I:歩まなければならない理由
日本最北地方、シンオウ。
そこに今、シンオウリーグを目指す一組のトレーナーが存在する。
新しく用意されたジム戦とリーグ出場資格のルールに則(のっと)って、サカキという新たなる支配者から世界を取り戻すべくして。
カンバル アユミとミサカ キリンの両名はミオジムを制し、次のジムがあるクロガネシティを目指していた。
しかし二人は今、その道中にあるコトブキシティにて休息を取る為にポケモンセンターへとやってきている。
「疲れた……」
「お前、ほんとにそれしか言わねえよな」
「悪いかい?」
「いえいえ、めっそうもございませんよーと」
きっと睨み返してくるアユミをよそに、キリンはぐびっと自販機で購入したコーヒー缶を啜る。
先ほどこのポケモンセンターへと到着した二人は、ミオシティ同様にソファに腰かけてくつろいでいた。
「へへ、それにしてもどーよこれ? かっこよくね?」
羽織っているジャンバーの内側をめくって見せるキリン。そこにはハナダジムで獲得したブルーバッジとその横に付けられたマインドバッジが存在する。
ジムを出る時にアユミに没収されたはずなのだが、どうやらここまでの道中でいろいろと便宜が図られたらしい。その代償がなんだったのかは後後知ることになるだろうが。
「男って生き物はつくづく理解できないね」
交渉の上でバッジをキリンに返したアユミであったが、そこまでしてバッジを身につけていたいのか……それを彼女は女として理解できずにいた。
まあ、キリンが子供っぽいだけなのかもしれないが、男というものは自身の誇りを象徴するものを身につけていたい者なのであろう。
「次のジム戦はアユミがするんだろ。大丈夫なのか?」
「私を甘く見ないでくれるかい?」
ポケギアの展開されたホログラムのキーボードを操作しながら、アユミは画面にクロガネシティの情報を引き出す。
「それに私はキリンよりは強いよ?」
「うっ……」
スクールでのトレーナー専攻の生徒達であったキリンとアユミは、ケンやリョウと同様に授業で模擬戦を幾つもしてきた。
勿論キリンとアユミはバトルをしたことがあり、その時の記録はアユミ全勝キリン全敗という結果に終わっている。
「キリンは脳筋だから動きが読みやすくて助かる」
「うっせー」
くいっと眼鏡を自慢げに上げるアユミに対して、キリンは嫌な思い出を噛み締めるようにして悪態をつきながら腕を組む。
タイプ相性的にはキリンが優勢を十分取れるのだが、戦法戦略という面においてアユミはほぼ無敵であり彼女の能力ゆえか敵に対しての適応力がずば抜けているのだ。
「でもよ、相手はジムリーダーだぞ? お前みたいに既存の戦法だけで勝てる相手じゃないだろ」
「あんまり見くびらないでくれるかい。それくらいわかってるよ、単細胞」
若干険悪な雰囲気を匂わせる会話のやりとりではあるが、二人はここまでずっとこんな感じだったのでフォローはしない。
「おい、あれっ」
と、ふとキリンが顎を軽く上げてアユミの視線を天井に設置されているテレビモニターへと向かせる。
ポケモンセンターのテレビは随時チャンネルが固定されており、大体は時事ニュースを放映している。そして今回も例外ではないが、ニュースの内容は人の目を惹くには十分であろう。
『今日未明、ミオシティのジムリーダーであるトウガンさんがジム内で亡くなっているのが発見されました。警察は犯人が今逃走中である元ホウエンチャンピオンである指名手配犯ツワブキ ダイゴ一味であると踏み捜査に乗りこんでいます。繰り返しお伝えします、今日未明、ミオシティジムリーダーのトウガン―――』
淡々とニュースを読み上げていくキャスターの左側には遂最近二人が戦った相手の写真が浮かびあがっている。
「おいおい、マジかよ……」
「…………」
ミオシティからコトブキシティまでの距離はおよそ徒歩で歩くには大体二日から 三日。二人は資金調達と経験値上げの為に公共交通手段を断ち、やっとこさの想いでここへとたどり着いたのだ。
そんな中でのいきなりの衝撃的事実。
キリンは危うく缶を落としそうになり、アユミはじっとテレビを凝視し続けている。
「どうやらジムリーダーはバッジを失うと、消されるみたいだね」
「っ!?」
アユミが何か合点のいったような口調で答える。
「そう。これはバッジを得た者たちへの見せしめと他のジムリーダー達への警告ってことだろうね」
「ど、どういうことだよ?」
つまりね、と両目を閉じながらアユミは説明をはじめる。それも周りの他人に聞かれないような小さな声で。
バッジを失えばジムリーダーが消されるという結論は正しい。そしてそれが他のジムリーダー達にとっての警告であるとともに、アユミ達に限っていえば見せしめとなったのだろう。
つまりここより先、彼女達はジムリーダー達との事実上の死闘をしなければならないということになる。
「でも、それだと検証しなきゃいけないことが一つ増える」
「なんだよ、それ」
アユミはキリンにわかりやすいように先の説明をし終えた後、溜息混じりに答える。
「私達が負けた場合、どうなるかってこと」
そう。
ジムリーダーに勝てばバッジがもらえ、ジムリーダーは処分される。それはバッジが一個しかなく、その上で今年のリーグ戦を受ける資格者が一人になってしまうからである。
しかしジム戦に負けた場合のトレーナーはどうなるのか?
それを確かめなければならない、とアユミは考え始めたのだ。
「おいおい、もしかしてお前次の試合負ける気か?」
「それも手の一つだと言っているだけ。でも、ジム戦ができるかどうかそっちの方が今は心配だね」
「……? どういうことだ?」
アユミはキリンのポケギアへと赤外線で何かのファイルデータを転送する。
キリンはそのフォルダの着信音に気付いてそのデータを開く。
「ミオのジムリーダートウガンとクロガネのジムリーダーヒョウタは親子なんだ」
腕を組むアユミをよそにキリンはその事実に驚愕していた。
「親子? じゃあ、それだったらジム戦は……」
「向こうの事情で無くなってるかもしれないってこと」
それは考えても見れば当然のことのように思え、しかし中々に判断に困るものであった。普段ならばジムの方に問い合わせできるのだろうが、こんなニュースが流れてしまっている今である……電話の取り次ぎも困難であろう。
それに自分の親が殺されたというニュースが流れ世間で騒がれている中、ジムリーダーの業務を普段通りにこなせるとは到底思えない。
「だとしたら、クロガネシティじゃなくて違う街へと先に行くのか?」
「……いや、とりあえずクロガネシティへと行こう」
予定に変更はない。そう言ってアユミは立ち上がる。
「今日はここで泊っていくんじゃなかったのか?」
「いい。それよりも集めたお金ですぐにクロガネシティへと行こう」
「……へいへい」
キリンも立ち上がってアユミと自分の鞄を担ぐ。
シンオウ地方の主要都市間は常にバスが運行しており、一般人はそれに乗って移動するのが多い。ゆえに、路上で見かける人間は大概がトレーナーであると見極めることもできるのだ。
実際アユミとキリンがここへと向かう途中、滞在した町で停車していたバスを覚えている。バスが通る道はトレーナーが通る道とはまた違うのだ。
「しっかし、さすがはシンオウだよな。極寒対策はばっちりだ」
「そうだね。でも……寒い」
「そうか?」
冬の寒風に吹かれながら、二人は澄んだ空を見上げる。
ポケモンセンターを出て東口にあるバス停に行く時に、二人はテレビコトブキの大スクリーンへと目をやる。
「カントーでいうとこのヤマブキシティか、ここは?」
「まあそうだろうね。でも私は安心したよ」
「なにがだ?」
「キリンがジム戦をしたくないなんて言い出さないかって、心配していたからね」
そう、アユミはあのニュースが出てから気掛かりであったことが一つあった。
それはジムバッジを取得するという代償がジムリーダーの命だということに対して請け負う重圧である。
「いんや、別に。それはそれ、これはこれだろ」
「キリン……」
「向こうに向こうの事情があるように、俺達には俺達の事情があるんだ。それにアユミ、俺がそんな覚悟無しにお前についてきたとでも思ってんのか?」
キリンのその揺るがない決意を聞いたアユミは密かに笑みをこぼして、こくりと頷く。
「そっか」
「……お、おう」
アユミのそんな表情を見て、キリンは恥ずかしくなったのだろうか顔をそむける。
二人はテレビコトブキ前から出るバスに乗り、コトブキシティより東方に出た。
普段ならば坂道あり洞窟ありの若干険しい道のりであるのだが、今や公共道路の設置も新たに進んでいる。
コトブキ、クロガネ間はおよそバスで一時間半。
二人は並んで座りながら、キリンは肘を立てながら車窓の外をぼんやりと眺めている。
見下ろす先には自分より幼かったり同い年程度のトレーナーが自然の濃く残っている人によって踏みならされた道を、バトルをしたりしながら進んでいる。
「ねえ、キリン」
「んぁ?」
アユミはこの一時間何もしゃべらない為眠ってしまったのかと思っていたキリンは唐突な呼びかけに素で反応する。
「今まで孤児院で育ってきて、お互いの生い立ちに触れるのはタブーだった」
「……そうだな」
そう、二人は幼少からずっと同じハナダシティの孤児院で育ってきた。
「でもこれからは同じ運命を共にするんだ。お互いをもっと知る必要があるとは思わないかい」
「……お前はいいのかよ?」
人には触れられたくない過去がある。
「私は、いいよ。そんなに大したことでもなかったし、あまり良く覚えてないからかもしれないけど」
「アユミがそれでいいんだったら、俺も文句はないさ」
だから互いに今までそのことに触れることはなかった。そう、今までは。
「前キリンがパパの本を見つけてくれただろ?」
「ああ」
本とはミオ大図書館でキリンが見つけた著書『真実と反真実』であり、その著者にアユミの姓と同じ人物の名が記されていたのだ。
「私はパパのことは知らないけど、私が孤児院の前で捨てられていた時に……同じ人の本が私と一緒に捨てられてたらしいんだ」
「……そうだったのか」
だからか、とキリンは合点がいくと同時に哀しそうに眉をひそめる。
「たったそれだけなんだけどもね。でも、今まで誰にも喋ったことはないんだ」
アユミはそのままキリンの肩に自分の頭を乗せて、一言も喋らなくなる。
彼女が最後に告げた言葉には、キリンに対して信頼を誓う……そんな意味合いが込められていたのかもしれない。
そしてそれをキリンは理解ではなく、悟ったのだろう。
「そうか。……ありがとな」
キリンは微笑んで彼女の頭を肩に乗せたまま、再度外の景色へと視点を戻した。その瞳には熱い想いが激っていた。