IV:かけがえのない人
「ごほっ、げほっ……! な、何!?」
「ガゥウゥ」
突如として迫りきた黒煙が私の視界と周りの空気を奪っていく。
爆風と共に飛来してきた煙は私がさっきまでいたカラクリ屋敷の方からだ。
考えたくもない。でも、もしかして……っ!
「うっ……」
私は抜け道で膝をついて、咳込みする。
息が、できない……。
態勢を低く保ってみるも、ここはワンウェイの細長い地下通路。出口が二つあるとはいえ、一方はさっきの衝撃で崩れているのか見えなくなっていた。
通路を照らしていたランプも電線が切れかけなのか、接触の不具合からか点滅を繰り返してはだんだんと辺りは暗くなっていく。
瞼を閉じたままで、私は思考を巡らせるも身動きが取れない。段々と肺の中へと吸い込みもたくもない煤が侵食してくる。
ガーディは私よりは平気みたいだけど、威勢よくは吠えなくなった。きっと私のことを心配してくれてるんだろう。
一体、何が起こってんだろう?
「げほっ! ごほっ! かはっ……!」
ハンカチで口元を覆って、這うような低姿勢でとにかく進もうと試みる。それでも空気不足によって脳の回転速度はみるみるうちに低下して、それは遂に体の機能までもを奪っていく。
状況を理解、整理できる暇もなく、私は力なく地面へと突っ伏して意識が飛んだ。
「ルカちゃん! ルカちゃんっ!」
懐かしい声を聞いて、私は瞼を開く。
そこには見知れぬ天井があった。蛍光灯の出す白色の光が、妙に眩しく見える。目をしかめながらも徐々にクリアになっていく視界の中、私はあたりを見渡す。
「ここは―――?」
「ルカちゃんっ!」
そして途端に私に覆いかぶさってきたのは、私の頭を抱えるようにハグをしてきたハルちゃんだった。
「ハ、ハルちゃん?」
「ルカちゃん、よかった〜!」
なんでハルちゃんがここに?
私はあの抜け道で倒れて、そのまま意識不明になって―――。
「おや、意識が戻りましたな」
ハルちゃんの泣き崩れてしまった顔を見ながら、私はそう声を出した人へと視線を向ける。
白衣を着こんだ初老の男性。お医者さんかな。
「いやー、それにしてもびっくりしましたよ。キンセツジムの前で少女が一人倒れているという連絡を受けましたからなあ」
キンセツジム? もしかして私は今キンセツシティにいるの?
私は自分に抱きついているハルちゃんの体を、布団の下に埋もれている両腕を使って受け止めるようにして掴む。
「ハルちゃん」
「なぁに、ルカちゃん? どこか、痛む?」
私は静かに首を振って、ありがとうという意味合いを込めて優しく微笑む。そして訊ねる。
「ここってキンセツシティなの?」
「え? うん、そうだよ。病院から私達の方に連絡が来たの」
え?
「ルカちゃんのポケギアの連絡先から、私達の名前を見つけたんだって」
そっか。そうなんだ。
私はその時ポケギアの連絡登録先が少ないことに気がつく。そういえば、まだスミちゃんとアスナさんの連絡先登録してなかったな。
「君のご実家にも連絡をしたんだが、出てもらえなくてね。君はカントーの出身みたいだね」
「あっ、はい」
「可愛い子には旅をさせろとは言うが、君は一体どうしてあんな場所で倒れていたのかな?」
良く見れば、ハルちゃんとお医者さん以外にもちらほらと人影が私の視界へと入ってきている。
その中にハルちゃんのご両親と、なんだか見知らぬ男性の二人組が睨むような視線を私へと向けている。
心配そうに私をベッド横の椅子から見守ってくれているハルちゃんの片手をそっと握って、私は口を開く。
「覚えていないんです……」
「……そうか」
お医者さんは、何も追求せずに頷いてハルちゃんの肩に手を置く。
「さあ、面会の時間は終わりだ。皆さんも、一時退室をお願いしますよ」
と、主治医の先生を先導に私以外の人達が個室から出ていく。
「ルカちゃん、またお見舞いに来るから!」
「うんっ、ごめんね心配かけちゃって」
私がそう返答すると、ハルちゃんはまたも泣きだしそうな表情で首を横にぶんっぶんって振ってくれる。
「ありがとう」
私はハルちゃんの意図がわかって、胸があったかくなって、そう呟いた。
ハルちゃんは余計にもっと泣きだしそうになったけど、主治医の先生に先導されて退室していった。
なんで皆が退室させられたのか、その理由を私は理解していた。
昏睡状態、ではないけど意識不明の状態の患者が目を覚ました時に必要とされるのは時間である。
適度な人との接触によって安心感を与えて、自身の確認をさせるだけの時間を置いてから、情報を与えたり聞きだしたりする。それが一通りの流れとなっているからだ。
でも、本当に私は覚えていなかった。自分がなんで、どうやってあの状況から助かったのかを。
何もかもが真っ白なこの狭き空間で、私は自分の腕に刺さっている点滴の細いチューブを見下ろしながらサイドテーブルへと目をやる。
そこには私の煤だらけになった荷物とウエストポーチ。私の手首から無くなっていたポケギアとポケモン達の入ったベルトと共に、同じく汚れてしまった私の服が畳んで置かれていた。
あっ。
私は布団の下をぴろっと広げて確認してみる。
頬が紅潮するのを感じながらも、私は自分の体が綺麗に拭かれ、着替えさせてもらったという羞恥心に苛まれる。
うぅ、はずかしい……。
でも、それにしてもどうして私は……。っ! ガーディは!?
私は思い出したように勢い良くボールの装着されているベルトからガーディのボールを見つけ出して取り出す。
開閉ボタンを押すと、閃光と共にガーディが出てきて元気な姿を見せてくれる。でもその体毛は煤によって黒く汚れてしまっている。
「よ、よかったぁ。無事だったんだ、ガーディ」
「がうっ」
それでも尚、私の抱いている疑問は解消されない。
お医者さんの話によれば、私は行ったこともないキンセツジムの前で倒れていたと聞かされた。
そうなると納得のいかない点が浮上する。こんな大都会でもあるキンセツシティのジムまで私は誰に見られることもなく運ばれたということなんだろうか?
そんな思いを逡巡させていると、ガーディがサイドテーブルの上に向かって視線を投げているのが見える。
「どうしたの、ガーディ?」
「ががう!」
ガーディの視線の先を辿って行くと、そこにあるのはシャワーズとラルトスの入ったボール。
ガーディはもしかしてこの事態の経緯を知っているの?
っ!!
私ははっとして残りの二匹をボールから出す。
すると私は目を見張った。なんでって、シャワーズとラルトスの体がガーディ同様に煤にまみれていたから。
あの抜け道で一緒にいたのはガーディのみ。だからこの二匹がガーディと同じ状態になっているはずはない。でも二匹は汚れている。それは、つまり―――
目頭が急速に熱くなっていくのを感じた私は、白い患者服の袖で顔を隠して静かに嗚咽を漏らした。
「シャワーズ、ラルトス。ありがとぉ」
ひっく、ぐずっ、と汚いかもしれないけど泣きじゃくりながらお礼を言う私に、シャワーズとラルトスは何喰わぬ顔で鳴いて答えてくれた。
まるで大したことでもないかのように。
「ガーディも、ごめんねっ、ごめん、ありがとぉ゛」
涙で滲んだ視界でガーディを含めた三匹はただ私を見上げて、一回短く鳴いて微笑んだ。
まるで私に心配するなと言っているように。
「ありがとぉ、ありがどお゛、み゛んな゛ぁ……っ」
しばらく経って、私の部屋にさっきのお医者さんがやってきた。ガーディ達には悪いけど、もう少ししてからポケモンセンターの方へと預かってもらうことにした。
私はここまでの経緯などを聞かれたけど、明確な答えを出さずに応答した。
さっきポーチを開いてヒートバッジとアスナさんの番号が書かれた紙が動かされていないこと確認した私は、守秘に一徹することにした。
ただ私が煤だらけであんな場所にいたという現実をカバーできる言い訳を私は出せずにいたし、それを隠し通すことは無理だった。でも、実際には事態を把握できていなかったのは私もおんなじなのだ。
勿論病院側が私を救ってくれたことを顧みないわけにはいかない。でも、アスナさんとの約束やあの時何が起こったのかを確認しようとするわけにもいかない。
そんな私の窮地を救ってくれたのが、ハルちゃんだった。
そもそもハルちゃんの所へと連絡が行った時、ハルちゃんはすでに私の身柄保証人になっていてくれたらしい。私の治療費を請け負ってくれたというのを、私は後日知らされることになりお金は払うと言っても全くもって受け取ってはくれなかった。
「そんな、悪いよ!」
「だーめ。私達は友達でしょ? 困った時はお互い様だよ」
「で、でもっ!」
「だめだってば。私がルカちゃんを助けられるのってお金ぐらいだもん……だからさ、ねっ?」
そう言って私にきかせたハルちゃんの顔はどこか悲しげで、寂しげで、私は何も言い返せなくなってしまった。
主治医の先生は私に良くはしてくれたけど、当然良い思いはしていないんだろう。だって、結局あの私が見つかった時の様子と事情については何も解決仕舞いだったから。
それに私にとってもいろんなことがわからずじまいに終わった。
シャワーズとラルトスがボールから出てきて何をしてくれたのかはわかるんだけど、一つだけ疑問が残る。
そして今こうやって病院を退院してハルちゃんの泊まっているホテルにいるけど、この胸のわだかまりは解消できてはいない。
私が病院でお世話になった三日間の間にハルちゃんは私の身の周りの世話を一手に引き受けてくれた。洗濯や看護、そしてお金の手配等。
本当に申し訳なく思っている。でも、そんなことはもう考えちゃいけない。
「ほら、ルカちゃんまたそんな顔してるっ。言ったでしょ、困った時はお互い様だって?」
「あっ、うん。ごめんねハルちゃん」
「んもうっ」
勿論、きちんとハルちゃんのご両親にはお礼を言った。でも、結局おんなじことを言われちゃったんだよね。
私は今ハルちゃんと、ハルちゃんのメイドさんのシイカさんと一緒にお茶を飲んでいる。
これ以上ハルちゃんに頼るのは気が引けたんだけど、私は抱えていたわだかまりを相談することにした。
「あのね、ハルちゃん」
「なぁに?」
ことっ、とお茶の入っていたティーカップをテーブルに置いて私は聞く。
「あのね、私が倒れていたあの日なんだけど……爆発事故とかなかった?」
「っ……」
そう質問した時、確かにハルちゃんの中で動揺が走ったのを私は見逃さなかった。
そうだ。考えてみれば、あれほどのことが起きて私から何の疑いの目が向けられないわけがなかったんだ。
そっか。あの時初めて目が覚めた時にいた人達は、刑事さんだったのかもしれない。そしてあんな状態で見つかったんだから当然私はあれの関係者として見られて当然だ。
「もしかしてハルちゃん、私のことを守ろうとしてあの人達に―――」
「いいの!」
そこで私は初めてハルちゃんの激情を目の当たりにした。
「気にしないでって言ったじゃんっ」
ハルちゃんから窺いしれたのは、焦りとごまかし。
「……ハル」
「シイカは黙ってて!」
こんなに声を荒げるハルちゃんを私は初めて見た。
そして彼女の様子から、私がどんなにハルちゃん達に迷惑をかけたか想像だにできなかった。だってそれは恐らく法に触れるような措置であったに違いないから。
私は救われた。
自分のポケモン達に、自分の友達に。
でもその代償は、私が想像していたよりも遥かに大きなものだったのかもしれない。
ハルちゃんに、嫌な思いをさせてしまったのかもしれない。
そう考えれば考える程に、私は、私は……。
ぎゅっ
「え?」
私はハルちゃんを背後からそっと抱いていた。
素っ頓狂な声をあげるハルちゃんに応えるようにして、私はさらにぎゅっと腕に力を込める。接触する体と体が力の入る度に更に触れ合い、体温を直に感じる。
「ごめんね、もう何も聞かない。ありがとう、ありがとうハルちゃん」
ぎゅっ
私は涙していた。
自分の無力さゆえに、自分の無知さゆえに、かけがえのない友達にさせたくもない思いをさせてしまったことに対して。
そして友達も涙していた。
腕に落ちる彼女の涙は、でも冷たくなくて私は安堵した。
なぜなら、彼女もまた私と同じように友を想って泣いてくれたのだから。