I:受けもらいしもの
サント・アンヌ号が沈んでから三日が経った。
乗船していたお客さんはロケット団の新船艦によって助けられ、でも私達の乗っていたフェリーはそのまま寄港した。
人とポケモンの行き交う港、カイナシティ。
そこがサント・アンヌ号沈没現場からもっとも近い大港であり、私含めたハルちゃん達もその街にひとまず行くこととなった。
サント・アンヌ号沈没は思っていた以上に人々の関心を集めていて、ロケット団の新船が寄港した時には波止場にはたくさんの人がその様子を見守っていた。
私が乗っていたボートはロケット団の船艦ブラックシルフに誘導されながら、約一日かけてサント・アンヌ号が当初予定していた港へとこうして辿りついてきた。
サント・アンヌ号を経営していた会社からはその日分の宿舎代が乗客分用意されていて、私はS区の人専用に手配されていた最高級ホテルであるカイナプリンスホテルを丁重にお断りして、今は海の家で六畳間程の宿をとっている。
その時にハルちゃんとスミレちゃんから引きとめられたけど、でも私も譲らなかった。あんな大事故があって、たくさんの人が死んで、それで私だけそんな贅沢をするなんてことができなかったのだ。
小心者と言われるかもしれない。でも、でも……目の前であの時海へと逃げ惑い飲みこまれていってしまった人達が脳裏によみがえって私の体は震え始める。
なぜかあのギャラドス達はブラックシルフが現れた途端に消えていなくなってしまった。それは船艦が現れたから逃げたっていう噂を聞いたけど、もしギャラドスが人を補食していたと考えるならあんな場面で退くなんてありえない。
そんな発想をする自分が嫌で、そしてその光景が毎回瞼の裏で再生されていくことに私の精神はこの一日二日蝕まれていた。
知らない内にPTSDに陥っちゃったのかな……。そんな心配もこみあげてきて、私はあの日体感した孤独な三日間を思い出していた。
それでも、私は乗り越えなければならない。チイラの実をこの手にいれるまでは……。
『いつでも連絡してね、ルカちゃん? 私は明日にはキンセツの方に行っちゃうけど、でも落ち着いたら必ず連絡するから』
私の両手をぎゅっと包み込んでくれたハルちゃんの温もりを再認識するように、私は胸の中で手の指を祈るようにして交差させる。
『……何か困ったことがあれば、ここにかけてくれ。お、お前が心配とかそんなんじゃないぞ? ただ、お前が困っている顔を見たくなくてだな』
ぶっきらぼうな言い草でも不器用に自分の番号が書いてあるメモを渡してくれたスミちゃんの姿を思い出して、私は思い出し笑いを浮かべる。
『なんですか、あなた……。あなたなんかに私のルカちゃんが連絡するわけないでしょ? あ、それとも何? 自分は頼れる存在だと思い込んでるわけ?』
『ふん、あいにくホウエンは私の生まれ故郷だ。親と一緒じゃなきゃ行動もできない世間知らずのお子様に比べたら私の方が頼れるに決まってる』
そしてあの別れ際の時に再発したハルちゃんとスミちゃんの言い合いを、私は苦笑いと共に思い出していた。
『言ったわね!』
『そうやってすぐに逆上するのがお子様なんだよ!』
『あ、あの〜、ふ、二人とも……?』
いがみ合う二人をなんとかその時は治めたけど、最後にバイバイ言うまで二人共険悪だったなぁ。
でもきっとあれだよね、喧嘩するほど仲が良いんだよ。だって、本当に嫌いな相手とは言葉を交わしたりもしないんだから。
「ふふっ」
何も悪いことばかりじゃない。そりゃ嫌な体験はしたけど、その代償として私はかけがえのない友人を二人もつくれたんだから。
それに―――
『ハヤミ様、この度はこのような事態となってしまいどうお詫びしたらよいのか』
『い、いえ! コクドウさんが謝ることじゃないですよ! あ、あれは事故だったんですし……』
最後に私をこの宿まで連れてきてくれて荷物を持ってきてくれたコクドウさんとの会話を思い出す。
『いえ、当船をご利用いただき快適な船旅を提供する我々にとって事故であろうが非常事態であろうが、それはあってはならないものなのです。今回はこのようなことになってしまい―――』
『あ、いいです、いいですって! そ、それに目的地にはたどり着くことはできましたから。私、すごく楽しかったです。それはコクドウさんのおかげだから、感謝していますっ』
私は腰の低いコクドウさんにそう声をかけて、コクドウさんはお辞儀をするのをやめてくれた。
『そう言っていただき、光栄です。しかし、本当にここでよろしいのですか? まだお部屋は手配しておりますが……』
『あ、いいんです。ちょっとこのあたりを散策してみたいんで』
その時の私はそう言ってごまかしたけど、コクドウさんには見抜かれていたみたい。そりゃそうだよね、散策なんてそのホテルからでもできるんだもん。
『そうですか。ではこのカードをお持ちください、もし何かありましたらその部屋はこの一週間は使えますので』
『あ、でも―――』
『私が最初で最後に言うわがまま、としてはいただけませんでしょうか?』
コクドウさんの行為は好意だ。それを拒否してしまうことは、私にはできない。
『……わかりました、ありがとうございます』
『はい。それではここで、もし機会がございましたらまたお会いいたしましょう』
コクドウさんは私の右手を取って、その甲に別れのキスをしてくれた。
『……はい、またどこかで』
私ははじめてのことに頭が真っ白になりながらも、そう最後にはちゃんと言ってコクドウさんとも別れた。
とうとう一人ぼっちになってはしまったけど、でも悔いはない。
真冬の海の家は、その期間中の収入を宿屋として稼いでいる。ただ海の家だけあって、寒い。まあ、安いといった理由で利用する客も多いみたいだけど、今回の騒動で様々なマスコミや観光客がきているだけあって私のいるこの宿は人が一杯だ。
きっとこの部屋を私のわがままなのに用意してくれたのはコクドウさんだったんだろう。今ならそう思えてきてしょうがない。
こんな小さな私を、この短期間で知り合えた人が助けてくれた。それはとても心が休まって、それでいってぽかぽかと温かくさせてくれる。
その連鎖を、私は引き継いでいかなくちゃ。行きつく先は目覚めるカナだということを信じて。
「……」
あの事件、ハナダでの事件以来、私はカナの容態も街がどうなっているのかを知らない。ううん、調べられなかった。ネット上にどんな規制がかかっているのかはわからないけど、どんなに探してもデパートのことやお兄ちゃんから聞いたスクールでの出来事は見つからなかった。あんなことがあっても、世界はいつもの生活を繰り返している。
でもいつもの生活ではなくなった人達もいる。大事な人を奪われた人達、自分の知るよしもない罪を科せられた人達、そしていなくなってしまった人達。そういった人達は必ずしも出ているんだ。
でもその人達は少人数。だから、世界には逆らえない。
でも、でも私は、私は世界を変えられないけど、でも自分の親友なら助けられる。
私は敷いてあった布団から、のそりと立ちあがってお母さんとお兄ちゃんと買い物に行った時に買ってもらったコートに身を包む。ウエストポーチもしっかりと腰に回し、でかける準備を整える。
このままじゃいけない。薄い木でできた床や壁に囲まれた一室の窓をガタガタと風が打ち震わせる。逆剥けた畳の上すらひんやりとなり、布団をかぶっていなければ隙間風が頬を撫でていく。一部屋に一つ設置されている電気ストーブは明るく室内を照らしてはいても、その効力は微々たるものでしかなかった。
隠れてちゃダメ。潜んでいちゃダメ。外に、出ないと。
海の家から出ると、そこに広がっていたのは無機質なほどに静まりかえった空と小波(さざなみ)が連なる海原だった。
冬の海は冷たい。寒いんじゃなくて、冷たい。肌に凍てつく冬風が、しかしちりちりと皮膚を焦がしていくようで荒く、痛い。
灰色の曇天を見上げながら、私は海の家からすぐの波止場までへと足を伸ばしていた。
ちらほらと見たことのないポケモンが空で鳴いている。
一体なんていう名前のポケモンなんだろう、と思っていたらどこか近くでなにかを訴えかけるような甲高いポケモンの鳴き声が耳に入ってきた。
なに……?
あたりを見渡しても特になにか変わったものがあるわけじゃない、それでも聞こえた方角に足を運ぶとその正体がはっきりとわかった。
物資を運搬する倉庫と倉庫のあいだにうずくまっている小さな生き物の姿がそこにあったのだ。
「大変!」
そこにいたのは右の翼をかばうようにして血を滲ませていた一体のポケモンの姿であった。全体的に白い体に、両翼に入っている青いラインが特徴的なそのポケモンは苦痛に声を荒げている。翼の妙な曲がり方から、骨折しているかもしれない。
私はすぐさまそのポケモンのそばに駆け寄って、手を伸ばす。
「いたっ」
警戒からか、私はそのポケモンのくちばしによってつつかれちゃう。それでも放っておくわけにはいかない。痛くても、きっとこのポケモンのほうが痛いから。
必死に手を伸ばし続けた結果、そのポケモンはようやく触れさせてくれることを許してくれた。
「ありがとう、すぐ治してあげるからね」
私はポーチの中から傷薬とテープを取り出して、翼を診察する。純白の羽は自身の血によってじわじわと赤く染め上がっていく。早く止血しなくちゃ。
恐らく波止場近くの機材かなにかに巻き込まれたのかもしれない。幸いなことに翼骨部分は綺麗に折れており、治るのは早いかもしれない。少なくとも飛行タイプのポケモンの骨折は回復速度が早いから。
抱きかかえるようにしながら、負傷している翼を上へと持ち上げる。こうすることで翼が心臓部より上にくるから、流れる血を抑えることができる。
傷口を消毒して、止血を行いながらテーピングを施す。ここには道具がないからこういった応急処置しかできないから早くポケモンセンターに連れて行かないと。
スプレーをしたときは苦悶の表情を浮かべていたけど、効果が効いてきたのか今ではおとなしくしてくれている。ありがとう、もう少しだからね。
「さあ、行こう!」
患部を気遣いながら立ち上がり、私はそのままポケモンセンターへと急ごうとする。するとそこで私は今まで気付かなかった声を耳にする。
「ピー子ちゃん! どこじゃピー子ちゃん!!」
そこで私はハッとする。
そういえばこのポケモンが身につけていた首輪の名前を……。P子と書かれていた文字を読むとすれば、ピー子。もしかしてこの人が……。
「あの、すみません!」
「なんじゃ、わしは今いそがしっ……ピー子ちゃん!」
「理由はあとで説明します! 今はいち早くこの子をポケモンセンターに!」
「よしわかった、わしについてこい!」
私は駆け寄ってきたその老人にポケモンを優しく手渡して、そのままその人のあとについていく。
それからのことは慌ただしくて、無我夢中になっていた。
ジョーイさんに緊急手術室へと一緒に駆け込み、施術の手伝いを行った。一番怖かった破傷風にもかかった形跡は無く、そのポケモンはきちんとした処置をされたあとに退院が許された。
副木と包帯という痛々しい姿になってしまったが、その姿を見たことで安心したのか急に私の中から気力が抜けるのを感じた。
「ありがとうな、お嬢ちゃん」
「い、いえ……」
「ジョーイさんも褒めておったぞ、そんな若さで適切な応急処置ができておったと」
「私、メディターを目指していて、その知識があったから」
言い訳をするようにしながら、恥ずかしさをごまかすようにしてなんとか言葉を口にする
そう口にしながら老人をみると、彼は肩に乗せた自身のポケモン……キャモメであるピー子ちゃんの喉元をくすぐりながら嬉しそうに、安心したように笑っていた。そしてそれに応えるようにして頬を寄り添わせるピー子ちゃんも。
その時胸にこみ上げてきた妙に温かな気持ちに私は、どこか勇気をもらえた。
なんの、なんの変哲もない普通の漁船。でも、なんでだろう、あそこには何かがある……そんな気がした。
「ぴ〜っ」
嬉しそうに鳴くピー子ちゃんの姿、それを可能にしたのはポケモンセンターのおかげ。改めて私はメディターという職業の素晴らしさに感銘を覚える。
「自己紹介がまだじゃったな、わしは漁師をやっとるハギじゃ。それでこの子が愛しの愛しのピーコちゃんじゃ」
「あ、わ、私ハナダシティのルカ。ハヤミ ルカって言います!」
「ほう、カントーから。これはまた……もしかしてお嬢ちゃん、サント・アンヌ号に乗っておったのか?」
「え、どうして?」
ハギさんの推測に私は虚を突かれる。
「いやなに、もしかしてと思っての。そうか大変じゃったな」
「い、いえ、そんな……」
「ピー子ちゃんのことも含めていろいろとお礼がしたいんじゃが、あいにくわしはこれからトウカのほうへと帰らねばならなくての」
「お礼だなんてそんな!」
そんなもの受け取るようなことをしていない。私はただ夢中で助けなきゃと思ってやっただけ、そう言われるのは嬉しいけど私はもう十分に有り余るものを得たから。
「それではわしの気が収まらん。わしはトウカシティから続く104番道路に住んでおる。もし船が入り用になったらいつでも訪ねてきなさい。お嬢ちゃんの為だったらいつでも船を出してあげるからの」
「あ、ありがとうございます!」
私はハギさんから連絡先と住所をもらい、早速ポケギアに登録した。サント・アンヌ号にいるあいだにもらったホウエンのタウンマップ上には今三つの登録先が点として存在する。
ハルちゃんのステイ先、スミちゃんの家、それからハギさんのところ。
「カイナにはちょっとした商談で来ておったのだが、その間ピー子ちゃんを自由にしておった時にこんなことになってしまっての」
「そう、だったんですか」
「お嬢ちゃんのおかげじゃ、改めてお礼を言わせてくれ」
「そ、そんなとんでもないです」
深々とお辞儀をするハギさんに、私は本当に申し訳なくなるも人に感謝される嬉しさに酔いしれかけてしまう。
「それとこれを、受け取ってくれるかの」
「これは……?」
それは数個の角砂糖みたいなものが収められた小さなケースだった。
その入れ物に見覚えのあった私は自然とその名を口にしていた。
「ポロック……」
「そう、ポロックじゃ。木の実から作ったホウエンのお菓子じゃな」
カナがおなじものを持っていたのを思いだし、カントーだと本場のホウエンじゃないから良いものがつくれないと嘆いていたのを思い出す。
そのポロックは今までカナに見せてきてもらったものとは違い、色は淡い青でありながら藍色が混ざった綺麗な色合いをしていた。
「メディターを目指しているお嬢ちゃんなら、きっと役立つじゃろう。その木の実の名はわしの口から言うことはできんが、持っておいて損はないぞ」
「こんなものをいただいても?」
「気にするでない。ほんの気持ちじゃ」
「あ、ありがとうございます!」
今度は私が腰を折って頭を下げる。
「それじゃあのう、またどこかで会おう」
「はい!」
私たちは波止場で別れた。
ハギさんとピー子ちゃんが漁船へと飛び乗るのを見届けながら、手を振り合って……。漁船にはでかでかとピー子ちゃん号と書かれていたのを見ると、本当にピー子ちゃんのことが好きなんだなって実感した。
私はハギさんのピーコちゃん号がカイナの港から離れていくのを見守って、ハギさんのくれたポロックケースに入ったポロックを見つめる。
カナが起きた時に見せたら喜ぶかな? あ、むしろ目の色変えて欲しがるかも。と微笑ましく思いながら、私はカイナの街の方へと再度歩を進めた。