ポリゴン2を膝上に乗せて早朝から待機しており、その表情は新たなる年を迎える初日の出のように晴れやかだ。
「楽しみだね、お母さんたちが帰ってくるの!」
「ポリ!」
お互いに笑みを浮かべ、父母の帰りを待つキララ。
しかし彼女が両親の姿を見ることは叶わなかった。彼らは家に帰ることはなかったのだから……。
椅子から微動だにせず数時間、料理は未だ食べられる状態にあり、しかしポリゴン2は眠ってしまっているみたいだ。
キララの手に握られた端末の履歴欄には父母への発信が数多く並んでおり、だがその全てが取られることはなかった。
「なんで……」
ぎゅっと力のこめられた腕のなかでポリゴン2は目覚め、心配そうな瞳でキララを見上げる。
「なんでよ!」
溜まりに溜まった感情が体の節々から溢れるのを抑えきれないのか、キララは椅子の上で縮こまり両肩を覆うようにしてうずくまる。ポリゴン2は彼女から離れて、なにかに勘づいたのかパソコンの方へと移動して彼女を呼ぶ。
まぶたが制御できずに冠水する涙が頬を濡らし、嗚咽が口から漏れる中、キララはポリゴン2の鳴き声に気付くことができない。
「ポリ!」
「うっ……ぇく、ひっく、なんで、なんで……」
「ポリ!!」
枯れた声が続く中でようやくキララはその声に反応し、顔をあげる。化粧の施された顔面は涙と泣いた際の皺によってぐしゃぐしゃだ。
ポリゴン2がしきりにパソコンの電源を入れるように促す姿を怪訝な顔で見つめるキララだが、彼女はゆっくりと椅子の上から降りてPC台へと向かう。
「どうしたの?」
「ポリ!」
どうやら単なる気分転換のためではなさそうだ、とキララはポリゴン2からの焦燥感をひしひしと受け取っていた。
ポリゴン2はそのままボールへと戻り、それがなにを意味するのか理解したキララは急いでボールを転送機へとセットした。
起動するや否や、ポリゴン2がひとりでにウィンドウを立ち上げてメールボックスを開く。するとそこの新着の最新メールには【母より】とだけ記されたものが届いていた。
それを早速開いてみるも、文面には何一つ記載されておらず、大量の添付ファイルが存在していた。
「え、なにこれ……」
すると画面上では今まで勝手に操作することのなかったポリゴン2が猛スピードで添付ファイルの全てを自身の中へと取り込んでいった。
その容量は一般的なメールにおける範疇を超えており、それが可能となっているのは仕事場となっている両親の環境と自宅に置いてあるサーバーが膨大だということだろう。ものすごい数のポップアップが幾重にも連なり、移行が終わると同時に閉じていく。
そしてその晩、キララは身支度を余儀なくされた。それは誰かから命令も指示されたわけでもなく、彼女が悟ったのだ。
キララは家に存在するデータの消去を行い、ポリゴン2を連れて家を出た。そしていろいろな場所を転々としながら、彼女は全てのデータに目を通していった。ポリゴン2を介してタブレット端末に表示され続けていく情報をキララは一つとして取り逃すことはなく、全てを頭へと叩き込んでいった。そこに示されたのは今の国の状況とロケット団における機密情報であったのだ。
それを得て、キララは両親の身の危険を再度案じたがそれ以上にやらなければならないことを自覚してしまった。この大量の情報が意味することは一つしかない。それらを託されたということは、つまりそういうことなのだと彼女は思ったのだ。
「ポリゴン2」
「ポリ?」
「これからなにが起こるかわからないけど、二人で一緒に真実を暴いて世界に知らせよう」
「ポリ」
「うん、そうだよね。隠し通せるものなんてこの世にはなに一つとしてないんだから」
そう口にしたキララの目には新たなる闘志が宿っていた。