III:出会いと別れと
「やあ、いらっしゃい」
私の目の前にいる人は、お腹に腹巻をしているどこにでもいそうなおじさんだった。薄くなりつつある髪の毛が目を引き、もういっそのことすべて剃ってしまえばいいのにと思うそんな感じの人。
え、でも誰なんだろう?
私は自分の身に起きたことを忘れてしまうくらいに、目の前の訳のわからないおじさんに目を奪われる。
「おやおや? 珍しいお客さんだね?」
飄々とした口調で、目を細めたおじさんは私を見つめながら次に私がこの穴に落とされる前にでくわした女の人へと視線を動かす。
「あっ、そ、そうだった!」
その一連の動作に私は気付いて、傍にいるはずの女性の様子を確認する。
私は横たわって身動きしないその女性を膝上に抱えて脈を見る。
気絶しているみたいだけど脈拍は正常かな。
彼女は私より少し年上みたいで、真っ赤に燃える紅のような髪が無造作に後ろでひとくくりにされている。綺麗な顔立ちはどこかボーイッシュで、でも今は泥や傷のせいで汚れてしまっている。
服装はタンクトップの上に厚手の緑のコートとジーパン。動きやすい格好というか、逃げていたんだからっていうのが理由に含まれるのかな?
頭の外傷が気になるけど、今は安静にさせておくほうがいいかも。思ったよりひどい怪我はしていないみたいだし、今はもう出血は止まっている。
「若いのに、君はすごいねぇ」
おっとりとしていて、でもそれでいてどこかしっかりと物事の本質を見抜いているような……そんな口調でしゃべる人を私ははじめて見たかもしれない。
それほどまでに目の前のおじさんの声はよく通るものだったし、重くのしかかってきた。
「あの、あなたは……?」
私はガーディを傍に呼びながら、その人へと警戒の眼差しを向ける。
だってもし私の推理が正しければこの人は私達を上から落っことした人のはず、なんの意図があってかわからない以上警戒するしかない。
「わたしはカラクリ大王、この屋敷の主だよ」
気の抜けるような口調、でもそれがふざけているものではないことは私にも理解できる。
「どうして、こんなことをしたんですか」
和室という密室空間で相手を刺激させることは良策じゃないよね。どうしよう。
「いやぁ、なーに。アスナちゃんがピンチだったみたいだからねぇ……ついでに君もついてきてしまったというわけだよ」
ちょこんと座布団の上でそのおじさん……ううん、カラクリ大王はズズズと湯のみを啜る。
アスナ、ちゃん?
「君の隣で眠っている娘だよ。ちょっとした知り合いでねぇ」
もしかしてこの人があんな場所から出てきたのは、カラクリ大王に会いに来たから? もし追われていたとして、彼女が逃げ込むあてがここだったってこと? だ、だったら、私……すごい失礼なことを。
「いやぁ、別に余計なことでも悪いわけでもないよ。君は良くアスナちゃんをこの屋敷へと連れ込んでくれたよ」
っ……!!
この人、私の思考を?
「カラクリというのはね、人の裏をかくような驚きを与えることなんだ。物事に裏表があるようにね、わたしは皆が見ている表よりも裏が好きなだけさぁ」
ぴくんっと、アスナちゃんとカラクリ大王に言われた女性の眉が一瞬反応する。
「まあ、勿論わたしの言う裏を君らが表と解釈するのか裏と解釈するのかは別として……だけどね」
ズズズ、とお茶が最後の一滴まで飲み干される音が和室に響く。
何を言わんとしているのかはわからない。でも真偽はどうあれ、この人は、一応は信頼が置けるんだろう。
「君たちをここへと落としたのは、アスナちゃんを助けるためだった。といっても、ここが狙われることになるだろうけどねぇ」
落ち着き払った腰の重さでカラクリ大王は「よっこらしょ」と言いながら立ち上がる。
「……ん」
「あ、だ、大丈夫ですか?」
もぞっと、私が星座している太ももで動く感触があり私はアスナさんに声をかける。
アスナさんは閉じた瞼を細く瞬きさせながら天井を見上げて、私へと視線を移して呟く。
「ここは……カラクリさんの家?」
「目覚めたかいアスナちゃん?」
カラクリさん、とはカラクリ大王のことなのかな。そうだとしたら、カラクリ大王の言ったことは全て真実なんだろう。
そこで私の緊張感は若干は和らぐも、自分が自分でも把握できていない状況に置かれているという不安感と違和感は解消できない。
それから十数分、私はアスナさんの介護をしながら互いの自己紹介と現状報告をした。といっても先ずはアスナさんとカラクリ大王のやりとりを私がボーっと見ながら、次にアスナさんが私に感謝の意を表してくれたのだけれども。
「助けてくれて、ありがとうルカちゃん。あたしはアスナ、フエンシティでジムリーダーをやってる」
「あ、い、いえ、そんな大層なことしてないですよ、あはは……? って、えぇぇ!? じ、ジムリーダー!?」
そんな大声を出した後に私は我に返って口元を両手で防ぐも、カラクリ大王とアスナさんはそんな私を見て苦く微笑んでいる。ううぅ、恥ずかしい。
で、でも、なんでジムリーダーがあんなとこでボロボロで? え? っていうか、他のジムリーダーって皆、ロケット団でサカキの配下で、えっと、えっと、だから敵なんだよね?
私の常識……それがいろいろと崩壊していくのを私は感じ取っていた。なぜなら、アスナさんから悪意などは一切感じ取れなかったから。現に、私のガーディがすでにアスナさんに懐いている。
「ルカちゃんは今この国のトップが誰に変わったのかは知ってるね?」
カラクリ大王が神妙な口調で私に語りかけてくる。
「は、はい。このホウエンが最後に落とされたって聞きました」
その私の一言にアスナさんとカラクリ大王が私を見る目が変わる雰囲気を感じ取った。
それで口を滑らせてしまったことに気付いてしまう。今まで誰からもそういった話をされたことがないから、つい答えてしまった。
「ほぉ」
「そのことは、誰も知らないはずなのに……」
その変化に私は先までとは違う不安感にさいなまれる。空気が、変わった。
「あんた一体どこからそれを?」
アスナさんがジムリーダーである器を持っていることを私はその時はじめて思い知らされる。昔カスミさんがポケモンを粗末に扱うトレーナーを叱咤していた時と同じ空気を私はぴりぴりと感じ取っていた。
「わ、わたしは……」
もはや、逃げられない。ううん、逃がしてくれるわけはないだろう。ガーディも完全に威嚇態勢に入っている。
「わたしは……」
息が詰まる、でも弁明しないといけない。
「ミツルさんから……」
責任転嫁、うぅん、私はミツルさんに二人の矛先を向けてしまった。このことが真実だとしても、私は自分以外の誰かに責任を押し付けてしまったのだ。
私は状況がわかっていても逃げようとしてしまった。
「ミツル? もしかして、ダイゴさんの……」
「ふぅむ、だとしたら君はあのダイゴくんと繋がっているのか」
え、ダイゴ?
そこで改めて私は元ホウエンチャンピオンの名を耳にし、彼が今や全国指名手配中なのも知っている。そしてその指名手配中の中にミツルさんやカスミさんが含まれていることをも思い出す。
「はい。私のお兄ちゃんが二人のお手伝いをしています」
その言葉にアスナさんは合点のいったような顔をして、私の頭を撫でてくる。
咄嗟にミツルさんとダイゴさんが一緒であることをつなげて、私はそこにお兄ちゃんを出すことで関連性を強調した。卑怯なのかもしれない、でも今はああいうのがベストだったと思う。
「ごめんね、さっきはあんなきつい聞き方しちゃって」
「あ、い、いいえ」
アスナさんは懐からポケッチを取り出してくる。
「ミツルさんが言っていたかもしれないけど、ダイゴさんに協力している人間は今指名手配されている面々だけじゃない。私もその内の一人なんだ……まあ、ばれちゃって今は追われてるんだけど」
はにかむようにして苦笑するアスナさん。
そうか、そういえばミツルさんは他にも協力者がいるってオーキド研究所の時に言ってたっけ。
つまりアスナさんは味方。でも、今は窮地に陥っているんだ。
「まあアスナちゃんの身の安全はこのわたしが保障できるから安心なさい。フエン町長とは昔からの仲でね、その孫であるアスナちゃんを保護する任務を全うする義理がわたしにはある」
「カラクリさん」
うーん……っと、状況は大概整理できた。
つまり私は巻き込まれちゃったってことだよね? でも、別に嫌だとは思っていない。けど、ちょっと居心地は悪いかも。
「あ、あの、わ、私はこの後どうすれば?」
聞きにくかったけど、それが私が一番に気に掛けなければいけないこと。アスナさんがここに匿われるのはいいとして、私はどうやって地上に戻ればいいんだろう? それにアスナさんと接触したことで私まで追われることになるんだろうかという危惧が徐々に生まれつつあった。
「ああ、心配いらない。ここの地下はニューキンセツへと繋がる抜け穴が用意されていてねぇ……」
ニューキンセツ?
「君は、ホウエンは初めてかね?」
「あ、はい」
カラクリ大王の話についていきながら、私はニューキンセツとはどんな場所なのか想像を巡らせる。
「そこから地上に上がればキンセツシティに辿りつく。君の目的地へとね」
「あ、ありがとうございますっ」
自己紹介の時に私は名前とキンセツシティに向かっているということだけを話していた。
私とカラクリ大王のやりとりが行われている中で、アスナさんはやたら真剣な面持ちで悩んでいた。
「あの、アスナさん? どうかしたんですか?」
「……あぁ、いや、うん。そうだ」
私は彼女が何に思い至ったのか分からず首をかしげる。
「ルカちゃん、君にこのヒートバッジを託したいんだ」
「え? えぇぇぇ!?」
いきなりすぎてびっくりする。だ、だってジムリーダーからバッジをもらうという行為は、一般人の私にとって、ジム戦とかとは無縁の私にとっては驚愕以外のなにものでもないから。
「君は知ってるかもしれないけど、今ダイゴさん達はホウエン奪還のためにこの地方に来ているんだ。ミツルさんや君のお兄さんも一緒にね」
え?
「ダイゴさんは君のお兄さんにホウエンリーグを制覇させようとしている。その為には今やこの一個のヒートバッジが必要なんだ」
え、待ってよ。なんの話なの、なんでお兄ちゃんはホウエンにいるの?
うぅん、なんでかっていう疑問の答えはさっき答えてもらった。ただ、私は理解が追いついてないだけなのかもしれない。
私を置いていったお兄ちゃんが同じホウエンにいる。そしてアスナさんが私にヒートバッジを託すのはお兄ちゃんにそれを届けて欲しいから、だと落ち着いたら結論へと簡単に辿りつく。
「私のポケッチの番号とバッジを君に預けたいんだ」
「……はい」
でも私はその時断りもせずに、その両方を受け取った。
自分でも整理のつかない心境のまま、私はカラクリ大王とアスナさんに導かれてニューキンセツへと向かう抜け道の所まで案内される。
抜け道は整備がされる手前なのか、木材によって通路の枠組みが固定はされているけどまだまだ土が剥き出しになっている
「頑張りたまえルカちゃん。この世界のカラクリを理解すれば、君の望む明日が迎えられるかもしれない」
「ごめんね、初対面のルカちゃんにこんなことお願いするのはお門違いだけど……今のあたしはとても無力だから」
私はバッジを受け取る時に、今の地方リーグの新たなルールの説明を受けた。バッジを八つ持ったひとりがリーグに挑めるという新ルール。そしてジムリーダーが年に与えられるバッジは一つのみでそれが奪われた際にはジムリーダーとしての職務も剥奪。
「だから、私はもうフエンシティにも戻れない」と、そう哀しげにこぼしていたアスナさんを見てしまっては、私はこの頼みを断れずにはいられなかった。
私は二人に礼を言い、ガーディと共に細長く真っ直ぐ進む抜け道を歩いていく。
ぼんやりと抜け道を照らす光に導かれて、私はそのまま進んでいった。未だ心中で葛藤する想いに戸惑いながらも……。
アスナさんはカラクリ大王と一緒にニューキンセツへと行くと言っていた。そこになにがあるかはわからないけれど、願わくばもう少しだけ二人とは話したかった。
でもきっとコトは急を要するんだろう。それにいろいろと確かめたくなったこともある。
ハギさんに会いに、そしてハルちゃんにも会いに、私はひとまず向かわなければならない目的地へと進む。
ドォン!!!
「っ!?」
突然の衝撃音と振動。視界が一瞬にしてぶれて、ガーディも奇声を発する。
え? え!? 何が起こったの?!
私が突如後ろへとふりかえると、私はカラクリ屋敷から押し寄せてきた黒煙に視界を奪われるのであった。